使徒討滅戦:拳舞
「あ……」
目の前で消えた4人のプレイヤーを見て、スクナはゾッとするほどの悪寒が背中を撫でるのを感じた。
ドクン、ドクンと、大きく音を立てて心臓がなっているような、不快な感覚。
記憶にない光景が視界にフラッシュバックする。焦土と化した街にいたはずのスクナは、雪舞う街の中で立ち尽くす。
あるはずのない寒さを感じて、思わず両腕で体を抱き締めた。
――寒い。寒い。寒いよ。
「い、や……」
頭が割れるように痛い。
いいや、VR空間で頭痛なんて起こらない。
そうだ、錯覚のはずなのに、壊れそうなほどの痛みがスクナを襲う。
――いや。いや! もう失うのはいや!
スクナの中で、何かが叫ぶように訴える。
思い出せない、あの雪の日の記憶がスクナの心を締め付ける。
――****。
スクナの視界の先で、雪に包まれた「菜々香」が、涙を零しながら空に向かって何かを呟いた。
☆
凍りついてしまいそうなほど寒い世界で、思わず伸ばしてしまった掌。
何を掴める訳でもないのに。
そう思ったスクナの掌が、あるはずのない熱で溶かされていく。
「ナナ」
それは聞き慣れた声。何よりも大好きな声。
スクナにとって、菜々香にとって。
安心の象徴である、リンネの声だ。
「……リン、ちゃ」
「落ち着いて。大丈夫、私がちゃんとここにいるから」
震える声でリンネを呼ぶ。まるで壊れ物を扱うように、リンネはそんな弱々しい姿のスクナを抱き寄せる。
動揺している。リンネの想像を遥かに超えて、スクナの心は揺れていた。
自身が傷つこうが、死のうが、なんとも思わないスクナが。ほとんど関わりのないプレイヤーたちの《死》を目にしただけで、これほどまでに怯えている。
その理由を、リンネは理解している。
スクナはトラウマを抉られたのだ。
スクナはWLOを始めてから……いや、きっと両親が死んだあの日から、初めて人の死に触れた。
自分が死ぬことはあっても、他人が死ぬところは見たことがないのだ。
もしかしたらフィールド上で死ぬプレイヤーくらいは見たことがあるかもしれないが、それは本当にスクナの与り知らぬ相手の死だ。
共に戦う仲間が死ぬ。それがたとえ即席の仲間であったとしても、スクナにとってはトラウマを呼び起こすのに十分な光景だったのだろう。
思えば、かつてマウントゴリラ戦でトーカが傷ついただけで心が揺らいでいたように、スクナは共に戦う仲間が傷つく姿さえほとんど目にしたことがない。
さすがに少しHPが減ったくらいでは動揺しないが、それでもスクナは共にゲームをしている間、一度だってリンネを守らずにいたことはなかった。
例えば、モンスターハウスからリンネを弾き出した時のように。
先程、異変に気付いたスクナは必死に叫んでいた。
リンネが無理やり引っ張って自身が張ったバリアの中に引きずり込まなければ、恐らくスクナも死んでいただろうと思えるほどに盲目的に。
それに反応できたのはドラゴを含めて数人だったが、結果として数人を助けられたと言うべきなのか、4人を助けられなかったと言うべきなのか。
少なくともスクナの中では、助けられなかったという方に意識が傾いてしまったのだろう。
トラウマ、なんて言葉で片付けていいのかはわからない。
ただ、少なくともスクナは。
いや、二宿菜々香は。
かつて目の前で死にゆく両親を助けられなかったことを、忘れてしまったはずの記憶の中で悔やんでいるはずなのだと。
リンネはそう思っていた。
「……もう大丈夫?」
「うん……大丈夫」
腕の中で震えが収まるのを感じ取ったリンネの問いに、スクナは未だ力ない言葉で答える。
「シャンとしなさい。ナナが自分を責めることじゃないし、何より今はそんな場合でもないわ。やられちゃった彼らの分まで戦って、勝ってしまえばいいだけよ」
少し俯くスクナの頭をポンと叩き、リンネはスクナを腕から解き放った。
「アイツを倒すわよ、ナナ」
「……うん!」
頷いたスクナの顔には笑みが浮かんでいる。
それが空元気なのはリンネにも分かっている。
応急処置、その場しのぎの極みだが、それでもスクナは立ち上がった。
そうでなくては困る。もはやこのレイドバトルに余裕は皆無となっている。
