瞬間の激突
その2つの影の戦いは、日本中のどこからでも見ることが出来る状態にあった。
影のひとつ、《スクナ》という名の少女が配信を止めずに戦闘に移行したからである。
いや、止める暇もなかった、止めるという思考をする余裕がないのだと言うことを、視聴者達は知っていた。
互いに与えられたステータスの差は大きい。
画面に映される戦いは、一見すればスクナが嬲られているかのようにも見える。
しかし赤狼アリアのHPゲージが半分を割り黄色に染まってなお、スクナのHPはほとんど削れてはいなかった。
1時間。
それが現在彼女たちが戦い続けている時間であり、スクナが赤狼のHPを赤ゲージまで追い込むのにかかった時間だった。
『ほんとに人間かよ』
リスナーの1人が、そうコメントした。
スクナの戦い方は至ってシンプルだ。
カウンターに次ぐカウンター。
あまりにも精密で正確なアバター操作でもって、ほんのわずかな隙を突き続ける。
神がかった読みと反射で捌き切り、返す刀を差し込む。
言うだけなら簡単だ。
ステータス差を覆すのに最も有効な手段であるのは間違いない。
だが、いくら鬼人族という近接戦闘に特化した種族であるとはいえ、このレベル差であればクリーンヒット1回で瀕死、急所をやられれば即死は免れない。
それを1時間。しかもその顔に浮かぶのは疲れではなく、歓喜の表情である。
針の穴に糸を通すような集中力をひたすらに維持したまま、スクナというプレイヤーは圧倒的格上のモンスターを翻弄していた。
昨日の《リンネ》の放送で名が売れたとはいえ、『HEROES』のナナ、 《スクナ》の視聴者は放送開始時には100人にすら満たなかった。
それは当然のことだ。第一陣に目当ての配信者がいる者もいれば、昨日から入ってきた第二陣にだって有名な実況者がいる。
むしろ、早朝なのに多くのリスナーが見てくれていただけありがたいとさえ言えるだろう。
しかし、現在の《スクナ》の配信における同時接続者数は、1万を超えていた。
ネームドボスモンスターは、その出現自体が稀であるため、それだけで話題になるのが常だ。
最初はスクナが赤狼アリアに遭遇したと言うだけの報告が掲示板に流れ。
数分間耐え忍んでいるのを見て、配信のURLが拡散され。
配信サイトのランキングに上がり、そのおかげでさらに拡散されての繰り返しで、ついには1万人のリスナーがスクナの戦いを見守っていた。
死闘の果てに赤ゲージまで削られた赤狼は謎のオーラを纏い、それまでの比にならない速さをもってスクナに襲いかかる。
スクナもまた、凄絶なまでの笑みを浮かべて赤狼を迎え撃つ。
彼女たちを見守る全ての視線が、迫る決着の時を感じ取っていた。
☆
HP残り2割を切ってから手足に燃えるようなオーラを纏い始めた赤狼。
その攻撃で、これまでほとんど傷を負わなかったHPゲージが削られる。
攻撃自体は掠っただけで、ダメージもほんのわずか。それでも確かなHPの減少がそこにはあった。
これまで通りに反応しようとして、反応しきれなかったのだ。
スクナはその事実を受け止め、オーラの能力はスピードを強化する類のものだと予測する。
倍率はいかほどか。下手をすれば倍増までありうるほどの加速である。
それはシンプル故に強力な効果だった。
「ぐ、ううぅっ!」
真正面からすれ違いざまに切り裂こうとしてくる爪を、金棒で辛うじて跳ね上げる。
勢いを殺しきれず、爪が腕を掠めてHPが5%程持っていかれた。
見えてはいる。ただ、早すぎてステータス的にアバターが反応しきれないのだ。
ただ、スクナはたった2合の打ち合いの中で、燃えるオーラが内包するデメリット、明確な弱点を見て取った。
それが、彼女がこの強敵を喰らい尽くすための唯一の突破口になる。
そう確信できるほどに、致命的な弱点を。
必ず、機は訪れる。
故に、スクナが取るべき選択肢はカウンターですらない純粋な防御である。
赤狼の筋肉の動きから、視線から、これまでの戦いの経験から、飛んでくる攻撃を予測する。
