兄と緒方健一
―――『それでね、その兄弟ってとても愉快なのよ。お兄ちゃんの方はぶっきらぼうだけど結構男前でさ、特に弟くんがさ―――、やたら可愛らしいの―――』
『なんだ―――、絵梨も気になってたの。目ざといわねえ』
『恵だってそうなんでしょ。それ、お互い様じゃないの?』
一方、アラジンのホールから離れた廊下の片隅では、兄の起こした騒動とは一転、
若き女性二人のお喋りが華を添えていた。
しかし、互いの名を呼び合う“絵梨”と、“恵”といえば―――、昨日、ここアラジンの事務所に居た胸元の大胆な絵梨さんと、ついさっきキャッツで出会った恵さんだったのだ。
そう、どうやら二人は仲の良い関係にあったようだ。だからタクシーを降りてから恵さんのとった不可解な行動にも、やっと頷けた。
“か、片桐様――――――っっっ!!!”
『―――ねえ絵梨、なんか聴こえない?。叫び声みたいだけど』
『表で騒いでるみたいね。どうかしたのかしら?』
それはホールから聴こえる山手支配人の叫び声だった。
『そんなに騒ぐことないだろ?。たいした傷でもないんだからさ』
『そ、そんな問題じゃないだろっ―――、分かってるのかお前っっ―――!』
『分かってるもなにも、それを承知でやったことだからな』
山手支配人に向けて、兄は平然と言い放った。
『しょ、承知だとお――っ!。お、お前の言ってる―――――』
『―――ちっ、何の・・・恨みがあるってんだよ?』
山手支配人の背後から、起き上がったばかりの片桐の声が聴こえた。
『ああっ、―――片桐様っ!』
『ペッ―――!、世間を舐めてんじゃねえぞ、お前なあっ―――!』
真っ白なソファーに吐き出された真っ赤な血が、場違いのようにやけに鮮明に映っていた。
『やだっ、あの兄弟じゃない―――っ!。ここで何やってんのよ―――!』
『ねえ恵―――っ、警察呼んだほうがいいんじゃないのっ?』
恵さんと絵梨さんも、やっと店内の騒動に気付いたようだった。
『―――ちょっと待ってっ!、あの子たち訳ありのようなのよ、―――きっと』
絵梨さんに向けて恵さんが静止をかけた。
『そう言えばあの二人、ゆうべもおかしな行動だったわ』
『そうなの、絵梨?』
徐々に現場に近づきながら、様子を窺う絵梨さんと恵みさんだった。
『お父さんを探すんだって―――言うから、まるで冒険旅行みたいねって、弟くんに言ったの。わたし―――』
『冒険旅行って―――?』
『―――具体的なことって分らないの。ただ、何となく―――危なげでさ』
『ああ―――、そういえば緒方っていう男に会うんだって・・・言ってた。あの二人』
『誰のこと?、緒方って』
『さあ、よくは知らないけど―――』
『だって、あそこに居るのは歌手のジョー片桐でしょ。緒方って人なんて知らないわよ、あたし』
絵梨さんにしても、まったく理解出来ない恵みさんの証言だった。
『どうするの恵、行ってみる?』
『う、―――うん』
気持ちの定まらないまま、二人は恐る恐る足を踏み出した。
『ん、んん―――っ?』
ホールの隅でぎこちなくやり取りしていた二人の気配を、兄の敏感な嗅覚がすかさず捕らえていた。
『おおっ!、なんで、どうしてここに居るんだよあんた?。黙って行っちまうもんだからさ、何処に行ったのかと心配してたんだぜ―――』
兄の目先の心配事は、目の前の片桐をまるで無視するように恵さんに向けられていた。
『あっ、ああ・・・。ごめん絵梨、気付かれたみたい』
『仕方ないわ。この際だから乗っちゃえば』
そんな絵梨さんにしても、開き直るしかない状況のようだった。
『あれ?、あんた―――確か、この店の?』
ようやく兄も、絵梨さんの存在に気付いたようだ。
『ああ、絵梨さんっ―――!』
そんな僕にしても、片桐を無視して二人のほうに目を向けていた。
