無差別 2
時はあの湖畔で目覚めてから、すでに数十日がたっていた。
「マズイマズイマズイッ」
俺は、武器には頼りない木の棒を片手に、森を全力疾走している。
深い森だ、地面を這い回る様に出ている木の根を飛び越し背後をチラリと伺う。
「ハッハッハッハ……」
森の奥の暗がりからこちらを追ってくる2対の赤い獣の目。
正面向き直りつつ何をしていたか思い出す。
――そう今日の糧を得ようと食べられる物を探している途中で――。
「それで同じ目的のお隣さんと遭遇ってか」
全然洒落になってないと、自分の考えにツッコミをいれる。
どうも、別の事に気を紛らわさないと、精神的に追い詰められそうだった。
走るスタミナもそろそろ限界だ、このまま走って湖の中に飛び込むか?いや獣の泳ぎがうまかったら完全に詰む。握りしめた木の棒を見る、これで撃退は?
無理だ一匹は受け止められても残った一匹にやられる――
――待て、今"一匹は止められる"って考えたか?
「グルルルル」
どこからそんな自信が沸いてきたんだ?という思考を後ろから来る唸り声が止める。
ともかく武器は心もとない、せめて何か刃物があれば。
そう思った時、進行方向の森の奥で何かが光る――考える間もなくその方向へ向かった。
――あれはっ――
木の幹にダガーが一本浅く突き刺さっている。薄く透き通りそうな緑色のダガーだ。
どうしてそんな所に、などと言う疑問は飲み込みすれ違い気味に引き抜く。
ダガーを確認する。よく切れそうだと確認すると、迎え撃つために振り返る。鼻から空気を取り込み、ダガーを逆手で持ち直す。
鋭く息を吐きだすと、思考がカチリと音を立て切り替わった。
右手で棒を正面に傾けて構え、その内側に平行にダガーを構える。即席の二刀流だ。馴染むように綺麗に型にはまった構えのまま、もうすぐそばまで向かってきた2匹の獣を睨む。
「――バウッ」
左右の獣が軽く唸りをあげほぼ同時に飛びかかる。野生の獣達が即興で起こす時間をずらした完璧なコンビネーション。――だが!
遅いッ――
空中で避けようのない獣を正面から叩き落す。ほぼ同時にもう一匹を空中に置いたダガーで受け止める。ダガーとかみ合った牙が火花を立てる。そのまま側面へ流し一歩前へ。
「――ギャウ」
顔を踏みつけられ、抑えられないうめき声をあげる獣。横に流したダガーを戻し、踏みつけた獣の頭に向け振り下ろ――背後からガサリと言う音。考える間もなく地面に転がる。
即座に自分の居た位置を獣の牙が唸りを上げながら通っていく。カンマ数秒でも判断が遅れたら噛みつかれていた軌道だ――。
だがな――
転がる際にあえて遅らせたダガーが獣の脇腹を削っていく。思わぬ反撃を食らったことで驚いたのか体制を整え獣のこちらを睨む目に、すぐさま立ち上がり構える。
仕留め損ねたか、だが次は――
そう覚悟を決め睨む。が、獣たちは一つ見合わせると、そのまま森の中に去って行っく。
しばらく構えを解かずに周囲を警戒するが鳥の声しなかった。
「――はぁ」
知らぬ間に止めていた息を吐き、思考のスイッチが再び切り替わる。緊張が解け不意に崩れる体を棒を頼りに何とか繋ぎ止る。
すがりつく様にゆっくりと時間をかけ息を整えていく。
「なんだったんだ――」
肩で息をしながら森に切り取られた空を見る、少し雲の出てきた空、そろそろ日も陰り落ちるだろう。
「今は――帰らないと」
行こう、あまり休んでいる時間は――いや時間はいくらあっても足りないんだから。
寝床にしている洞窟に帰ってきた。あの日目覚めた湖畔の近く、崖を背にした周りが開けた洞窟だ。
獣から隠れ、拠点にするならもってこいの場所だろう。
崖は十メートル弱あって獣は落ちてこない、丈夫な蔦と倒木を使って身の丈半ほどの簡易的なバリケードも張ってある。
洞窟内は広く活用しきれてないが、入り口からきっちり燻してある。獣が寄り付く事も無いだろう。
俺は休む暇なく入り口付近で乾かしておいた木片を中に放る。
その上に木くずや乾いた草を集め、取っておいた細く長い棒を木くずの上に当てる。別に取り出した蔦を弓状にした棒をあてがい思い切り錐揉みさせていく。
「上手く燃えろよ……」
錐もみを続けて数分、ようやく立ち上ってきた煙を乾いた落ち葉と息をかけ根気よく火にしていく……。
「レンズの一枚でもあれば楽なんだが……」
