父の戸惑い
『さ――あぁ、帰るとしようか・・・ねえ・・・。なあっ・・・小森、おいっ、小森・・・くんよおぉ――っ!』
随分と酔いの回った口調の安田が、勢いよく席を立った。
『大丈夫なのかよ、安っさん?』
『ううん・・・、な、何が・・・大丈夫ってんだ・・・よお・・・?』
『ほらほら、足元がふらついてんじゃんか』
『お――っ、何だよ・・・ふらついてちゃ・・・、悪い・・・か・・・よ?』
『悪いなんて言ってないだろ、絡むんじゃないよ。もう喋んなくていいからさ、帰るんだろ?、ねっ、安っさん!』
『ああ・・・、勿論・・・帰るぜえ・・・』
大きくふらついている安田の肩を抱擁するように、父が介抱役を買って出た。
『大丈夫なのかい、靖っちゃん?』
安田のだらしない酔い加減を横目に、おかみさんが父のことを気遣いながら声を掛けてくれた。
『ああ、何てことはないさ。おれも散々、他人に面倒みてもらったからな。お鉢が回ってきたってことだよ』
『へえ、殊勝なことを言うようになったもんだね、靖っちゃんもさあ』
『お褒めのお言葉有難く頂戴するとして、御代はいくらになんのかなあ?、おかみさん』
『へっ、幾らも持っていないくせによお!。今さら見栄を張ってんじゃねえよ、この野郎ってなあっ―――』
父の繰り出した安っぽい見栄に、威勢よく親父さんが駄目出しを示唆した。
『じゃあ、出世払いで勘弁してくれるのか?』
『そんな気の長い話なんて待ってちゃよお、俺の人生終わっちまうってもんだ。料理代なんていいからよ靖志、代わりにその男の面倒を頼むわ!』
『えっ、それでいいのかよ親父?』
『おいおい――っ、余計なことは気にすんなって。なあ、母ちゃんよっ!』
『そうだよ。お腹が寂しくなったらさ、遠慮なんていらないからいつでも帰っておいでよね靖っちゃん!』
『へへっ・・・。そう言ってもらえるとありがたいよなあ。実際』
崩れかかった安田の身体をやっと支えながら、父は照れていたのだろうか、薄く苦笑いを見せていた。
『用心して帰るんだぜ、靖志・・・』
『気をつけてよね・・・、靖っちゃん』
『ああ、また寄るからさ・・・』
親父さんとおかみさんの精一杯の送り出しの言葉が、多嶋屋の暖簾の端にもたれ掛かっているようだった。そして父と安田が店を出て行ってから暫くの間、しばし寂しそうに揺れ続けていた。
『こんなに酒癖が悪かったなんてよ、最初から言って欲しいよなあ。まったく!』
多嶋屋を離れてからの父は、当然のように安田の介抱に縛られていた。
『・・・。おい・・・、な、何・・・か、文句でも・・ある・・のか・・・よ』
『あ、あん?。―――なんだ聴こえてたのかよ安っさん?』
『勿論・・・。聴こえてるに・・・違いないさ・・・。へへっ・・・、だらし・・・ないよなあ・・・』
意識の覚束ない様子の安田ではあったが、何気なくこぼした父の不満に対応出来る余力はどうにか残しているようだった。
『大丈夫なのかよ、安っさん?』
『・・・へへ・・・っ。いつもの・・・こと・・・さ・・・。ふう――っ、いい加・・・減、うんざり・・・だよ・・・なあ』
『そう、呑みすぎなんだよ。身体悪くするぜ』
『ふうっ・・・。俺の・・・身体の・・・ことなんて・・・どう・・・にでもなれって・・・ことさ・・・。ういっっ!・・・ああっ・・・いっそあの時に・・・、あの・・・時にな・・・焼かれて・・・しまった・・・ほうが・・・』
小さく呟き出す言葉のひとつひとつに、安田の人生に寄生する苦悶が吐き出されていた。
『安っさん―――』
『あのなあ・・・。人を・・・埋める・・・のに必要・・・な穴は・・・、どれ・・・くらい掘れば・・・いいか・・・知って・・・るかあ・・・?』
『いいからっ、もう喋んなくていいから!』
