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酪農の村ユグにある唯一の宿は、昔でいうところの木賃宿、つまり寝る場所のみの提供で食事の支度は自分たちでする宿である。特に観光旅行客が泊まるわけでもないので十分それで需要をまかなえるのだ。
アマーリエ達は、着いたその晩の食事をアマーリエが持ってきたスープとパンで済ませて、翌朝早く起きて村の役場に行き、すでに受けた依頼の完了報告やら新たに受ける依頼を探すことを決めて早々に就寝した。
窓の側のベッドを選んだアマーリエは、朝日で目覚めそのまま身支度を整えて、まだ眠っているファルやマリエッタを起こさぬように、そっと部屋を出た。
「さてどうしよう?」
朝食べるものは、昨日の晩と同じく、すでにアマーリエが作っているものでいいと言われている。足りないとしたら新鮮な野菜や卵だが、村についてすぐに宿に入ってしまったのでアマーリエはどこで手に入るのかがよくわからない。
「明るくなってるし、宿の外をちょっと散歩してみようかな」
宿を出るとダリウスとベルン、グレゴールにダフネがすでに鍛錬を始めていた。
「おはようございます」
「おはよう」
「やぁ、おはよう。もっとゆっくり寝ててもいいのに」
「早いなぁ、嬢ちゃん」
「おはよう、リエ」
「いや、皆さんのほうが早いでしょう。すみません、卵と牛乳を朝早くから売ってるところってありますか?」
「そろそろ、村の人が色々売りに来ると思うよ」
「おお、そうなんですね」
「ここの村の中心は役場や雑貨屋、鍛冶屋なんかの非農業従事者が住んでるんだ。で、その周りに酪農従事者それぞれの牧場と住居が点在してるんだよ。その人達が村の人達に作物やら酪農品を売りに来るんだ」
「それは楽しみです」
「リエ、くれぐれも買いすぎんようにな」
「はい」
ファルとダリウスから報告を受けたベルンがやんわりと釘を刺す。
「じゃあ、リエ。買い過ぎ防止のためにアイテムリュックはおいて、普通の袋を持って行こうか。一応、俺が荷物持ちをするから、持てる分だけ買うってことで」
「…わかりました。袋を取ってきます」
しょんぼり部屋に戻るアマーリエに、ベルン達は吹き出すのを堪える。
「私も朝から肉をガッツリ食べたいから、買いに行ってくるか」
「かりかりに焼いたベーコンが食いたいな。グレゴール頼む」
「わかった。ほかは?」
「任せる」
降りてきたアマーリエと一緒にグレゴールとダフネは、村の広場へ買い出しに出かけた。
広場には、荷馬車や荷車が止まり、その荷台にそれぞれが持ってきた農産物が置いてあった。
「牛乳は、ミルク缶で売ってる。飲み終わった缶は宿屋の炊事場においておけば宿の管理の人がまとめてそれぞれの農家の人に返してくれるんだよ」
「フンフン。良い肉の匂いがする。こっちだグレゴール」
「おう」
「いいお肉?」
「ダフネの鼻は旨いものを嗅ぎ当てるのが上手なんだ」
ダフネがひとつの荷車の前にたどり着く。保存魔法がかけられた木の箱に油紙が敷かれて、様々な肉の塊が並べられている。
「その、豚のロースを一塊頼む」
ダフネが躊躇なく2kgほどの肉の塊をさして言う。
「5000シリングだ、ねえさん」
「ああ。丁度だ」
「ダフネ、ベーコンはどれがいいかな?」
「あそこの塊がいいな」
「おやじさん、そこのベーコン一塊頼む」
「はいよ。4000シリングだ」
「おい、リエ?なんか買うか?」
様々な肉の塊を見て、今できる肉料理をアレコレ妄想していたアマーリエはダフネに声をかけられて慌てて応える。
「はっ、え。あ、どうしよう色々ありすぎて決まらない。一周りしてからでもいいですか?」
「いいぞ。それじゃあ買うものが決まってるやつから買っていこう」
「はい。んじゃ卵と牛乳とバターをお願いします」
「卵はこっちだ」
ダフネに付いて卵を売る荷馬車に行く。ダフネは、アマーリエに紙のケースを持たせてひょいひょいと卵を選んで入れていく。
「4ダースほどあればいいか?」
「はい、十分です。小母さん、お勘定お願いします」
「あいよ。900シリングだよ」
「ハイこれ」
「お釣りだよ。嬢ちゃんは見ない顔だね。冒険者かい?」
「いえ、田舎に帰る途中なんです」
「なるほどねぇ。ここの酪農品は領内一だからタップリと味わってくといいよ」
「はい、そうします。小母さんのおすすめはありますか?」
「そうさね、モーンのところのフレッシュチーズが甘みがあって美味しいねぇ。おや、珍しい。いつもは来てるのに?今日は来てないね。バターはほらあそこに見えるキルクのところのがおすすめさね。クリームも一際濃いのが手に入る」
「ありがとう、小母さん!」
早速、アマーリエが買いに突っ走ったのは言うまでもない。
「ちょ、はや!」
「あの瞬発力は私も負けるかもしれないな」
「ダフネに勝るとも劣らない瞬発力って…」
置いて行かれた二人は、呆れながらもアマーリエの後をのんびり追いかける。
すでに袋を抱えているアマーリエに呆れてグレゴールが話しかける。
「どれほど買ったの?」
「それほど買ってないですよ。あ、グレゴールさん、ミルクの缶お願いします。お肉は塩漬けの豚バラ肉一塊と生の豚のロース1塊を買うことに決めました。ダフネさん美味しいの選んでください」
「よしきた。最初のところに行くぞ」
