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「私は、バルシュティン辺境伯が従僕、マルセル・ティールと申します。アマーリエ・モルシェンさんはご在宅でしょうか?」
ファウランド王国バルシュティン辺境伯領領都バルシュにあるパン屋の一つ、モルシェンの店の前にご領主の馬車が止まったのはお昼のピークを過ぎた鐘5つの頃であった。
かしこまって訪いをする顔見知りの少年マルセルに合わせて、アマーリエも普段の態度を潜め、大きめの猫をかぶる。
「アマーリエは私でございますが?」
まだまだあどけなさの残るマルセルがゆっくりと頷いて、口上を述べる。
「突然のことで、アマーリエさんには誠に申し訳ございませんが、午後のお時間を我が主のために割いていただけますでしょうか?」
一生懸命話すマルセルにアマーリエはほっこりしながらも大事な部分を質問する。
「どのぐらいかかりますでしょうか?」
「はい、次の鐘の頃にはこちらにお帰しできる筈と伺っております」
夕食支度の頃の前には帰すと言われて問題無いと判断したアマーリエはエプロンを外しながらマルセルに答える。
「分かりました。すぐに支度をしてまいりますのでお待ちください」
「突然の事ゆえ、あまりお気になさらぬようと主より承っております」
「お気遣いありがとうございます。すぐ戻りますゆえ」
「あ!すみません。主から午後のお茶用にこちらで有名になっているシュウ・ア・ラ・クレームなるものを買い求めるように仰せつかったのですが?」
慌てて声をかけるマルセルにアマーリエはニヤリと笑いながら今までの態度を思い切り崩して言う。
「はいはい。母さん呼ぶから待っててね、ティールの坊っちゃん!なかなか様になってたわよ!」
「うぇっ、あ、もう!リエねぇ、からかうなよ!あっ、いけね!」
からかうアマーリエの言葉にマルセルは小さな頃から相手をしてもらっていたパン屋の娘に素がでる。
「母さ〜ん!ご領主様から呼び出しきた!あ、えっといくついるのかしら?母が用意するので、言いつけてくださいな」
そう言うとアマーリエは店の奥へと向かう。
「わかった!」
「はいはーい。あらあら、これはこれは。騎士ティール様のところのお坊ちゃん。お仕事は慣れましたか?」
これぞ女将さんという恰幅のいい女性がエプロンで手を拭きながら奥から出てくる。
「あ、アルマさん!こんにちは。だいぶ慣れてきました!あの、主からこちらのお菓子を頼まれたんですが?」
「はいはい。どれです?」
「この新しいお菓子です。10個お願いします」
冷蔵魔法のかかったショーケースの下段に数日前から売りだされた、山と盛られたキャベツ型のクリームの詰まったお菓子を指さしてマルセルは数を言う。
「承りました。包みますからお待ちくださいね。お支払いはどうされます?」
「今支払ってまいります」
「あら、若様の個人的なものなのねぇ。また間食かしら?」
せっせと手を動かしながら、モルシェンの女将アルマは小さな頃から領主の館を抜けだして買食いしにきていた現領主の顔を思い浮かべる。
「はい、この間父が食べてたのが気になったらしくて、ダールさんに内緒って言われたんです」
「ぶくくく。まぁまぁ若様ったら!あいかわらずねぇ」
「なので女将さんも内緒でおねがいします!」
「ダールさんに内緒?できた試しがないねぇ」
頬に手を当てて、小首を傾げるモルシェンの女将。
「ええええー」
「先代のご領主様から右腕として頼りにされてるダールさんに秘密にできることなんざめったにないよ。坊っちゃんも失敗したらすぐにダールさんに言うんだよ?若様ときたら、よくやらかしては隠し事にして余計にダールさんを怒らせてたからねぇ。まぁあれはあれで、若様としてはかまってほしかったってのもあるんだろうけど」