『あのなあ・・・知ってん・・・のか・・・よお・・・』
『くくっ―――!』
強い人間なんて存在しない方がいい。例え見栄だけで世間を渡る者がいたとしても、人間らしい弱さを持ってる方が心底愛らしいものなんだと、この時僕は思った。
『・・・。なあ、もう帰ろうや。帰ってからゆっくりと聴かせてくれよ。ねえ、安っさんよお』
『・・・う・・・ううん・・・』
それっきり安田の口からは何も出てはこなかった。もうすっかりと酔いつぶれてしまったようだ。
『やれやれ、どうにも歩くしかないようだな』
タクシーを拾うなんて贅沢な算段は、父には微塵もなかった。最寄の駅までの路を、まるで重たい荷物を引き摺るように、とぼとぼと歩くしかなかったようだ。
『しっかし、重いんだよなあ。まったくよお!』
背中で安堵の寝息を立てている安田に文句を投げながらも、ようやく神田駅前のベンチに腰を降ろした。
『ぷっは――――っ。勘弁しろよっ、まったく』
汗だくの額を手で拭いながら、先にベンチに転ばせた重い荷物に目をやった。
『安っさんよ、悪いけど今晩はここで我慢してくれよな。もうこれ以上は駄目だよ、おれはさ―――』
無理にでも電車で帰るつもりの父だったが、まるで死んだように横たわる安田の姿に、流石にそれを諦めたのか、今晩の宿をベンチ泊に決めたようだ。
『涼しい風が丁度いいや。最高の寝床だよなあ、安っさん?』
『ぐふうう――――っ、ふご――――っ』
父の問いに応えられるほど、今の安田にはそんな余裕はなかったようだ。
『気ままでいいよな――っ、社長さんはよ。しかし、よくこんなんで会社を経営出来たもんだぜ。まったく大した人格だよ』
呆れるしかない父は、ゆっくりとベンチに仰向けになった。そして仰ぎ見る星空を息を抑えて眺めていた。
『へ――え・・・、東京の夜空もまんざらじゃないな』
7年ぶりの東京を満喫するかのように、暫くは星空に魅了されるばかりの父だった。
それも束の間、溜息のように漏れる父の吐息はやがて寝息へと仕立上げられ、東京の夜に吸い込まれていくのだった。
『―――あ、あん・・・?。んんん・・・?』
うっすらと未だ登り切らない朝の光線を斜めに浴びて、やおら父が目を覚ましたようだ。
『ふう――っ。ああ・・・んんっ?』
昨夜の出来事を振り返りながら、気だるく朝を迎えた父であった。
『―――ああっ、安っさんっ?』
昨晩、隣のベンチに放り投げた安田の姿が見当たらないことに気が付いた父だった。
『確か・・・、ここに置いたよなあ?』
不安そうにしばし辺りを見回す父の視線に飛び込んだもの、それは大袈裟に身体をくねらせて体操じみた真似をしている、白髪頭で黒縁メガネの安田の姿だった。
『お――い、いつまでも寝ぼけてんじゃないぞ小森よお!』
『ああっ―――?、な、何やってんだよ安っさんっ?』
『何だよ――っ、見て分からないのか?、柔軟体操だよお。なっ、お前もどうだ、血行が良くなるぞ。体調管理にはこれが一番なんだよな』
『―――あのさ、呑んだくれの言う台詞かよ・・・今更。違うだろ根本的にさあ!』
『この歳になってもな、悪あがきがしたいんだよ。少なからずお前だってそうじゃないのか?』
『へっ、同じ穴の何とかってやつかよお』
『あ――っ、まさにその通りかもな。小森ゆうじくんよ』
『―――!。へっ、小森ゆうじかあ・・・。まったく・・・懐かしいよな』
安田の口にした“ゆうじ”の響きに、歌の世界に命を張ったあの頃が、父にはとても愛おしく思えた。
『どうした。花道を逆走する気じゃなかったのか?』
『逆走なんて、そんな真似できっこないじゃん。それに・・・、今更おれの歌なんてさ、構ってくれる物好きな会社も無いだろう?』
安田の言葉に導かれて、父の本音が路上に撒かれていた。
