出会いと挑戦
遠山の山頂付近から山麓にかけて、いくつもの山桜が、その白い鮮やかさを際立たせ、満開の時期を迎えている。山頂付近を漂う真白の雲から流れ出る白い流れが、巨大な一筋の滝を形成しているようにも見える。
川縁の土手に寝そべりながら、カイはそんな風景を見るとは無しに眺めている。穏やかな春風が柔らかな髪を靡かせ、頬をくすぐる。
「カイよ。」
カイから少し離れ、つまらなそうに座っている体格の良い少年が話しかける。名をレクという。カイより少し年かさだ。彼を目にした人は、その短い赤毛と頬に残るそばかすと、それから落ち着いているのにどこか熱情的な瞳に引きつけられ、彼をしばらく記憶にとどめるだろう。
「どうする、これから。俺たちはどうすりゃ良い。」
「どうする、とは?」
「俺たちだ。俺たち、俺たちの傭兵団だ。俺たちは。俺たちは、テヘル最強だった俺たちは。生かされた。どういうわけだか、ひとり残らず生かされた。俺たち以外の傭兵団はずたずただ。怪我をしていたやつ、家族を支えるしかなかったやつなんかを除いて、戦えるヤツはみんなテヘルに残って。それなのに。最強をうそぶいていた俺たちは。」
「・・・。」
「託された。背負わされた。それくらいのことは、俺らがいくらガキだからって分かる。俺も、同期の連中も、いや、末端の、ほんの昨日参加しただけのチビどもすらよ。」
「ああ、そうだな。そうだろうとも。」
とカイは返す。
「半年だ。」
レクが言う。
「わずか半年で、おれらもちりぢりだ。悪いとは言わん。言えん。ガキばかりの俺たちは、戦闘能力はともかく、生活能力なんぞほとんどありはしない。俺たちに同情してくれた人たちに引き取られた。この町以外のところにいった者も多い。」
「幹部連から先に、そういう家庭に預けていった。俺の指示だ。そうでもしなけりゃ、幹部連を大好きな小さい連中が、大人しく引き取られていったりはしなかったろうよ。」
「だろうな、全部、お前の指示だろう。」
レクが言う。
「誰かの手を借りなくちゃ生きていけん連中は皆、昨日までに行き先が決まった。申し訳なさそうな面をして。思い出に蓋をして、行った先で、奴らは幸せにやっていけるかも知れん。だが。」
「ああ。」
カイは聞く。
「だが、俺はできん。肩をつかまれた。背をたたかれ、拳を当てられた。あの男たちの手の熱さを、忘れることなんざできん。」
「知っているさ。そんなこと。」
「どうする。これから、どうするんだ。俺たちは、テヘルは。俺の中に置いておかれたこの熾火は。心の全てを焼き尽くしそうな熱を持って輝く熾火を。俺はどうすれば良いんだ。」
「分からない。」
「お前!」
「お前がどうりゃ良いかなんぞ、僕は分からない。だけど、僕は僕がしたいことを分かっている。」
「・・・何!」
「あれを見ろ。」
カイが指さした先には、戦艦が浮かんでいる。遠山に桜の滝を流す巨大な雲。その雲に、止まり木がわりに引っかかっているように見える。空中戦艦だ。
「翼が欲しい。」
とカイが言う。
「この大空を、僕のものにしたい。そうして行きたいところに行き、会いたい人に会う。欲しい者と欲しい物を手に入れる。そうやって、僕は僕の力を最大にする。」
いつしかカイは、起き上がり、川に背を向け、レクを、否。レクの背後のそれを、にらみつけている。
「空挺団。本気か。」
レクは問う。心なしか、おののきが見える。
「王族のみが持つ空軍。最高にして最強。地を睥睨し全てを服属させる。王の王たる象徴。あの船を個人として手にした者など、歴史を通じて1人しかいやしない。お前はそれを。」
「そうさ、僕はそいつを。」
カイは言う。
「空行く船を手に入れる。世界最高を手に入れる。そうして、あいつを。」
カイはにらみつける。小山のようなそいつを。かつてテヘルという町があった、その場所に座して動かないそいつを。
「僕がやっつけてやる。僕があいつの目の前に飛んで行き、僕自身の手で、横っ面をひっぱたいてやる。」
カイは目を。あの日以来、一度も消えない火を宿したその瞳を、レクに向けた。
「お前は。いや、それにあいつらも。」
レクは気がつく。
「そうか。サムイは司直のレングイム家に。プッケトは軍属のダンブル家に、バンコックは商家のメヒード家に。そうか。お前も、あいつらも。」
「そうだ、僕たちはあきらめていない。何一つ、あきらめない。」
カイはその瞳に力を漲らせる。
「僕は今ある全てを使って船を手に入れる。そしてこの世の最高の力を手にして、アイツをぶっとばす。」
宣言するカイを、レクは見つめる。眩しそうに、そしてどこか辛そうに。
「どうか、それ以上は。」
レクの後ろから声がかかる。春の薫風そのもののようなその声は、向かい合わせに立つ2人の耳朶を優しく打つ。
