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安田という男との出会い

『あ――あ、そうだったよなあ。ははっ―――、つい名乗る暇もなかったからな。ちなみに、ここの連中は安っさんて呼んでるぜ。安田の安で、“安っさん”って具合だ』

『へえ、安っさんかあ。見かけによらず懐っこい名前だな』

『それよりどうした?。俺の挑発に乗ってこないのか、お前』

『ああ―――、なんか馬鹿らしく思えてきてさ。萎えちゃったよ。実際』

『その後の小森靖志、ついに地に墜ちたかあ―――。そりゃ、残念極まりない事実だよな、実際』

安田の攻めに、もはや父は白旗を掲げていた。それは格の違いを見せ付けられたのか?、それとも今日までの父の平凡な暮らしが、自ずとそうさせたのだろうか?。


『なあ安っさん、そんなあんたにも守るものってあんだろう?』

そこはすかさず、父の応酬が始まった。

『守るものなんてなあ―――、とうの昔に捨ててしまったな。だからこうして自由でいられるんだ。しがらみなんて奴は、もう御免だね』

『でも、嫁と子供はいるんだろう?』

『―――ああ、確か、相当前のことだったかな』

曖昧に返答をする安田の言葉じりには、つまり家族を手放した感があった。

『ふ――ん。じゃあ、一応、人並みの家庭人だった訳だ。そんなあんたでもさ』

『人並みか―――。そう言えばそうだったような気もするさ・・・』

何故かしら口篭った様子の安田は、白く染まった髪の毛を?き揚げながら口元を尖らせていた。


『別れたのか、家族と?』

『ああ、別れた。随分とすっぱりとな』

『まさか、追い出されたってオチじゃねえよな?』

『う――ん。まっ、それに近いのかもな―――』

さっきから一転して、安田の声色が持ち上がっているように思えた。

『は――あ、仕方ねえよな・・・』

仕方ないと前置きして、安田のその先の言葉には、模索するべく期待感を抱かせていた。


『―――あのな、人一人埋めるのによお、どんだけ穴を掘ればいいのかって、おまえ知ってるか?』

『う、埋めるって―――あんたっ、―――いったい何のことだよおっ!?』

突然の安田の言葉に、瞬間父も覚悟を迫られていたようだった。

『身の丈ほどの穴が必要なんだぜ。まあ―――、幅はさほど要らないけどよお、肩幅程度で足りたよな。俺の場合は』

『え、ええっ―――?』

突拍子のない話を繰り出した安田に、それでも父は反応出来ないでいた。


『その穴を3つ掘るんだぜ、先の欠けたようなお粗末なショベルでなあ。ただ黙々と土をかき出すんだ―――。へっ、腕の筋肉なんてな、悲鳴をあげるほどだ。あ――あ、若い頃にもっと運動をしとくんだったって、悔やんだところで仕方ないけどな。いや――っ、あん時はきつかったなあ・・・』

大袈裟な仕草を繰り返す安田の語りに、それでも真意を探れないでいた父だった。しかし一瞬だけ見せた安田の真顔に、父はこの話の結末に嫌な予感さえ感じていた。


『あのさ・・・、いったい、何の話だよ・・・それ』

『だから言っただろう。人を埋める話さ』

『誰を・・・、埋めるためなんだ・・・?』

『だから――あ、別れた家族ってことだよ。お前、勘が鈍いなあ―――っ!』

『あ―――っ!』

やはり、嫌な予感が的中していた。

『そりゃ大変だったんだぜえ―――。東京大空襲ってあったろ?。まるで火の海さ、焼かれるのを待つようなもんだったからな。そうそうこれを見てみろよ、ほれっ―――!』

そう言って安田が上肌着を捲り上げて、父の前に背中を見せつけた。

『うっっ―――!』

『どうだよ―――。ピカソの絵までとはいかないが、中々、立派な出来栄えだろう?』

安田のその背中を彩っていたのは、酷い火傷による無数のケロイドの跡だった。

『まったく・・・。危なく俺まで真っ黒こげにされちまうところだったよ。は――あ、残念ながら、人並みってやつもそれが最期さ。―――いや、俺の家族に限ったことじゃないぜ。殆どの家庭人が人並み以下だったはずさ―――』

