第7話 異常事態発生!!
帝都に師匠と共に納品に向かってから一週間。
俺は、真夜中の山道を全力で駆け下りている。
こうなったのは、さかのぼること3時間前……
「師匠、そろそろ帰りませんか?」
今日は、師匠と共に師匠の所有する裏山に魔導石を採掘に来ている。
今、住んでいる家、というよりも小屋は師匠が騎士団長時代の功績で皇帝陛下から頂いた魔導石鉱山の中腹に立てられているのだ。
しかも、結構な良質な魔導石の原石を採掘することができる。良質な魔導石を採ることができるような鉱山は、基本的に国の管理下に置かれているから師匠の過去の功績のすごさが分かる。
「それもそうじゃな。魔導石も十分とれたから帰るか」
早朝から、採掘作業をしたおかげでいろいろな属性の良質な魔導石を手に入れることができている。この原石だけでも人財産をなすことができるぐらいだ。
これで、今、注文を受けている魔導刀に必要な分はすべて確保できているはずだ。
「さすがに疲れますね。一日力仕事は」
基本的に見習いとして力仕事をメインにしているが、それでも採掘作業は結構な重労働だ。狭い坑道で堅い岩肌をピッケルで掘り進める採掘作業は、腰と腕に相当な負担がかかるのだ。
「そうじゃな。もう腰がパンパンじゃわい」
師匠は、腰に手を当てて大きく伸びをする。
「師匠も今日は、珍しく働いていましたからね」
今日は、なぜか、いつも「もう疲れた。休憩する」と言って作業10分、休憩180分の師匠が珍しくまじめに仕事をしていたのだ。
これは、何かよからぬことが起きる前兆かもしれない。
「毎日、汗水たらして働いとるわい。心外じゃ」
「まぁ、そういうことにしておきましょう」
俺は、今まで集めた魔導石の原石をパンパンに詰めた籠を背中にしょう。
「今日の晩御飯は、何がいいですか?」
せまっ苦しい洞窟で腰をかがめて、先に行く師匠に続いて歩いていく。
「そうだな。今日は、シチューがいいのう」
「分かりました。ジェーンがそれでもいいって言ったらシチューにします」
「それ儂に聞く意味あった?」
「一応、念のために聞きました。やっぱり常識的に聞いておくべきかなと思いまして」
師匠の好みよりもジェーンの好みの方が重要だ。
「まぁ、間違いなくシチューになるだろうがな」
「そうですね。間違いないでしょうね」
今までも同じようなやり取りは何度もあったが師匠の意見が通らなかったことはないのだ。いや、正確には、ジェーンが自分の意見を押し通すことがほとんどないのだ。そんなおしとやかな性格も天下一品なのだ。
洞窟の天井が突然高くなる。出口が近い証拠だ。
少し歩けば、予想通り洞窟の外に出ることができた。
既に太陽は、西の空にほとんど沈んでしまっている。空はきれいに朱色に染まっている。
「よし、ジャック。家まで競争だ。負けた方が今日の風呂掃除当番だ」
それだけ言って師匠は、俺の返事も待たずに駆け出して行ってしまう。
「ちょっっ。ずるっ」
まずもって、この競争には、全く公平性がない。
まず、スタートが違う。
次に、荷物の差だ。俺は、背中に魔導石をこれでもかというほどしょっている。さらに二人分のピッケル。弁当の空箱と水筒まで持っているのだ。それに比べて、師匠は、何も持っていない。比喩抜きで何も持っていないのだ。師匠の分の荷物は、作業中にいつの間にか俺の荷物の中にまとめられていた。
しかし、このままただ負けるだけの俺ではない。
俺は、懐から黄色に光る装飾された小さな石を取り出す。光の魔導石だ。
「黄金羽の駿靴」
俺は、光の低位魔導を発動する。魔導の基礎は師匠から教えてもらっているのだ。俺でも基本的な魔導ぐらいなら使うことができるのだ。
魔導の名称を言い終えると、体がふわりと軽くなる。何も持っていない時よりも軽く感じるぐらいだ。
「よし」
俺は、行き良い良く地面をけって前に駆けだす。既に師匠の姿をここから見ることはできない。しかし、魔導を使った俺の体は、まるで羽根が生えたかのように軽く進んでいく。
森に生える木々を軽々とよけ、地面に網の目のように張り巡らされた樹木の根っこを軽々と飛び越えていく。
こうして魔導によって加速した俺は、ものの数秒で師匠の姿をとらえることに成功した。
「師匠、今日は、風呂掃除よろしくお願いします」
姿をとらえだけでなく、師匠の横を余裕綽々で抜かすことも今なら楽勝だ。
