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緒方健一 其の四

『―――緒方って言ったな。お前、歳はいくつだ?』

『はい、15になりました』

『15か―――。まったく、末恐ろしい小僧だぜ。なあ―――将太よおっ!』

『は、はい―――っ!。おれもそう思いますっ!!』

山部将太が嬉しそうに健一を見ていた。先に起こした健一とのいざこざなどまるで無かったかのような、それは晴れやかな顔つきだった。

『将太よおっ!』

『はい、親方っ!』

突然立ち上がった宮田は、窮屈そうな胸ポケットから数枚の十円札を取り出すと、そのまま山部将太の前に放り投げた。

『今晩、こいつらに飯でも喰わせてやんな―――。明日から喉が潰れるほど歌ってもらうからよお―――っ』

『あっ、はいっ―――!』

『―――、親方っ』

あっけにとられていた健一は、とっさの喜びを喉に詰まらせているようだった。

『どうした、俺の歓迎が受けれねえってのか?』

『あっ、いえっ・・・』

『いいか将太っ!、無駄遣いすんじゃねえぞおっ』

『は、はいっ!。ありがとうございます、親方―――っ!!』

宮田の親方に向けたその溌剌たる礼の言葉は、まるで自分のことのように将太は浮かれていたようだ。


早速、その翌日から始められた宮田組の興行の場には、緒方健一と記された幟が高々と幾つも掲げられていた。

そして、即席に設けられた壇上に浮かぶ健一の姿には、何処も多くの聴衆が魅了されていったのだ。


『ねえ健ちゃん、おれ――――――』

『―――健一さん、そろそろ次の場所に移動しますぜ!。仕度を早めにっ!』

『健ちゃんさ、あの――――――』

『―――よおっ、今日も大勢の客が待ってんだんべ?、健ちゃんよおっ!』

『山ちゃんさあ、最近、仕事入れすぎてやしないか?』

『仕方ないんだぁべ、健ちゃん人気もんだべから』

急騰する健一の人気に便乗してか、山部将太は健一の付き人さながらに興行を仕切っていたのだ。


『ね、ねえ、健ちゃんってば―――っ』

『んん?、どうしたよ彰?』

『うん―――。たまにはさ、一緒に飯でも喰わねえか、なあ?』

『おっと、彰さんごめんよっ。悪いけど健一さん急いでんだ、邪魔しねえでくれよな』

『彰さっ、今晩部屋で待っててくれよな』

『あ―――う、うん・・・』

押し迫る興行の連続に、いつしか健一と彰の間には見えない溝が出来てしまっていたようだ。

それもそのはず―――。宮田組の中にあっても緒方健一という存在は、今や上位を占めるほどの稼ぎ頭でもあったのだ。

『健ちゃん・・・』

『彰さん、そこ邪魔なんだって、も―――う』

当初、健一の付き人扱いとして手厚いもてなしを受けていた彰だったが、まるで要領を得ない彰の技量は、次第に足手まといかのように疎ましく扱われる始末だった。


『なんだ、おれって邪魔者扱いなのかよお・・・』

『どうしたんだよ彰っ?』

そんな彰の消沈を見守るかのように、威勢のいい声が飛んできた。、

『―――親方っ・・・』

『なんだ浮かない顔しやがって、腹でも空いてんのか、お前よお?』

『い、いやっ―――』

『そうかそうなんだな。ほれっ、これで美味いもんでも喰ってきなって―――。ああそうだ、ついでに吉原辺りの女の香りでも嗅いできたらどうだよおっ?』

宮田のテンポよく歯切れのある声は、さすがに親方らしく威勢を張っていた。

そして勢い宮田が、彰の手に数枚の札を握り渡した。

『えっ、親方っ?』

『なあ彰よ―――。健一のことだけどよお、もうそろそろ他の奴に任せたらどなんだ?。お前も相当、健一に尽くしてきたはずだろうよ。いい加減、この辺で楽でもしちゃどうなんだ、なあ―――彰よ』