あくまでも淡々と話を進める安田の表情には、幾分かの積年の嘆きが漂っているように見えていた。

安田の持つ円満な家庭も、あの時の大空襲で焼け出されてしまっていたのだ。


推定10万人を超すともいわれる死傷者を数えた東京大空襲の翌日以降、街中に溢れたおびただしい数の焼死体は、数日間、誰の手の世話にもなることもなく、ただ、路肩に追いやられていた。

埋葬される幸運な遺体なんて、ごく僅かな例でしかなかった。大半の遺体はというと、粗末に扱われた挙句、油を撒かれて一気に焼かれるのが当たり前とされていた。


『はは――っ、今日はやけにお喋りになっちまった・・・。おい、そろそろ俺のグラス返してくれてもいいんじゃないのか?』

『あ、―――ああっ』

さすがの父も安田の身の上話には、いささか固唾を呑んでいたようだ。

しかし、それを語る安田の苦悩は、どうやらこの場には同席していなかった。それどころか他人事のように淡白でもあった。

『どうしたよ、もう飲まないのか?』

『あ、うん・・・』

『悪いが、たいした食いもんはないぜ。なんせ突然の客だもんな、勘弁しろ』

『・・・別に、いいよ』

『まあ、そう言わずによ―――』

おもむろに席を立った安田は、お粗末な台所から調達した湯飲み茶碗を、父に向けて乱暴に放り投げた。

『―――ああっ、世話になる』

それを受け取った父は、伏目がちに無言のまま、目の前のウイスキーボトルに手を伸ばしていた。

『お――と、俺につがせろよ。なあ、客人』

薄笑いを浮かべながら、安田が父のその手を遮った。安田の酌でなみなみと琥珀色が父に渡った。


『気にするなことはない。事の成り行きってもんだ。良いも悪いもないさ』

『ああ・・・』

言葉を詰まらせている父を見かねてか、安田が気遣いを効かせていた。しかし、その安田自身にとっても、語るに堪えないほどの遺失話だったはずだ。


『どうして上京した?。歌は諦めたはずじゃなかったのか?』

まるで凍てついた雰囲気を溶かすように、まさにその言葉には安田の機転が読み取れた最高の一言だった。。

『・・・。諦め切れないことに気付いたんだ。理屈じゃないさ、本能ってやつかもな』

『そうか、それも否めないな。でも、どうして逃げた?。折角の勝機だったろうに』

『おれの歌で人を不幸にさせちまったからな。罪の意識かな、格好よく言うとさ』

『立花って言ったよな、あの時の加害者』

『―――知ってんの、あいつのことっ!』

『確か、去年の今頃だったかな―――。ここを訪ねて来やがったぜ。歌う場所を探しにってな』

『ここにっ!、本当っ―――?』

安田の信じられない言葉に、父は思わず立ち上がった。


“ガタンッッ―――!!”

その勢いで、テーブルに置かれた湯飲み茶碗が寝返りを打ってしまった。

『あ――っ!。何やってんだよ、もったいない―――っ!!』

安田の嘆きを尻目に、テーブルの上に拡がったジョニ黒の琥珀色は、行き先危うい父の責任の置き場所を示唆するかのように、やっとの張力で揺れ留まっていた。

『あ――あっ、どうしようもないなあ―――』

その琥珀色には余程の未練があったのだろう。しばらくは安田の動きが鈍っていたようだ。

『本当にここに来たのか、立花?』

『言った通りだ。それ以外に言葉はないぞ』

『―――そうか』

『まあ―――いいか。仕方ねえやな』

やっと気を取り直して安田が続けた。

『奴の歌唱力なんてな、既に役立たずだったよ。しかも、その顔つきといったら酷い様だったぜ。頬はそぎ取られたようにぺったんこ。まるで薬物に犯されたように血走った目ときたもんだ。あれじゃ、とても人前に披露出来るようなモノじゃなかったな』

