第3話 夏に外套は暑くないんですか?
石畳の上では、切り裂かれたはずの師匠が五体満足で力強くその場に立っている。逆に女騎士は、片膝をつき、腹を抱えてうずくまっている。
女騎士の首筋には、師匠の握る小枝の先端が突きつけられている。
誰がどう見ても師匠の勝利だ。
「ウォオオオオオオオオォ!!」
師匠の勝利に賭けていた野次馬たちが雄たけびを上げた。
「どうして!?」
師匠に負けたことがいまだに受け入れられないという顔の女騎士が問いかける。
女騎士の当然の疑問に答えたのは、決闘の行方を見ていた騎士団長だ。
「エレイン、そう気を落とすな。このお方は、前黄金獅子魔導騎士団団長ガウェイン・エムリス師匠だ。私の永遠の師匠であり、世界最強の騎士の一人だよ。お前が負けるのは、当たり前のことだ」
そう。師匠は、刀鍛冶になる前は帝国最強の騎士団で団長をしていた英雄なのだ。今の帝国の繁栄の礎を築いた一人なのだ。
「そんな、まさか……この老人が、あの外套の騎士殿ですか?」
外套の騎士。全身を覆う真っ黒な外套をいつでも着込み、幾多の戦場で武勲を上げ続けた師匠の二つ名だ。
今のレイク騎士団長とは違い、師匠は騎士団長時代、極度に露出を嫌い、いつでもどこでも外套を着て生活をしていたらしいのだ。だからこそ、英雄譚のみが出回っており師匠の姿を知らない人が多い。
今では、そんな姿、想像もできないが。
「小娘や、その心意気は見事。ただし、その程度では自らの正義を貫こうとすれば命を捨てるぞ。力なき正義がもたらすのは滅びだけだぞ」
いつもの自堕落な師匠とは違う、騎士の顔で敗者に語りかける。
「どうやって、私の剣戟をよけたのですか?」
「なに、簡単なことだわい。この小枝に儂の魔力を存分に注ぎ込んで剣を受け、後は殴っただけだわい」
師匠は、ものすごく簡単に言っているが、これは上級魔導騎士でも簡単にできることではない。
魔力は、基本的に魔導石を通して初めてこの世界の理に干渉することができる。それを魔導石を介せずに世界の理に干渉したのだ。
それも曲がりなりにも黄金獅子魔導騎士団の騎士の剣を受け止める程の強度を小枝に持たせたのだ。常識外れのもいいことだ。現役の騎士でこれができる人が一体何人ができるのであろうか?
「……ありえない……」
さらに言えば、師匠は「殴っただけ」とさらっと言っていたが、これも実は鎧内部に直接拳のダメージを与える高等体術の一つだ。
「師匠、申し訳ありません。このエレインが無礼を働きまして、私に免じてお許しください」
騎士団長が師匠に片膝をつき首を垂れる。
「よいよい。若い者は、このぐらいの威勢がなくてはならんのだ。それに、儂はもうお前の師匠ではない。しがない刀鍛冶じゃ。」
「ありがとうございます、師匠。今日はどのようなご用向きでしょうか?」
「ああ、ランスロット、お前の剣がやっとできたぞ。それを渡しに来たのだ」
「ついにできたのですね。いまかいまかと待ち望んでいたのですよ。それでは、詰め所にご案内します。エレイン、師匠の荷馬車を詰め所まで持ってきなさい」
「お任せください」
レイク騎士団長に指示されるままにエレインという女騎士は、荷馬車の止まっている停留所に向かって走り出した。
今回の魔導刀の注文は、レイク騎士団長からの依頼なのだ。なかなか師匠の満足のいくものができずに、納入が遅れてしまっていたがついに完成したのだ。
師匠曰く「これを上回る性能の魔導刀は、この世に存在しない」だそうだ。
師匠と騎士団長の後について騎士団詰め所に向かう俺に騎士団長が話しかけてきた。
「ジャック君、君も大きくなったなあ」
「そうですね。騎士団長とお会いしたのも10年ぶりですから」
騎士団長は、ガシガシと俺の頭をなでる。
最近は、帝都には生活必需品の買い付け以外では来ていない。剣の製作依頼も書面でのやり取りだった。
「あの生意気な小僧がこんな立派な青年になるほどの時が経ったんだな。私も老け込んだものだ」
「そんなことないですよ。この前のガリア戦役の活躍、風のうわさで聞きましたよ」
「騎士団の皆に助けられて何とかな」
騎士団長は、謙遜しているがガリア王国の騎士団長を一騎打ちの末、斬り倒した活躍は、あの辺境の山奥にも届いている。
「ところで、ランスロット。皇帝陛下がご病気との噂は、本当なのか?」
