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いざ、アラジンへ!

―――『そうするうちにさ、うちの店に辿り着いたってことらしいわ。ほんと偶然よねえ・・・』

孝子さんは声を細めて僕たちを見つめた。


『・・・。そういうことだったのか・・・』

頭を掻き毟りながら、兄はいたたまれない様子で声を吐いた。

『ち―――っ。緒方の野郎っ、今頃、なにしてやんだあっ―――!?』

緒方健一への怒りを隠せない兄、その憤りはついに頂点に達していたのだろう。

『お兄ちゃん落ち着いてよ。今さらそんなにむきになったって、解決なんて出来やしないじゃないか?』

『う―――っ、他人事みたいに言うなよっ!。どうしてお前は落ち着いていられるんだよっ!。ちくしょうっ―――!!』

更に熱くなった兄は、立ち上がったと思うとやたら大きく深呼吸をついていた。


『―――確か、横浜辺りで歌っているって、あの人から聴いたことがあるわ―――』

『なっ、ほんとにかあっっ!!。あいつ―――横浜に居んのかあっ!!』

『ち、ちょっと待ってよ強志。―――もう随分前の話だもの・・・定かじゃないわよお』

『ちっ―――!』

怒りが先行した兄は、しばらく冷静さを確保することが出来ずにいたようだ。


『でもね、結局、トウチクを諦めたみたいよ彼って。暫くはこの町で歌っていたんだってさ。きっと―――誰かに調べさせてたのね、そう言ってたわあの人』

『様あねえって。実力もないくせによ、なにがトウチクだってんだよっ―――!』

『けど、どうやら横浜に移ってから名をあげたらしいわ。―――地元の名手の目に叶ったってわけね』

ついにトウチク入りは果たせなかった緒方だったが、歌の世界での成功を手に入れた様子だった。


『―――でもね、その時は緒方って名前じゃなかったみたいなのよ、確か、ジョー・・・何とかって言ってたかしら?』

『ジョーって―――?』


『―――そ、それっ、ジョー片桐のことだよお兄ちゃんっ!。昨日のアラジンのさっ―――!』

『んん、アラジン―――?』

そう、昨日、腹いっぱいにステーキを詰め込んだ、“アラジン”へと話が及ぶことになる。


『ああんっ、もしや、あの―――派手男かあ―――?』

『そうだよっ―――、きっとその派手男だよおっ!!』

まるで予期せぬ方向に話が展開していった。それは、父を窮地へと追いやった緒方の存在とは裏腹に、父の夢の再開の原動力となり得た緒方健一の姿を、交互に模索することとなるのだった。


