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翌朝、砦で夜を明かした騎士たちは、村に戻る道すがら、砦までの道からそれる草の刈られた後を不審に思い警戒しながらそこをたどる。
「…何だこの岩屋は?」
「なんか温泉と川の水が引きこまれてますよ」
「…またか、またリエなのか?」
「中にはいってみますか?」
「出入口が二箇所あるようですが」
「…一応確認しよう」
「「「「「お湯だまり?」」」」」
「リエだな。他に考えられるか。あーまた仕事が増えるやな予感〜」
「ノ、ノールさん落ち着いて」
「俺、アルバン村で禿げずにいられるんだろうか?」
ちょっとばかし頭頂部が寂しくなりつつあるノールであった。
「ノールの親父殿も立派な禿頭だ。心配するな」
「…!」
崩れ落ちるノールを視界に入れず、グゥエンは騎馬に水を飲ませて村に戻るように騎士たちに指示する。
「…何の慰めにもなってないんじゃ?」
アーノルドがポツリと呟いた。
「なんか、最近グゥエン様、ダールさんによく似てきたわよね」
「うん」
コンスタンスとミカエラがこそこそと話す。
「戻って、リエに事情聴取するぞ。いそげ」
「「「「はっ」」」」
またしても死に体になったノールを無理やり生き返らせ、村に向かった騎士たちであった。
納屋の藁ベッドで一夜を明かした銀の鷹のメンバーは村の共同竈で朝食の支度中であった。
「フッフフ〜ン♪」
「いやに楽しそうだな、リエ?」
何故かパンのスライス役に固定したダリウスがごきげんな様子のアマーリエを訝しげに見つめる。流すべきか迷ったダリウスが、あえてツッコミを選択した。
「初めてだったんですよ、藁ベッド」
「そうなのか?」
「ええ、チクチクするかと思いましたが、毛布を下に敷いていたし意外と温かいんですね。」
前世でハイジの干し草ベッドに憧れていたのに実現できなかった(藁ベッドの宿はあったのだがそこに泊まれなかった)アマーリエは今生でその憧れを叶えたのだ。たとえ小さなことといえど執着というものはそれを成すには必要な原動力であるのだ。
「ああ、そうだな。だが田舎の村々は大概、ベッドに敷きワラ詰めてシーツで覆った藁ベッドが基本だぞ?」
ダリウスの言葉に、ああと納得したアマーリエ。
「綿は、ご領地の気候じゃ育ちませんもんね。輸入品だから行き渡るほどっていうのは無理か。ご領地で生産される布帛用植物は亜麻ですものね。後は動物性の毛織物。御城下はどうなんだろ?うちは私が大きくなるまでは下に敷いてたのは羊毛だったような?利益がかなり出るようになって綿のお布団を買ったような気がするなぁ?」
「綿の布団は贅沢品だな。村の方でも水鳥を飼っている辺りは羽布団が贅沢品になってる」
ちなみに日本の真綿とはだめになった蚕の繭をほぐした絹綿のことでかなり質量がある。アマーリエが前世で死ぬ頃には真綿の布団は化繊の布団に取って代わられていた。
「うーん、そういうのを聞くとまだまだ発展する度合いってあるんだなぁって思います」
「皆が贅沢になるってことか?」
「贅沢というよりは、当たり前になる世の中ってことです」
「今贅沢なものが当たり前ねぇ」
「昔に比べたら魔物の恐怖って、遠いものになってますよね。明日魔物が襲ってくるかもしれないっていう生きるか死ぬかって時代から、とりあえず明日食べるものはある時代になってて、汲々としなくなってますよね」
「まあな」
「汲々としなくなるってことは余暇が出来るってことです。時間があれば何かしらにその力を向けられます。そうなれば発展します。時間はかかるかもしれませんが、発展し続ければいろいろな物の価値が変わっていきます。高かったものが当たり前のものに。当たり前だったものが高価なものに。人の命だって時代によって軽重が変わってますよね」
「たしかにな」
「でもね、人の死というものだけはおそらくどんな時代が来ようとも変わりませんよ。生まれたら死ぬ。死があるからこそ生きることがどういうことか浮かび上がってくるんです。死なないなら生きる意味なんて何もなくなるじゃありませんか。死なないのに食べる必要がありますか?服を着る必要は?子を残す意味は?寝る必要は?何かする意味は?息すらする必要ありませんよね?じゃあ、不死者ってなんですか?何かを必要としなければ生きていけないならそれは不死者ではありませんよ。生者です。ならば、人の死は何れ何処かで確実に訪れるものなんです」
「ただそこにあるだけなら死んでいるのと変わりない…か?」
「あるだけならいいですけど、在るためだけに他の生命を消費してるならもっと質が悪いって話ですよ」
「何かを成せと?」
「成せとは言いません。成したいことが出来たってそう思った時に人生なんて短いものだって自覚しますから。成せなくとも成したいことが同じ者がその意志を繋げていけばいいんです。だから人は子を残すんでしょうに。一番手っ取り早い方法だから。まあ、そう簡単に継ぐものが現れるわけではありませんがね。血がつながってる必要性もないですし。ただ、人ひとりとして自分が糧にした命に対して顔向けできなくなるような生き方だけはしたくないんですよ」
遺伝子を残すだけならそれはミトコンドリアの運び手にすぎない。己の生きた証を継ぐものを残す。それが人が子を残すことではないだろうか?単に家や仕事を継ぐことだけが証を継ぐこととは限らない。小さな技、生きていく術、色んな物が生きていけばそれぞれに蓄積されているのだ。その蓄積された物を次に残す。それが人が人である意味なのではないだろうか?