巨竜が反動で動けずにいると思われる今だったからこそ助かったが、今後仲間が死ぬ度に心が折れていてはどうしようもないのだ。
この場にいるプレイヤーの中で、ドラゴやリンネ以上に討伐への期待値が高いのはスクナなのだから。
☆
「ォォォ……」
ズン! と音を立てて、巨竜が再起動を果たす。
およそ一分以上の反動を経ての起動のおかげで、既に生き残った全プレイヤーが態勢を整えることに成功している。
しかし、先程の攻撃で4人のプレイヤーが落とされたことに変わりはない。
「ここからはもうタンクによるヘイト管理は出来ないわ。完全に態勢を崩された。テツヤもソラ丸も遊撃に近い形でアタッカーへの攻撃を防ぐような形になるはずよ」
「ソラ丸って誰?」
「ドラゴのところのタンク。私も面識があるくらいだけど、仮にもドラゴが前衛に置くくらいだからそれなりなんでしょう」
スクナはリンネが視線で指し示す少年を見る。
歯を食いしばって巨竜を見つめるソラ丸という名のタンクの少年は、タンク職にしては珍しくほとんど鎧を纏わないような軽装だった。
「回避型のタンク?」
「そうね。殴りでヘイトを稼ぐ以上はテツヤより攻撃特化の構成のはずだからドラゴのパーティとの相性はいいんだろうけど、レイドバトルのタンクとしてはちょっと心もとないわね。普通にアタッカーとしてみつつ、囮役も任せられるってくらいかしら」
「なるほどね。それで、リンちゃんのプランは?」
「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応、なんてどうかしら」
「行き当たりばったりね。おっけー」
ウインクと共に告げられたリンネの作戦を聞き、スクナはそう言って頷いた。
すっかり立ち直ったとはまだ言えないが、冗談に乗れるくらいには元気になったようで、リンネは少し安心した。
この作戦について、スクナはまあそうだろうなと納得していた。
元より寄せ集めの上に、かろうじて各職が揃っていただけのレイドパーティだ。
むしろ最初から各自の判断で動く方が良かったのかもしれない。
型に囚われたせいとは言わないが、タンクにばかりヘイトを集めていたことでアタッカー全員に油断が生じていたのは確かなのだ。
そしてテツヤはまだしも、ソラ丸が真正面から巨竜の攻撃を受け止められるタイプのタンクではない以上、テツヤひとりにヘイトを受け持ってもらうのは無理がすぎる。
そうであれば、とスクナはここで温存していた火力を切ることにした。
先程までの陣形ならヘイトを奪わないよう安定した状況で使いたいと思っていた。だから、ここまでスクナはほとんど攻撃をしなかった。
だが、この状況ならむしろ自分もヘイトを集めてしまった方がいい。
パン! と両手を打ち鳴らす。
舞い踊るは《鬼の舞》。
発動するのは《四式・鬼哭の舞》。
これからスクナが行うのは、命懸けの攻撃だ。
ダメージカット、頑丈強化、オートヒーリングという《鬼哭の舞》の持つ効果全てが必要になる。
「行ってくるよ」
「ええ、行ってらっしゃい」
現在誰よりもヘイトを稼いでいないスクナはリンネと言葉を交わしてから、ぐっと足に力を込めて大きく跳躍した。
飛び乗ったのは巨竜の背。四肢をどっしりと大地につけている巨竜の体勢のおかげで、背面はスクナの想像以上に安定した足場になっていた。
「はぁぁぁぁ……」
スクナは大きく息を吐いて、集中力を高める。
脱力した体に力を込めると、スクナは両手を同時に巨竜の背へと打ち付けた。
「らぁあっ!」
《素手格闘》スキル、初撃《双龍》。
巨竜の長大なHPゲージから見ればもはや減っていないに等しい小さなダメージが、巨竜へと刻み込まれる。
だが。
《双龍》はあくまでも全ての起点に過ぎない技だ。
本番はこれから。スクナは記憶を辿り、ここから始まる超連撃を呼び起こす。
《双龍》から終幕の《十重桜》まで、繋ぐ技の数は《三雲》《四葉》《五和》《六道》《七曜》《八輪》《九世》の7つだ。
《双龍》に続く《三雲》から《九世》まで、名前につく数字の数がそのまま各アーツの連撃数となる。
