使徒討滅戦:覚醒
リンネが放った最後の魔法が、轟音と共に巨竜を焼き尽くす。
大地を破壊し、立ち込める土煙が視界を奪う。
「……これはダメね」
最大威力の《メテオインパクト》を放ったことで勢い余って倒れたスクナに対し、ただ魔法を放っただけであるリンネにはまだ周りを見る余裕があった。
故に気付く。巨竜はまだ倒れていない。
現時点で放てる最大の雷撃は、巨竜のHPゲージを丸々ひとつ削り落としてなお余りあるほどの威力を発揮した。
ドラゴの《スターライト・スラッシャー》の時点で、元々あったHPゲージが2.5本強。そこからリンネを守るための4分半の猛攻でスクナ達が削り落としたのが約0.5本。
そしてそこから更に1本とちょっと。リンネの放った一撃は、3本目の残りわずかと、4本目のゲージを丸々1本全て削りきった。
残る巨竜のHPゲージはぴったり1本。
つまり、リンネ達は巨竜のHPを最終ゲージ到達まで削り落とすことが出来た訳だ。
もう少し上手くレイドが回せていれば、正しく切り札として機能したのかもしれない。
せめてドラゴが、えるみが、レオが、野良のプレイヤーが。
彼らが生き残ってダメージを与えてくれていたのであれば、倒しきる事もできたのかも知れない。
けれど、このレイドは崩壊が早すぎた。半分を優に超えるHPをたった4人で削るなど、土台無理な話だったのだ。
HPゲージを削り落とした。であれば、次に来るのはフィールドを焼き払うような波動による範囲攻撃だ。
まして、今回は2本同時にHPゲージを割っている。
もはや何が来てもおかしくないと、リンネは諦めたような顔をした。
思えば、これまで巨竜はほとんど中央から動いていない。
1度目の時も2度目の時も、波動を撒き散らした時は中央に立っていた。
そして今も、巨竜はフィールドの中央に立っている。
もし、巨竜のゲージ移行行動が先程までと同じ波動による攻撃なのであれば。
恐らく今リンネがいる位置なら、バリアを張れば波動の距離減衰も込みで死ぬことはないだろう。
ゲージ2本分で威力が上がることを考慮しても、さすがにフィールドの端であれば耐えきれるはずだ。
だが、それはリンネひとりの場合の話だ。
《メテオインパクト》の反動で30秒の技後硬直ペナルティを受けているスクナは、このままでは生き残れない。
そう結論づけた瞬間、リンネはスクナの元へと駆け出した。
前回と違い、今回は恐らくチャージ後の波動が来る。
音がするのだ。ギシ、ギシ、ギシと何かが軋むような音が。一度目の、スクナにしか聞こえなかった小さな音とは比にならないほど大きな音が鳴っている。
それがわかっているから、巨竜がエネルギーをチャージしている間に、出せる範囲の最速でスクナの元へと駆け抜ける。
転がる瓦礫のせいで途中何度も躓きそうになりながらも駆け抜けて、スクナの事を抱き抱えた。
ものすごく軽い。それはそうだ。リンネのステータスが魔法技能特化とはいえ、リアルのリンネよりは力があるのだから。
そんな冗談でひとり笑いつつ、リンネはスクナを出来る限りフィールドの端の方へと連れていく。
なるべく遠くへ。生き残らせてあげるために。
「リン、ちゃん?」
「大丈夫よ、大丈夫」
彼女の行動を受けて不思議そうな声で名前を呼ぶスクナに、リンネは優しい声で返事をした。
リンネのMPはまだ少しは残っているが、あと1回エレキバリアを張ってしまえば、もうひとつ魔法を撃つのが精一杯だ。
MPポーションを飲んだところで、アレはHPポーションよりずっと回復が遅い。
これから来る暴威に対抗する手段にはならないし、仮に生き残ったとしても、リンネにヘイトを向けているであろう巨竜の猛攻を凌ぐほどには回復も間に合わないだろう。
そして、そんな役立たずのリンネをスクナは命を賭してでも守ろうとしてしまう。それをリンネは分かっていた。
だって、それが「二宿菜々香」という人間だから。
なら、リンネが最後にすべきことは?