「ちょっと、母さん。ぶちまけ過ぎ」
よそ行きのワンピースに着替えて髪を整えてきたアマーリエは、さすがに上司のありのままをまだ仕事についたばかりの新人に話すのはどうかと注意をする。
「あら、ほほ。坊っちゃん、若様には内緒ね」
茶目っ気たっぷりにウィンクをする母親をアマーリエは苦笑して見る。
「うん。あと、ダールさんには隠しごとはしない。本気で怖いんだよ。父さんより怖い」
至って真面目な顔で頷きながらマルセルは言う。
「うんうん、それがいいわね。第一、お茶のお菓子ならちゃんとでるのに、ご領主様ったら隠れて食べる気でしょ?しかも10個って。夕食食べられなくて叱られるか間食する前に叱られるかどっちがいいかご領主様に確認してあげなよ、坊っちゃん」
「そうする。主を諌めるのも僕の仕事だってダールさん言ってたからね!」
「坊っちゃん、はいこれ」
アルマからお菓子の入った箱を手渡されるとトートーバッグ型のアイテムバッグへと仕舞いこむ。
アイテムバッグは拡張及び状態維持魔法のかかったカバンで入れ口にはいる大きさのものなら拡張したぶんだけ様々入る便利グッズである。持ち運べるものとしては一番小さなものにアイテムポーチから収納ボックス程度の木の箱まである。
もちろん倉庫やクローゼットも拡張魔法を掛ける場合もある。問題点は某青狸のポケットのように大きさを気にせず出し入れできないという点と拡張を施した物同士を入れ子に出来ない点であろう。
「ではこれお代です」
「丁度ですね。はい、これは坊っちゃんに。お友達と分けて食べなさいな」
「わぁ!ありがとう女将さん」
「さぁ、坊っちゃん、行きましょうか」
受け取った袋にたくさん入ったラスクをみて、ほくほく顔でアイテムバッグにしまいながらマルセルは優雅に馬車へとアマーリエを誘う。
「どうぞ、アマーリエさん」
「ありがとうございます、マルセルさん」
そうして馬車は、城下町の最奥にある領主館へと向かった。
領主館へ着いたアマーリエは、そのままマルセルの案内されて館の奥に向かう。
「ねぇ、坊っちゃん、いつもの客間じゃないの?」
「うん、ダールさんにバレたら不味いから、奥の庭で先に主様にいわれ…」
「おや、戻ったのですね、マルセル」
「「うひぃ」」
真後ろから気配なく声をかけられた二人は声を上げて飛び上がる。
「ようこそ、モルシェンの娘さん。で、マルセル。私に隠しごととはなんです?」
「あ、う、主様にお菓子を買ってくるように頼まれました」
「…」
とてもにこやかに笑うダールの姿に金魚のように口をパクパクするしかないマルセルをかばうようにアマーリエが前に出る。
「ま、まぁ、落ち着いてくださいな、ダールさん。マルセルさんはちゃんとご領主様をお諌めするつもりですから、まずは見ててあげてくださいな」
「そうですね、叱るだけが教育ではありません。まずはどうお諌めするのか見せていただきましょうか?マルセル」
「は、はひぃ」
「が、頑張れ、坊っちゃん」
奥庭に出て、まずマルセルとアマーリエが領主の元へ行くことになった。程よいタイミングでダールが登場するという約束である。花の咲き乱れる美しい春爛漫の小道ではあったが、気分は極寒の地にいるマルセルであった。
東屋でのんびりくつろぐ領主の人参色の髪が春風にふわりとそよぐ。深呼吸一つして、マルセルが領主に声をかける。
「主様、モルシェンの娘さんをお連れしました」
「やぁ、マルセル、お帰り。アマーリエも久し振りだね。で、マルセル首尾よく例の物は手に入ったかい?」
自分で呼んだ客を放り出して、すぐに食い気に移るバルシュティン辺境伯ウィルヘルムにアマーリエは内心でダールに雷落とされてしまえとつぶやく。
一方問われた方のマルセルは表情をきりりと改めて、真面目くさって領主を諌め始める。
