小森ゆうじと服部良二
服部良二の下での合宿は、予告通り翌日から始まった。多くはない荷物を背負って、父の覚悟は服部の車へと乗り込んだ。
『小森くん、これから一週間どうぞよろしくね』
『はい、こちらこそよろしくお願いします』
『ぷっっ―――!』
『どうしたの、服部さん?』
『いやっ―――ははっ、まさか君の口からそんな律儀な挨拶なんて、思ってもいなかったからね』
『服部さん・・・挨拶は大切なんだよ。社会の規範だからね』
『本当にそう思ってるの?。小森くん』
『ああ、最近はそう思うようになったな』
『どうしてだい?』
『何て言うのかなあ・・・敵が減ったような、そんな感じかな』
『―――そうだろうね』
『そんな納得なんてしないでくれよ。それじゃあ、まるでおれが悪人みたいじゃないか』
『なあに、君の言葉に便乗しただけさ。それとも君の言葉は上っ面だけなのかい?』
『そんな訳ないだろ!。全部、おれの本心だよ』
『本当かなあ?』
『ああ、正直、挨拶なんてどうでもいいって思っていたけどさ。いざ身に着けると随分役に立ってるんだよなあ―――。今まで気にしちゃいなかったけど、相手の顔がやたら印象に残るんだよ。でさ、おれが元気に挨拶するだろ、そしたら向こうもきちんと返してくれるんだ。そうすると次の会話が弾むって言うか、その、―――何て言うのかな』
『ははっ、会話が成立するんだろうね。自然と相手の懐に入れるんだよなあ、そんな時って』
『そう、そうなんだよ!。不思議なくらい笑顔で返してくれるんだよなあ、こんなおれにもさっ!』
『社会の規範か―――。良いことを学んだんだね、あの人の下でさ小森くん』
毎日、毎度、嫌というほどの挨拶の連続に、知らず知らずのうちに父は、挨拶の訓練を繰り返していたのだった。
それはまさに、犬の調教に違わぬ、会長の思惑だったのだ。
『―――やってみないと判んないもんだよな』
その実感を身に沁みて感じていた父の一言だった。
『皆、そんなもんじゃないのかな?。僕だって言われないと気付かないことって、相当あるかも知れないよ』
『えっ、そうなの?』
『だから君と合宿するんだよ。お互いの垢を落とすためにね』
『――-垢って?』
『人間ってね、自分に甘えて生活する習性が抜けないんだ。いやっ、本来、自分中心なんだな。だから変化を嫌うんだ。元来、他人の介入を受け入れられない生き物なんだと、そう感じるね』
突然、服部から滑り出された人間哲学。その言葉は父の異端な生き方の本音を探っているかのようだった。
『そ、そんなこと当たり前じゃんかっ―――!。誰だって自分勝手に生きたいさ。だから自分を主張するんだろ?』
服部の勢いにやっとの父の返しだった。
『まさにその通りだと思う。しかし、他人を避けてばかりじゃ生きて行けないことも承知の上だよね?』
『まあ、そうだろうけどさ・・・』
『じゃあ、人を受け入れるってどういうことだろうね?。小森くん、君はどう考えているんだろう?』
『いや―――っ・・・。おれ自身、受け入れることなんて無かったからなあ・・・。そんな実感は、ないよな』
服部の意図する会話に馴染めないまでも、父は、今までになく精一杯の誠意を見せていた。
『じゃあ、産まれて今日までの間、他人に甘えることなんて無かった。常に自分勝手に生きて来たと言うんだね?』
『う――ん・・・そんな極端なことじゃないけどさ、でもある意味、そうかも知れないなあ・・・』
『そこなんだよ。君の言う他人に依存しない生きかたって、実際、理屈に合うものだろうかな?』
『だから―――、あ――あっ、もう、そんなに難しく言わないでくれよ。まるで話しにならないじゃんか!』
やっぱり馴染んでなんかいなかったんだ。他人の言葉を安易に受け止められるほど、父は寛大な人物であるはずがない。
『ははっ、悪かったね。少々いたずらが過ぎたようだ』
茶目っ気を含んだ服部の笑顔の前では、父の苛立った感情さえも収めるしかなかったようだ。
『・・・。あのね服部さん、人を試すのもいい加減にしてくれよお!』
『試されてるんだよ。君だけじゃないさ、現代の大抵の人間はね』
『・・・なんだか白けた世の中になってしまったよなあ。いやだいやだ―――』