『物好きねえ―――。歌の世界にも色々あってな、必ずしも歌い手主導って訳じゃないんだ。なあ、そこんとこ理解出来るか?』
『歌い手主導―――って?』
『金を生む作業にはどうしたって人気のある歌い手が必要だ。そんなことは子供だって承知の上さ。けれどな、商品として恥ずかしくないように紅をさす役割があることを忘れちゃいけないんだ。素人同然の原石を磨く作業に、手抜きがあってたまるもんかよ』
初めて見せる安田の経営者たる本意が、路上に散らばった父の本音を拾い集めているかのように抱擁していた。
『小森よ、―――お前の花道を逆走してみたいもんだよなあ』
『まだ酔ってんのか、あんた―――?』
昨晩の多嶋屋での安田の言葉を、父にはまだ受け入れることが出来ないでいたのだ。正直、酔った勢いでの安田の戯言にさえ感じていたのだろう。
『いっそ、卑屈な本音なんて捨ててしまえよ。お前は、小森靖志は、まだ死んじゃいないんだろ?。まだ歌を諦めきれないんだろ―――?』
父の内心を抉り出すかのように、安田が言葉を刺した。
『逆走しようじゃないか、―――この俺と一緒にさ』
『ええっ―――!?』
『知っての通りのおんぼろ会社だけどなあ、お前さえ良ければ俺のところで世話をさせてくれないか』
『や、安っさん・・・、まさか本気だったのか?』
『そうに違いないぜ。けれどな、歌い手としては少々考えものだぞ。7年も燻ってちゃ、相当錆付いているだろうからな』
『―――へへっ、安っさんに任せるよ―――。今のおれには贅沢なんて言ってられないもんな』
『ありがとうよ・・・。は――あっ、きっと俺たちの夢の続きが見れる時がくるさ。なあ小森よ―――っ』
『―――夢の続きってさあっ、大袈裟じゃない?。実際』
『いいんだ、これくらいが丁度いいんだ。うん、いいんだよな―――』
まるで子供のように瞳を輝かせながら、安田がゆっくりと父の傍に歩み寄った。そして父のその手を強く握り締めた。
『振り返るなよ―――。いいか決して振り返るんじゃないぞ小森よ。真っ直ぐに気持ちを持ち続けるんだ。俺たちの夢を心眼に刻もうぜ。成功はたった今、ここにあるんだからな―――』
安田のその言葉はまるで預言者のごとく、傍であっけに取られている父の遠い憧れを、根こそぎ刈り取っていたのだ。
『や、安っさん、―――本当におれでいいのか?』
『はは――っ、逆にさ、俺でいいのかよお前―――』
『だって・・・、他に寄り付く場所もないだろうしな』
『どうしてだ?。トウチクに未練はないのか?』
『ああっ、そりゃあ未練たっぷりだけどさあ・・・。けど何だよおっ!、今更、痛くもない腹を探らないでくれよなあ!』
いくら秋山さんと懇意の仲だったとしても、無断でトウチクを去っていった者に無条件の雇用なんて限界があるというもの。そんな身勝手な発想が通用しないことなど、既に承知の父だった。
『さ――てと、面接終了ってことだ。おい、明日から早速出社しろよ!』
『なっ、明日からってかあ?。ちょっと、それは無理だよっ!』
そんな安田からの採用通知に、父が難色を示した。
『どうした、急に怖気づいたとでもいうのか?』
『そんなんじゃないよ、おれの都合も訊いてくれよ。今日の明日っていってもさ、―――そんなの無理だって』
『じゃあ、一週間後ではどうだ?』
『あのねえ・・・。東京には出張で来てるんだ、そんなに急に転身なんて出来っこないじゃん。実際!』
『辞めてしまえばいいだろ?。その方が簡単だしよ、お前の希望する職種に就けるって訳だ。これ以上の好条件なんて他には無いぞ』
『それはそうなんだけどさあ・・・。やっぱり順番が違わない?』
『順番なんてお前の気持ち次第だろ?。どうした小森、この業界に不満でも思い出したのか?。それともはなから遊び半分でいたのかよ、お前?』