「それなのですが主様。間食して、おなかがいっぱいで夕食が食べられなくなって、ダールさんに叱られてしばらくお茶菓子と食後のデザート抜きになるのと間食する前にダールさんと交渉して、今後もお菓子も夕食もちゃんと食べられるのとどちらがよろしいですか?」
思わぬところからの明確な今後予想にウィルヘルムはがっくりきて答える。
「グッ、さすがに十生にもならぬお前に言われると堪えるね。わかったよ、ダールとちゃんと交渉しよう。ダールいるんだろ?」
ニコニコと満面の笑顔でダール登場である。
「マルセル、なかなか若旦那様のことをよくわかっていますね。菓子の食べ過ぎは体に悪いというような正論を言ったところでこの方は聞く耳を持ちませんからね。上手に利を説くあたりは、さすが騎士ティールの息子であり、アマーリエに躾けられただけはあります」
マルセルの頭をよくやったと撫でながらダールは言いたい放題を言う。アマーリエは片手で顔を覆って、マルセルが仕事で役に立つようにとアドバイスをこっそりしていたことがバレていたのかと溜息を吐く。モルシェンの女将が言ったとおり、ダールに内緒にできることなど無いようである。
「はい。リエねぇじゃない、アマーリエさんとアルマさんから、男という生き物は目下や女の言う正論はどんなに正しくても聞きたくなくなるもんだと伺いました。父はそういう言葉を聞きたくなくなるのは自分が正しくないと否定されたように感じて負けた気分になるからだと申しておりました。だから正論ではなく利を説くのが最善だとも」
「ふふっ。マルセル、その後さらに言われたのではありませんか?」
「はい。だからこそ本物の男は目下や女の人に負けてあげられる余裕があって初めて本物の男というのだと常に申しております。ただし、嘗められてもダメだとも。そこのさじ加減も一人前の男の器量なんだぞと」
「だそうですよ、若旦那様。これからはマルセルを相手にいかに上手に負けるかを学んでいってくださいませ」
「ああ、わかったよ。で、マルセル例のものは?」
ニコニコ恐ろしい笑顔でいうダールに、顔をひきつらせながら話題変換を図る領主であった。
「こちらに。はい、ダールさん」
素直に場の空気を読むマルセルは取り出したお菓子の箱をダールに渡す。
「あ、ちょ、マルセル〜」
「旦那様、交渉です!」
いい笑顔で応援するマルセルにダールの躾も大したもんだとアマーリエは内心で感心する。新人で、まだ判断がつかないマルセルは主に忠実であることは弁えながらも、判断はまず直属の上司であるダールに仰ぐ必要がある。未熟な領主の言葉を未熟な従者がそのまま実行していては、時と場合によって某国の浪士のような状況を生みだしかねないからだ。
「ぬぐぐぐぐ」
「これがモルシェンの新商品ですか。確かにキャベツの形に見えないこともない。で、アマーリエ、中身は?」
「あ、はい。中はクレームパティシエールになります。アルバンのダンジョンから発見された甘い香りのする豆の種を香りづけに使った卵の黄身とミルクのクリームになります」
「ふむふむ、たしかに甘やかな香りがしますね。合わせる飲み物は…、ゲィンズの茶葉にしますか。あれは癖のない良い葉です」
「それがよろしいかと」
「若旦那様、ご用意いたしますのでいつもの客間にお願い致します」
「ダール!2個!せめて2個食べさせて!」
「まぁよろしいでしょ。その代わり夕食後のデザートは軽いものに致します」
「う、それでお願いします」
「マルセル、このお菓子を2個旦那様に、ゲィンズのお茶と一緒に用意してください。アマーリエには今日のお茶菓子とレイブンのお茶を」
「はい、ダールさん」
「では、若旦那様、アマーリエ、客間にどうぞ」
マルセルはお菓子をアイテムバッグに戻して急ぎ足で厨房に、ダールは領主とアマーリエを客間へと案内した。