本来ならば連撃に蹴りを混ぜることで単純にダメージを増やせるのだが、今回は下向きに攻撃を放つ都合上、一部の蹴りを殴りに変更する。
総計44発の拳撃の雨あられ。それをスクナは、わずか9秒で完遂する。
初めは小さかった打撃音も、連撃が重なるにつれて大きく重く響き渡っていた。
そう、「連撃が重なるにつれて」だ。
《素手格闘》スキルはある熟練度を超えたタイミングから《連撃ボーナス》というパッシブ効果が習得できる。
これは名前の通り、連撃を重ねることにより一撃毎の威力に攻撃力補正を追加するというものだ。
《素手格闘》の真髄は連撃にあり。
その言葉を証明するかのようなパッシブ効果であり、最初はほんの微々たる減少であったHPが、みるみるうちに減っていくのが見てとれた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
スクナが叫ぶ。どれほど速い連撃であっても、ここまではあくまでも前座でしかない。
彼女が叫ぶのと同時に、《素手格闘》スキルの連撃最強アーツ《十重桜》が起動した。
ズン! と音を立てて沈み込むスクナの初撃の威力が伝わり、このアーツの詳細を知るプレイヤーは例外なく驚きの表情を浮かべた。
《十重桜》は初撃の威力を基準に、1倍、2倍、3倍と一撃ごとに累積されるように威力が増していく10連撃アーツだ。
10発目のアーツ倍率は驚異の10倍であり、全てを撃ち切れればなんとわずか10発の攻撃にも拘らず初撃55発分の威力と同等のダメージを敵に与えられる。
紛れもなく最大クラスの火力のアーツであり、レイドバトルのダメージソースとしてはこれ以上ないほどのもの……なのだが。
WLOでは頑丈の許容を超えた攻撃力で敵を攻撃した時、プレイヤーにその反動ダメージが返ってくる。
アーツ倍率10倍ともなれば、もはやその攻撃力は想像を絶する。ゴルドを倒した《メテオインパクト》でさえ素のアーツ倍率が6倍超であり、かつその反動の全てを武器に負担させることで反動ダメージを回避していることを考えれば、その火力は推して知るべしである。
そして同時に、それほどの倍率の攻撃ともなれば反動ダメージの凄まじさも予測できるというものだ。
ただし、今言ったように《十重桜》は初撃の威力依存でアーツの威力が決まる。
初撃の最低威力に下限はあるが、それでも限界まで弱弱しく打ち込めば、はじめてスクナがこの技を使った時のように10発目を当てても反動で死ぬことはないだろう。
だが、今スクナが撃ち込んだのは、《双龍》から数えて44の連撃を重ねた《連撃ボーナス》付きの、それも雄叫びを上げての全力の拳だった。
その最終的なアーツの威力はもはや想像すらままならず、なんなら打ち切る前にスクナが消し飛んでしまう未来さえ幻視した。
「ははっ」
レイドパーティに広がる困惑と動揺を受けて、スクナは笑った。
反動ダメージなんて、スクナ自身がよくわかっている。攻撃用のバフではなく防御用の《鬼哭の舞》を発動し、耐久を上げたのはそのためだ。
準備はしてある。だからこそ、スクナは初手にこの技を持ってきたのだから。
「やはり《十重桜》。それも完全な形での発動とはな」
目の前で悲鳴を上げる巨竜を見ながら、ドラゴはそう呟いた。
まるで大砲でも打ち込んでいるのかと思えるほどの打撃音と共に、一撃毎に巨竜のHPが減少していく。
異変が起こったのは4発目。スクナのHPが、初めて反動ダメージによって削られた。
その量は微々たるものだが、それでもここから先は全ての攻撃によって反動が来る。
5、6、そして7。巨竜のHPを削りながら、同様にガリガリと削られていくスクナのHPを見て、ドラゴは不可解なことに気がついた。
(おかしい。スクナ女史のHPの減りが速い。このままだと10発目の前に彼女自身が死ぬぞ)
7発目を打ち込んだ時点で半分のHPが無くなったスクナの姿に、一瞬ドラゴの脳裏に神風特攻という言葉が浮かぶ。
このままではHPが足りない。どう足掻いても反動ダメージで死ぬだろう。
だと言うのにスクナは笑っている。それがドラゴには不思議だった。
(……いや、そうか! そういうことか!)