『親方―――』

そんな彰の待遇を危惧していたのか、宮田にしても出来るだけ差し障りのない言葉を準備していたようだった。

『お前の居るお陰で、ああして立派に健一が歌えることが出来んだよ。そんなことは俺が一番解ってるってもんさ』

『そうだろ、親方っ!』

『勿論そうだって、その通りに間違いねえよ。お前が居てこその緒方健一だってことはなあ―――』

『やっぱり健ちゃんには、おれが必要なんだよね―――親方?』

『あったりめえだろ。そんな野暮なこと言ってんじゃねえや、なあ、彰よお』

『やっぱり、そうなんだよなっ!』

しきりに彰を持ち上げる宮田だった。しかし宮田の差し出すその言葉には、どこか捩れたような響きが混ざっていた。


『けどな―――。健一の野郎、最近調子に乗ってやがってよお。お前の苦労なんかてんで判っちゃいねえようだぜっ』

『そんなことないよ親方。だって健ちゃんさ、いつもおれに小遣いくれてるんだぜ。しかも大目にさ』

『はは―――ん、やっぱりそうなんだな。なあ彰よお―――。最近、健一の奴お前を避けてんじゃねえのか?』

『避けてるって―――?』

ようやく宮田の捩れの気配は、彰の正面に陣取っていた。

『いやっ、俺が言うのもあれだけどよ・・・』

『どうしたの親方?』

『うん、まあな―――』

『なんだよ言ってくれよ、親方っ!』

宮田らしからぬ篭ったような口調に、つい彰は身を乗り出して訊いた。


『彰―――、お前が悪いんじゃねえぞ。そこんとこ違わねえように聞くんだぞ、いいな?。―――ああして花形にもなりゃあな、健一だって例外じゃないってことさ。ちやほやされて有頂天にもなる、誰だってそうさ』

『有頂天って、健ちゃんが?』

『そりゃそうだろっ!。舞台の上で拍手でも浴びてみろ、悪い気はしねえよなあ?』

『うん、そりゃ気持ちいいに決まってるや』

『今じゃ何処で歌っても健一は拍手喝采の渦の中さ。おまけに黄色い声が奴を取り囲むって具合だ。男としちゃたまらんぜっ!』

『だから親方、それがどうしたって言うんだ?』

『どうしたってえっ?。そりゃお前―――、付き合う人間の種類だって変わってくるぞ。健一の人気に躍起になってよ、媚びる奴等なんて大勢さ』

『健ちゃんがどうにかなんのか?、親方』

『どうにかってな・・・お前』

遠まわしに話を続ける宮田の本質は、やはり彰の技量では解せぬものだった。


『人気者の健ちゃんでよかったよな、親方』

『―――ああっ、そうだな・・・』

彰に気を遣って差し出したはずの言葉は、悉く空を切っていた。

『なあ彰よ、お前のやりたいことってなあ何だよ?』

『やりたいことって―――?、親方』

『あるだろうが?、お前まだ若いんだしよ―――。お前さえその気があんだったらよ、新橋辺りの店を任せてもいいんだぞ。なあ―――?』

『―――ありがとう親方。けど、おれ健ちゃんの傍に居れたらいいんだ。ずっと、健ちゃんの歌を聴ければ満足だよ、親方』

『ち―――っ!』

彰の最たる健一依存には、宮田もお手上げの状態であった。

『だからよ彰っ―――、お前もたまには息を抜いていいんだぜ。俺の言葉に甘えて、せいぜい遊んで来たらどうなんだ?。健一にばっか振り回されてたんじゃ、お前の身体がいくつあっても足んねえぞ。そうだろ、彰よっ』

『そうかな?』

『お前が身体を痛めてちゃ、健一だって力が出せねえよお。そこんとこ分んだろ彰っ?』

『そうか―――。うん、分ったよ親方―――』

あっけらかんと宮田の言葉に従う彰には、よもやそれ以上の思惑など気付く智恵も持ち合わせてはいなかった。


意味深に彰に接する宮田の労いの言葉は、すでに彰の去就を意味したものだった。

健一の幼馴染であるという存在だけで、今まで彰は充分すぎるほどの扱いを受けていたのだ。しかし、利益を生まない人間を活かしておくほど宮田組には余裕などあるはずもなかった。