「ジャック、魔導を使うとかずるいぞ!」
「先にずるをしたのは、師匠です。これでおあいこです」
「フン! ジャックがその気なら儂だって魔導を使っちゃうもんね」
そう言って、師匠は、自分のポケットに手を突っ込んだ。
「……あれ?」
どうやら、肝心の魔導石がないらしい。
俺は、勝利を確信した笑みを浮かべる。
「ここにありますよ、師匠」
師匠の魔導石は、俺の荷物と共にまとめられている。
「ズルして勝とうとするから、こんなことになるんですよ。お先です」
今日は、久しぶりに食後にゆっくりすることができそうな予感がする。
俺は、早くも夕食後にジェーンと何をして遊ぶかを考えることにする。いつもは忙しくてできない遊びが次々に頭に浮かんでくる。そこには、満面の笑みを浮かべるジェーンの姿もある。
「甘いぞ、ジャック」
俺が師匠を振り返ると、師匠の周囲の空間が湾曲していくのを見ることができる。そして、俺の体は足を前に踏み出すのに前とだんだん進んでいかなくなっていく。
「超重力」
師匠の唱えた呪文は、闇の超高位魔導だ。超高位魔導は、その魔導一つで戦争の大局が変わる可能性も秘めている戦略魔導の総称だ。
通常、その消費魔力の膨大さと精密な魔力制御が必要になるため一人ではなく複数人で極力して行うものだ。
それが、あろうことか師匠は、一人で、しかも、魔導石もなく行っている。
さすがに規模としては、まだ俺が動けている時点で本来の戦力魔導の威力よりも小さい。
しかし、それでも戦力魔導には変わりない。低位魔導で加速している俺の体が段々と師匠に向かって引き寄せられていく。
俺は、全力でそれにあらがう。
夕食後のジェーンとのひと時のためにも、ここであきらめるわけにはいかないのだ。
「ぬぅぅぉぉぉぉおおお!」
体中の魔力を足に集中させていく。
師匠の魔導によって重くなっていたからだが少しずつ軽くなっていく。
さらに、俺にとっての朗報が視界の隅に飛び込んできた。仕事場兼家が見えるのだ。
これならいけるかもしれない。と、俺が思った瞬間、師匠の魔導の威力が跳ね上がった。
俺は、逆らいようのない力で一瞬で師匠の元へとひきつけられていく。
そして、ぶつかる直前、師匠はひらりと俺を躱して、魔導の発動を取りやめた。
俺の体は、師匠の体を飛びぬけ、勢いそのままにさらにさらに後方の樹木にぶつかってしまう。背中にしょっていた魔導石がその衝撃で地面に散らばってしまう。
「残念じゃったな。ジャック。儂に勝とうなんぞ、百万年早いわい」
師匠は、さっそうと駆け抜けてゴールである玄関の奥に消えっていった。
俺は、散らばってしまった魔導石を一つずつ広い籠の中に入れていく。
唐突な競争事は、師匠と一緒に仕事をしているとよく仕掛けられるが、いつも完敗だ。現在の対戦成績は0勝98敗で、俺はいまだに一度も勝ったことがない。
玉ねぎの皮の早剥き競争が一番惜しかったが今回は、これでも善戦した方だ。今日の師匠は、結構本気を出していたと思う。
「やっぱり、師匠はすごいわ」
あんな残念おじいさんでもまだまだ俺はかなわない。
俺は、散らばった魔導石を集めおえると、体中の砂を払って(砂にはジェーンを病にする可能性があるので入念に落とした)すぐそこの家に向かった。
「ただいまー」
俺は、扉を開けてすぐに異変に気が付いた。
ジェーンが出迎えに来てくれていないのだ。ジェーンは、ほほえましい笑顔で毎日俺と師匠を出迎えてくれている。それを楽しみに一日を過ごしているのだ。
「ジェーン、帰ったよー」
とりあえず癒しの「ただいま」をもらうために俺は、ジェーンの部屋に向かう。
途中で師匠の脱ぎ散らかした服を拾うことも忘れてはいない。そろそろ、洗濯物の籠に入れることを覚えてほしい。
ジェーンの部屋の扉を優しくノックする。いつもなら、これで中から何かしらの応答があるのだが、今日は応答がない。
これは、もはや、超異常事態だ。
「ジェーン、開けるからね」
俺は、返事を待たずに扉を開ける。
しかし、扉は、半分までしか開けることができなかった。何かが部屋の内側で引っかかって扉が開くことを邪魔しているのだ。
俺は、半分開いた隙間から部屋の中に入っていく。
そして俺は、最悪の事態が起こっていることを理解した。
扉の機能を阻害していたのは、俺の大切で最愛で、世界の宝で、世界一かわいい、俺の妹のジェーンだったのだ。