相手が攻撃を始める前に、防御のための攻撃を置いておく。
もちろんスクナのHPはただ掠っただけのダメージでも少なからず削られているが、この終盤に差しかかるまで9割を保っていたHPにはまだ余裕があった。
「ら、ああああっ!」
要領を掴んだ以上、必要なのは集中力のみ。
大きな火花を散らして、迫る爪を弾き飛ばす。
敵の挙動に対して、攻撃を置く。
攻撃を当てるのではなく、虚を突かれた相手が攻撃に「当たりに来る」。
正確には「相手」ではなく「相手の攻撃」に対してカウンターを置いている訳だが、それはさておき。
スクナが今やっているのはそういう事であり、1度でも失敗すれば即死亡の自殺行為だった。
それでも、高まり切った集中力とほんの僅かな運が、スクナの行動を成功に導く。
実に5回。それが、3割程のHPを犠牲にしてスクナが赤狼の攻撃を防ぎ切った回数だった。
そんな絶望的な予測をなんとか5回成功させた瞬間、ついに待ちに待った機が訪れた。
謎の燃えるオーラを発動させ続けていた赤狼のHPゲージ。
それが、スクナは一切のダメージを与えていないはずなのに、わずか1ドットにまで消耗されていたのだ。
これが、スクナが見つけたデメリットの1つ目。あの謎のオーラは、発動にHP消費を強制されるのだ。
速度としては遅々としたものだが、残り2割しか残っていない体力ゲージではその少量が致命的な量になる。
今の赤狼は明確なダメージ判定を発生させさえすれば倒せてしまう程に弱っていた。
ただ、いい事ばかりでもない。
現状、スクナは赤狼の攻撃を防ぐ事しか出来ておらず、オーラを纏い始めてからはドット単位のダメージすら与えられていない。
その上、残り1ドットになったタイミングでHP減少は無くなり、オーラはむしろ勢いを増した。
それはさながら背水の陣。
命を燃やし尽くしてでも敵を殺すという、赤狼アリアの意志の表れのようだった。
赤狼アリアは加速のために距離を取った。
次で決まる。
互いにそう確信した。
読み合い、予測し合い、敵を殺すための最適解を瞬時に構築する。
ドクン、ドクンとあるはずのない鼓動の高まりを感じた。
「行くよっ!」
「グルォァッ!」
どちらともなく叫び、最後の攻防が始まった。
赤狼アリアは己の持ち得る最大の速度で目の前の敵を殺さんと、全身の筋肉を膨張させる。
すれ違いざまの切り裂きではダメだ。
この爪を、渾身の力で心の臓に突き立てる。
その速さはまるで音のように。
極限まで張り詰めた力の爆発を感じながら、赤の砲弾は発射され――刹那、アリアは目の前に小さな煌めきを知覚した。
それはスクナがずっとズボンのベルトに引っ掛けていた、たった一本の金属器。
この戦闘で一度たりともスクナが使わなかった《投げナイフ》である。
終始近接戦闘に従事していたスクナからの予想外の飛び道具を、しかし今この時に限って赤狼は躱すことが出来ない。
それが、スクナが見つけた2つ目の弱点。
このスキルによって強化されている際の速さは、ネームドである赤狼アリアをして「制御しきれない」のだ。
赤狼アリアが発生させている謎のオーラの正式名称は、ネームドスキル《餓狼の誇り》。
それはHP2割以下で強制的に発動し、継続的なHP消費を伴うという極めて重い発動条件を要求される代わりに、対象の敏捷を一気に2倍に跳ね上げる破格の効果を持ったスキルである。
だが、圧倒的な強者たる赤狼アリアはこのスキルを発動させたことがほとんどない。
HP2割以下という状況に陥ったこと自体がほとんどないからだ。
故に、強制的に引き上げられた敏捷を持て余し、突進と爪での攻撃しか行えなかった。
だからこそ、ただでさえかけ離れたステータス差のスクナでも、「予め攻撃を置いておく」という神業をもってして赤狼の攻撃を凌ぐことが出来たのだ。
ソレは完全なる不意打ち。
避けられない。
当たれば死ぬ。
そんな結末があってたまるものか。
この死合の結末が、そんな呆気なくていいはずがない!