『俺の店で好きなだけ喰ってこいよ、遠慮なんてすんじゃねえぞおっ!』

『うん、そうするよ親方』

どうにか彰を手懐けた宮田は、次の段階へと筋書きを進めていった。


『お―――い、正夫っ。彰を連れてってくんねえか。新宿までよお―――っ!』

『へい合点で、親方』

『美味い肉でも喰わせてやんな。正夫、それからよお――――――』

『―――へい―――。承知しやした』

何やら正夫という子分に耳打ちをした宮田だった。

『彰―――、正夫に連れてってもらうんだぞ。いいな?』

『うん、よろしくね正夫さん』

『任せてくれってえ!。さあ今晩は楽しもうぜ―――っ、彰さんよおっ!!』

『楽しむって、ご飯食べるだけだろ?。正夫さん』

『あいやっ―――。そ、そうだったけなあ・・・』

『どうかしてんぜ、正夫さん?』

『だ、だってよお―――、肉なんて久しぶりだかんなあっ、そりゃあ楽しみで仕方ねえやなっ!』

『へえ―――っ、そうなんだ。案外と粗食だったんだね、正夫さんもさ』

彰の持つ独特の調子には、誰しも舌を巻くしかなかったようだ。そんな彰の憎めない人柄は、男っ気の勝る宮田組においても、しばしば休息にも似た安堵感を醸し出していたことも事実だった。

そんな役割を果たす彰の存在も束の間、健一の足枷だと危惧する面々の思惑は、ついに彰の排除を決めしかなかった。



『―――ねえ正夫さん。本当に全部喰ってもいいのか?』

『遠慮すんなって―――。全部親方の配慮なんだからよお、残したりなんてしてみろ、俺っちにお鉢が回ってくんだよ、分るかい彰さんよおっ!』

『へえ、そうなんだ』

『義理人情には厚い親方さ、そこんとこ汲んでやってもらえねえかなあ?』

『うん、いいよ。正夫さんの顔が立つならさ』

『さっすが彰さんだよなっ!。親方の目に叶っただけのことはあるぜえ―――っ』

彰のお供として席を交えた正夫という男。その軽快なお喋りと並外れた狡猾さをして、今の宮田組を牽引してきたやり手の一角でもあった。


『この後のお楽しみもあんだぜ、彰さんさ』

『この後って?』

『またまたあ―――。俺に言わせないでくれよ、彰さん』

『もしかしてさあ、親方の言ってた女の香りってことなのか?、正夫さん』

『なんだあ、分ってんじゃんよおっ!』

『でも、女の人の香りを嗅ぐ店ってあるの?、正夫さん』

『―――、またまたあ―――っ』

若さゆえに世間知らずそのままの彰の言葉は、正夫にとってもどこか新鮮味を覚えずにはいられなかった。

『さあさ、呑んだ呑んだ―――。しっかりと喰うんだぜ彰さん。へへっ、今晩は眠れねえなあ―――、彰さんも』

そう言って盃を彰に預けると、特大の徳利を持ち上げた正夫だった。

『駄目だよ正夫さん。この後、健ちゃんとの約束があるからさ、早めに帰らないといけないんだ、おれさ』

『おおっと、言い忘れてたよ―――。健一さんな、今夜は部屋に戻れないってさ』

『ええっ、どうして?。さっき健ちゃんと約束したんだぜ、おれ』

『なんでも親方の知り合いにね、歌の関係者がいるんだってさあ。ほらっ、健一さんて大人気だろ?。そんな人気者を関係者が放っておくはずもねえだろ?』

やはり宮田の狙いはここにあったようだ。健一の歌唱力をもってすれば、本業の道に進むこともそう遠くはないと考えた。そうすれば今よりも遥かに大きな財産を築くことが出来ると踏んでいたのだ。