『あ―――っ!、忘れてたっ!。ねえ孝子さんっ!、今っ、何時だよっ―――っ!』

『どうしたのよそんなに慌てて?。そうね、―――丁度12時を回ったところだけど・・・』

『高志っ、あの時あいつ言ってたよなあ、―――今日の昼にも来いってさあっ!』

『うん、そう言ってたよ。確かに』

『そうだよな・・・。へへっ、面白いことになりそうじゃねえか。まったく興味深いよなあ―――』

さっきまで興奮していた兄が、急に大人しく冷静に頷いていた。

昨日のアラジンでの出来事が、そしてジョー片桐と名乗る男との出会いが、まさに今、運命の風向きは激しく宙を舞い狂っていたのだ。


―――数奇とも呼べるだろう、父と子の鎌倉大船での軌跡―――。

いつしか憎悪にまみれていた兄の父への強い思いは、この地での滞在によって次第に慈しみへと変換されていくのであった。


『ねえっ!、どうしてあんたたち知ってるの?、―――緒方のこと』

驚いたように、そして孝子さんが不思議そうに訊いてきた。

『―――だって、昨日会ったんだもの、あいつとさ』

僕は真っ直ぐに、孝子さんに事実のみを伝えた。

『ど、どうやって会ったのよおっ!。ねえっ―――、あんたたちが知ってるはずがないでしょっ―――!?』


現実の緒方の出現に、孝子さんはさすがに驚いた様子だった。僕の返答に戸惑いを隠せないでいたようだ。

『知ってるも何も、昼飯にビフテキをご馳走してくれるんだってさ、その、ジョー片桐って奴がねえ。まさに美味しい話だよなあ・・・へへっ―――』

孝子さんの様子を無視して、兄は何かを企んでいるかのように薄笑いを浮かべていた。それは静かに、そしてしたたかに意気込んでいた。


『遅れちゃ失礼だよな。折角、お誘いを受けた訳だし・・・。ねえ、タクシー呼んでくれよ孝子さん』

『ああ・・・、そうよね・・・。うん、分かった・・・すぐ呼ぶわ』

まだ話の内容に理解出来ていてない孝子さんは、つい兄の勢いに押されながら、電話機の傍に歩み寄った。


“ガチャガチャッッ―――、ガチャッ――ッ”―――そして、その時だった。


『―――えっ、何っ―――?』

それは、鍵の掛かった扉のノブを回す音だった。


“ドンドンドンッッ――ドンドンッ――――――!”

『―――ねえ、孝子さん居るのお―――っ?。ねえっ!、孝子さんってばあ―――!』


店の扉を激しく打ち付ける音と同時に、孝子さんを呼ぶ女性の声が扉越しに聴こえていた。

『あっ・・・!』

どうやらその声の主に、孝子さんは聞き覚えがあったようだ。

『ねえっ―――、居るんだったら応えてよ。ねえったらあっ―――!』

『―――。恵ちゃん?』

慌しい訪問客の特定が出来たらしく、孝子さんが扉の鍵を外しにかかった。


“バタンッ――――――!”

『なんだ、やっぱり居たのね。も――う、心配したのよお』


そう言いながら店内になだれ込んで来た女性は、“恵ちゃん”という名前の、相当、若い女性だった。

『あぁ―――っ!?』

と、すかさず兄が、その若き訪問客に反応した。

『え、ええ―――っ!』

その兄の声に反応したと同時に、その若き女性はしばしその場に静止していた。

『あ―――っ!、あの時のっ!!』

つい、つられて僕まで、驚きの連鎖に加わっていた。

『―――なんだ、やっぱり訳ありの客だったのね、あなた達』

僕たち兄弟の存在を肯定するかのように、その若き女性が呆れたように応えていた。


『やっぱりって―――、恵ちゃん知ってるの、この二人のこと?』

『ははっ・・・。そうそう、訳ありかもしれないなあ、おれたちさあ―――』

どういう訳だろうか、すかさず兄が体裁を整えていた。それもその筈だろう、目の前に立っている若き女性、“恵ちゃん”とは、昨日、偶然に大船駅ではちあわせた、魅力的な白いTシャツに、真っ赤なミニ・スカートを纏った女性に間違いなかったからだ。