『そうそう絵梨って聴いたよな、あんたの名前』
『・・・。大丈夫なの、あんたさ?』
『何が?―――どうしてだよ?』
乱入した乙女たちのもてなしを余裕でこなしている兄は、まるで片桐を無視続けることとなる。そんな兄の無神経さには、さすがの僕にも脱帽ものだった。
『おいおい・・・余裕かよこの野郎っ―――!』
さすがに放置されっ放しの片桐は、いまや爆発寸前の形相だった。
『へっ―――、余裕で悪いのか?、この野郎』
相反する兄の反論ときたら、呆れるほど余裕そのものだった。
『けっ、育ちの悪そうなガキだとは思っていたけどよ。お前らの探してる親父の面が想像出来るってもんだぜ』
『へへっ・・・。育ちのお粗末さはさ、あんただって似たようなもんじゃねえのか?』
片桐の言葉を借りるように、兄はもったいぶったように応えた。
『なっ、貴様っ―――!』
片桐が勢いよく兄の胸ぐらを掴んだ。
『誰に向かって言ってるのか分ってるんだろうな、お前?』
『自己紹介してもらったっけ?』
『な、何だとお―――っ!?』
片桐の両手が兄のシャツの襟元を強引に引き寄せた。二人の顔と顔が間近に迫っていた。
『へっ―――、何もったいぶってんだよ。いいから、俺の名前を言ってみろよ。なあ、お兄ちゃんよ』
まるで兄を挑発するかのように、片桐が口元を尖らせて言った。
『で、どっちの名前がいいんだよ、あんた?』
『はあん?、どっちだってえ?』
『そうさ、どっちがいいんだよ。今は片桐って呼んでたほうがいいのか?―――それとも、緒方健一―――のほうが実感があっていいのかよ?―――実際』
片桐の耳元に顔を寄せ、いやらしく兄が囁いた。
『―――な、なにっ――――――っ!』
予期せぬその兄の囁きに、さすがに片桐は声を失っていた。
『困ったもんよだなあ―――。今さら緒方なんて呼ばれてもさ、あんたもどうしたもんだか』
ようやく兄の本題が、緒方健一に届けられた瞬間だった。
『お、お前な――――――っ!!!』
取り乱すかのように片桐が、掴んでいた父の襟元を更に持ち上げた。
『―――!。緒方って、まさかその人のことなの?』
恵さんの疑問が思わず飛び出していた。
『緒方って――?だって、ジョー片桐さんだよ、その人』
『そ、そうだっ―――!、失礼だろお前―――――っ!!』
絵梨さんが常連客の片桐を擁護するとすぐに、続けて山手支配人も片桐側の弁護人に就いていた。
『緒方健一に間違いないよ―――っ!。だって、その人―――お父さんの仇だもんっ!』
熱くなっていたのは兄だけではなかった。僕にしても目の前のジョー片桐の素性をすぐさま暴きたかったんだ。
―――その男は、紛れもなくあの緒方健一に間違いないのだから―――。
『仇って―――、どういうことなの。ねえっ、高志くん!?』
そばにいた恵さんが純粋に疑問を沸かせていた。
『お前らなあ―――、もういい加減にしろって。さっきから訳の分かんないこと言いやがってよ。なあ―――、この俺にどうしろって言いたいんだ?』
呆れたように僕たちの顔を見定めた片桐は、兄の襟元に絡ませた両手を仕方なく解いた後、そのままソファーに蹲った。
『―――おい、煙草だ―――っ』
余程苛立っているのだろうか、片桐は隣の女性に向け荒く右手を差し出した。
『・・・。都合の悪いことでもあるの・・・、ねえ、健ちゃん』
『―――っ!。お、お前な―――っ!』
無意識にその女性が口にした“健ちゃん”という名前に、やはり片桐が過剰に反応していた。そしてその女性に差し出したはずの右手は、意を反して彼女めがけて大きく振り上げられていた。
“ビシャッッ――――――”
『な、なっ―――っ―――っ!?』
右手を振りかざした片桐の顔面に向けて、コップに入った水が勢いよく浴びせられた瞬間だった。