太陽が沈み始めたころ、なんとか完成させた。火を前に一息ついた。
完成させた焚火の温かさが体に染み渡ると、少しは考える余裕が出てきた。
この数十日間、俺は周りを探索していた。しかし人どころか建物の一つすら見かけていない。
崖から周りを覗いてみても、なんの装備なしには超えられそうにない山と、森が地平線いっぱいまで広がっているだけだった。
もっとも危険な場所だ、森は深くまっすぐ行っても同じ所をぐるぐる回ってしまうことはよくあるし。
ドラゴン達は思い出したように空を飛びまわっている。今日襲われた様な獰猛な獣も、結構な数が居るようだ。
それらの気配から逃げるように探索していれば、そんなに広くは探索できてはいなかった。
そして相変わらずあの日起きた時より前の記憶はない、ここがどこかもまるで分らないし、自分が誰かなんてさっぱりだ……。
だが、どうも悪い事ばかりではないようで、忘れていなかった事もある。
記憶を失う前に覚え染みついていたと思われる"知識"だ。
俺は様々な"知識"を覚えていた。この焚火を作ったような火のおこし方、小動物用の罠の作り方、その革をつなぎ合わせた簡易的な靴や服、道具の作り方などのサバイバルの知識は特に役に立った。
そして先ほどの戦闘の動き、ここまで戦いは避けていたというのに、いざとなった時、慣れきったように体が考える前に動いた。
「言葉だって忘れてない……要は個人的な記憶だけ忘れているって事だよな……」
個人的な記憶の事をエピソード記憶というらしいが。それだけを忘れてしまった状態とでもいうのだろうか。
例えるなら歴史の年表は覚えていても、自分がどこに住んでいたかはわからない。とかそういう感じだ。
だが、どうだろう、知識の中に有る"地球"と言う土地のどこにも、このような場所はあるだろうか?
知識の最後にある21世紀までに地平線の果てまで人間の手の入っていない土地なんて……無かったはずだ。
「異世界転生……いや、この場合は異世界転移か?」
今の状況に小説などにある概念を思い出す。突然文化の違う世界にほっぽり出されるというアレだ。
どうすればそんな事が出来るのかいくら"知識"を掘り返そうが思いつかなか無い。そんなものは物語の中の話だけだろうに――。
「判らないものはしょうがないか……」
じちょ見つめていた火に薪を投げ込む。まだ湿っていた薪を投げ込まれ火がパチンと音を立てた。
――そういえば
ふと存在を思い出して握っていたダガーを見つめる。
持ち手を含めてひじから先の長さのシンプルな両刃のダガーだ。
緑色に透き通るような金属で作られた刃には、血抜き用だろうか?左右対称に複雑な溝が入り、鍔には装飾に一つ緑色の石がはまっている。
「儀礼用?……いや違うな」
刀身や鍔に刻まれた模様や石から装飾用の短剣のようにも思える。
しかし革の巻かれたグリップを握ると伝わる使い込み具合から、このダガーがれっきと最近まで使い手に愛された実用品だと言うことが伝わってくる。
「ん?これは……文字か?」
柄頭の先あたりに模様とは感じの違う、別に削った文字がある。
丸みを帯びた文字、残念ながら自分の知識にある文字のどれでもではないが。……もしかしたら所有者の名前だろうか?
「文字、と言う事はこの森に文明があるって事だよな、どこに……ってもうこんな時間か」
いつの間にか日が沈み、洞窟の入り口から欠けていない丸い月が顔を出している。
俺は握りこんだ冷たいダガーのほのかな安心感を感じながら壁を背に目を閉じる。
「おやすみ、誰かさん――」
もしかしたら会えるかも知れない未知の人を夢見ながら。
GYAAAAAAA
どの位休めただろうか、森に響き渡る獣の叫びに沈んでいた意識が覚醒する。
無理やり体を動かして洞窟から這い出る。
その見上げた空は一瞬、どこか作り物のように思えた。
朝焼けにはまだ早い、嘘のように晴れた空。
僅かながら紅を帯びた、雲一つないそんな当たり前の様な空。
だが、その空に数えきれないほどのドラゴンが飛んでいた。
「何があったって――?」
崖を登り悪態をつきかけて――驚きで言葉が止まる。
町だ。昨日まで見当たらなかった町や村が、崖から見下ろした森のいたる所に存在していた。
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