一瞬にも満たないほんの刹那の時間。
引き伸ばされた思考の中で、許し難い結末を思い浮かべた赤狼は、飛んできたナイフを咄嗟に噛み砕いた。
二度はできないであろう、自分でもそう思うほどの理想的な行動だった。
しかし、その投擲さえも囮でしかない。
その刹那の思考と一瞬の隙、それこそがスクナが欲した唯一の時間だった。
ほんの一瞬鈍った速度。
それが、本来ならば間に合わないはずの攻撃を間に合わせる。
《打撃武器》スキル――アーツ名 《フィニッシャー》。
《打撃武器》スキルの中でも極めて早く習得でき、かつ極めて重い代償を要求される名前通りのフィニッシュブロー。
10秒という大きな技後硬直と武器耐久値100%減少というとてつもない発動条件と引き換えに放たれるのは、《叩きつけ》の3倍もの威力と速さを誇る超絶の一撃。
スクナがこの戦闘で使えなかった唯一の切り札である。
「あぁぁぁぁらぁっ!」
半ば自爆技とさえ呼べる渾身の振り下ろしは、僅かに速度を落とした赤狼の攻撃目掛けて振り切られる。
全霊を込めた金棒と、圧倒的な速度で後押しされた赤狼の爪撃が、轟音を立てて衝突した。
衝突の衝撃で土煙が舞い、風圧が吹き荒れる。
スクナのはるか後方に、音を立てて何かが落ちた。
それは吹き荒れる風に乗って吹き飛んだスクナの右の足。
ほとんど根元から切り裂かれたそれは、金棒によって撃ち落とされて角度を変えた爪による最後の一撃の結果であり。
《フィニッシャー》によりHPを消し飛ばされた孤高の赤狼は、満足そうな表情で消滅した。
激闘の末、片足を失ってなお、荒れ果てた草原に最後に立っていたのは黒髪の鬼人族だった。
――
『ネームドボスモンスター《孤高の赤狼・アリア》を討伐しました』
『称号《赤狼の誇り》を入手しました』
『称号 《ネームドボスハンター》を入手しました』
『称号《強者に挑みし者》を入手しました』
『アクセサリー《名持ち単独討伐者の証》を入手しました』
『スキル《餓狼》を入手しました』
『初討伐ボーナス:ネームドアイテム《孤高の赤狼・アリアの魂》を入手しました』
『レベルアップしました』
『ボーナスステータスポイントを入手しました』
『ドロップアイテムを入手しました』
――
「やっ、たぁ……」
片足を失ったという事実を理解して、それでもスクナは緩やかに喜びの声を吐き出した。
かろうじて胴体は避けたが、最後の一撃によって右足を喪失した時点でHPは既に危険域に到達している。
その上、明滅する視界の端で、そんなほとんど残っていないHPが削られていくのが見える。
知識のないスクナには、それが欠損による出血状態だと理解することは出来なかったが、自分が着実にデスに近づいていることは分かった。
「まあ、いいかぁ……」
気にすることもないと、満足そうに呟く。
全ての通知を聞き届けたスクナは、四肢欠損による出血のスリップダメージを受けて、このゲームで初めての死を迎えるのだった。