『へへへっ―――、どうしたよ、“健ちゃん”?』
―――やはりそれは兄の仕業だった―――。
『て、てめえ―――っ!』
身を乗り出した片桐は、自分の素性を暴露するかのように狼狽していた。
そんな片桐を横目に、さっきから身を縮めていた女性はすでに涙目で震えていた。
『心配しなくていいよお嬢さん。別に犯罪に手を染めたって訳でもないよ、こいつはさ』
その女性を救うかのように、兄がもっともらしく声を掛けた。
『ふ・・・っ、だからどうしたってんだ―――。そうさ、俺の本名は緒方だよ―――。お前らの言うとおり―――緒方健一に間違いないぜっ!』
開き直ったのか、ついに自ら緒方健一の素性を明らかにした片桐だった。
『そうか、だったら話が早いや。なあ―――小森靖志って覚えてるよな』
『小森―――??』
『そう、トウチクの小森ゆうじとも名乗っていたっけなあ?』
続けて兄は、緒方健一の記憶を手繰り寄せるべく、父の過去に踏み入った。
『あ―――っ、何となく覚えてるぜ。そうそう―――、俺を追っかけてこの町に来たっけなあ、あの男。へへっ、てんで間の抜けたことを言ってたぜ、奴はよ。―――そうか、その小森の息子ってわけだ、お前ら』
『そう、まさにその通りなんだなあ』
『で、まだ生きてんのか、親父?』
『どうだかな―――?』
『なんだよ無責任な言い方しやがって。お前らの親父だろ?』
『じゃあ―――、こうするか。あの小森ゆうじは死んだよ。あん時のあんたの酷い仕打ちでさ』
『はあ――っ?俺の仕打ちって、何のこと言ってんだよお前さ?』
あの時のおでん屋で起こした暴力沙汰なんて、すでに片桐の記憶からは消え去っていた。―――それもそうだろう。所詮、酔った勢いの上で起こされたいざこざの一つに違いなかったのだから。
『なあ、おでん屋って覚えてるか?』
『んん―――おでん屋?』
『そうさ、グランド・キャニオンってキャバレーの近くにあったろう?。赤提灯のさ』
『あ、ああっ―――そうそう、あのくそ不味いおでん屋だっけな。へへっ、思い出したぜ。あの親父ったらよお、こんな時期でも平気でおでんなんて出しやがってさあ、そんなもん誰が食え――――――!?』
一瞬、片桐の口が止まった。
『んんっ?―――ああっ――――――!!』
そしておもむろに大きく目を見開いた片桐には、やはり充分な心当たりがあったようだ。
『思い出したようだな。緒方健一さんよ』
『仇って言ってたのは―――、まさか、あの時の―――っ?』
そして、ようやく緒方健一の素の顔が、僕たちの前に正体を顕したのだ。
『な――に、あの当時はお互い訳ありの小競り合いみたいなもんだろう。仇ってほどの大袈裟なもんじゃねえやな、緒方さんよお?』
『―――何が言いたいんだ?お前』
『言いたいことはあんましねえけど、訊きたいことは結構あるぜ』
『訊きたいことだ―――?』
『そう―――、あんたの歌に対する情熱は何処にやったんだよ?』
『ふっ―――、甘ったれたことほざいてんじゃねえよ、てめえ』
『歌の世界を全うするのにはな―――、覚悟の情熱が必要なんだってさ。ある偉人が言ってたよ』
服部良二のあの時の真摯な言葉を、ちゃっかりと兄は懐にしまっていたようだ。
『だから―――、それがどうしたってんだ?』
『小森ゆうじの情熱を奪った奴郎がさ、おれは憎くてさ―――』
『だから、なんなんだよ―――っ?』
『憎くてどうしようもないんだよな―――。親父の覚悟を反故した野郎がよ』
父の情熱と、覚悟の深さを改めて噛み締めるように、兄の憤りは確実に緒方に迫っていた。
『ち――っ、情熱なんて甘っちょろいことを言ってんじゃねえよ。売れるか売れないか、それだけがこの業界の習いだぜ。他に何もありゃしねえよっ!』