「あなたのその話を、これ以上王子に話すのであれば、国家反逆罪となりましょう。どうか、それ以上は。」
妙齢の美しい女性である。ただしその肌は薄く緑がかっており、彼女の出自が森の民であることを知らせている。
「王都第三空挺団団長のロンドです。」
「あの船の船長さんですか。」
「ええ。」
ロンドは微笑む。
「あなたの野望は美しい。それは巨大な炎のように、汚泥をも薪として大きく燃え上がることでしょう。しかし。」
ロンドはカイの目を見据える。
「私は危惧しています。あなたのその炎が、あるいは自身を焼き尽くすのではないか、と。あなたの炎は実は狂気に過ぎないのであり、王子がその狂気に巻き込まれることがあり得るのでは無いか、と。」
「ロンド、言い過ぎだ。」
レクは憮然としている。そしてカイを見て、言う。
「お前、知っていたな。」
カイは笑う。
「当然だよ。訳が分からないほどに剣の腕が立ち、魔道にも精通している男が、意味も不明に傭兵を始めようっていう。それほどの男が、名も上げていない傭兵団に入団してきた。理由も無く、地べたから始めたいなんて言ってきた。何かあるとしか考えられないだろう。可能な限り、調べるに決まっているさ。」
「その可能な限りの範囲が分からん。どうして国家機密レベルで秘匿した情報を知りうるのだ。そしてその剣の腕も、魔道の知識も。俺の力は団長のお前に、まるでかなわなかった。全く、お前は何なんだ。国家最高の教育を受けたはずのこの俺が、どうしてこうも上を行かれる。訳が分からん。」
「そういうこともあるもんさ。そして、ロンドさん、確かにあなたは間違っていない。僕はレクの背景を知ってなお、彼を利用しようとしている。」
「やはり。それならば・・・」
言いかけたロンドをカイは遮る。
「でもね、ロンドさん。彼の胸の中にある火を見てごらん。彼の瞳に宿る輝きを見てごらん。それらは僕が点けたものじゃない。彼が出会い、彼が触れ、そして彼に思いを残した人たちが灯した、どうしようもなく燃え続ける地中の燃える岩のような想いさ。」
カイはレクに目配せする。
「ロンド、行くぞ。」
レクは目配せを受け、ロンドを促す。
「こいつの言うことは本当だ。俺の中にはどうしようも無く、あの獣に蹂躙された英雄たちの炎が息づいている。それは兄上達も父上でさえも、消しようが無い真実の思いだ。だから、多分。」
レクは申し訳なさげに、頭をかく。
「こいつに頼まれたことは、大概やっちまうだろう。それで王家に利が残らなくたって、こいつにかけてしまうだろうよ。だけど、王家を壊すようなことは、決してしない。こいつが王家を利用しようとする限り、そういうことには決してならない。そうなりそうなら、俺がこいつを止めてみせる。だから。」
レクはカイを見つめる。ややあって、レクはマントを翻し、カイに背を向ける。
「行こう。こいつは翼が欲しいと願った。それならたぶん、こいつは船を手に入れる。どんなに難しくたって、こいつはたぶん、やってのけることだろう。」
ロンドはレクに付き従い、カイに背を向ける、最後にその目で鋭くカイを牽制するのを忘れてはいない。
「俺は正直に言えば、カイと一緒にいたい。カイの夢に薪をくべて、世界を暖めるほどの炎に育ててみたいと想う。だけど。」
レクはゆっくりと。一歩ずつを踏みしめながら言う。
「俺は王子だ。王位継承権を持つ王子だ。俺の抱く夢は、国民の夢であるべきだ。だから、俺は、カイ。お前の夢にはつきあえない。今はな。」
レクは言う。
「分かっているんだろうが。お前の夢を、俺の夢に近づけろ。お前がアイツを打倒することを、国民全部の夢にしてみせろ。そうしたら、その時は、俺が俺の全部を使って、お前の船を浮かべてやろう。 それが。」
レクは一息おく。
「それが、俺の、この胸に灯された想いに応える唯一の手段だ。八百屋のディメルに、街娼のスラー、女衒のダンチに穴掘りのレッケ。あの町で、よりにもよってこの俺に、想いを託していきやがった馬鹿野郎ども。俺はそいつを、何よりかなえたい。だから。」
レクは振り返る。
「俺に、かなえさせて見せろ。俺の耳に届くまで、お前を吹き上げる風を育てて見せろ。お前の使う全ての手駒で、うねりを起こせ。」
レクはカイを見つめる。ややあって、再び背を向ける。今度はもう、振り返ることはない。ざくざくと、規則正しい足音を刻んで、レクは去って行く。
カイは見送る。己の想いが伝わっている奇跡を感謝の念でかみしめながら、見送る。
そしてカイは改めて決意する。己の翼を得ることを。己の船を得ることを。
「約束するよ、レク。僕は必ず船を手に入れる。僕と仲間とで、僕らの船に乗って、アイツの前に立つ。」
そうつぶやいて、カイも振り返る。レクに背を向け、歩み出す。