序章
「ふう……もう一息で修理し終えるな」
オイルと、機械類特有の錆付いた匂いが鼻を突く作業場で、黒茶色の髪と蒼い瞳の青年、ニール・フォルマンは命じられた作業を黙々とこなしていた。身体のあちこちを作業の過程でオイルで汚し、蒸しあがるような暑さに耐えて、ようやく作業は八割方が終わったところ。
――――ウンザリだ。けど、あともう少し。
そう自分に言い聞かせて、ニールはフライトビークルの修理の仕上げへと取り掛かる。
フライトビークルとは、レナード・メカニックス社が二十年以上も前に発売した旧式の飛翔二輪車のことだ。
重力制御により三十センチミルほど浮き上がり、あらゆる地形を走破可能。
当時の謳い文句は、当代最高最速の飛翔二輪だったそうな。
しかし、発売後まもなく重力制御ユニットの設計ミスが発覚し、また値段も高かったことからユーザーに反感を持たれ数週間で販売中止。今やこの世に数百台と残っていないレアなフライトビークルとなってしまったらしい。
「す、すみませーん」
作業場の外からか細い声が響く。
「こんな時間に誰だろ」
ニールは作業の手を止め、タオルで顔を拭う。
時刻は朝の八時、修理屋の営業時間まではまだ二時間ほどある。
徹夜で作業に勤しんでいたニールは、汚れきった姿のまま客に応対しても良いのか少し悩んだ。
「……まあ、無視するわけにもいかないか」
やや躊躇いつつも作業場の扉を開ける。
すると飛び出すように少女が現れた。
「あ、えっと! 私が修理に出したフライトビークル、もう直りましたかっ?」
「いや、まだだけど……」
突然話しかけられたニールは、きょとんとした顔で答える。
「というか、営業時間と受付日を間違ってないですか? たぶん、受け取りは明日の夜八時以降ってことだったと思うんだけど」
「えっ、嘘!」
少女は目を見開いて鞄から手帳を取り出す。
「うわ、本当だ! ああ、ごめんんさいっ」
ニールは、作業場の外から降り注ぐ太陽の光に目を眩しそうに細めつつ、彼女の姿を上から下へと眺める。
ニールと同年代ほどの幼い顔立ち。
少しハネた柔らかそうな短めの栗毛に、リスのように丸い瞳。
背はあまり高くないが、生まれが良いのか背筋はしゃんと伸びていて、礼儀正しそうに見える。
「いや、そんなに気にしないでも……。 それよりも、せっかくだから修理がどこまで進んだか見ていく?」
「良いんですかっ?」
「うん。早起きして来てもらってすぐ追い返したってんじゃ、俺が爺さんに怒られる」
苦笑しつつ、作業場を振り返る。
簡素な骨組みにプレハブでやっつけで作ったような半円筒状の作業場の中央には、幾つかパーツを分解されたままのフライトビークルが鎮座していた。
「まだ色々と調整とかが必要なんだけどね――――って、ありゃ」
少女はニールの説明を聞くのも半分に作業場へ入ると、真っ直ぐフライトビークルへと走り寄り、ぐるぐるとあらゆる角度からその様子を観察し始めた。
「へーっ! フライトビークルの中ってこうなってるんですねっ。私、ビークルについて座学で知識だけは
学んでいたんですけど、こうして実際のものを弄ったりとかはしたことなくて……」
「座学で……ということは、技師の学校に行ってるの?」
「え、いえっ、その……家業が技師関係なもので、家族に教わったりしているんですよ。まあ、実技は危ないからってやらせてもらえてないんですけどね」
「ふーん?」
彼女の少しだけ慌てたような振る舞いにニールは首を傾げる。
「まだ調整途中とは言ってもほとんど作業は終わっているんですね」
「まあね。 それに調整が終わっても爺さんのチェックがあるし……というか、爺さんのチェックで何度も弾かれては調整してを繰り返すんだけど……」
「厳しい方なんですか?」
「厳しいというか嫌みったらしいんだ。ちょっとでも気に入らないトコがあるとやり直しって言われるし。そのせいで仕事が遅くて、稼げないんだよなあ」
「へえー……そうなんですか」
「……あ」
なるほど、と頷く少女を見て、内心でニールはしまったと思った。
今ニールが口を滑らせた話の内容は、つまるところ、客の依頼品を見習い技師が修理しているとバラしてしまったことと同義だ。
「え、ええーっと、それは別に修理が雑ってわけじゃなくて……」
「うん? そんなことはこのビークルを見れば分かりますよ。丁寧に作業をしてくれたのをひしひしと感じます」
「……う、それなら、よかった」
予想外に褒められてニールは戸惑った。
今までは、修行した年数の割に良い技師にならないと爺さんに文句を言われ続けてきて、こうして真正面から褒められたことがなかったのだ。