『まだ歌に未練があったのか・・・、あいつ』

『未練どころの執着じゃなかったぜ。―――立花の野郎、まるで生死を分けたと言っても大袈裟じゃないくらい必死だったな。奴の執念とでもいうのか、立派と言えばいいんだろうけどな。けどそんな余裕あの時の奴には皆無だったよなあ』

立花の話に及んだ父と安田との間には、さっきまでの険悪感はとうに消え失せていた。


『それで、追い返したのかあんた?』

『そんなことが出来るほど、悪人じゃないつもりだけどな』

『じゃあ、どうしたんだよ?。もったいぶってないで言ってよ!』

『それを訊いてどうする?。まさか、奴に哀れみでも掛けようっていうのか?』

『そんな気はさらさらないよ。けど、無視は出来ないだろ?。あいつに係わった以上さ―――』

『けっ、簡単に言うよな―――。まさに平和呆けってことだ。いいか、お前の薄っぺらい同情なんてな、奴にとっては恩着せがましいだけだ。気紛れの綺麗ごとなんてよ、いい加減にしろや!』

そう言って安田が、テーブルに張り付いた琥珀を貪欲に口内に啜り込んだ。無様に前のめりになった身体は、泥臭い人間の有様を見せ付けていた。

『どうだこの通りさ。こぼした奴に責任はあったとしても、こぼれた液には何の責任もない。誰かが措置を講ずればいいだけだ』

『それって、どういうことなんだよ―――?』

『いいか、お前と立花の込み入った関係なんて知らないからな、俺がとやかく言う筋合いのものでもないだろう。けどな、こぼした奴とこぼされた方の因果関係なんて、案外、曖昧なものさ。首を突っ込むと厄介なことになるかもな』

『厄介って?』

『いちいち訊くなよ――っ!。お前、当事者だろ?』

『そんなこと言われてもさ、おれ、被害者じゃん、一応さ』

『事故現場を見ればな、被害者と加害者なんて一目瞭然だ。けどな、事故に至る過程では逆転なんてこともある。その行動に追いやった方が、実は加害者だってこともな』

『それじゃあ、おれが加害者だって言うのか?』

『お――い、俺に訊くなって。判事じゃないんだ俺はっ―――!』


どうやら、ややこしい展開に話が及んでしまったようだ。そんな安田の危惧すること、それは、立花の人生に再び小森靖志が介入してしまうということだった。

立花へのつまらない同情を抱くことで、父の無駄な責任感を煽り立ててしまう。それが意味することすなわち、互いの人生の崩壊の図式でもあった。


『なにかしら責任を感じているようだな、お前』

『ああ、そうかもな・・・』

『悪いことは言わん。とっとと郷里に帰ってしまえよ。まあ、最初に俺が触れたのがまずかったよな。すまんな』

『あんたが触れなくてもさ、いつか誰かが踏み込むってことだ。それ以前に、おれ自身が解ってるしね』

そう、自宅であの朝に見た立花勇気の夢のことを忘れるなんて、父には到底出来るはずもなかったのだ。

いつか訪れる覚悟なら、自ら進んで受けたいとも願っていたのだろうか、無意識に漂う父の覚悟が、ようやくこの街へと足を向けさせた。そう決着させるのが、僕にとってごく自然なような気がした。