まるで世間を悟っているかのように、父が眉をしかめて言った。
『小森くん―――白けているのは君の半端な覚悟じゃないのかな?』
『―――半端ってっ、それは言い過ぎだろうよ服部さんっ!?』
『じゃあ、君の歌に誰が本気になったんだろう。いったいどれほどの人が君を欲しがっていたんだろうか?』
『そんなこと分かんないよ、おれに訊かれたってさ・・・』
『どうしてだよ、歌う場所を探していたんだろ?。君の人生を賭したはずじゃないのか?。必死で、本気で歌の道を目指したんじゃないのかっ!?。そんなに無頓着でいいはずがないだろっ!』
『そ、そんなこと言われたってさあっ、どうしようもないだろっ―――』
急に真面目に、強い口調で話す出す服部の顔は、それまでになく真顔になっていた。その勢いに押されたのか父は、どうにも反発のしようがなかった。
父の自由奔放とも思える言動の裏側を、服部はすでに察知していたようだ。
『他人の介入が怖いようだね、小森くん』
『介入って・・・、なんのことさ?』
『君の言い分に立ち入ることだよ。つまり、余計な世話の押し売りって言ってもいい』
『怖いなんてあるもんか・・・。ただ、うっとしいだけだよ。そんな連中なんてこっちから願い下げだね』
『幾つかのレコード会社に世話になっていたようだね』
『ああ、それがどうしたって言うの?』
『頭を下げたのかい、君は?』
『頭なんて・・・下げる訳ないだろっ、仕方なく入ってやったんだ』
『順風満帆ってやつかな、君の場合』
『まあ、そんなところかな』
『どうして諦めたのかな。そんな好条件の会社って多くはなかっただろう?』
『おれの歌を評価してくれなかったんじゃない?』
『は―――っ、やっぱりだな・・・』
父の頼りない返答に、服部が深く溜息をついていた。
『なんで?、そんな言い方ってないだろ、服部さんっ!?』
『―――そうだね、申し訳ない』
全身の力が抜けたように、服部の口元が止まっていた。。
『悪いけど服部さん、あんたの意図が判んないんだよ、おれには』
『小森くんさ―――君の歌に対する情熱って、どこにあるのかな?。その情熱に恥ずかしくない君の言動って、今までどこに眠っていたのかな?』
父とのやり取りの中で服部の感じ取ったものとは、一体、どのようなものだったのだろうか。
『おれは他人には依存もしないし、ましてや媚びることなんて御免だ。おれの人生だからな、おれの思うように生きてやるんだ』
『ふ――ん、強い信念だね。しかも相当なもんだな』
『褒めてんの、貶してんの、どっちだよお?』
『まあ、君の人生なんだから僕がとやかく言えた義理でもないしね』
『な――んだ、結局そこに落ち着くんだ』
突っ込んだ話になると思いきや、意外にも平静さを戻した展開になっていた。
『君の人生に僕が介入してもいいのかな?』
『介入って、そんな大袈裟な話でもないでしょ?』
『正確に言うと、君の歌の人生そのものを否定したいと思うんだけどね』
『―――おれの歌の人生っ!?』
『そうさ、だって君と僕の繋がりは歌の世界にしか存在しないんだよ。君の日常になんてさらさら興味もないしね』
二人の円満な関係を脅かすかのように、服部が淡白に父に攻撃を仕掛けていた。
『服部さん―――。さっきの否定ってのが妙に引っかかるんだけどな。つまり、おれの歌は駄目ってことなのか?』
それを受けるように、父が険悪さを醸し出した。
『うん、駄目だと思う』
まるであっさりと、服部が即答した。
『―――っ!』
『今は・・・を、付け加えるのが正しいようだけどね』
『―――でも、おれの歌は評価出来ないってことだよね―――』
『充分にはね、評価出来かねるな』
『じゃあ、どうしておれのこと引き受けてくれたんだよ?』
『今の君の歌を否定したいんだよ。だから引き受けたんだ』
『今のおれの歌―――?』
『自分勝手に生きてる者の歌なんて、誰も聴いてはくれないからさ。このままじゃ君は潰れてしまう。それがとても忍びないんだよ』
服部の本音がついに父に向けて浴びせられた。
父には、いや、小森靖志の本心には、他人に媚びてしまいそうな劣等感が備わってるような気がしていた。