スクナの負担にならないよう、ここで散ること。
あえてその命を以てスクナを守ることだった。
エレキバリアと、エレキシールド。2つの防御魔法を、リンネは動けずにいるスクナにかける。
これまではエレキバリアひとつで耐えられていた波動も、今の巨竜であれば貫通してくるかもしれない。
だからリンネは、2つの魔法をスクナにかけた。もうMPはすっからかんで、正真正銘リンネは何も出来ないポンコツ状態だった。
2つの魔法を重ねた上で、リンネはスクナを守るように立ちはだかる。なるべくスクナにダメージが及ばないように、スクナのことを守り抜くために。
「ナナ」
「待って、リンちゃ……!」
「あとはお願いね」
スクナの体を2つの防御魔法が覆い尽くすのと同時に、フィールドに激震が走る。
巨獣の咆哮とともに、全方位を焼き尽くす波動が拡散した。
その波動は、死を呼ぶ風の如く。
無防備に立つリンネのHPを消し飛ばした。
☆
「……あ……」
意味もなく、声が漏れた。
リンちゃんが死んだ。
とても呆気なく。あっさりと。
私を庇って、死んでしまった。
――仕方ない、相手が強すぎただけ。
心の中で『誰か』がそう呟いた。
そう、仕方なかった。
もう私と、リンちゃんしか、残ってなかったんだ。
30人で、戦う相手だもの。
15人しかいなかったんだよ。
仕方ないよ。
仕方、ないんだよ。
――ただのゲーム。そうでしょ?
うん、そうだ。
この世界はいくらでも命の換えがある。
そうだ。そうだ。これは、ゲームだもの。
そうやって、言い聞かせるように呟く。
出来もしない納得を得るために。
意味もないのに立ち上がって、リンちゃんを殺した巨竜を見る。
ぼうっと立ち尽くす私に向かって、巨竜がブレスを溜めている。
先程、2人のプレイヤーと影縫を犠牲にして、ようやく止めたばかりのブレスだ。
アレを放たれれば一瞬で蒸発するだろう。
分かっているけど、身体が動かない。
力が入らない。目の前が真っ赤に染まっていく。
――ねぇ、どうする?
『誰か』が何かを呟いているけれど、もうそれさえ聞き取れない。
私の心は失意の底に沈んでいた。
死んでいく。
死んでいく。
みんなが私の前で死んでいく。
手が届かない。守りきれない。
守りたくても守れない。
それでもいいと思ってた。
だって私が本当に守りたいものはリンちゃんだけなんだから。他のプレイヤーがどうなろうと私の知ったことじゃない。
リンちゃんさえ死んでいなければそれでいい。私は私の守りたい小さい世界だけを守れればそれでいいと。
無理やり自分を納得させた。
そうでもしないと動けなかったから。
そうやって削って、削って、削って削って削って削って。
削り切った先で本当に守りたかったものを守れなくて。
それじゃあ私は、私のこの力は何のためにあるっていうの?
私はずっと、私自身さえ焦がし尽くしてしまうほどの力の引き金を、リンちゃんだけに預けてきた。
全てはリンちゃんを守る為に。
そして、リンちゃんがいいよって言った時だけ。
この身に宿る人並外れた力を暴力として使ってきた。
WLOの世界は、ソレが許された場所だった。
私にとって、この世界はそういう場所だったのに。
じゃあ、私は。
リンちゃんがいないセカイで。
一体どうやってこの力を使えばいいの?
視界が真っ赤に染まっていく。
怖い。
心が軋んで、崩れていく。
怖いよ。
衝動が全てを飲み込んでいく。
赤い。あかい。赤い、アカイ赫い。
心を埋め尽くす衝動は……灼熱のマグマのように私の心を焼き尽くしていた。
――やっと思い出した?
『誰か』が。
いや、あの雪の日の『私』が。
涙を流して、立ち尽くしていた『私』が。
寂しそうに、そう呟いた。
そうだ。
私はこの感覚を知っている。
私はこの感情の名前を知っている。
どうして忘れていたんだろう。
どうして思い出してしまったんだろう。
蘇るのは遠い記憶。
忘れていたのは、破壊の衝動。
私の世界が壊された日の情動だ。
――このままだと、みんな殺されちゃう。
「い、やだ……」
溢れ出る感情が、意図せず声を発させる。
それさえ気づくことなく、私は体を支配する感情に身を委ねる。
記憶が、忘れていた想い出がフラッシュバックする。
目の前で、全てを失ってしまった記憶が蘇る。
守れなかった。守れなかった。私は、守りたかったものを、守ることさえできなかった。
お父さんが、お母さんが、潰れて、赤く、消えて……。
だからもう、何も失いたくないって、そう思ったんだ。
そこまで思い出したからこそ、私はこの戦いのあいだずっと心を焼け焦がしてきた感情の正体を知った。
そして、今なお胸に湧き上がる感情を愛でる。
ずぅっと、長いこと、思い出せないままでいたね。
お父さんとお母さんが死んだあの日。
涙に塗れた私が抱いていた、このドス黒くも純粋な感情は悲しみなんかじゃなくて。
理不尽な世界に対する。
そして、何も守れなかった無力な自分に対する。
どこまでも透き通るような、『怒り』だったんだ。
――どうすればいいか、わかってるでしょ?