『―――心配してたのよお、孝子さんの店に危害が及ばなければなんてさ』

『危害って、どういうこと―――?』

『だって怪しい兄弟がさ、この辺をうろついてたの。しかもね、キャッツって店知ってるだろうってさ、いきなりあたしに言い寄って来たの。怖かったわあ・・・ほんと!』

『えっ、そんなに乱暴だったの。強志―――、あんた―――』

今さら兄の悪役的存在は、珍しいことでもなかった。


『あのね―――、そんなことあるはずないでしょお・・・。考えてもみてよ孝子さんさあ。こんなガキみたいな女にさ、なんでおれが言い寄るんだあ・・・?』

『な、なんて失礼なの!、あんたねえ―――』

『どっちが失礼なんだよおっ!、でたらめじゃんか、おまえの言い分わよおっ―――!!』

負の気性を抑えて上手く立ち振る舞うつもりの兄だったが、彼女の勢いについ、粗悪さが出てしまっていた。

『ねえっ、あんたたちさ、少しは落ち着いたらどうなのよおっ!』

堪らず孝子さんが、間に言葉を入れた。

『だ、だって―――』

『いい加減にしろよなあ―――っ、まったく』

これ以上の反発には利点が見えなかったのだろう、お互いに口を慎む準備が整っていたようだ。


『ごめんねえ・・・恵ちゃん。こんなんでさあ・・・』

孝子さんが申し訳なさそうに、“恵ちゃん”に声を掛けた。

『―――ねえ、怪しい兄弟ってさ、もしかして僕たちのことなの・・・?』

間を空けてから、僕はとぼけたように話を蒸し返していた。

『―――!、そんなことはどうでもいいんだよっ!、馬っ鹿じゃないのかあっ、おまえわあ―――っ!!』

苛立ちを隠せず、すぐさま僕に向けて兄の罵声が飛び散った。しかも兄の右手は僕の後頭部を強くはたいていた。

『痛っ――っ!』

思わず前のめりになった僕は、つい恵さんに目を配った。

『な、なんてことすんのよあんたっ!、弟だからって、八つ当たりはないでしょっ!』

恵さんが僕の傍に駆け寄り、そっと両手で僕の頭を抱擁してくれた。


『ちっ!、高志なあお前、甘えてんじゃねえぞおっ・・・』

『どこまでも野蛮人なの、あんたって人わっ―――!?』

『へっ、野蛮人ってかあ?。どんだけお嬢様なんだよ、おまえわよお―――っ!』

『ねえ強志、ちょっとお・・・!』

呆れた孝子さんが仲裁に入りかけた。

ついさっきまで収まりかけていたこの場の雰囲気が、残念なことに悪化の道を突き進もうとしていた。


『お嬢様って・・・!、一体、あんた何様のつもりなのよっ―――!?』

『なんだあっ?、―――おまえこそ正体をみせろよおっ―――!!』

恵さんの前についに兄が言い寄った。けれど何故に兄はこれほどまで執拗に恵さんに絡む必要があるのだろう―――?。

主たる緒方健一に注がれた興味とは何処か違った何かが、兄の中で芽生え始めていた。


『も――う、いい加減、静かにしてちょうだいよおぉぉ―――っっっ!!』

兄の罵声に触発されたのだろうか、理性を無くしたかのように孝子さんが、甲高く大声を張った。

『――――っ!。―――あっ、はい・・・』

まるで堰を切ったような孝子さんの咆哮には、さすがに驚いたのだろうか、兄は即座に沈黙に応じていた。


渦中の緒方健一の信じられない出現が、終始冷静を装っていた孝子さんの脳裏に混乱を与えずにはいられなかった。しかも、予期せぬその緒方との面会話が浮上した今、どうしようもなく心の焦りは迫り喘いでいた。