『そんなんじゃないよ―――。あのさ、おれには家族だっているんだぜ』
父の心配事は、やはり熊谷の家族のことに迫っていた。そのことは、必ず父の脳裏に張り付いていたのだ。
無謀とも思える父の夢の実現には、家族を離れて語ることなど許されるはずもなかった。いくら東京で形が整ったといえども、家族を巻き込んでの就業ともなると、いささか短期間という訳にはいかなかった。
そのことが、当然のように父の足枷となってしまうのだった。
『うちの奴には何にも話してないんだ。今日のことだって、たまたま秋山の爺さんの法要に参列するってことでここに長居してるだけさ。明日にはもう帰らないとな、職場の仲間にも迷惑が掛かるってもんさ』
現実の壁を前に、父の日常を変貌させるくれる都合のいい材料なんてあるはずもなかった。
『う――ん、それなら時間を置くしかないよな。待つことも否めないかあ・・・』
ぽそっと、安田が妥協案を示唆した。
『待ってくれるの?、安っさん』
『小森よ、―――そりゃ条件次第だよな』
『んんっ、条件って何さ―――?』
『な――に、もう2日な、俺の会社で研修しようってことだ。そう、それが条件だ』
2日間のクイーンでの研修―――?。意味深に安田が条件を提示した。
『あっ、いやっ・・・、2日もなんて延ばせる訳ないじゃんか。実際どう説明しろって言うのさ』
『―――緊急入院ってのがあるだろ。つまり体調崩しての検査入院だ。俺の知り合いの病院に診断書くらい書かせてもいいんだぞ』
『はあっ―――、そこまでやるのか?』
『ああ、何処までもやるつもりでいるぞ、俺はな』
淡々と悪知恵を吐く安田の横顔には、流石にしたたかな経営者の本性さえ窺わせていた。
『なあ小森よ、お前の都合は充分に配慮しているつもりだ。けれどな、甘えを許した訳じゃないつもりだ俺はな―――。いいか、お前の求めている憧れの場所は決してお遊びなんかじゃないんだぜ。まさに真剣勝負の場なんだよっ―――。単に飯を食うためだけじゃないんだ。俺達の精一杯の生きるを―――具現化するべく聖地なんだぞっ―――!』
あれほど締まりのないように見えていた安田の表情が、今、口を開くごとに厳しい形相に変わっていった。
『覚悟とはなあ―――、決して着いてくるもんじゃないんだ。その時々に自分の生命の淵に刻むものなんだよっ!。その覚悟ってものを、お前はたった今、俺の目の前に差し出すことが出来るのかっ?、ええっ、どうなんだよっ、小森いっ―――!!』
『あ、ああ―――っっ』
安田の怒涛にも等しい叱咤の叫びに、流石の父もしばし応戦出来ずにいた。そんな安田の真剣な眼差しは、父の中で燻り続けていた心根にも活を入れるに充分過ぎる程の迫力であったのだろう。ついに父は、安田の顔から目を背けていた。
『どうした、怖気づいたのか、お前よお―――?』
『・・・。そんなんじゃないよ。つい・・・な』
緒方健一へと強く向けられていた自分の浅はかな願望を、今、父は情けないほど自問自答するのであった。覚悟とは余りにかけ離れた一時的なうすっぺらい感情を、目の前の安田という男に、見事に粉砕されてしまったからだ。
『なあ小森よお―――。人間ってなあ、そうそう覚悟なんて決まらんもんだ。いや、そもそも覚悟なんて言葉が先行しちゃいけないんだよな―――。そんなことは、後から着いてくるってもんだ。必死にもがいている最中によ、どうしたっててめえの心根なんて判りっこないんだもんな―――』
覚悟の勧めを説いていたはずの安田が、何故か途端にその逆説をこぼし始めた。
『安っさん・・・?。じゃあ、どうすればいいんだよ、おれは』
安田の奇妙ともとれる話術に、父は次第に理性を欠いていく。
『―――早速な、明日から緒方と合流してくれんだろうか?』