『―――ねえ孝子さん。あいつは、―――いやっ、親父は、立花のこと恨んでたんだろ?。なんで責任なんて感じてんだよ』

他人への気配りなんて縁遠い兄は、さらりと疑問を投げつけた。

『あのね、時間が経てばそんなもんなのよ。人って案外、寛大になれるものなの』

『だって、立花勇気のせいで歌の道を閉ざされたんでしょ?、お父さん』

堪らず兄と僕は、交互に孝子さんに言い迫った。

『そうよね・・・。あの人だって、最初はそう思っていたと思うの。でも理屈じゃないのね人の気持ちってさ、時間に洗い流されるっていうか―――』

孝子さん自身の経験も交じり合っているのだろうか、彼女の言い分にはどこか納得せずにはいられない雰囲気を感じた。

『そういうものなのかねえ・・・。けどさ、勿論それから親父の復讐が始まったんだよな。きっと』

『・・・。強志、あんたどうしてもあの人を悪者にしたいのねっ!』

『そんな訳ないじゃんか、おれはただ事実を探求したいだけだよ。そんなに怒んなくてもいいだろおっ!』

そんな兄の目論む父の復讐劇のシナリオは、未だ健在のようだった。

『ねえ、それからどうなったの?。お父さん立花勇気と会ったの?』

『そうそう、その安田って社長がさ―――――――』

身を乗り出して孝子さんが、妙にはしゃぎだすかのように話を進めた。




―――『覚悟は出来てるってことだな、お前さ』

『そういうことだ。あんたには何の責任もないよ』

『へ――え、意外とまともに出来てるんだな、お前』

『ああ、健全な家庭人だからな、おれは』

『へへっ、よく言うぜまったく』

『そう言う“安っさん”こそ、見かけによらず紳士じゃないの?』

『けっ、恥ずかしいこと言ってくれるじゃないか。他人に褒められるなんて、俺もまんざらじゃなかったって訳だな、はははっ!』

高笑いを浮かべる安田の表情が、とても穏やかに映っていくのだった。

『けど、昼間っぱらから飲むのはどうなんだよ?。―――ねえ社長さん?』

『それが余計だってんだ、この野郎っ!』

『それは失礼いたしました!』

互いの懐を探りあった挙句の、それは親密な関係が成立していた。


『―――鎌倉に居るぜ。立花の奴』

『えっ、鎌倉―――??』

『うちの緒方って若手と一緒だ。まあ、保護者代わりに着いてるってことだ』

『お―――、緒方くんもかっ!!』

『どうした?、緒方を知ってるのか、お前?』

ようやく辿り着いた父の本題。しかしその緒方健一の居場所には、皮肉にも立花勇気が同行していたのだった。

『おれの地元で会ったんだ。のど自慢大会ってさ、夏の恒例行事だよ。その招待歌手に緒方くんが来たってことだよな』

『な――んだ、そうだったのか。その話なら小耳にはさんだことがある。まさか、お前が絡んでるなんてな』

『正直驚いたよ。若いのに大した歌声だよ、緒方健一ってさ』

『あ――あそうだろうとも、うちの看板息子だ。奴の実力は底知れぬものがある。さすがにお前の目にも叶ったって訳だ。いや――っ、奴の歌を聴いた時なんてな、俺だって鳥肌が立ったほどさ』

