孤高の赤狼・アリア
WLOにおいて次の街へのルートを開拓するためには、街周辺のフィールドとそこから繋がるダンジョンを踏破しなければならない。
ダンジョンには当然ボスがいて、挑戦者の通行を妨げている。
ひとえにダンジョンといっても、その形態は洞窟に限らない。
例えば森林、例えば遺跡、沼地であることもあれば樹海かもしれない。
少なくとも始まりの街から次の街にたどり着くためには、北の平原を超えた先にある《試練の洞窟》を乗り越える必要がある。
そして、これは後で知ったことなのだけど。
ダンジョンに例外なくボスがいるように、フィールドにもボスモンスターに当たる強者は存在する。
それが《ネームドボスモンスター》。
通称、ネームドである。
その在り方も、与えられた名も唯一無二の正真正銘の強者。
ベータテスト時代から今日この日まで、フィールド毎に存在するネームドが倒された記録はほとんどない。
出現の条件、出会った時の状態、そして何よりもフィールドのレベルに見合わない圧倒的な強さ。
純粋に強く、出会いにくいから討伐記録がほとんどない訳だ。
ただし、討伐の恩恵は凄まじく大きく、それが初回討伐ともなれば追加でボーナスもある。
その恩恵を手にするべく、ネームドを追い続けるプレイヤーは数知れない。
ちなみにこのネームド、倒しても一定期間経てば復活する。初回に限り少し報酬が豪華なだけで、倒しさえすれば誰でも恩恵に与れる。
出会うとほぼ確実にデスペナルティにされる代わりに、平等にチャンスも与えられる。
それがネームドボスモンスターという存在への、最前線プレイヤー達の共通認識であるらしかった。
例えば目の前にいる孤高の赤狼・アリアに関しては、出現の条件は曖昧で、討伐記録はなし。
戦闘が長引くことさえ稀という、要するにほとんど何もわからないモンスターであるとか。
唯一知られている情報は、「ソロプレイヤー」の前にしか現れないこと。
すなわち、彼の赤狼の望みは、ひりつくような一騎打ちのみである。
☆
ギラつくようなその瞳には明確な意思が宿っていて、それがシステムで編まれただけの虚像ではないのだと言うことをはっきりと伝えてくる。
月色の美しい瞳から伝わってくるのは、純粋な闘志であり殺意。
ほんの一瞬の油断で首を刈られるとさえ錯覚してしまうほど鋭い殺気が胸を震わせる。
「いいね、ゾクゾクする」
どんな攻撃にも対応すべく、軽く腰を落として楽に構える。
頬が緩むのが止まらない。止めるつもりもない。
高揚する気持ちを抑えることなく、私は大声で叫んだ。
「出し惜しみはなしだよね!」
「グルルゥッ!」
次の瞬間、金棒と爪撃が火花を散らした。
(重い!)
