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依頼人の住居用家屋の近くにまで来たダフネは、グレゴールの腕を掴んで足止めする。
「家から人の血の臭がする。それにあの一匹狼のにおいもだ」
「!」
嫌な想像を浮かべたグレゴールに、ダフネが言葉を続ける。
「ただそんな大量の血の臭がするわけじゃない。人の動く気配もある、とりあえず声をかけてみよう」
「わかった。すみませーん、依頼を受けてきた者なんですが!モーンさんはご在宅でしょうか!」
ダフネの耳には家の中から人がかけてくる足音と何かの動物が来る足音する。そっと開かれたドアの隙間から女性が顔を出す。
「ん?」
ダフネが怪訝な顔をする。
「あ、おはようございます。害獣退治の依頼を受けてきたグレゴールとダフネです。これ依頼受領証です。確認して下さい」
扉の隙間から受領書を受け取った女性が、確認した後ドアを開けた。女性の側には警戒態勢のグレーウルフがいた。
「え!?そのグレーウルフって」
「匂いのしてた個体だぞ」
「どういうこと?」
疑問を浮かべる二人に、女性が困ったように笑って応える。
「ちょいと色々ありましてねぇ。すいません、中にお入りください」
そう言って、家の中に招かれた二人だった。
「あんた、依頼を受けてくれた冒険者さんが来てくれたよ」
「あちゃ、そうか」
奥の部屋から怪我をしたダリウス並みに大きな男が出てくる。
「モーンさんですか?」
「はい。依頼を出したモーンです。あ、どうぞお座りください。わざわざ有り難うございます。それでですな、大変申し上げにくいんですが」
モーンの側に走り寄っていくグレーウルフの様子を見てダフネがなんとなく事情を察する。
「依頼を取り下げられますか?」
「ええ、申し訳ありません」
「理解りました。ああ、でも腕の傷は大丈夫なんですか?」
「実は回復薬がきれてまして。午後から依頼を下げにいくついでに買い出しに行く予定だったんですよ」
「では、これ使ってください。腕を怪我してたら困るでしょう。後、いくつかありますからいかがですか?」
「ありがとうございます。何本か買い取らせてください。おーい、母ちゃんお金持ってきてくれ」
「はーい」
奥の部屋からモーンの奥さんがトレーを持って出てくる。
「お茶どうぞ。わざわざ、来ていただいたのに申し訳ありませんねぇ。回復薬は10本ほどいただけますかね?」
グレゴールは回復薬を取り出してお金を受け取る。
モーンは腕の包帯を外してグレゴールの出した回復薬をかける。あっという間に傷がふさがっていく。
「何があったんです?」
モーンの話によると、グレーウルフが1頭だけだったようなので自分たちが広い牧場を探して普段の仕事が遅れるよりはと退治依頼を出した。今朝、作業をしていたモーンがそのグレーウルフにうっかり出くわし格闘になったが、巨人族の先祖返りを起こしたモーンにグレーウルフが負けて従うようになったということだった。
「まぁ、牛追いの仕事も覚えさせれば、うちの仕事も楽になるし、こいつが居れば他の害獣も出にくいだろうと飼うことにしたんですよ」
「そういうこともあるんですね。あ、すみませんがこの受領書の方に依頼の取下げとサインをお願いします」
「わはは、懐かれるとは思いもよりませんでしたな」
「ウルフ系は基本的に強いやつに従うのが習性だからな。ましてこれははぐれだ。一匹で生きてくよりはどこかに所属するほうが自分の生存率が上がる」
ダフネが頷きながら言う。
「お二人で牧場を?」
「いやいや。今、子どもたちがチーズを作っとりますよ」
「あ、そうだ。村の広場で卵売の小母さんから、こちらのフレッシュチーズが大変美味しいと伺ったんですが、分けていただけますか?」
「ああ、ゲルダさんですな。いいですとも。今日売るはずだったぶんがあります。たっぷり買って行っていただけると嬉しいですな」
「あはは、食材好きがいますんで遠慮なく買わせてもらいます」
