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立花勇気の乱入

『戻ったよ!。さあ始めようか、小森くん―――!』

帰る早々、服部さんは父に声を掛けた。

『あら、お帰りなさい』

『綾子、小森くんはどうしたんだい?』

応接に父の姿の無いことに、服部さんが拍子抜けしたように言った。

『あなたが遅いから、もう稽古に入ってますよ。小森くん』

『―――なんだそうか。いやいや、小幡さんの話が止まらなくてね、つい長居をしてしまったよ』

『早く行ってあげてくださいよ。先生―――!』

『そうだね。ありがとう、―――綾子』

服部さんは気付いていた。父と綾子さんの心の取引が、円満に交わされたことを。


『お待たせ!。遅くなったね、悪く思わないでくれ』

『時は金なりっていうでしょ・・・。まったく、世話を掛ける先生だよな!』

『おや、睡眠不足は何処にいったのかな?』

『若さに勝てるものなんてないよ!。そうでしょ?』

『はははっ、言うねえ小森くん。しかし、いい顔になったな。―――君』

父の顔には落書きされたように、その“心”が記されてあった。

『解るの?、服部さん』

『うん―――さあ、始めようか!』

『はいっ―――!』

この日は相当遅くまで、ピアノの音が鳴り響いていた。

“夢浪漫”。満を持しての父の持ち歌として、大きく羽ばたく未来を予感させた。



『服部くん、いい曲を聴かせてもらった。礼を言うよ、ありがとう』

『小森くんの力のお陰ですよ、会長』

『いやいや、よくぞ奴の才能を引き出してくれた。やはり、服部良二の名は後世に遺せると、改めてそう確信させられたよ』

『そんな大袈裟なものじゃありませんよ・・・』

秋山の爺さんと服部さんの会話が、トウチクの会議室に響いていた。

『―――失礼します!』

『おお神部くん待ってたぞ!。どうだろう、この曲で勝負出来るだろうか?』

入室した神部さんに、会長が早々と結論を求めた。

『ええ、充分すぎる内容だと思います。服部先生、―――流石ですね』

『いやあ、神部さんにまで褒めていただけるとは、実に、恐縮です』

『早いタイミングで出したいのだが、どうだろうな』

『はい、営業と調整出来しだい、走りたいと思います』

『うん、そうしてくれ。昭二のほうには、私から落としておこう』

『それと―――会長――』

するとおもむろに、神部さんが秋山の爺さんの耳元で何やら囁き始めた。

『実は、立花勇気と揉めていまして―――』

『―――うん?、立花がどうした』

『この度の曲の件で―――。どうして小森なのかと、奴が―――』

『―――そうか、立花の奴、相当自慢しておったとは聞いていたが』

若手の最有力候補に名を挙げていた立花勇気の存在が、ここに来て厄介な問題を引き起こしていたのだ。

『立花って、あの色男ですよね』

何気なく服部さんが話に加わった。

『服部くん知っているのか?、立花を』

『ええ、何度か聴いたことがあるんですよ、彼の歌声を』

『―――で、どう感じた?』

『単刀直入に申し上げます。彼には伸びしろが見えません。既に頭打ちって感が否めませんね―――』

『やはり君にも、そう感じるようだな』

『正直、この先では通用しないと見ます』

そんな二人の会話のやり取りに、いつしか立花に向けて言った父の言葉を、僕はふと思い出した。


“―――熟成した大人の声色なんて使ってんじゃないぜえ!”。


あの日、デパートの屋上で立花に放った父の忠告とも言える一言が、その予感が的中していたのだ。

やはり小手先に頼っていた立花の歌には、将来性は閉ざされていた。

『神部くん、立花との契約はどうなっているんだね?』

『あっ、はい。確か、今年で切れるはずですが』

『これ以上厄介になるのならば、いっそ、切っても構わんよ』

『それでいいのでしょうか?、―――会長』

『君に任せる。円満に解決してくれ』

『―――はい、承知いたしました』

立花の処遇が、たった今決定された。会社にとって価値のない者は、容赦なく追われてしまう。それがこの業界の厳しさでもあった。

『油断出来ない業界ですね。今更ながらではありますけど』

『ははっ、服部くんが言うと実に辛らつだなあ。しかし、どの世界でも同じようなものさ。弱肉強食は世の習いとも言うからなあ』

秋山の爺さんのその言葉は、父といえども油断の出来ない格言に等しかった。

 