ダブルスコアをつけられたレベルによるステータスの差を考慮しても、万全の状態の振り下ろしがただの爪撃を弾くので精一杯とは思わなかった。
牙による噛みつきをバックステップで躱して距離を取ろうとすると、弾丸のような速度で突進をかましてくる。
とはいえ流石に見え見えの突進だ。
なんて余裕を見せてサイドステップで躱してやれば、急制動から体格に見合った大きな尻尾の薙ぎ払いが飛んできた。
これを金棒で受け流したところで、互いに大きく距離を取る。
「ははっ、冗談みたい」
パワーも負け、速さも負け、体格も負けている。
だが、こちらの方が小回りはきくし、何よりこれは一対一。横槍が入る心配はない。
意識が沈むような感覚と共に、視界が広がっていく。
集中、集中、集中しろ。
まだまだ潜れる。深いところまで。
赤狼は様子見は終わったとばかりに前脚を振ってから、予備動作なしで飛びかかってきた。
狙いは首。首を噛みちぎるために横向きになった赤狼の顎を、私は狙い済ました《叩きつけ》でぶん殴った。
脳を揺らした。
赤狼を怯ませこそしたものの勢いは殺せていなかったので、叩きつけの反動のまま横っ飛びをして組み付かれるのを回避する。
スキルの硬直時間は痛いけど、相手も勢いを残していただけで怯みは解けていないはずだ。
硬直から抜けたのは、僅かに私が早かった。
素早さで負けている上に飛び道具のない私は、受け身にならない近接では距離を取った方が不利だ。
距離を詰め、未だ隙を晒している赤狼の横っ腹を叩こうとして、体を回転させるように不意打ち気味に飛んできた尻尾をしゃがんで躱す。
不意を打った一撃だけに、躱されたという事実で相手の思考が数瞬止まる。
「お、りゃぁ!」
そんな、回転したことでこちらを向いた顔面に一撃をぶち込んだ。
仰け反る顔に追撃。苛立ち紛れに差し込まれた右前脚の切り裂きを金棒で撃ち落としてから回転の勢いをつけてもう1発殴り付けた。
腰の入っていない切り裂きは撃ち落とされる。
それが分かったのか、飛んでくる本気の切り裂きを余裕をもって躱してから、こちらを睨みつける月色の瞳と見つめ合った。
計4発。全てが急所である頭に入り、しかしそれでも1割未満しかHPバーが削れていない。
そのタフネスに、思わず笑みを浮かべてしまう。
孤高の赤狼。今の私には敵うはずのない相手?
上等じゃないか。
最高じゃないか。
ゾクゾクッと背中を走る興奮で体を震わせる。
「どっちが死ぬかの勝負だね」
赤狼の四肢の筋肉が盛り上がるのを見ながら、私は手に持った金棒を強く握りしめた。
☆
どれほどの時間が経っただろう。それなりの間打ち合ってみて、実感したことがある。
圧倒的格上の存在である孤高の赤狼との戦いにおいて、私が最も大きく背負っているハンデ。
それは、実の所わかりやすい物理ステータスの格差ではない。
彼我の間において最も問題視すべき点は「SP」にあった。
私の体はどこまで行っても低レベルのプレイヤーであり、攻撃にせよ回避にせよ跳躍にせよ、例外なく失われていくSPの管理が不可欠だ。
けれど、どうにも目の前の赤狼は疲労という概念がないのではないかと思えるほどに延々と行動し続けている。
普通に戦っていればあっという間にSPが尽き、動けなくなったところを切り裂かれるのは明らかだった。
とはいえ、攻撃をせずにいても一向に奴は倒せない訳で。
私がこの戦闘において選択した戦闘スタイルは酷くシンプルな形に落ち着かざるを得なかった。
すなわち、徹底したカウンター。
全ての動きを見切って、極小の隙に最低限のダメージを差し込む。
SPを切らさないように、攻撃が当たらないように。
ただそれだけを念頭に置いた、格上狩りの常套手段である。
「あはっ」
ギィン! と硬質な音を立てて火花を散らす爪撃を弾きながら、私は零れ落ちる笑みを抑えられないでいた。
戦法を変えたおかげでSPは足りている。消費と回復できちんと回復が上回っている。
それは目の前の赤狼がヒットアンドアウェイ戦法を取らざるを得ないという、垂涎の状況のおかげだった。