『えっ―――、緒方くんと?』
『奴は今週いっぱい鎌倉で営業だ。立花も同行しちゃいるが、緒方のことだ何を仕出かすか分からん。お守り役が必要だろうと思ってな』
『それがおれって訳え?』
『丁度いいじゃないか、緒方の歌に惚れこんでるんだろ、お前?』
『そりゃそうだけどさ』
『ついでに奴の素性を見てくればいい。実際、どんな輩かをな』
急に告げられた鎌倉への“出張命令”に、勿論、父は即答出来るはずもなかった。
東京に出てきてから既に4日を経過していた。これ以上の身勝手な行動を重ねたとすれば、家族にも職場の仲間にも迷惑の上塗りになってしまう。
『あのさ、安っさん―――。やっぱりおれ、一度、熊谷に帰ってもいいかな―――』
父の責任感は、やっとの思いで脳裏の片隅にぶらさがっていられた。
『―――帰ってどうする?』
『今回の話を整理したいんだ。クイーンに世話になることをさ』
『戻って来れなくなるぞ、ここには』
すぐさま安田が結論を告げた。
『そこは何とかするよ。女房を説得するから、おれ』
『無駄なことだ。どうせお前の足枷なんだろ?、その女房ってもんはよ』
さらに安田が冷酷とも思える言葉を付け加えた。
『無駄って簡単に言うなよ―――。おれの大切な相方なんだからさ』
『その大切なはずの相方がよ―――、皮肉にもお前の邪魔をすることになるんだ。分かりきってるんだろ?、お前にもよ』
亭主の夢の運びと生活の安定を計りにかけた場合、女房の気持ちはどちらに傾くのかを安田は即答していた。つまり、夢だけでは飯は喰っていけない―――。家庭の安定こそ、女の求める夢の運びなのだ。安田はそう言いたかった。
『分ってるさ―――』
父にもそれは充分すぎるほど理解出来ていた。だからこそ思い切れないでいたのだ。
『だったら、帰るなんてことは考えるなよ。帰ったが最期、お前の夢は女房に喰われちまうんだぞ?。そう、跡形もなくな―――』
そんな父に暗示をかけるかのように、安田がゆっくりと父を睨み付けた。
『人間、小森靖志に目覚めるのか、それとも家庭人として平凡な男で一生を終えてしまうのか、さあ―――どっちだよ?』
『―――あんたのさ・・・、勝手な理屈で話を進めるなよお―――っ。おれだって今までに無い岐路に立ってるんだ。自分の身勝手な夢の始末くらい何とかするさ。けどな、おれの女房のことをとやかく言うなってんだ。いいか、他人のあんたにな、おれたちの何が分かるって言うんだよっ―――!!』
さっきまで燻っていた父の口元から、まるで火を吹いたように出た父の言い分が、安田に向けて勢いよく転がった。
『―――分かるわけないだろうが。お前こそな、無茶を言うんじゃないよ』
『どこが無茶なんだよ。もう、いい加減にしてくれよっ―――!』
大切な家族に及んだ安田の理不尽な一言に、父は爆発する一歩手前だった。
『おれのことはどんなにしてもいいよ。けどな、女房を卑下するあんたのことは受け入れ難いぜ。なあ、そうだろ―――っ!』
『へっ、威勢のいいごたくが揃ったよなあ―――。花道の逆走なんてよくも言えたもんだ。まさに見栄っ張りの馬鹿野郎だ―――。なあ小森よ』
父の反撃をもろともせず、安田の自尊は先を進めた。
『ああ、所詮見栄の塊だ。それ以下の何者でもないさ―――』
既に開き直っていたのか、父が声を低く返した。
『ははっ、どこまでも馬鹿正直な野郎だぜ―――』
安田にしても父の本領を感じ取ったのか、さっきまでの悪態の筋を切ろうとしていた。
しかし、このまま言い争っていても互いの利点など見出せるはずがない。それどころか、ついさっきまで合意したはずの熱い思いは冷めてしまうばかりだった。
いっそ、どちらかが折れてしまうことが望ましいように見とれた。