だから強くいなければならないんだと、そんな強迫観念がいつも根底にあったのかも知れない。自由奔放に見えていたその生き様を、服部は危惧していたのだった。
歌の世界で生きる道を選択した父に向けての、それは警鐘のようにも聴こえていた。
『ちっ、思いっきり否定されちまったよなあ・・・。そうか、服部さんの介入って、そのことだったんだな―――』
『君の嫌いなお節介ってことさ。どうする、こんな僕の下では窮屈だろ?』
気落ちする父に向けて、服部は幾分柔らかく言葉を添えた。
『さすが、服部良二だな。懐の深さが違うよな』
『大丈夫だよ。小森くんの人間性は否定していないつもりだよ』
『当たり前だよっ。そこまで否定される筋合いはないもんなあ』
『ははっ、これ以上の恨みは僕だって回避したいと思っているよ』
『あっ―――、べ、別に恨んじゃないよ、誤解しないでよっ!』
服部の仕掛けたお節介が、父には素直に受け止められていたようだった。
『小森くん、ところで君は歌を愛しているのかい?』
そして間を入れずに、服部が喋り始めた。
『―――ああっ、もちろんだよ』
『それじゃ、歌のためには死をいとわないんだね?』
『えっ?、いやっ―――、それは・・・』
服部の無暴とも聴こえる問い掛けに、父は思わず言葉を詰まらせた。
『それでは、死ぬまで歌う気持ちはあるんだろうね?』
『ああ、もちろんあるさ!』
『じゃあ、歌えなくなったら君は絶命を選ぶというのかな?』
『んっ―――!』
『ほら、言葉に詰まるほどの未熟な覚悟でしかないんだ。そう、君はただ歌を利用しているだけなんだよ。今の君を支えている見栄を、誇示しているだけなんだ』
『―――えっ!?』
服部の確信めいた矢継ぎ早な攻撃に、父は一言も反撃することなど出来なかった。
『歌に命を捧げた者こそが、聴衆に応えることの出来る権利を持っているんだよ。小森くん』
服部の真剣な眼差しは、父の無防備な心を直撃していた。
『――――――!』
もはやこれ以上父には、返す言葉などあるはずが無かった。
『どうだい、それでも歌を続けたいって君は思うのかな?。小森くん』
先ほどとは一転して、服部の穏やかな口調が、父には余計に重圧となっていた。
『・・・。どう、答えたらいいんだよ』
『うん、そこに答えなんてないと思うんだ。あるとすれば、君の歌に対する情熱の深さなんだろうね』
『情熱の深さって―――?』
『他人に何を言われようとも、がむしゃらに突き進む、そんな熱い情・・・とでも言うのかな?』
試されている。父は今、必要以上にこの男に、服部良二という男に試されているんだ。
『ふーうっ、情熱かあ・・・』
『どうしたもんだろうねえ?』
『うん、ありがたいや、服部さん―――!』
『どうしたのかな?。僕の言葉の意味が、解ったとでも?』
『うーん、解ったようなそうでないような』
『本心は、どうなんだろ?』
『情熱はある。どうしようもないほどにさ!』
『勝機は、あるんだろうね?』
執拗に父を試す言葉に、その実、服部自身が試されていくことを、この後嫌というほど思い知ることとなる。
『勝機―――?。それって、どういう意味だよ?』
『この業界で、ずっとやっていけるのかい?』
『うん、そのつもりだけどさ。何か問題でもあるの?』
『問題ってことには及ばないと思うけどね。でも、それには君のやる気と偽りの無い情熱が前提だと思うんだ』
『おれはその気でいるんだ。情熱だって、他の奴らには負けていないさ。あとは、あんた達の出来次第じゃないのかな?』
『―――んんっ、それはどういうことなのかな?』
『若手の育成だよ。だってさ、旧態依然の精神論にしがみ付いてる爺さんたちに、新しい歌なんて理解出来っこないだろ?』
『確かに、それは否めないね』
『だったら、どうして良い子ぶってんだよ、服部さんまでもさ?』
『ははっ―――。あいにく僕は、中間に居座っているからなあ。今までの先輩たちの志を、無下には出来ない立場なんだよ』
『では、問います―――。服部さん、あなたはこの国の歌を愛していますか?』
そんな服部の言葉に、突然、父が反撃を加えた。
『―――えっ?、なんだよ、今度は僕の番なのかい?』
『いいから、答えてもらえないかな!』
『あっ・・・はい、愛しています』