狼という生物は四足歩行という性質上、近接戦闘が得意な訳ではない。
二足歩行では生み出せない「速さ」に牙や爪という凶器を掛け合わせてこそ、十全な強さを発揮できる。
だからこそ赤狼アリアは、足を止めての近接戦闘という今の私にとって最悪の選択肢を取ることができない。
捌き続けなければならないほどに絶え間ない連続攻撃で、私のSPを削り続けるという選択肢を。
赤狼アリアが近接戦闘で取れる手段とは、前足での切り裂き、噛み付き、タックル、尻尾の薙ぎ払い。せいぜいこの程度でしかないのである。
私がこの遥かな強者の攻撃を捌き続けられている理由のひとつは、そんな単純な理由だった。
とはいえそれが赤狼アリアを安易な敵に貶めているのかと言われれば、それは否だ。
例えば十分な加速を伴った突進はそれだけで即死級の威力を秘めているし、最高速から慣性を無視した停止、そこから繰り出される連続の突進や尻尾による薙ぎ払いは大きな脅威である。
負担が大きいのか何度も何度も使ってくるということはないけれど、こちらのSPは大きく減らされるし、集中を欠けば即死は免れないだろう。
「グルァッ!」
突進と見せかけて一歩手前で急停止しての噛み付き2連。
「あぶ……なっと!」
1発目は体を反らして躱し、2発目は膝を曲げて沈み込む要領で躱す。
無理な噛み付きで浮いた顎を、金棒を軸に無理矢理気味なサマーソルトで蹴り上げた。
ガチンと痛そうな音を立てて噛み合わされる牙の音を聞きながら体勢を立て直す。
顎を蹴り上げた衝撃から立ち直った赤狼の切り裂きを持ち替えた金棒で弾き返した。
「楽しいなぁ……」
私が示したカウンターという戦法は、相手が乗ってこない限り成立しないという最大の欠点がある。
もちろん攻めに行けない訳ではないけれど、先ほども言ったように私と赤狼アリアの間にある隔絶したスタミナの差は埋められない。
最初の様子見の時にSPの大部分を消費して行った攻防でせいぜい1割しか削れてない以上、こちらからの攻め手ではせいぜい3割削ったら力尽きて死ぬだろう。
もし仮に赤狼が私を攻撃しないで待つという選択肢を取った場合、千日手になっていたのは想像に難くない。
けれど、そんなのは戦いじゃない。だから彼女は乗ってくれたのだ。
強者の余裕による蹂躙ではなく。
ただ対等な戦いをするために。
「続き、やろっか!」
勢いよく振るわれる爪を全霊を込めた一撃で受け止めて、さらに深くまで意識を落とす。
加速し切った思考は淀みなく、色のない世界を鮮明に捉えてくれる。
「あ、はははっ!」
その攻防はヒリつくような居合抜きの死合いのようで。
意図せず漏れ出る悦びの感情が、私の脳を支配する。
けれど、心は冷静に。彼我の差を見誤るな。
暴力的に暴れ回りたくなる欲求を胸の奥に押し留めて、私はあくまで受けに回る。
楽しい楽しいこの戦いだけれど、終わりはそう遠くない。
残りHPが半分を下回り、HPバーが黄色く染まった赤狼は大きく距離を取った。
ぶるりと体を揺らした赤狼の、月色の瞳が紅く染まる。
ギラつく瞳が私を捉えて、赤狼は足を踏み出した。
「ッ!」
悪寒を感じて反射的に跳ね上げた金棒が、想定よりも遥かに早く私に届いた赤狼の爪を逸らす。
膂力が上がった訳ではなくとも、速さが増した分威力も上がっているのだろう。
受け流し切れなかった爪が頬を裂き、1割近いHPが吹き飛ぶのを確認して、私はゾクリと背中を震わせた。
「最っ高だよ、アリア!」
「グルルルゥッ!」
テンションのままに思わず振るってしまった金棒は、身を翻した赤狼の尾に弾かれる。
着地と同時に弾丸のように突っ込んできた赤狼に、弾かれた金棒を思い切り振り下ろす。
ゴッ! と酷い音を立てて直撃した振り下ろしは赤狼の体力を大きく削り、反作用で私の腕にとてつもない痺れをもたらした。
「っつぅ……っとぉ!?」
痺れに悶える私の首を狙った噛み付きを無様にしゃがんで躱す。
「怯んでる暇もないね!」
血色に染まった瞳が私を睨みつけている。
2人きりの戦いは、佳境を迎えようとしていた。