父の待望の曲がその宣伝広告が、会社ビルの外壁に飽きるほど貼り付けられていた。吹きさらしの師走の風が、それらを大きく煽っていた。

『やっほ――っ!。いい眺めだねえ、こうして見るとおれもまんざら男前じゃんかよ!。ねえ、秋山さん』

『―――見栄えで勝負するんじゃないんだから。それは余計だよ』

『だって、歌だけじゃ商売にならない時代がくるんだろ。西側では当たり前だってさ』

『もっと先の話だよ。まだまだこの国には定着しやしないさ』

『その先陣を切る―――!。まあ、そんなところだな』

調子に乗りやすい父が更に調子付いていた。方々に貼り付けられたポスターに写された父の横顔が、やけに大人びて見えた。幾分、脚色されてはいたけれど―――。

『靖志よお!。お前もうすぐ出番なんだぞ、ちゃんとここに居ろよ!』

『神部さん、心配性は治っていないようだね。どっしりと構えなきゃ、男なんだからさ!』

『まったく―――。お前こそ、足が震えてんじゃねえのか?』

『あはっ!、―――やっぱりい』

トウチク・レコードの社運を賭けた新人歌手の発表会が、今まさに開催されようとしていた。一階ロビーに陣取った報道各社からは、熱い眼差しが注がれていた。

『服部くん、能書きは大丈夫かな?』

『―――いえ、素人同然です』

『まあ、君のことだ。そのへんは上手く立ち回るだろうけどな。―――心配なのは、あいつだけさ』

『会長、彼なら僕よりも雄弁ですよ。保証します』

『なら、いいんだけどな』

『―――お集まりの皆様方には、本日はお忙しい中ご参集賜り、誠にありがとうございます。高い席からではございますが、厚く御礼申し上げる次第でございます。我がトウチク・レコードの今後を担うべく、この度、有力なる新人のお披露目をしたくお集まりいただいた訳でございます』

ほどなく会の始まりを知らせる声が発せられた。瞬間、ロビーに緊張が走った。秋山営業部長からの詞が、粛々と流れていた。

『靖志、そろそろ行くぞ!』

『判ってるってえ、落ち着きなよ神部さんさあ』

『ああ、落ち着いてるさ、もちろん・・・』

さっきから、まるで地に足が着いていない神部さんだった。

『我が社の誇る新人を、今ここに紹介します!!。その曲名、夢浪漫。歌うわ、小森ゆうじで――す!!』

秋山さんの高らかな声は、場内を盛り上げるに充分なほど効果的だった。

『―――靖志!、走れ!』

神部さんからの指示で、父は背中を押されて表舞台に歩み出た。

途端にカメラのフラッシュは、容赦なく父へと向けられた。まるで止まっているようかのように、時間は機能していなかった。父の、ぼんやりと足だけが動いていた。

『小森ゆうじで―――――すっ!』

秋山さんの甲高い声で、すぐに父は正気を取り戻した。

『ああっ、小森ゆうじです。よろしく―――』

無愛想な父の本領が、つい皮肉にもこの場で披露されてしまった。

『夢浪漫の作曲者は、ご存知この方、服部良二先生です―――!』

拍手喝采の中、服部さんが壇上に駆け上がった。その落ち着いた風貌は、一流作曲家の余裕さえ見せていた。

新聞各社のカメラが、服部さんに向けて散発された。その光を掻い潜って、にこやかに服部さんが応えていた。

『―――お集まりいただきました皆様!。トウチク・レコードの命題とも言える曲が、先頃完成に至りましたことをご報告申し上げます。この度の楽曲提供にご尽力いただきました、服部良二先生におかれましては―――』