『この国の歌は、永久に遺せると思いますか?』
『はい、もちろん遺せますよ』
『では、この国の歌の純血には道はありますか?』
『道はあります。しかも、堂々と開いていますよ』
『あなたにとって、純血って何でしょうか?』
『そうだなあ、日本人の心をそのまま反映した歌だと思うな』
『その心とは、どういうことを示していますか?』
『示せるほど、簡単ではないんですよ。だから、僕も模索しているんだよなあ―――』
『正直なお答え、しかと賜りました』
ここで服部に対しての父の質問が終わった。
『こんな具合で良かったのかな。小森くん』
『お付き合いありがとうございました』
『もういいさ!。いつもの君に戻ってもいいんだよ』
『いや――っ、服部さんってホントに正直なんだねっ!。しかも、全うだもんなあ、いちいち答えがさ!』
『僕の信条はね小森くん。人に嘘をつかないことなんだよ。嘘は結局、自分を誤魔化してしまうんだ。そんな人間に、人の心に響く曲なんて書けないからね』
『へ――えっ、立派なお方だよなあ。服部さんてさ』
『ははっ、自分に正直なだけだよ』
『正直かあ―――。おれも、あやかりたいよな。でさ、服部さん。どうしてトウチクに肩入れしたの?』
『肩入れって?、どういう、ことなのかな―――』
『だって、コラムビアに買われたんでしょ。最初、服部さんは』
『―――ああ、確かにその当時はね』
『なんで移籍なんてしたの?』
『いやっ、ほら、色んなしがらみが・・・着いて回るんだよね、この業界ってさ・・・』
『へえ―――、歌にしがらみなんて、要るんだ?』
『小森くんっ!、変に誤解しないでもらいたいんだよ。僕の言ってることってさあ―――』
『金儲けは人を堕落させるって、知ってた、服部さん?』
服部の過去を何故か知っている父は。ここぞとばかりに、したたかさを前面に出していた。
『会社と反りが合わなかったんだよね、―――確か、服部さん?』
『―――えっ?、どこで、それを』
『やっぱりな。あ――あっ、人って試してみるもんだよなあ!』
『あっ、いやっ―――』
父の仕掛けた悪戯に満ちた投網に、まんまと服部は掛かっていたのだ。
『小幡の爺さんが嘆いてたんだ、あん時にさ』
『―――ああ、そうですか・・・。あの人と小森くんが、そこまでの仲だとは知らなかったな―――』
父が、小幡の爺さんの名前を出した途端に、目の前にいた服部が急に小さくなっていた。
“小幡”の名前の響きには、余程の思い入れがあったのだろう。
『僕のことを軽蔑するよね。―――小森くん』
『どうして?。何故、そんな風に言うんだよ?』
『いやっ、そのね・・・』
『会社がどうかなんて、何処で歌ってたってさ。好きな歌に変わりはないんだし。そんな四角張ったことなんてさ、どうでもいいじゃんか。ねっ、服部さん!』
萎縮していた服部に対して、父は救いの言葉を用意していた。
『で、小幡さん僕のことを何て言ってたんだい?』
『えっ、何の話?』
『とぼけないで欲しいな。小幡さんの話を聞いたんだよね?』
『ああ、あん時は・・・確か、古賀久男がなんとかって―――言ってたよなあ』
『―――古賀久男・・・?』
『古賀久男が移籍したって、小幡の爺さんが嘆いてたよな、確か―――』
『それじゃ、僕のことじゃなかったってこと?』
『誰も、服部さんの名前なんて言ってないだろ。会社組織の現状を言ったまでさ。やだなあ!。勘違いしちゃってさ、服部さん』
『・・・。試されたんだねえ・・・君に』
『でも、服部さんの移籍も知ってたからさ。まんざら作り話でもなかったでしょ?』
『ああ、そうだ。まさに君の指摘の通りだよ。参ったなあ・・・』
そう言いながら、服部が父に向けて敬服していた。
『小森くん。君は本当に憎めない男だね。君の言葉の裏側にはどんな人生が備わっているんだろう?』
『そんな大そうなもんじゃないさ服部さん。おれはただ歌っていたいだけさ。それ以外に興味なんてないんだ』
『まさしく―――、情熱だね。君の』
『お褒めいただき、大変、恐縮です!』
『まったく、してやられた感じかな』
父と服部の心の壁が取り除かれた瞬間だった。服部の言った互い“垢”も、この時落とせたに違いない。