うん、わかってる。
大丈夫だよ、任せて。
簡単なことだよ。
考えるまでもない。
『――全部、壊しちゃえばいいんだよ』
私と『私』の声が重なる。
カチリと、ずっと欠けていたピースが嵌ったような気がした。
☆
スクナを庇い、リンネが落ちた。
巨竜はこれまでに衝撃波を放った時と同様に攻撃の手を止め、放熱するように静かに動作を停止した。
そんな絶望的な光景を見て、使徒討滅戦を見ていた誰かが息を飲んだ。
始まりの街で、デュアリスで、トリリアでフィーアスでグリフィスでゼロノアで。
第7の街以降のイベントと関係の無い全ての街でさえ。
使徒討滅戦は神の瞳によって、空中投影されたモニターのように映し出されていた。
それは娯楽のためか、はたまた避難を促すためか。
特に、この戦いによって被害を被る可能性のあるゼロノアまでの街の住人は、固唾を飲んでこの光景を見守っていた。
残る巨竜のHPゲージ量は丸々1本。
そして、プレイヤーはスクナのみ。
そのスクナでさえ、リンネが死んだショックからか動くことさえ出来ずにいる。
そんな中、スクナよりも早く、巨竜が再び動き出す。
巨竜の口元へ巨大な光が溜まっていく。
極光のブレス。先程、2人のプレイヤーを犠牲にしてようやく打ち払った最悪の攻撃の矛先がスクナへと向けられる。
わずか15人のレイド戦。土台無理な戦いだったのだ。
それはまもなく終わり、巨竜は、アルスノヴァは始まりの街に降り立つのだろう。
プレイヤーも、公式生放送を見ていたリスナーも、全ての街で使徒討滅戦を見ていた住人たちも。
その全てが、この戦いは詰んだと理解した。
始まりの街で起こるであろう惨劇を前に、全ての人々が無意識に手を握った。
けれど。
その全てを嘲笑うかのように。
足元から溢れ出た闇が、スクナを飲み込んだ。
ゾッとするほど暗く重い闇が、スクナの全身を包んでいく。
ギシギシと軋むような音を立てて、闇がスクナのアバターを染め上げていく。
その角はより紅く、より長く。
瞳の白を黒に、血染めの瞳はより濃く深く。
ピシッ、と。
小さな音を立てて、その白い肌に黒い亀裂が走る。
全身に亀裂は広がっていき、その隙間からも闇が漏れ出て霧散していく。
『あ、は』
蕩けるような声が零れた。
全身を包み込む高揚感を受けて、鬼人は静かに嗤った。
その姿は、まるで伝説の鬼神を彷彿とさせるもので。
スクナのアバターは、『そのスキル』を発動するために最も適したカタチへと造り替えられていく。
「何だよ、あれ……」
始まりの街でその戦いを見守っていたNPCの少年の呟きが、喧騒を貫くように伝播した。
それは全てのプレイヤーの心の声の代弁であり、それはこの世界の住人にとっても同様だった。
その変貌は、時間にすればきっと10秒も経ってはいなかったのだろう。
大元にあったスクナのアバターは、変貌してもなお彼女を彼女として認識できる程度には原型が残されている。
そして今にも放たれんとする巨竜のブレスを前に、スクナはゆらりと視線を向ける。
だが、何よりも見ている人々の心に動揺を振りまいたのは。
その鬼人の姿が、どうしようもなく哀しみに満ち溢れていたからだった。
「スクナ……君は」
始まりの街で最悪の事態に備えていた琥珀は、スクナの姿を見て動揺する。
メルティから聞いてはいた。だが、実際にこの目で見るまでは楽観視していたのも事実で。
スクナという少女がこれほどの闇を抱えていたということを、それを見抜くことさえできなかった自分が情けなくて。
禁忌に墜ちた。それは、鬼神の力そのものにして、世界に仇なす災禍の力だ。
あるいは、この手で彼女を殺さなければならないかもしれない。琥珀はぎゅっとその拳を握った。
その瞳から黒い涙を流して嗤う鬼人を、琥珀は胸が締め付けられるような思いで見つめていた。
☆
世界中の人々の耳に、システムアナウンスが鳴り響く。
それは終わりを告げる鐘の音にして、災禍の誕生を祝う歌。
《プレイヤー《スクナ》の感情値が一定値を超えました》
《検索:プレイヤーの種族を確認。種族固有技能の発動条件を満たしました》
《バッドスキル《忘我の怒り》を発動します》
《アラート:発動を棄却》
《アラート:プレイヤーの感情値が閾値を超越しました》
《検索:『鬼神の祝福』を確認しました》
《検索:『鬼神の因子』を確認しました》
《検索:スキル『鬼の舞』を確認。上限の限定解放及び全アーツのクールタイムを取り消します》
《リザルト:全ての侵食条件の達成を確認》
《アラート:世界七大災禍『憤怒』による侵食が発生します》
《対象プレイヤー:スクナ》
《解放時間:5分》
《――、―、―――、―――――――――――――――》
《ハザード:デッドスキル『憤怒の暴走』を開始します》
そして、蹂躙が始まる。
巨竜が吠え、鬼が嗤う。
ただ、眼前の敵を滅ぼすために。