グレゴールはモーンからチーズを、ダフネは鶏肉を買って農場を後にした。
「なんというか、平和的解決だったな」
「まあ、こういうこともある」
「時間に余裕があるし、薬草摘みながら帰る?」
「そうだな。薬草依頼は常時依頼だ。持っていけば貢献度がつく」
二人は目につく薬草を摘みながら、途中で昼食を取り、のんびり帰途についた。
一方、依頼の終わったファルは、散歩をしていたアマーリエ達と落ち合い一緒に宿に帰ってきた。
「ふぅ」
「どうしたんですか?ファルさん、浮かない顔して」
「いえ、なんでもないんです」
「ファル、あんたそんな眉間に溝掘ってたら取れなくなっちゃうわよ」
「み、溝!?」
マリエッタに言われて慌てて眉間を擦るファル。
「んじゃあ、眉間の力を緩めるためにも美味しいご飯にしましょう」
「アマーリエは単純でいいわねぇ」
「マリエッタさん、幸せってとっても単純なことですよ。ぐっすり眠って、美味しく食べて、スッキリ出す!まずバランスのとれた体で幸せ受容体をきちんと稼働させるんです。滞って淀んで行くから、幸せ受容体も詰まって、幸せが感じられなくなっちゃうんです。幸せを感じるには、幸せ受容体が機能してなきゃダメなんですよ。でもね、その程よい睡眠、ご飯を美味しく食べられる状況、毎日スッキリ出すって、なかなか難しいんですよね」
「う、それはそうね」
思わずお腹を押さえて、うろたえたマリエッタ。時々お通じで悩むことがあるようだ。
「あははは。はぁ、悩んでても仕方ありませんね。ご飯にしましょう」
「そうそう、ご飯ご飯」
アマーリエは部屋で冷やしていたミルク寒天とシロップをリュックに入れ、かぼちゃのポタージュの鍋を持って炊事場に行く。
十分に冷えて固まっているミルク寒天をさいの目に切って、三等分してそれぞれ器に盛ってシロップを掛けて出す。
「はい、熱々エビドリアにつるっとおいしいミルク寒天、滋味豊かなかぼちゃのポタージュです」
「「ミルク寒天?」」
「あれ?あ、あー。(しまった、こっちじゃ寒天てあんまりみない上にあっても海藻サラダぐらいしか調理方法なかったっけか)ローレンで買った棒寒天ですよ。あれをお湯で溶かしてミルク混ぜて冷やし固めたものです。う、うちでしかまだ食べてないと思います(うちでも食べてなかったけどなー)」
美味しいものを食べたいという欲だけが全面に出るため、時々前世とこちらの世界の乖離具合を忘れるアマーリエだった。
「あれが、これですか?」
「ま、まあ、冷めないうちに食べましょう。いただきます」
「はぁ、このエビドリア?すごく美味しい。美味しいんだけどリジェネが…」
美味しいと効果のもったいなさの狭間で悶々とするマリエッタに、ファルが笑い出す。
「ふふふふ。でもチーズが香ばしくて、ご飯とこのソースがすごくあいます」
「エビもぷりぷりしてて美味しいですねぇ」
「このかぼちゃのポタージュも、かぼちゃの甘味がとてもたまりません」
ようやく眉間の皺がとれたファルにホッとしながら、アマーリエとマリエッタは顔を見合わせる。
「ねぇ、リエ。で、このスライムみたいなの寒天を使ってるんでしょ?」
ドリアとスープを食べ終わったマリエッタが、スプーンでミルク寒天をつついている。
「確かにスライムに似てるかもしれませんが、つついてないで食べてください。美味しいですから」
「あら、ひんやりして美味しい」
「お通じにいいんですよ、寒天」
ニヤリと笑って言うアマーリエに、目を見開くマリエッタだった。
「のどごしが良くてとっても甘い。これが寒天なの?」
じっと、ミルク寒天を見つめて、また眉間にしわを寄せたファルに、アマーリエがどうしたのかと声をかける。
「あ、いえ。山間部で海産物は薬になるといったの覚えてますか?」
「ええ」