「試しに乗ってみてもいいですか?」
「え……ああ」
動揺してか、ニールの返事はぎこちない。
少女はフライトビークルに跨ると、作業場の周囲を見回す。
「やっぱりだいぶ目線が高くなりますね」
「こいつはかなり大型な部類のビークルだからね。 けど、その分最近の小型なヤツより安全性は高いし、発売当時問題になった重力制御ユニットは最新式に換えてあるから故障も起きにくいはず」
「へえー……」
「……って、そういや重力制御ユニットのテストをしていたところなんだったっ! お、降りて!」
「え、え?」
言いながら、少女は慌ててかビークルのアクセラレーターを思い切り回してしまった。
ふわっと無音のままにフライトビークルが浮き上がる。
「やばっ」
ニールはビークルが浮き上がる最中、咄嗟にビークルへと輸送用のケーブルを繋ぐ。
「す、進んでますよっ?」
「降りてっ!」
「いや、ちょっとそれは怖っ」
調整中だったためか、ビークルは三トルミルほど浮き上がり、ゆっくりと加速を開始した。
搭乗者の目線の位置は、建物の二階か三階ほどにまでなる。
そのまま降りれば、場所が場所なだけに相当運が良くない限り怪我は避けられない。
「くそ、あいつで止めるかっ」
ニールは作業場の奥へと走る。
「あ、あのっ大丈夫なんですかっ!? コレ!」
悲鳴のような叫び。 それを背に受けながら、ニールは作業用の二足歩行ユニット――――通称、機械鎧に乗り込む。
全高四メートル、長くバネのある脚部と搭乗者が乗り込むためのコックピット。
そしてあらゆる作業を問題なく行える二本のアーム。 装甲表面は無骨な鋼鉄版で覆われており頑丈。
過去においては、首と頭の無い不恰好な格好から馬鹿にされることもあったが、今の時代、機械鎧は軍事においても日常生活においても欠かせない存在となっている。
使い古しの機械鎧をニールは急いで起動し、少女の乗るフライトビークルの元へと向かう。 作業用なだけあって、ニールの乗るこの機械鎧は装甲も何もない。
コックピットは剥き出しで、アームもオイルに塗れて汚れている。
「あれ、どこっ!?」
「こっちです!」
見れば、作業場のプレハブを突き破ってフライトビークルは外へと飛び出していた。
「おいおいっ……シャレにならない」
幸いさっき取り付けた輸送用のケーブルがそれ以上ビークルが暴走するのを抑えていたが、それも時間の問題だ。 ケーブルはギリギリと嫌な音を立て始めている。
作業場の搬入用の入り口へと回り道をして、ニールの乗る機械鎧はビークルへと横付けするような形で取り付いた。
「こっちのコックピットに飛び移れるっ?」
「い、いや無理っ!」
「大丈夫っ! ちゃんと受け止める!」
ニールの視界の端では、ケーブルがぶちぶちと繊維を切断させ始めている。
ニールは両腕を広げてキャッチの姿勢を取る。
それを見た少女はごくりと喉を鳴らして、覚悟を決めた。
「ぜ、絶対しっかり受け止めてくださいよ!?」
「絶対だっ」
「いきます!」
バッと少女が勢いをつけて跳ぶ。
同時にその跳躍がトドメとなったのか、ケーブルはあっけなく切れた。
剥き出しのコックピットへと少女は飛び込むようにして落ち、それをニールはなんとかキャッチする。 機械鎧のショックアブソーバーが横方向の衝撃を吸収して炭酸の抜けるような音を出し、機械鎧は微動だにしない。
「だ、大丈夫……?」
「はい、なんとか……」
ニールはコックピットの中でひっくり返りながらも、しっかり受け止められたことに安堵した。 ……安堵しつつ、身体に伝わる柔らかい感触に気が付く。
「ど、どいてくれる?」
「あっ、すみません……」
少女は顔を赤くして、慌ててコックピットの端に寄る。
「とりあえず怪我が無くて良かった」
「でも、ビークルはどこかへ飛んでいっちゃいましたね」
「ああ……うん。 やってしまった……」
フライトビークルは三トルミルの高度を維持したままどんどん小さくなり、最後には見えなくなった。
「あの方向だと外に向かって……そのまま残骸領域に飲まれてお陀仏だな……」
「ですね……」
残骸領域とは、ニール達の住む巨大船、ヴァルフィッシュの周囲を取り囲む半金属物質の海のことだ。一度そこに飲み込まれたものは二度と戻ってこない。
「絶対爺さんに怒られる……」
「わ、私からも事情をお話しますよっ。 そもそも、私がビークルに乗ったのがいけなかったんですから」
「いいよ……調整中だったのにビークルへ乗せた俺が悪い。 弁償はするから……」
旧式とはいえ、あのビークルは最新式の重力制御ユニットを積んだビンテージ品。