さすがにこの業界に居残っているだけのことはあるようだ。緒方は、ジョー片桐として当たり前のように持論を吐いた。
『さすがに売れっ子ともなると、雄弁だよな』
『へっ、売れてなんぼの世界だろうが?。お前の言う情熱なんて空言は、負け犬の勲章じゃねえのか?』
『―――たとえ負け犬だろうとな―――、自分の人生をそう簡単に卑下することなんてしないぜ』
『ほ―――っ、さすがに負け犬の血統だよなあ――。その立派な強がりには貫禄さえ覚えるぜ。なあ―――、親父も同じこと言ったのか?、お前に。俺に負けて情けなく強がっていたのか?』
『負けたって?、―――親父がか?』
『だってそうだろうよ。歌うことを辞めたんだよな、あいつ―――?』
『―――ああ、確かに歌い手からは手を引いたようだけどな』
『ほれ見ろっ!、それが負けたっていう何よりの証拠だぜ――っ。は―――っ、情けない人生だよなあっ!』
『―――。そう言うあんたは、立派なのか?』
疎らな顎髭を指先で撫でながら、まだ兄は冷静さを残しているようだった。
『俺の得意な歌で稼いでるんだ。これ以上立派なものって、そうそうはないだろう?。違うかあ―――』
『ふ―――ん、立派ねえ・・・』
そんな緒方の慢心にも、兄は平常を保っていた。
『しっかしよお―――っ、お前のしでかした悪ふざけの落とし前は、どうするつもりなんだよ?。んん―――っ?』
大勢の客の前で恥をかかされた緒方の、それは勿論、正当な請求でもあった。
『なんだ聴いてないのかよ。親父の仇って言ったろ、さっき?』
『だからその仇って何だよっ?、どういう意味かって訊いてんだよお―――っ!!』
兄よりも先に、緒方の頭の方に血が上ってる様子だった。
『おでん屋でのこと思い出したんだよな。さっき、あんた?』
『―――ああ、覚えてるよ。あいつしつこく迫ってきたからなあ、ついぶっ飛ばしてやったぜ。あんときは俺も相当酔ってたからなあ―――、へへっ、小突いた程度だよ。そんな大袈裟じゃねえよ』
やっと緒方としての記憶が、この場で明らかにされた。
『そうか、それじゃ倒れた勢いで逝っちまったってことだよな―――、実際』
『―――ま、まさか―――!?』
『はん―――、その顔は知らないってことか』
『そんな馬鹿なっ・・・!、あ、あんなことで死ぬわけ無いだろがあっ―――!』
『だからあ、さっきから何度も親父の仇って言ってるだろ。言葉を汲んでくれよな―――緒方健一さんよお』
『変なこと言うんじゃねえぞっ!。はは―――ん、さてはお前ら、俺を脅迫するつもりだなっ?』
兄の調子に乗った狂言に、緒方は次第に追い詰められていくのだった。
『そうだ高志、まだ親父の墓参りしてなかったよな?』
『う、――うん、そうだったよね』
『高志、悲しいのはおれだって一緒だぜ』
『お兄ちゃん・・・』
『お前っ―――、お前らなあっ、変な冗談言ってんじゃねえぞおっ―――――!』
僕を巻き込んでの兄の即興の芝居には、ようやく迫真の部分が備わってきたようだ。たった今、緒方の見せた動揺がそれを証明してくれていた。
『冗談かどうかはあんたの目で確かめたらどうだよ?。良ければ今から案内してやってもいいんだぜ。親父の眠る墓にさ』
『――――――っ!』
『いやいや、やっぱりあんたこそ親父の墓に行くべきだよ。そして自分の起こした事の顛末を償うべきじゃないのか?』
更に調子付いた兄は、緒方を挑発するようにもっともらしく加えた。
『な―――っ―――!』
やはり言葉を選べずにいた緒方が、兄のその挑発にまんまと陥っていた。
『―――どうしたよ。仮にもあんたの実力を見初めて追っかけて来たほどの男だ。しかもおれたち家族を捨ててまでってなあっ。へっ―――とんでもないでたらめな奴だったけどな』