そんな切迫した最中での、突然の恵さんの訪問。―――それに続く兄と恵さんの稚拙な罵りあい。終いには、要領を得ない僕への兄の罵声―――。

手前勝手なそれぞれの小競り合いに、孝子さんの我慢は限界を超えていたようだった。


―――そうだ。きっと一番そっとしておいてもらいたかったのは、孝子さん自身だったのかも知れない―――。


『ああっ―――!ごめんなさい・・・わたしっ―――』

即座に我に戻った孝子さんは、その場を濁すかのように口篭っていた。

これ以上の冷静な話し合いなんて、誰が引き受けるのだろうか?。この僕自身でさえも、避けて通りたい程の一場面だった。


『ね、ねえ孝子さん―――、お父さんって、いい人だったのかなあ・・・』

何故に父を按ずるかのような素朴な僕の質問は、ただ、この場を凌ぎたいばかりの単純な逃げ口上だった。

『・・・。うん、いい人だった。それは―――間違いないわよ』

少し間を置いて、そして孝子さんのしみじみと漏れ出す返答。その表情はとても満足気に映し出されていた。

『そう、それで安心した。ありがとう孝子さん―――』

自信溢れる孝子さんの言葉に、僕自身が救われたような気がした。

長い間、母の苦悩に喘いだ生活の臭いは、僕たち兄弟の耳鼻に強く根付いていた。それを拭い取る方法は、唯一、僕たちを捨てた父を憎むことでしか報われなかったのだ。

それはまるで架空の人物に憎しみを向けるかのように、まるで行き場の無い、意味を持たない浅はかな行為だった。


『ああっ・・・!、さっきは、ごめんね・・・。取り乱したりして、わたし・・・』

『気にすることなんてないよ。お父さんに係わった孝子さんの苦労なんて、誰も知らないんだから。謝るのはむしろ僕たちの方だよ―――』 

萎縮していた兄をいいことに、ここぞとばかりに僕が正論を唱えた。そのついでを拝借して僕は、父の撒き散らす苦労癖に、皮肉っぽく言及していた。


『―――高志くん』

『孝子さんが居てくれたお陰でさ、やっと、お父さんのことを知ることが出来たんだよ。ありがとう、孝子さんっ!』

『―――高志、お前って―――っ』

『どうしたのお兄ちゃん、そんなに難しい顔してさ?』

『ああっ―――、いやっ!』

躊躇いがちに兄が、僕に何かを言いたげだった。

『そうか、孝子さんに言いたいことあるんだよね、お兄ちゃんもさ?』

孝子さんに委ねた父への回想録には、兄にしても敬服を持たざるを得なかった。それ程の貴重な僕たちの父の軌跡だったからだ。


『あっ・・・、ああ、言いたいことなんて幾らでもあるぜ、親父が世話になってたようだしなあ・・・。んんっ、現におれ達もだし―――』

急に話を振られた兄は、天井に向けての思案の最中だった。

『うふふっ!、やっぱり何にも考えていないようね、お兄ちゃんの方わっ―――!』

さっきまで苛立ちの最中だった恵さんが、ちゃめっ気たっぷりに兄の弱点を暴露していた。

『な・・・っ!、だ、黙ってろよ、お前わぁ―――っ』

『な、なによ黙ってろってえ――っ、そんな乱暴な言い方ってないでしょっ!』

再び凝りもせず、この二人の低次元の言い戦いが始まった。


『も―――う、いい加減にしなさいよおっ、あんたたちさあ――っ!!』

やはり案の定、孝子さんの雄叫びがキャッツの店内に大きく響き渡った。

『――――――っ!』

途端に萎縮した兄と恵さんはというと、お互いの顔色を窺いながらも、休戦に応じるしかなかったようだ。

『ふう――っ、それにしても驚いたわよねえ。ここにきてさ・・・、あの緒方がなんてさあ・・・』

さほどの驚きを見せてはいない孝子さんだったが、本当は、やり切れない思いでいっぱいだった筈だ。そんな孝子さんの言葉には、精一杯の強がりさえ感じられていた。


誰しも予期せぬ出来事に戸惑うこともあるだろう。この度の父の思い出話にしても、僕たち兄弟の突然の訪問が起因になったことは明らかな事実だった。

当の孝子さんにとってみれば、治りかけた傷口に塩を擦り込まれたような痛みさえ覚えたのかも知れない。


『―――ごめんね、孝子さん・・・。お父さんがさ―――』

言いたいことの殆どを喉に詰まらせた僕には、それ以上の言葉を送り出せないでいた。

『ねえ、もう行かないと遅れちゃうんじゃないの?、あんたたち』

『あっ、そうだ!。アラジンだよ、お兄ちゃんっ!』

『おっとそうだった、孝子さんタクシー呼んでよ!』

恵さんの突然の乱入に、つい急用を延ばされた僕たちだった。


『アラジンっ・・・て、駅前のステーキ屋さん・・・のこと?』

『―――知ってるの、恵ちゃん?』

『―――う、うん』

恵さんがさも当然のように応えていた。

『じゃあ恵さんも行こうよ!。ねえ、いいでしょっ?』