「今、神殿と薬師ギルドが調べていることがあるんですが、沿岸部の海藻を食べてる人たちは山間部の人に比べて妊婦さんの流産や死産が少ないことと、生まれてきた子が正常に成長しているってことなんです。なぜそれがわかったのかというと、ある山間部の村にお嫁に来た沿岸部の女性がご実家から海産物を送ってもらって食べていたのですが、他の村の方も食べるようになり、そういったことが減るようになったんです。不思議に思ったそこの薬師が各地の薬師のギルドに調査依頼を出したんです。それから薬師ギルドと神殿が協力して調査するようになったんです」
ヨード欠乏症が前世で三大栄養素不足による疾患の一つだったなとアマーリエは思い出す。
「でも薬って?」
「昆布やのりなどの海藻をすりつぶして、粉薬にしたり丸薬にして妊婦や子供に与えているんです」
「流通が難しいからそうなっちゃうわけですね」
「ええ、でも子供は薬を嫌がりますから」
「なるほど」
「今日行った依頼人のところでそういう話になったんですよ」
「それで眉間にしわ寄せてたんですか」
「…ツルッとして甘い。これだったら子供も喜んで食べてくれるはず。普段の食事で取り入れられないかしら」
「ファルさん、棒寒天の生産量って高いんですか?」
「それが…」
「たしか海藻を加工するから、その海藻自体の入手と加工にも手間がかかるんじゃありませんか?そうなると値段上がっちゃいませんか?」
アマーリエに次々と畳み掛けられ撃沈するファル。それをマリエッタは苦笑しながらみている。
「昆布を収穫地で粉末にすれば、もう少し輸送量があがるし、低価格で薬効や生産性も寒天よりはるかに高くなると思うんですが」
「昆布?」
「ちょっと待って下さいね」
そう言ってアマーリエはリュックから昆布の束をだして、1枚抜いて生活魔法で水分をさらに抜き、カラカラにしたところで粉砕して、すり鉢に入れ粉にする。
「粉にすれば、昆布のままよりもいっぱい運べますよね。で、この粉を料理に入れれば多少は改善するんじゃありませんか?こうやってスープに溶かしたりとか。飲んでみてください」
カボチャのポタージュに昆布の粉末を少しといて、もう一度ファルたちに出す。
「ん、味に深みが出たかしら」
「ほんとです。薬よりも抵抗なく口にできます」
「沿岸部で粉にして箱詰めして売りだせばどうでしょう?量り売りにすれば買い求めやすくなりますし。この粉を緑茶系のお茶に溶かして飲んでも美味しいですよ。粉砕するのは魔道具作ればいいんじゃないですか?そうすれば人手もかからなくて済みますし」
因みに、大人一人あたりの一日のヨウ素摂取量は昆布10㎝角程度の大きさで事足りる。昆布出汁のわかめの味噌汁を飲むだけで日本人はヨウ素不足のない生活が送れるのだ。むしろダイエットなどで海藻サラダの食べ過ぎなんかはヨウ素の過剰摂取を引き起こしかねないので注意した方がいいだろう。何事もバランスよく食べるのが一番なのだ。
「あとは、もっと情報の周知徹底ですね。特に妊娠初期の女性はかかさず食べましょうとかね。ただ食べ過ぎるとまた別の病気が発生する可能性があると思うんです。過剰摂取は避けたほうがいいと思います。ご領主たちにも健康な領民を増やすために必要だとでも言って協力させることですね」
「そうね。神殿に意見書出してみます。ありがとう、リエ」
「どういたしまして。時間がかかると思いますが、浸透すれば確実に成果が出ると思いますよ」
「流通は、冒険者ギルドで採用され始めてる小型の転送陣が普及するようになればなんとかなるわよね。粉になったら嵩が減るから量も送れるようになるし。アイテム保存グッズは魔法が反発おこして転送陣じゃ送れないからねぇ」
「役場、もしくは各種ギルドにあればいいですね」
「でもそうなったら冒険者の仕事が減るのかしら?」
「それはないと思います。そこからまた運ばないといけないでしょうし」
「初級の運送仕事が増えるわけね」
「ええ、距離が短ければ初級の人でもできる仕事だと思います」
「あー、色々書くことが出てきましたね。少し部屋にこもって意見書まとめてきますね。まとまったら、後で皆さんに見ていただきます」
そう言って、ファルは部屋にもどった。アマーリエとマリエッタは食器を片付けたあと午後はどうするか相談を始めた。