おそらく、ニールの給金の一年分はくだらないだろう。
「駄目ですよっ。 そのお爺さんが来るまで待たせてもらいますから!」
「そこまで言うのなら、まあ、良いけど……」
ニールは再度機械鎧の操縦をして、少女を地面に降ろす。
そうして機械鎧を倉庫に戻してくると、改めて溜息を吐いた。
「はあぁぁ……」
「そこまで落ち込まなくても……弁償はしなくてもいいですから」
「そうは言ってもなぁ……弁償しないってのも修理屋としてどうなの? って感じだし……」
「それを言うなら私の家だって――――と、そういえばお互いにまだ名乗っていませんでしたね」
「まあ、そうだね。 俺はニール・フォルマン、今年で十六になる」
「同い年なんですね? 私はノルン・マスケインです」
「ん? マスケイン?」
どこか聞き覚えのある名前に、ニールは違和感のようなものを覚えた。
そんなニールに対して、少女は答えを教えるように無邪気な笑みを見せる。
「兄のレナード・マスケインは、レナード・メカニックス社の現当主ですから」
「えええっ!?」
「ですから、自社の製品が修理中に事故を起こしたことを揉み消すだとか、修理代を立て替えるくらいは任せてくださいっ」
「ええええ……」
なおも驚くニールを尻目に、ノルンは作業場の中を再度歩き始めるのだった。
◆ ◆ ◆
三十分後。
案の定、騒ぎに気が付いたトムロインによってニールは叱責を受けていた。
「お客さんを修理途中のビークルに乗せるやつがあるかっ? ご令嬢に怪我が無かったから良かったものの、下手すりゃ店が潰れてたぞ?」
「トムロインさん、そんな怒らなくても……別に大事にはならなかったんですし」
「ノルンさん、こいつは昔から抜けてまして。 こうやって言い聞かせないと分からんのですよ」
トムロイン――――ニールの祖父は、苛立ちを隠さずに文句を言い並べる。
腰が曲がった小柄な体躯、癖のある白髪、広いデコには深い皺。トムロインは気難しそうな表情でニールの背中を睨みつける。
「……」
ぶすっとした表情で、ニールは作業場に開いた穴を塞ぐ作業を続けているが、彼も自分に非があるのは内心では分かっている。
分かっていても、身内からの……それも育ての親からの言葉には反発したくなるのだ。
「そ、それにしても、ニール君は私と同い年ってことは、来月からはマスケイン士官学校に通うことになるんですよね?」
二人の険悪な空気を取り繕うように、ノルンは話題を変えることにした。
しかし、それもまた、二人には触れてはならない急所の話題。
「行かせやしないですよ、ノルンさん。 こいつには修理屋の技師として働いてもらうんですから」
「え、そうなんですか?」
「そんなのは爺さんが勝手に言っていることだろう? 俺は奨学金でもなんでも使って仕官学校に入るんだからな」
「お前なんぞに奨学金を出すものかね」
「なんだって……っ」
「あ、あちゃー……」
ノルンはこれ以上仲裁に入れば、逆に口喧嘩が酷くなると察したのか口を紡ぐことにした。
「ノルンさんも、もうこんな汚い作業場に残ってもらわなくてもいいんですぜ」
「はぁ……」
「そうだよ。 こんなボロい店、すぐに潰れるんだから」
「んだと?」
「俺はヴァルフィッシュの心臓部で技師として働くんだ。 それが俺の夢なんだから」
「そいつはお前の父親の、ベンの夢だろうが」
「違うね」
「ったく」
ぷい、と両者はそっぽを向く。
ノルンは自分が何も喋らず、その場に居るだけでも二人が口論を始めたのを見て、今日のところは退散することにした。
「私は来月から仕官学校に入ることに決まっています。 もしも、ニール君が奨学金をもらって通うことになったら、よろしくお願いしますね。 今日のところはこれで失礼しますけど、弁償の件は気にしないでください。 修理代金や作業場の破損に対する賠償も、マスケイン家のほうで処理しますので」
「そ、そこまでしてもらわんでも……」
トムロインはうろたえたように腰を低くする。
「いいんです。 トムロインさんには昔からお世話になっていると父からも聞いていますし、このぐらいは」
「そうまで言ってくれるなら、わたしはそれで……」
ノルンに頭を下げるトムロインを見て、ニールはふんと鼻を鳴らす。
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ヴァルフィッシュ――――それは、残骸と呼ばれる特殊な半金属の海を重量制御ユニットによる膨大な斥力で押し進む巨大船のことだ。
数百万人の人々を乗せた船は、太陽の熱波により乾いた大地を、水と資源を求めてひた進む。