『じゃあ、どうなんの健ちゃん?』

『そうさな、早いうちに本業の歌い手としてお披露目されるんじゃねえかな。健一さんもそれを願ってるようだし』

『本業の歌い手って―――、本当に?』

『ああ、それに向けて親方も大忙しだぜえ。まるで自分の倅を構うみてえになあ―――』

『ねえ、正夫さん―――』

『どうしたよ、彰さん?』

『そうなったら、おれ、どうなんのかな?』

『どうって、彰さんも忙しくなるに決まってらあ―――っ。健一さんの大事な付き人だもんな、彰さんはよお―――!』

そう煽って正夫は、彰の持つ盃になみなみと酒を注ぎ込んだ。


『健一さんと彰さんの成功を祈って、乾杯だあ』

『あっ、うん―――』

調子の過ぎる正夫の語りに、彰はすっかりと乗せられてしまっていた。唯一、健一を頼りに生きる彰にとっては、正夫の口をついた方便にも心を預けるしかなかったのだ。

『もっと呑めんだろ―――、彰さんよおっ!』

『―――うん。まだまだ―――、呑めるぜ―――正夫さん』

『さすが、健一さんの付き人だよな―――っ。貫禄ってもんが違うぜぇ!』

『―――正夫さん―――も、もっと―――呑みなよお―――。へへへっ―――』

浴びるように酒を喉に流し込む彰は、危ないくらい上機嫌そのものだった。

例え大人社会をかじっていたとしても、所詮、酒の呑み方なんて知りもしない僅か15の少年のことだ。私欲に目のくらむ大人達の仕組んだ浅はかな罠に、無論、気付けるはずもなかった。


ついつい酔いに任せる彰の行き着く先はというと、危うく踏み外す破滅への道へと突き進んでいるかのようだった。

『彰さん―――。なあ、大丈夫かよおっ―――』

『―――うん―――。歩―――けるよ―――っ、へへっ、何処―――までも―――歩ける―――ってえ―――っ』

足元の覚束ない彰は、正夫の肩に掴まりながらやっと前に進んでいた。誘導されるがままに、彰の身体は正夫の思慮にぶら下がっていた。


『お―――い。客だぜえ―――っ、正夫様だぜえ―――っ!、ってなあ―――』

どうやらそこは正夫の顔見知りの店らしく、その図々しい態度もやけに様になっていた。

『はいは―――い、少々お待ちを―――』

しばらく時間を空けて、奥の方から慌てて着物姿の女性が駆け寄って来た。

『おいおい、待たせるんじゃねえぞお。んで―――、女将は居んのか?』

『あ、はいっ―――。すぐ呼んできます』

『いいかあ―――、待たせてんじゃねえぞお―――』

粗荒く、馴れ馴れしい言葉遣いから察して、正夫は相当の常連客のようだった。


『―――あら正夫さん、ぞうぞいらっしゃい。へえ―――、どうかしたのかい、そのお連れさん?』

『ああっ、女将よお―――。へへっ、大切な客を運んで来たぜ―――。可愛がってやってくれよな―――!』

『―――おやまあ、それにしてもえらく若いねえそのお連れさんさあ』

『そりゃそうだあ、まだ15の若さだぜえ―――。とびっきりの娘でもって遊ばせてやんな。分ってるよな女将よお―――っ』

『丁度いい娘がいるよお、正夫さんさあ。ついこの間入れたばかりの未通女の娘だけどね、透き通る肌の色なんて羨ましいくらいさ』

『ほ―――う、そりゃたまんねんなあ。なあ女将よお、その娘、俺にまわしてくんねえもんかなあ?』

『駄目だって―――、あんたに渡したが最後、使いモンになんてなりゃしないよお。いいね正夫さん、それだけは勘弁しておくれよおっ!』

『そんなに目くじら立ててんじゃねえよ女将。冗談だよ、冗談―――っ!』


恐らくは敗戦という苦境を産声に著しく復活を見せた女郎宿の存在。しかし公の事情から隠蔽されたその事実こそ、この国の繁栄の根底を支えていたのかも知れない。

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