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秋山の爺さんとの面談

『どうぞ、入りなさい!』

『―――あっ、どうも』

『そこで歌わんでも中で続ければいい。遠慮はいらんよ、小森くん』

歌声の持ち主は、秋山会長だった。

『あっ、はいっ―――』

思いのほかこじんまりとした会長の部屋は、威圧感などとはほど遠かった。突然に招き入れられた父は、きょとんと辺りを見回していた。


『ところで小森くん。どうだったね、デパートでの歌い初めは?』

『はい、まあまあでした』

『ほほっ、まあまあとは、えらく曖昧だな』

『緊張しすぎてまして、まあ、そんなところで・・・』

『そうか、君にも緊張することがあるんだな。ところで―――、マイクに頼らずに歌うなんて芸当は、最近、覚えたのかな?』

『ええっ―――!?』

秋山会長は知っていた。誰かの画策で父の歌を妨害した、あの一件を―――。

『会長っ、なんでそれを―――っ』

『いやはや―――まさか東海林小太郎氏があの場に立ち会っていたとはな―――。実に愉快な話だよ』

『東海林―――って、あのっ!?』

歌い手の名前に疎い父でも、さすがにその名前には感服せざるを得なかったようだ。



―――東海林小太郎。1898年(明治31年)秋田県の生れ。昭和の戦前を代表するトップ歌手の一人であった。

当時においても、ロイド眼鏡に燕尾服という独特の姿がとても印象的であった。

常に直立不動を崩さず、まるで魂を削るかのごとく真剣な歌唱の姿に、聴衆は息を?んだとも聞いた。それほどまでに人生を賭した、稀有の歌い手の一人でもあっただろう。

余談ではあるが、少年期に音楽の道を志すも、父親の大反対を受け学業に専念せざるを得なかった彼は、経済学の先へと我が身を追いやったのだ。

早稲田大学でマルクス経済学を学び、その後1923年に南満州鉄道株式会社に入社。しかし音楽の道を捨てきれなかった彼は、ついに満州鉄道を退職。紆余曲折の末、昭和9年に発売された『赤城山の子守唄』で、遅咲きながらも彼の存在をこの世に知らしめる代表曲としたのだった。

燕尾服に身を包んで熱唱する紳士的姿に、多くの民衆は敬意と安堵の思いを抱かずにはいられなかった―――。



『昨日、偶然彼と出会ったんだ。しかし、やけに珍しく話しかけてきたもんだと思ってな。普段はまるで他人行儀な仲だったはずだがな―――』

そう前置きをすると、秋山会長がにんまりと笑った。

『その彼が口走ったんだよ。ははっ、まるで意味の判らない一言だったよ。

“―――僕らの若い頃は、拡声器なんて無い時代でしたから―――、肉声に頼るしかなかったですけどね―――。しかし、最近の若者にしては度胸が据わっている。とても興味ある逸材ですね―――”てねえ。えらく絶賛していたよ、君のその放漫さをね―――』

『ああ―――っ!、そ、そうですか』

マイク無しでの父の即興をほのめかす東海林の言葉に、父はぎこちなく応えていた。

『そうそう、こうも言っていたぞ。“―――彼には誰か確かな師匠が居るんでしょうね―――。あの独特の歌いまわしには、正直、舌を巻きましたよ。おいそれとは真似出来ない、強烈な個性が窺えます。将来が楽しみな若手を抱えているトウチクが、とても羨ましい限りです―――”ってなあ。はははっ―――、私としても誇らしい気持ちでいっぱいだったぞ』

『―――恐縮です。はいっ』

何とか具体的な失態話の言及を免れた父は、会長の笑みに応えるべく、背筋を伸ばして体を繕っていた。

『ところで小森くん、君の師匠とは一体、誰なのかな?』

『えっ―――?』

『居るだろ?、君にも師匠が』

当時の主だった歌手には、少なからず誰かに支持を受けるか、或いは主従関係に当たる系譜を持つことが自然な流れだった。そうでない一匹狼的な存在などには、誰からも見向きもされなかった。そんな保守的な時代でもあった。

『誰って―――、そんな人は居ないけどさ。―――まあ、強いて言えば爺ちゃん・・・かなあ』

『爺ちゃん?。―――ああっ、前に言ってた浪曲のあれだな』

『えっ、そんなこと言いましたっけ、おれ?』

秋山会長と始めて出会った時に父のこぼした何気ない言葉を、やはりこの人は覚えてくれていた。

『言ってたぞ。―――お仕着せだったってこともな』

『―――よく覚えてるよな・・・』

『ううん?、何か言ったか?』

『いえっ、独り言です―――っ』

会長の前だけに緊張してるのかと思いきや、やはりいつもの粗悪な父の態度だった。

『君に影響を与えたとする人物が、どうにも気になってな』

『特には居ないんですけど・・・』

『ほう―――。じゃあ、独学ってことなのか?』

『勝手に歌ってただけです。真似をして』

『真似って―――?』

『ロバートです。ブルースの―――』

『ロバートって―――っ、あの、ロバート・ジョンソンか?』

 