『おいおい、そんなことは判ってんだよ!。早く進めてくれよ、なあ!!』

心無い一人の記者が秋山さんに向けて暴言を吐いた。

『小森ゆうじくんさ、何で君が歌うことになったんだい?。他にも候補が居たって話じゃないか―――』

それに便乗して他の記者も割り込んできた。

『―――君はトウチクにとって特別な存在なのかな?』

何を嗅ぎつけたのか、露骨なな暴言が更に進行を無視していた。

秋山さんの気性からして、その暴言を静止出来るのかが、僕の不安だった


『お待ちください―――。進行予定の都合上、勝手な申し入れはお断りいたします。―――それにそぐわない場合、ご退場いただくことに成りかねますこと、ご容赦ください』

そうきっぱりと言い切った秋山さんの口調には、営業部長に恥じない凄みと貫禄を光らせていた。

『うっ、いやっ―――』

勢い余った数人の暴言記者たちが、急に無口になった。


『服部先生、今のご感想を頂戴したいのですが』

首尾よく秋山さんが、服部さんに話を振った。


『お集まりの皆様、そして音楽関係者の方々におかれましては、盛大なるご期待を添えていただき誠に感謝の念に堪えません。この度のトウチク・レコードの社命を賭けた若手への配曲には、最高のものを提供出来たと、私自身、満足している次第でございます。まさに論より証拠と申します。私の百の思いを、歌い手の小森やすしが存分に披露してくれると信じております』

気負いなく、立派に謝辞を述べた服部さんは、やはりこの国を代表しうる偉人に違いなかった。

要人の挨拶をくぐりながら、当の父は、次第にお粗末な個性を取り戻していた。

『ねえ服部さん。おれ、いつになったら歌えるの―――?』

『しっ―――!、声が大きいよ。今はお人形のように笑っていればいいんだ。いいね!』

『はいはい―――』

秋山邸の躾の成果もあってか、かろうじて父の失態は保たれていた。


一方、その舞台裏では、神部さんと音響の小田村が待機していた。

『神部さん、靖志の奴、ついにやりましたね!』

『ああ、もしかすると俺たちの手の届かない世界に、行っちまうのかもなあ―――』

神部さんの声が、途端に薄れていた。

『そんな薄情な奴じゃないですよ、神部さん!』

『ああっ、―――そうだよな』

『なんだ、いつもの神部さんらしくないよなあ!』

『はあっ・・・そうだな―――、あいつの最高の舞台を作ってやんないとなあ!。せめて、この場での貸しを作ってやるんだ。この先、生意気なあいつを黙らせるためにもよお!』

『待ってました!。それでこそ神部さんの嫌味の、実力発揮ってもんですよねえ!』

『ばか野郎っ―――!。そいつは余計なんだよ、小田村!!』

『あっ、はい―――』

嬉しいんだ。神部さんも小田村さんにとっても、父の晴れ舞台がこの上なく自慢できる場所なんだ。

『―――そろそろですよね、神部さん』

『長いお喋りだよなあ。―――秋山の野郎。いい加減にしろって』

『―――ねえ、神部さん・・・。あそこ、あれ・・・、立花じゃないっすか?』

『―――えっ?、立花・・・どこだよ!』

『ほら、記者の間に立っている、派手な服のー――』 

小田村が指差した先には、確かに立花勇気の姿が見えた。

『ああ、そうだ間違いない。しかし、どうして?』

『神部さん、なんかおかしくないですか?、奴の目―――』

『―――うん?、そうなのか』

父の祝いに駆けつけたにしては、余りに不自然過ぎる立花の配置だった。

小田村のそんな心配を他所に、更に会場は盛り上がりを見せていた。



『ありがたくもご来賓の方々のお言葉、我社の肝に銘じて、邁進する所存であります。皆様のご期待に恥じぬよう、精進を重ねて参る次第です。誠にありがとうございました―――!』

秋山さんのそつのない進行に満を持してか。いよいよ父の出番が迫っていた。

『神部さん・・・あいつ―――』

『―――ん、どうした、小田村?』

『右手に、何か仕込んで―――』

立花の不穏な動きに、ようやく神部さんが反応した。

『それでは、我がトウチク・レコードの誇る新人歌手、小森ゆうじの歌います、“夢浪漫”をお聴きいただきま―――すっ!!』

『あいつ―――ナイフ―――!?』

『神部さんっ!!、ちょ、ちょっとおおっ―――』  

父が勇んで壇上の中央に駆け出した、その時だった!。

『小森い――――――っっ―――!!』

記者達の間を跳び越して、立花が乱入してきたのだ。

『――――――えっ!』

マイクを片手にした父には、その状況がまだ理解できていなかった。

『小森いい―――っっ―――!!』

立花の狂ったような雄叫びが、父に向かって直進していた。

『下がれ―――っ!!、靖志いい――――――っー!』

慌てるように神部さんの声が、父の傍で確かに響いていた。

“ドスッッ―――ッ―――!!”