『俺に、どうしろって―――?』
『少なからず小森ゆうじという男に係わったんだろ?あんた。―――だったら、報告したいこともあって然るべき―――じゃ、ないのか?』
何処からか雄弁さを手に入れた兄の言葉には、実に貫禄が備わっていた。
『―――ちっ・・・、そんなもんある訳ねえだろ。はなっからあいつの―――、自己満足じゃねえか。俺には迷惑な話ってもんだぜ』
『けっ、どこまでも男気のない野郎だよな―――っ!』
『簡単に言うぜ、―――ったく』
さっきまで興奮状態だった緒方が、何故か言葉を鎮めていた。そもそも兄の迫真の演技にも限界があるというもの。冷静に緒方を見つめる兄の口元が、次第に緩んでいくのが見とれていた。
『どうした―――、やけに神妙だよな?』
『へっ―――、俺の何を知ってるんだよ―――お前ら―――』
力なくソファーに蹲った緒方は、煙草を手に入れるとすぐにマッチに火を点した。揺らめく紫煙に目を細めながら、何処か感慨深げに天井を仰ぎ見ていた。
16歳で歌の世界に突入した緒方少年には、勿論、様々な人との出会いがあったはずだ。その中でも興味深い出会いの一つに、実は小森靖志の姿を思い浮かべていたのだ。
そんな予期せぬ鎌倉の地での再会に、さぞ面食らった緒方健一だった。しかもクイーン・レコードという弱小企業に身を置く緒方にとっては、小森靖志との再会には特別な意味合いを感じていたはずだ。
それは近い未来の出世噺に心が動かぬはずもなかった。“トウチク”移籍に依存する緒方の期待は、この時、絶頂を向かえていたからに他ない。
しかしその期待も空しく、まさかの父のクイーン入りを聴かされた緒方の動揺は、底知れないほどの挫折感も同居するのだった。
酔いに任せた稚拙な小競り合いに見えたあの一件は、緒方健一にとっては最悪の事態だったのだ。
『本当に死んだのか―――、あいつは?』
『ああ―――、小森ゆうじはな』
『―――やっぱりな。ちっ、回りくどい言い方しやがってよ』
兄の言い回しに呆れたように、緒方が突っ込みを入れた。
『隣いいかよ?』
『ああ、勝手にしろよ』
『そうさせてもらうわ』
そう言って緒方の横に腰を降ろした兄だった。不思議にもあれほどの憎しみを抱いていた緒方の隣に、違和感無く兄は座り込んだのだ。
そう、兄には感じ取れていたのだ。緒方健一の抱える過去の苦悩の数々を、悪ガキを通した兄の嗅覚が今、それを受け入れようとしていた。
『―――小森靖志は―――、生きてるんだろ?』
『そうみたいだな・・・』
『その様子じゃ、まだ会っていないみたいだな。―――どうだ―――吸うか?』
兄のほうに目をやった緒方は、おもむろに煙草を一本取り出した。
『―――ああ』
差し出された煙草を兄が口にくわえると、緒方がさっと火を入れた。
『ちっ、洋モクかよ―――』
『贅沢言ってんじゃねえや、この野郎』
辺りを埋めていた険悪な雰囲気は、一転して穏やかな会食の場を取り戻していた。さっきまで直立していた面々も、次第に着席に甘えていた。
『ちょっと―――絵梨さ、どう言う展開なのこれって?』
『し―――っ、黙ってなさいよ恵』
この場に立ち会っていた絵梨さんも恵さんも、ただ傍観するしかないようだった。
『ごめんね絵梨さん、こんなことに巻き込んじゃってさ』
『あっ―――いいのいいの、別に高志くんが謝ることじゃないからさ』
『でも・・・』
どういう成り行きに導かれたのか、不思議に同席している絵梨さんと恵さんには、申し訳のない気持ちでいっぱいの僕だった。
『そうよ、お兄ちゃんに任せておけばいいの。だってほら、結構、様になってるじゃないのよ。あの貫禄って』
恵さんが指摘するそんな兄の貫禄には、さすがに僕でさえ目を疑いたくなるような特別な光景だった。