―――ロバート・リロイ・ジョンソン(Robert leroy Johnson 1911~1938)

アフリカ系アメリカ人のブルース歌手。アコースティック・ギターを背負い、アメリカ大陸をブルースの弾き語り行脚を決行。今日のブルースの発展に限らず、後のロック音楽にまでも影響を与えた偉大な人物である。27歳という若さでこの世を去るまで、数々の伝説の持ち主であった―――。



『―――なんと、ブルーズの神様とまで崇められたあのロバートを師に持つとは、いやはや閉口せねばならんか・・・』

『高々、物まね程度です。直接会ったことなんてないし』

『そんなことは承知の上さ、滅多なことを言うもんではないぞ』

『は、はあ・・・』

『彼の、クロス・ロード伝説って知っているかな?、君は』

『クロス―――、ですか?』

『そう、十字路から生れた伝説さ―――』

『あっ、―――いやっ。クロス・ロードって歌は勿論、知ってますけど』

『―――それもそうだ。彼のことを知る邦人も、そう多くは居ないだろうな』

やや低い口調を保ちながら、秋山会長は語り始めた。

―――“ロバート・ジョンソンの、十字路伝説を―――”


『恵まれない少年期を余儀なくされた男だったと聞いたな。まっとうな両親との生活には縁がなかったようだ―――。そんな奴の楽しみといえば、安物の楽器を手に取るくらいしかなかったか―――。

―――ブルーズ・ハープがお気に入りでな、友人と歌を歌う毎日が彼にとっては生きている充実感だった。やがてギターへの魅力に執りつかれた彼は、近所に住むブルーズ・ギタリストと知り合い、ギターの手ほどきを受けたというわけだ。

しかし、いきなり上手くなれるはずもなかろう―――。アメリカ中を武者修行のごとき渡り歩いたようだがな、世間の彼に対する評価は、中々、厳しいものがあったようだ。

そうした中、生れ故郷に戻ったロバートは更にギターに執着するんだ。ははっ、一日中、弦とにらめっこってな具合さ。まるで恋人扱いだな、ギター以外には目もくれない。

驚くことに、ロバートは短期間でギター・テクニックを習得するんだ。周りの仲間からも信じられないくらいにな。

或る真夏の夜に街の十字路に赴いた彼は、ギター・テクニック欲しさに悪魔に魂を売ったそうだ。その後、彼はブルーズで名声を得ることとなるが、契約通り命を捧げるはめになる。そして27歳という若さで生涯を終えるという訳だ。―――誰が囁いたかは定かではないが、それが、“クロス・ロード伝説”の誕生ってことだ―――』


秋山会長は、相当、ロバート・ジョンソンという男に傾倒していたようだった。いやっ、洋楽全般を愛しているかのようにも聴こえた。そもそもブルースを、“ブルーズ”という原語で発音すること事態、会長の奥深さには敬服したいほどだった。

『―――!』

そんな秋山会長の情熱に、父は一瞬、声を失っていた。

『頷けるぞ―――。あのロバート・ジョンソンの魂を身篭ったか。それが君の持ち味となってるんだな。邦楽には存在しない間の取り方、そして高低の差のつけ方。―――そうか、ブルーズにあったんだな。君の歌の根底には』