ガリア戦役のうわさと共に、皇帝陛下のお体が芳しくないことが帝国中に広まっていた。今回の戦争もその隙を突いたものだとまことしやかに囁かれている。
皇帝陛下に謁見が許されている騎士団長なら何か知っていてもおかしくはない。
「残念ながら事実であります。モーガン侍医長によれば、もう長くはないと……」
「そうか……陛下と共に戦場を駆け回ったのが、つい昨日のようだわい。陛下に約束を破ってしまって申し訳ない、と伝えてくれないか」
「分かりました。必ずお伝えいたします」
師匠が道中の屋台で買い食いをするのを止めながら歩き、二つ目の城壁を顔パスでくぐり抜けると、二人の衛兵が門を守る建物が見えてきた。
これが、黄金獅子魔導騎士団の詰め所だ。
もはや、辺境の城よりも立派な門には、騎士団の紋章である、黄金の獅子を踏みつける帝国騎士が大きく描かれている。
「騎士団長、お疲れ様です」
騎士団長に気が付いた衛兵が兜のバイザーを上げ、右手の拳を胸の前に当てる。
そして、ラッパの音が高らかに鳴り響くと厳かな門が内側から開けられた。
「ご苦労」
騎士団長も同じように右手を胸の前に当て答礼をしながら門をくぐっていく。師匠と俺は、その後ろに続いて敷地内へと足を踏み入れた。
騎士団詰め所の中では、既に先ほどの女騎士が待っていた。
「ガウェイン殿、先ほどのご無礼お許しくださいませ。改めて自己紹介させていただきます。私は、黄金騎士団団長付騎士エレイン・アスタロットであります」
「はて? 何のことかな? 初めて会ったんだが?」
師匠は、首をかしげて「何のことですか?」アピールをする。
女騎士もぽかんとなってしまっている。
師匠は、先ほどのことは水に流すと言外に言っているのだ。
「初めまして、エレイン殿。こんなにおきれいな方が騎士様なのですね。私は、ガウェイン師匠の下で刀鍛冶見習いをしているジャック・ドウです。師匠ともども良しなに」
俺は、とぼける師匠をよそにエレインと名乗る女騎士に右手を差し出す。
「ああ、こちらこそよろしく、ジャック殿。私のことは、エレインで構わない」
俺の差し出した右手を握り返してくれる。
「それならエレイン、俺のこともジャックで問題ないよ」
「それなら、ジャックと呼ばせてもらおう。それにしても、ジャックはお世辞がうまいのだな。こんな女らしくない私にキレイなどと」
「お世辞じゃないよ。本当にきれいだと思ったからそう言ったんだ」
エレインは確かにいかつい甲冑を着込んでいるが、深紅の艶やかな長い髪に、切れ長の目。髪と同じ色のルビーのような瞳。エレインのきれいに整った顔を美人としなければ、もはや帝国、いや、世界にはブスしかいないことになってしまう。俺のかわいい、かわいい、かわいい妹、ジェーンを除いては。
「ジャック、儂はランスロットと剣の最後の調整をしてくるわい」
師匠は、レイク騎士団長と詰め所の建物の中へと向かって行ってしまう。
「分かりました。その間に買い物済ませてきます」
俺は、詰め所の中に入っていく師匠の背中に声をかける。
ジェーンの薬やその他帝都でしか手に入らないものもたくさんある。次いつ帝都に来られるか分からないので、買いこまなくてはならない。
師匠は、背中を向けたまま大きく手を振って詰め所の中に消えていってしまった。
「市場に行くのか?」
残されたエレインが問いかけてくる。
「その予定だよ」
「それならば私が案内しよう」
「そんなの大丈夫だよ。何回も来ているし……」
帝都に来るのは初めてではないし、結構な量のものを買いこまなくてはならないから、時間がかかる。
「いや、先ほど決闘に負けた対価を私はまだ払っていない。ガウェイン殿は、なかったことにされたが、それでは私の腹の虫が治まらないのだ。それに最近の帝都は、物騒だしな」
「それなら、よろしくお願いしようかな」
ここまで言ってくれているのに断るのは、エレインの騎士としてのプライドを傷つけてしまうかもしれない。
「よし、行こう! 今すぐ行こう!」
「ちょっっ、ちょっと待って」
エレインは、満面の笑みで俺の手を引っ張っっていく。
日ごろから厳しい修練をしているであろうエレインの力は、そこら辺の町娘のものとは比べ物にならない。俺は、エレインに引きずられながら詰め所の門をくぐることとなった。