ドラゴ自身、手に入れたもののすっかり忘れていた「あるスキル」の存在を思い出す。
確かにソレを使えば、スクナは生き残れるかもしれないからだ。
そんなドラゴの予想に従うように、轟音を立てて《十重桜》の8発目を打ち込みつつ、スクナは最後の一手を起動した。
「《歌い給え、守り給え! 汝は慈愛の歌姫なり!》」
スクナが唱えたのは、これまで一度として世話になったことのなかったスキルが持つアーツの起動ワード。
そのスキルの名は《歌姫の抱擁》。スクナがイベント2日目、モンスターハウスソロ殲滅の報酬として手に入れたレアスキルだった。
レアスキル《歌姫の抱擁》はパッシブスキルであり、その本来の効果は《所持者の反動ダメージを半減する》というシンプルなものだ。
この効果の恩恵に与れるプレイヤーが実際に何人いるのかはスクナの知るところではないが、そもそもほとんどのプレイヤーは反動ダメージを受けるようなスキルを持っていない。
スクナですらこの《十重桜》以外には、現状で反動ダメージを受けるようなスキルもアーツも持ち合わせていない。
ただし、このスキルにはもうひとつ、《餓狼》のように能動的に発動できる特殊なアーツがある。
それが先程の起動ワードを用いた《守護の賛歌》と呼ばれるアーツ。
その効果は《発動直後の5秒間に限り、反動ダメージを完全に無効化する》というものだ。
リンネは初めてこのスキルの効果を見た時から、このスキルと《素手格闘》スキルのシナジーに気がついていた。
だからこそスクナにこのスキルを渡したのだ。
いずれ使う時が来るかもしれない、そう思ったから。
ちなみにドラゴは自身のプレイスタイルに合わないと判断し、かと言ってパーティメンバーにも合わないので、未だに習得することなくスキル書のまま持ち歩いていたりする。
反動ダメージの鎖から解放されたスクナは、もはや人の拳が出す音ではないだろうと言いたくなるほどの轟音と共に9発目の拳を叩き込み、最後の一撃を引き絞る。
「ラス……トォ!!」
それはもはや爆音だった。
巨竜の背に突き刺さった拳が甲殻を砕き、鱗を砕き、赤いエフェクトを撒き散らす。
アーツ《十重桜》終幕。巨竜の2段目のHPを8割以上削り尽くしたスクナは、もう一度拳を引き絞る。
「《ぜっ》……うわぁっ!?」
そんなスクナを無理やり振り落とすように、巨竜が大きく跳躍する。
空高くで振り落とされないように跳躍の前に飛び降りたスクナは、おっかなびっくりな様子で大地に着地した。
「あっぶな」
「お疲れ様ですっ。回復しますねっ」
「ああ、ありがとう。ええと……リューちゃんさん?」
「リュゥリです。一応《社畜機動部隊》のエースチームでヒーラーやってます!」
ほとんど死にかけに近い状態までHPを減らしたスクナに声をかけてくれたのは、先程までリンネの傍で他のプレイヤーに支援を飛ばしていたヒーラーの少女、リュゥリだった。
魔法でHPが回復していくのを見ながら、スクナは念の為ポーションも口にする。
「キュウリみたいな響きで可愛いね」
「あははっ、よく言われますっ」
スクナのだいぶ失礼な言葉だったが、リュゥリはそれを笑って肯定した。
それもそのはず、リュゥリという名前はキュウリをもじったものなのだから。
「グルォオォ!」
「おおっ」
「きゃっ!?」
歓談が起こりそうな2人を止めるように、巨竜が空から大地に着地する。最初のように羽を使って緩やかには落ちてこなかったようだ。
ゆらりと起き上がった巨竜の眼光は怒りに燃え、スクナに向けられていた。
「じゃあ、リュゥリちゃんも離れてて」
「そうしますっ。ご武運を」
最後に飴タイプのポーションを押し付けて、リュゥリは戦場の端の方へと移動していった。
今ヒーラーは2人しか居ないのだ。広いフィールド上で傷ついているプレイヤーを安全圏から癒しているのだろう。
もはやリンネの後ろに構えている余裕もないということだ。
「さて、次は私が頑張る番かな」
これまでヘイトを他者に受け持ってもらっていたが、ここに来てスクナが買ったヘイトの量は凄まじく大きい。
怒りに燃える瞳でスクナを睨みつける巨竜に対し、スクナはインベントリからとある武器を取りだした。
「《宵闇》。お披露目の時間だよ」
引き抜かれたのは、影縫よりも一回り大きな夜色の金棒。
それはスクナがはるるに制作を依頼していた2つ目の切り札であり、このタイミングでお披露目する予定だった新兵器だった。
リュゥリちゃんはキュウリが大好き。
プレイヤーアバターの髪は緑色です。