『そんなに大袈裟にしないでもらいたいな、あくまで齧った程度だから』

『しかし、彼のレコードなんてよく手に入れたもんだ。そうそう出回ってなんかいないぞ。どうやって入手したのかな?』

『爺ちゃんの道楽かなあ。田畑を売って欲しいだけ手に入れてたから』

『ほう、余程の音楽好きだったんだな。君の爺さんも』

『無類の音楽馬鹿だったようで―――』

『その血を受け継いだって訳だな。君も』

『そうなのかな―――?』

『そうかブルーズか―――。即興の許されるアメリカならではの音楽文化の恵だろう。―――しかし、何故、君がマイクなしで歌わなければならなかったんだ?』

『―――ええっ!!』

遠回しではあったが、やはり会長の口から事実確認の尋問が進められた。

『いやっ―――、コードがどうやら・・・』

『まあいい。しかし―――そんな事態があったなんてな、誰からの報告も無いときたもんだ。ははっ、どうやら私の立場も危ういと言うことかな―――?』

『――――――っ』

昨日の舞台での失態。そんな秋山会長のぼやきに、反す言葉なんて持ち合わせているはずもなかった。

『―――で、いつから来れるんだ、我が家には?』

『いつからって、特に決めてなんかないさ。―――いやっ!、ないですっ!』

『ははは、何を緊張しとるんだ?。いつも通りの君でいいんだよ、あの時出会ったようにな』

『いやっ、おれはいいんだけど。―――神部さん達がさ、会長の前では失礼のないようにって、言うもんだから』

『あの神部がか?。いやはや、何とも大人になったものだ。奴にしたって生意気を絵に描いたようなもんだったからな』

『会長―――。本当にいいの?、おれで』

『今更、何を言う。それとも私の家では不服なのか?、君は』

『そうじゃないけど―――。急な話だったからさ、しっくりときてないんだよな、正直なところ』

『そうか。で、君は食べ物に好き嫌いはあるのか?』

『いや、何だって食うさ』

『犬は苦手か?』

『えっ―――?、犬を食うの??』

『そうじゃない、犬を飼ってるんだよ、我が家でね』

『あっ、そういうことか。大丈夫、おれの実家も飼ってた』

『そうか安心した。でっ、君の方からは何かないのか?、質問とか―――』

『うん・・・。会長、どうしておれなんかに声をかけてくれたのかな?。他にだっているだろうにさ』

『君が一番下手くそだったからかな。まあ、そんなとこだ』

『下手って―――、それ本気で言ってんの?。ち、ちょっと待ってよ!、おれ以外に上手い奴ってさ、居ないだろ?、実際っ!』

『ほれ、やっと本性をだしたな。中々、したたかな男だよ、君は』

『あっ―――!』

父の本心を引き出した秋山会長。さすが、トウチクのトップ―――、いや、この国を代表する歌の指導者でもあった。

『君でしか歌えない歌があるんだろうな―――。今からのこの時代を、明るく笑える時代を創り上げる。そんなことを考えてたんだよ。それには、楽曲に縛られない自由な発想が必要だ。基本に忠実な優等生では駄目だ。―――そんな気がしてな』

『おれしか―――歌えないって?』

『君にもまだ気付いていない歌の心がある。私にだって、そんな確証なんてないんだ。君の将来を決定付ける具体的なものなんてな、まだ見えてなんかいない』

『つまり、おれの将来性ってこと?』

『そうだ。言い換えれば大いなる冒険ってやつだな。他の奴等では駄目なんだ。いくら上手くても既に先が見えてしまっている。その点、君はまだ磨かれぬダイヤモンドみたいなものだ。何処まで光を放つのかは、未知の世界って訳だな。はははっ―――』

気負いなく、ただ淡々と父に向けて語る会長の目は、それでも父の将来を見据えているかのようだった。

『ひとつ釘を刺しておこう。いいか小森くん。君の歌唱力は確かに人並み以上のものを感じさせる。しかし、今のままではすぐに頭打ちだ。どう期待したってあと2,3年がいいところだろうな』

『おれの歌に限界があるって言いたいの、会長は?』

『君の歌に限ったことではないぞ、―――この国の歌謡を心配しているだけだよ』

歌に人生を賭した秋山会長の、それは含蓄深い言葉だった。

『これからの歌謡界は激動の時代に入るだろう。衰退か、継続の道を突き進むのか?、予測なんて誰も出来やしない。では、どうすればいいのか―――?。その答えを出せるのかな、君は?』

『簡単さ!。真似をすればいいんだよ、アメリカのさ』

『―――真似を?、するって?』

『洋楽にもっと目を向けるんだよ。心情に訴いかける歌ばかりにしがみ着いてちゃ駄目さ。長調のみに甘えたが最後、抜け出せなくなるんだ。―――つまり、和の真髄ってものが足枷になってしまうってことさ』

『やはりブルーズに傾倒する君の意見だな。だから邦楽を否定するのか、―――君は?』

『否定なんて出来やしないさ。むしろ・・・しがみ付いていたいくらいさ』

『じゃあ、何故にこの国の歌を憂うのかな?』

『―――う――ん、上手く言えないよなあ・・・』

『言葉に詰まるようじゃ、この国の歌謡界は救えないぞ』

『そう言う会長だって解ってるんだろ?、このままじゃいけないってさ!』

『ほほ―――う、私がな―――。で、何を根拠にそう言うのかな?』

『歌ってたじゃないか、聖者の行進をさ。どうして洋楽なんだよ?』

『―――ううむ・・・』

『結局、この国の歌謡がなんて―――、枠にはめ過ぎてるんじゃないの?。音楽ってもっと自由でいいんじゃないのかなあ』

『自由か・・・』

『我が国の伝統にしがみつく悪い慣習こそ、この国の歌謡を狭めている原因だろ。そうなんじゃないの?』

父の鋭い指摘が、この国の歌謡界をことさら非難していた。

『じゃあ、どうしたもんか。その解決策はどこにあるのかな?』

『簡単さ。和洋関係なく歌えばいいんだよ。その時期が来れば、どんどん物資の輸入物が増えると思うんだ。そうすれば音楽だって同じさ、あちらの良い曲がふんだんに入ってくるってことさ。そうすれば労せず聴けるし、歌い手だってもっともっと道が開けるんじゃないのかな?』

『輸入たって、今の時代にそれは無理というものだよ。米国との関係は今、戦々恐々としてるんだ。近い頃合には大喧嘩が持ち上がるだろう』

『大戦って・・・こと?』

『そうだ、世界はそれに向かって準備されているだろうな・・・、間違いなくだ』

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