『ううっっっっ――――――!!』

鈍い感触が、父の胴体に熱く伝わった。

『―――!、か、神部さん―――?』

『な、何てことだ―――っ!』

秋山の爺さんが一瞬、身を乗り出して固まっていた。

父の身体に張り付いた神部さんは、やがてずるずると父の足元に倒れ込んだ。呆然と目の前には、立花の姿が見えた。

『ああぁぁぁっ――――――っ・・・』

声を詰まらせて立花が、震える自分の両手を眺めているだけだった。

『あっ、ああ・・・っ。神部さん―――??』

父の前にうつ伏せた神部さんの背中には、突き立てられた刃物が、妙に光を帯びていた。

『神・・・部・・・、さ―――ん―――!?』

壇上に次第に赤く染み出した血が、事の重大さを知らせていた。

『だ、誰か―――っ!、救急車だあ―――!!』

小田村さんが倒れ込んだ神部さんの傍に駆け寄ってきた。

うつ伏せになっている神部さんは、荒い息を繰り返すばかりだった。

『その男を押さえるんだっ!!、早く―――っ!』

騒然としていた場内では、立花が数人の男たちに押さえつけられ、床に這いつくばっていた。

『立花―――?』

『ははっ!!、どうだああっっ!。お前の夢が―――!、ははっ、台無しだよなあっっ!!。はははははっ―――!!』

狂ったように笑う立花は、父に向けてまるで断末魔の声を上げていた。

『な、なんで―――』

『ハアッッ・・・!、お前にっ・・・!、この座は、渡せ、ないんだああっっ―――!!』

押さえ込まれた立花が、それでも執拗に声を上げた。

『そんな、馬鹿な―――!』

“ボンッッ―――!”

父の右手に握っていたマイクが床にこぼれた。

『ハァハァァッッ・・・!。靖志・・・よか・・・ったなあ・・・今日は―――、線・・は、ぬかれ・・・て・・・ないようだな―――。・・・ハァハァ・・・ハァッッ―――』

『ああ―――、そうだね、神部さん・・・』

膝まづいた父は、神部さんのやっと差し出す右手を握り締めた。

『ハァハァハァッッ・・・。どうした・・・、歌は・・・忘れ・・・ちまった・・・のか・・・よ―――』

『喋らないで!、神部さん―――』

『おいっ、救急車っ!、救急車はまだなのかよっ――!』

父の隣で、小田村さんが悲壮な声を上げていた。

『ハァハァ・・・。小田・・・村あ・・・、静かに・・・してろよ・・・。傷・・・口に・・・、ひびくんだ・・・、お前・・・の、品の無い・・・、声がよお・・・』

『神部さんっ!。そんなこと―――』

気丈な神部さんの、精一杯の強がりだったのだろう。周りの者に心配を与えないようにと、無理に威勢を振りまいていたんだ。

『ハァハァ・・・ッ―――。悪・・・かったな・・・、靖志い・・・』

『―――だから、喋んなってさあ―――っ!』

『ハァハァハァ・・・ハァ・・・靖志よお・・・、ハァ・・・ッッ―――』

『だ、だからあ――――――っ!』

『お前の歌は・・・へへっ・・・、俺は・・・好き・・・だから―――よ・・・』


やっと父に向けて振り絞られた神部さんのか細い声は、たった今―――ついに途絶えることとなった。


『か、神部さん―――っ?、ねえ―――っ、神部さ――んっっ―――!!!』

力尽きた神部さんの口元は、やはり沈黙を続けるしかなかった。けれど父の手を握り締めたままの神部さんは、柄にもなく白い歯を見せ続けていた。

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