「己の命の意味は己自身でしか見いだせないか」
「天命ってのはいち早く己の意味を見いだせたものの言葉にすぎませんよ」
「美味しいものを作り広めることがおまえさんの天命か?」
「私の天命は、わたしが心置きなく美味しいものを作り食べることですよ。わたしはわたしの分ってものをわきまえてます」
「…」
「周りで飢えてる人がいて美味しくごはん食べられるほど性格曲がってないつもりです。けれど私一人でできることには限りがあります。だから周りの力やつながりを使うんです。それだけです。飢える人がいなくなればわたしも心置きなく美味しいご飯が食べられますからね」
「つまり、大いにおまえさんに巻き込まれて行けと?」
「そうとも言う。ということで覚悟を決めて巻き込まれてくださいね」
「逃げる前提はなしか?」
「逃げられるとお思いで?隠居しても柵が切れるとは思いませんが」
冒険者ギルドのしぶとさは折り紙つきだ。だからこそ独立した組織として今まで残っているのだ。
「…」
「まあ、なぁに?朝から小難しい話をして、結論そこなの?」
お茶を飲んでいたマリエッタが面白そうに笑いながら言う。
「…だ、ダンジョンに引きこもるか?」
横で話を聞いていて、ダンジョンにまではさすがにアマーリエはついて来られないと思ったベルンに、マリエッタが呆れた視線を向けて言う。
「いやだ、ベルン。引きこもろうが引きこもろうまいが、ダンジョンに居るだけで素材採集の手伝いをすることに変わらないわよ。私達が手伝ってる意識があろうがなかろうがね」
「…」
ダンジョンから採集してきたものをアマーリエが美味しいものや便利なもの変えてしまえば、どうしたってまた採集しに行くハメになるのは自明の理だ。
「変に離れるより近くにいるほうが、まだ、こちらの意志が反映されるのでマシだと思いますよ」
ファルが悟りきった表情で、ベルンに忠告する。お互いの利益を重ねあわせて動いたほうが逃げるよりはるかに建設的だからだ。もちろん前世の言葉のように三十六計逃げるに如かずという逃げ一手の戦法もあるが上手く逃げるのだってコツが要るのだ。撤退戦が難しいのは当たり前のことなのだ。
「あれ、なんでベルンさんとダリウスさん凹んでるんだ」
馬の世話から戻ったグレゴールが聞く。
「やっと現実というものが理解できたのよ」
フフフと笑ってマリエッタが言う。
「?」
「グレゴールさん、知らないほうが幸せなこともあります」
「ちょ、ファル?なにそれ、よけいに怖いんだけど」
「リエ、村の人と卵と薬を交換してきた。鶏は残念ながら潰せるのがいないそうだ」
村人と物々交換しに行っていたダフネが帰ってくる。
「あ、おかえりなさいダフネさん。わかりました。後、村の人が交換しても大丈夫だと言ってくださったものはありましたか?」
「ソバの実と赤い小さな豆なら大丈夫だそうだ」
「おおおおお!」
「え、なに?またなの?」
「温泉に温泉まんじゅうは鉄板なんです!」
「?」
「甘くて美味しいお菓子です」
「すぐに出来るんですか?」
「すぐに出来るのか?」
「あ、ダリウスさん復活した」
「ちょろい親爺ねぇ」
「うるさい、マリエッタ」
「豆を煮るのに時間かかります」
「すぐに交換してきますね」
アイテムポーチを手に掴んでファルがすっ飛んでいく。
「あー、ファルさん。ソバの実は粉に引いてもらってくださいー!」
「わかりましたー」
「そば粉があれば、それでまた他の食べ物が出来ますし」
「うーん?そばの実を炒っておかゆにしたのしか食べたことないな?」
「わたしは粉にひいて、水から茹でて練ったものぐらいかしらね」
「やっぱり、余裕が無いと食べられればいいところで止まっちゃいますよね。うーんどうしたもんか?」
「なんか手があるの?」
「色々兼ね合いがあって一概にうまくいくのかどうかがわからないって感じです。うーん、二兎追うものは一兎も得ずになるのか、一石三鳥ぐらい目指せるのか…」
前世にあったソバのアレロパシーや作物の連作障害、その土地にあった作物の植え方が色いろあるため、一発で成功はありえないのだ。
「最初から欲張らずに行くのがいいんじゃないの?」
「ですよね。騎士様達が来たら村の人とも合わせて相談しよ」
騎士を通して漫遊中の先々代と連絡をとってもらい、農業スキルを持っている人を紹介してもらうのがベストだろうとアマーリエは考えた。
「温泉のこともあるからね」
「そうなんですよねぇ」
「リエさん、そば粉と赤い豆を交換してきましたよ!」
「ありがとうございます!見せてください」
ファルから、紙袋を受け取る。
「ああ、やっぱり小豆だ。あんこが出来る!」
「はいはい。とりあえずご飯にしましょう。騎士様方も来るでしょ。食べないと食いっぱぐれるわよ」
マリエッタの声で、朝食を慌てて取り出したアマーリエたちだった。