ダフネの勧める肉の塊を買った後、野菜を買って宿屋に戻ったアマーリエたちだった。
買ったものを炊事場において一旦部屋に戻ったアマーリエは、アイテムボックスから30㎝ぐらいのカンパーニュを2個取り出してリュックに入れる。そしてミネストローネの入った鍋を取り出して、アイテムボックスの蓋を閉めた。
そのままリュックを背負って鍋を持ち、一階の炊事場へと向かう。
炊事場では、ダフネがすでに自分好みの厚さに切った豚のロースを鼻歌交じりに焼いていた。ベルンは、グレゴールの買ってきたベーコンを山のようにスライスし、グレゴールはアマーリエに頼まれてレタスの葉をちぎってサラダの準備をしている。
アマーリエは空いている竈を覗きこんで煙突に煤が溜まっていないか確認する。スープの鍋をおいて、竈の薪を減らしてあまり火が強くなり過ぎないように調節して火をつける。もう一つの竈に水を入れた薬缶をかけて、ミルク缶からミルクをピッチャーに移す。
「卵はスクランブルでいいですか?」
「応、いいぞ。ベーコンは任せろ」
「わかりました」
アマーリエはリュックから茶葉、砂糖に塩、コショウ、ワインビネガーを取り出し、今朝買った生クリームとバター、ハードチーズも用意する。カンパーニュはスライスしてダリウスに渡し、石窯で軽くトーストしてもらう。
ボールに12個卵を割り入れて、生クリーム2カップ、塩、胡椒をしフォークで泡立てないように切るように混ぜる。
フライパンを竈において温め始め、バターを入れて溶け始めたらフライパンの底にまんべんなくバターが渡るように回し、卵液を半分入れる。固まり始めたところで木べらで中心に集めるように卵を返していき、半熟ぐらいに固まったところで大皿に盛ってできあがり。もう一度フライパンを火にかけて残りの半分を焼いていく。ふわとろのスクランブルエッグの皿をテーブルに運ぶ。
「サラダの下準備出来たよ」
「こっちもバッチリだ」
ダリウスがカンパーニュを皿に盛って、テーブルに置く。グレゴールはサラダのボールをアマーリエに手渡し、取り皿を用意する。
「取り皿ここに置くよ。後なにかある?」
「お湯湧いてるので、このお茶いれてください。ミルクと砂糖は皆さんお好みで」
「了解」
「皆さん、おはようございます」
「おはよう。あら、美味しそうね」
タイミングよくファルとマリエッタが炊事場兼食堂に登場する。
「リエさん手伝うことはありますか」
「スープをよそいますので運んでください」
「わかりました」
「マリエッタ、ベーコンを盛る皿をとってくれ」
ベーコンをかりかりになるまで炒めていたベルンが、マリエッタに皿を頼む。
「はいはい。この大きさで足りる?」
「もう1枚欲しい」
「わかったわ」
「はいお茶いれたよ。各自とってー。ミルクと砂糖はここに置くよ」
「ここに泊まって初めて充実した朝食かもしれない」
ダフネが満足そうにテーブルを見やる。
「そうですね。いつもここではパンにベーコン、ゆで卵かベーコンエッグでしたね」
ファルがダフネと話しながらスープを運ぶ。次にアマーリエは、オリーブオイルにレモンの果汁とワインビネガーを同量で合わせ、砂糖をひとつまみと塩少々を入れ乳化するまでかき混ぜ、コショウで味を整えてグレゴールが用意したレタスとトマトのサラダにかけ、その上からチーズをチーズおろしですりおろす。
「さて完成ですかね」
サラダのボールとバターの器をテーブルにおいてアマーリエが席に座るとそれぞれ、取り皿に自分の分を取り分け食べ始める。
「頂きます」
軽く手を合わせ小さくつぶやいて、アマーリエも食べ始める。
ベルンは自分が焼いたカリカリのベーコンとスクランブルエッグをカンパーニュにたっぷり乗せて、頬張っている。
「ん、うまい」
「ベルン、野菜も食べなさいよ」
パンにバターを塗りながら、マリエッタがベルンに小言を言う。
「…わかってる。ん!口の中がさっぱりする」
「ホントですね。チーズのコクもあって美味しいです」
シャクシャクとレタスを食べて、ファルがニコニコと言う。
「卵もふわっととろけて美味しいわ」
マリエッタが上品に卵をすくいながらふんわり微笑む。
アマーリエはナイフでチーズを薄く削り、カンパーニュに切込みを入れて、サラダとベーコン、チーズを挟んで食べる。
「それも美味そうだな。俺はベーコン多めにしよう」
ダリウスが真似をしてサンドイッチを作る。
「片手で食べられるから、これは手軽でいいな。日帰りの依頼なら昼飯代わりでいいかもしれん」
「手軽でいいですね」
分厚いポークソテーを3枚ほど自分に焼いたダフネは、1枚目にとりかかっている。
「ダフネさん、粒マスタードありますよ。辛いのが苦手じゃなきゃ、ポークソテーにつけて食べても美味しいですよ」
そう言ってアマーリエはリュックから粒マスタードの瓶を出してダフネに渡す。
「ありがとう、試す」
そう言ってダフネは、少しマスタードを付けて口に入れる。
「ん!美味しい。これは好きな味だ」
「パンにマスタードを塗って、肉とサラダ挟んでも美味しいですよ。卵だけもいけます」
「ん、やるやる」
ダフネは豪快に、カンパーニュ2枚に粒マスタードを薄く塗ってポークソテーとサラダを挟んでかぶりつく。
「うっ、はぁ〜旨い」
テーブルの上の食べ物を食べ尽くし、お茶をゆったりと味わい、今日の予定を話しあい始めた。