フローリングの床に力尽きたかのように倒れ込んでいるジェーンの息は、とても粗く苦しそうなものだ。
「ジェーン!!!!」
俺は、急いでジェーンの体を抱き起す。
「……おに……ちゃん?」
かろうじて意識はあるようだが、目の焦点が俺にあっていない。抱き上げた体は、まるで炎のように熱く熱を持っている。ものすごい高熱だ。
「ジェーン、とりあえずベッドまで運ぶからな」
俺は、ジェーンをお姫様抱っこで抱えるとゆっくりとベッドに寝かす。今俺にできることは、これぐらいだ。あとは、人に頼むしかない。
「ちょっと待ってて。今、師匠を呼んでくる!」
俺は、ジェーンに掛け布団をかけると、部屋を飛び出した。
「師匠!! 来てください。ジェーンが、ジェーンが!」
廊下で叫びながら師匠の部屋に駆け込んだ。
「なんじゃ。もう飯か?」
「違います。ジェーンが倒れてて。それで、あの、その……」
「一回落ち着け。とりあえずジェーンを見に行くから、おぬしは水を持ってきてくれ」
「わ、分かりました」
俺は、キッチンに向かって猛然とダッシュする。食器棚からガラスのコップを取り出す。何枚かの皿が乱暴に取り出したコップに当たって棚から落ちて、粉々に割れてしまう。
俺は、割れた皿にかまうことなく、キッチン下の収納棚から鍋も取り出した。
鍋とコップを持って家の外に出る。日の暮れた山の冷たい空気が肌に触れる。家の横にある井戸で冷たい水を注ぐ。しかし、焦ってうまく水を入れることができない。
「落ち着け、俺」
大きく深呼吸をして満タンになったコップと鍋を持ち上げる。それをこぼさないようにジェーンの部屋に向かって急いで運んでいく。
「水、持ってきました」
ジェーンの部屋に入ると師匠がベッドの脇に座って手をかざしていた。師匠の手は、淡く光を放っている。回復魔導の一種だとすぐにわかった。
「落ち着けたか?」
「はい」
水を汲みに冷たい山の風に当たったことで俺は、幾分か落ち着くことができている。
「水は、そこにおいてくれ」
俺は、水が擦り切れまで入っているコップと鍋をベッド脇のテーブルに慎重に置く。
「どうですか?」
「とりあえずは、儂の回復魔法で落ち着かせたが、これだけじゃダメじゃな」
ジェーンの呼吸は、最初に発見したときに比べて静かになってきている。しかし、苦しそうなのは相変わらずだ。
「俺が、しっかり見ていなかったから、ジェーンがこんなことに……お兄ちゃん失格だ」
最近、ジェーンの体調がここまで崩れることがなかったので油断していた。明らかに俺の落ち度だ。
「そんなことはない。お前のせいではない。誰も悪くない」
師匠の慰めの言葉を俺は素直に受け取ることができない。なぜなら、俺が見ていればここまで悪化することは、なかったはずだ。
仕事の休憩の時、こまめにジェーンの様子を見に行っていれば。
朝、もっとしっかりジェーンの体調を把握していれば。
毎日の食事をもっと栄養満点にしていれば。
考えれば考える程、俺のせいでジェーンがこうなってしまったことが分かってしまう。
「ジャック。儂でもこれ以上の治療は、無理じゃ。あとは、医者を呼ぶしかないが、今日はもう遅いし、近くの町医者までは、だいぶ距離がある。あとは薬草を飲ませて明日の朝に何とかしよう」
「明日の朝までなんて待てません。俺が今から山を下って呼んできます」
朝まで待っていたら、それまでの間ジェーンが苦しまなくてはいけなくなってしまう。すぐに医者を呼んであげなくてはならない。
「それに、町医者でなくて、グリーメル家のお抱えの医者がいるじゃないですか。そっちの方が近いので今から行きます」
この森を抜けた先にある屋敷にグリメール辺境伯の屋敷があるのだ。そこには、お抱えの医者が常駐している。
「あの辺境伯がタダでお抱えの医者を貸してくれるわけがないじゃろ。焦る気持ちもわかるが明日の朝まで待つべきじゃ!」
確かに師匠の言う通り、あの性悪のグリメール辺境伯が簡単に医者を貸してくれないのは、百も承知だ。しかし、可能性がほんの少し、微々たるものでもあれば、その可能性に賭けて行動しなくては俺の気持ちが治まらない。
俺は、止める師匠に構わず、家を抜け出し完全に陽の落ちた森を下った。
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