安田の弁に然り、緒方の天性の歌声には互いに舌を巻いていたようだ。

『世に出せるのかな?、緒方くんのこと』

『そう、いずれやって来るさあいつの時代がな。しかし、この俺の元からって訳にはいかないかもな』

何故か安田は、遠慮がちに言葉を選んでいるようだった。

『どうしたんだよ。なんか心配事でもあるのか?』

『どうもこうも、心配事だらけさ。うちのような弱小企業にとってはな』

安田らしくない弱音が、この業界の脆さを暴露していた。

『安っさんらしくねえなあ、そんなこと判り切ってたことだろ?。トウチクやコランビアになんて勝てっこないじゃん。そもそも』

『おいおい、それは遠慮なさ過ぎだろう。俺の身にもなってくれよな』

『それを承知で立ち上げたんだろ?、この会社。だったらそんな弱音なんて言うなよな、みっともないぜ』

父の図々しさは人を選んではいられなかった。自分に係わる全てのものには常に実直でしかいられなかったのだ。

『小森靖志ここに健在か―――。あの頃のお前に、直接係わっていたかったよな。俺は―――』

『―――あの頃なんて、過ぎたことさ』

後悔先に立たずとはよく言ったものだ。父も安田にしても、最高に輝ける舞台を逃していたことに誤魔化しはきかなかった。

『緒方は俺の元を離れてしまうだろう。それも近い将来な』

『だからあ、そんな弱気になんてならないでくれよ。安っさん!』

『弱気なんかじゃない。あいつの欲深さに敬服しているだけだ。いや、腹黒さって言ったほうが適切かもな、この際』

そう語る安田の中の緒方健一は、父の中に閉じ込められた“緒方健一”とは、余りにもかけ離れていた。

『どうしてそうなるんだよ。なあ、緒方くんていい奴だろ?』

父の緒方に寄せるその思いは、変わらず真っ直ぐだった。

『ひょっとしてお前、トウチク時代を自慢したのか、奴の前で?』

『えっ、―――自慢なんてするもんかよっ!。ただ、周りが囃し立ててただけさ』

歌謡祭の盛り上げと称して集った飲み会での自慢話が、ふと、父の脳裏をかすめた。

『はあ――ん、一言もなかったって訳だ。小森靖志、いやっ―――、小森ゆうじの武勇伝はな?』

安田が父のそれを見透かしたように、意味深に父に向けて言った。

『それがどうしたって言うんだよっ―――!。例え、おれの話が出たからって、それが緒方くんとどう関係するんだよ?』

『大いに関係するね。したたかにトウチク入りを狙ってるさ。今頃、―――奴はな』

『トウチク入りだって?』

『そうだ。お前が奴にほのめかしたからな』

『―――ええっっ!』

安田は父のことを全て見通していたかのように、不適に笑っていった。

『緒方くんが話したのか、あんたに?』

『は――ん、やっぱりそうか。そんなことだろうと思ったぜ。へへっ』

『あちゃ―――っ』

単純明快な、父の自白にも似たお粗末な反応だった。

『なあに、お前が言わなくてもはなっからそのつもりだ。体よく俺のことを利用しようって腹だよ。緒方の野郎』

『そんなに腹黒いのか?、緒方くんって』

『いや、良い子で通ってるぞ。素行も人並みだからなあ』

『はあっ?』

その安田の話しぶりは、矛盾以外の何ものでもなかった。

『じゃあ、どうしてそんな風に言うんだよっ?。なんだ、結局真面目なんだろ?。緒方くんってさ!』

『ああ、今のところは・・・、これといって問題はないからな。騒ぐほどのことじゃないかもな』 

『だったらいいじゃんか。取り立てて言うほどのことじゃないんだろ?。も――う、人を疑い過ぎだよ安っさんさあっ!!』

父の言い分はまったく道理を外してはいなかった。その反面、安田の口走る緒方への疑心の塊りの方が、父には理不尽にさえ思えるくらいだった。

『奴の口から聴いた訳でもないんだけどよ―――。戦争でな、両親と兄弟を亡くしたらしい。それからは荒れ果てた少年期を送っていたみたいだ。しかも、やくざとつるんで詐欺まがいの悪行三昧だって話だ。そんな16の悪ガキがな、今更、善良な人間に変われるはずもないだろう。―――そうは思わないか?』

『そうは思わないな―――。人間ってさ、変われるんだよな。驚くほど生まれ変ることが出来るんだぜ。おれはそう確信するよっ!』

即答を由とした父の言葉には、あくまでも緒方健一へのこだわりを否めなかったようだ。だからこそ目の前の安田に対して正面から自論をぶつけられたのだ。


“人間は変われる―――”と、そう言い切った父には、ある種の確信があったのだろう。

『へえ、お前の口からそんな言葉が出るとはな。いやいやどうして、立派に哲学を語ってるじゃないかよ』

そう言いながら黒縁メガネを外した安田の素顔は、意外にもインテリジェンスな横顔を見せていた。

『―――あん時にトウチクに入れてもらったからさ。秋山さんや他の人達に世話になったからさ。どうしようもなく生意気なおれの人生も、修正できたんだと思うんだ。正直、おれ自身が感じたことなんだよな。だからこそ、そこは譲れないんだよ―――』

父の実感が、そのまま確信の言葉として貫かれていた。

『―――そうか。まあ、あくまで俺の見立てだ。それに限ったことじゃないけどな』

真顔になった父の言葉に対して、安田の反論はあくまでも控えめと言ってよかった。

それにしても僕には、他にも気になることがあった。それというのも緒方健一に向けられる苦言においては、あの小幡さんにも同様に感じ取っていたことだった。


父の中で余りにも美化され続けた緒方健一という男。つまり―――、僕は得体の知れない“緒方健一”像を、つい想像してしまうのだ。

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