『えっ―――、お昼ご馳走してくれるの?』

『そんな悠長な話なんていいからよ、とっとと行こうぜっ!』

そしてどういう訳か、兄は恵さんの手を引いて進み始めた。

『やだっ、乱暴にしないでよおっ―――!』

『なっ、乱暴になんてしてないだろがあっ!!』

―――またまた、兄と恵さんの再戦勃発が危惧された。


『あんたたちっ―――!』

『ああ、―――ごめんなさいっ』

やはり孝子さんのひと睨みには、従順な兄だった。


『表通りに出ようぜ、その方が早いやっ!』

『ねえ早く、孝子さんさっ!』

『・・・・・・』

『どうしたの孝子さん。―――ねえ、行かないの?』

孝子さんは店先に佇んだまま僕の問い掛けを他所に、俯き加減に両手を胸の前に添えていた。

『なにやってんだよ孝子さんっ!。緒方に会うんだろ――っ!?』

更に兄が孝子さんを追い立てていた。

『やめておくわ・・・わたし』

『ええっ、なんで、どうしてだよ?』

聞き取れないくらいの小さな声で、孝子さんが呟いていた。けれどその小さく漏れ出した言葉の中には、孝子さんの精一杯の覚悟の思いが込められているようにも聴こえていた。

『どうしてだよ。なあ、あんたにも会う理由があんだろ、あの緒方によおっ!』

『―――だってさ』

『だってもくそも無いだろっ!、親父を裏切った男だぜえっ、あのクソ野郎はよおっ!!』

兄は激しく緒方のことを罵っていた。まるで父の仇を討つかのように。


『他人・・・なんだもの、・・・わたし』

『はあっ、なんだって―――っ?』

『だって―――、わたし他人なんだものっ!。あなたたち親子の間になんて―――入れないじゃないよお―――っ!』

孝子さんの覚悟とは、僕たち兄弟の突然の訪問の瞬間から決まっていたようだった。


僕たちが夕べキャッツに辿り着いた時、店から出てきた孝子さんの吐いた一言を僕は思い返していた。

“―――あの人を連れ戻しに来たの―――っ”

叶わない関係を自負しながらも、父の傍で10年間も生計をともにした孝子さんにとってみれば、僕たちの訪問はある意味、許されざる“乱入”に等しかったのかも知れない。


『孝子さん―――』

僕には、そんな孝子さんがとても愛おしく思えて仕方なかった。

『・・・。うん、それじゃあおれが代わりに奴をぶん殴ってきてやっからさ、孝子さん、あんたここで留守番たのんだわ』

『分かった・・・。でも、無理はしないでよね強志・・・』

そんな孝子さんの心境を、さすがの兄も察知していたのだろう。ほんの少し笑みを浮かべながらキャッツの看板を見上げていた。


『ねえ、いったい何のことなの?。あたしにはさっぱり判んないわ・・・』

案の定、恵さんが異論を唱えた。

『―――現地に行けば判るさ。さあ、行くぜっ!』

兄は再び恵さんの手を取り、表通りへと駆け出した。

『も――う痛いってえっ!』

『我慢しろよっ!、馬鹿野郎っ!!』

『馬鹿って――――』 

そんな稚拙なやり取りを繰り返しながら、僕たちは目的の場所、アラジンへと向かった。



『ねえ、さっき言ってた緒方って・・・いったい誰なの―――?』

ほどなく乗り込んだタクシーの中で、今まで話の外にいた恵さんが、興味深そうに訊いてきた。

『そうか、恵さんは知らないんだよね、緒方って』

『でっ、なんで関係ないお前が着いて来てんだよお―――っ?』

『なんでって―――っ!、あんたに引っ張られて来たんじゃないのっ!。酷い言い方をするわよねえ―――っ!!』

確かに兄は、恵さんの腕を掴んだきり一向に離そうとはしなかった。

『まさか、おれが・・・か―――?』

とぼけた様に兄は僕の方を見やった。

『うん、ずっとお兄ちゃんに引っ張られてたよ、恵さん』

『はんっ、そういうことか・・・』

やっと自分の行為に納得したのだろう、兄は恵さんの顔をじっと眺めていた。

『やだ、なによ・・・』

『不細工かと思ったけど、結構まともな顔してんだな、おまえ―――』

『まとも・・・って―――?』

『ははっ、とても可愛いってことだよ恵さん、よかったね褒めてもらえてさ』

『な、なに言ってんだよ高志っ!。お、おまえな―――っ!』

兄の繰り出す歪な表現は、決まって照れ臭さを濁す時に用いられていたようだ。

正直な気持ちを告げることに不器用な兄の、つまり常套手段だったのだ。

『そ、そんな、からかわないで・・・よおっ―――』

恵さんにしても照れていたのか、それっきり車外に顔を向けたままだった。


『―――お客さん、もうそろそろだよ』

タクシーの運転手さんが、おもむろに到着の合図をほのめかした。

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