父の初舞台
『秋山さん、おれ、どんな曲だって歌うから。命を削る覚悟でさ!』
『立派なこと言うじゃないか。さては、誰かの受け入りかな?』
『―――やべ、ばれてんだなあ・・・』
『僕も何度も言い聞かされたよ。あの父の言葉にはまったく感心ものだ。同じ歌をいつも歌っていると、つい気が緩んでしまうからね。そこに落とし穴が待ってるってことなんだろうな』
『秋山さんの親父って、歌手だったの?』
『ああ、かなり昔だったけど。結構、有名だった時期もあったらしい。けれど、第一線から外れてしまったようだ。たまに父のレコードを聴くことがあるんだけど、素晴らしい歌声だよ』
『げっ―――、そうだったのか。生意気言っちゃったなあ、おれ・・・』
『気にしないことさ。そこがお前の良いところでもあるんだし。角が取れた小森靖志なんて、僕は想像もしたくないよ』
『じゃあいいの、このまんまでおれは?』
『お前にもじきに判る時が来るだろうさ、大人社会の渡り方がね。その時までは自然体でいいんだ。背伸びなんて今は何の得にもならないよ』
『そうか、そうだよな』
父の中で少しずつ変化していくものがあった。それは物理的には解明出来ない、目には見えない変化のようだった。
他人の言葉に無抵抗の父を、この時初めて見たような気がした。
結局、神部さんとの揉め事はすでに解消されていたようだ。秋山さんとの言い争いは業務上の成り行きで、特に珍しいことでもなかった。せっかちな父の思い過ごし、つまり、“フライング”だったってこと。
人騒がせな父の恒例は、今に始まったことでもなかったけど、この時ばかりは皆に頭を下げるしかなかったようだ。
順調に仕上がっていく父に与えられる曲は、あの神部雄一郎が手掛ける楽曲となった。
秋山さんの希望でもある洋楽の趣を配慮してか、実にモダンな歌謡曲に仕上げられていた。
―――昭和恐慌の後、ようやく回復された庶民の生活には、演歌・民謡、そしてムード歌謡等の、感傷のメロディーのおかげもあってか、国民の感情はようやく安泰を保てたといっても過言ではなかった。閉塞された闇の時代を打ち破るのには、民衆に根付いた明るい歌声が何よりも大切だったようだ―――。
こうして父の一世一代の歌手人生が、ようやく始まろうとしていた。
『靖志、準備はどうだ?。今日は連発で行くから、へばんじゃねえぞ!』
『やだなあ神部さん。おれはね、そこいらの若手とは違いますって。相変わらず意地悪なんだからさ』
『生意気言ってんじゃねえよお!。誰のお陰で歌えるっていうんだよ。この野郎!』
『誰って、もちろん秋山さんのお陰だよ。おれが歌えんのはさ』
『何言ってやがる―――。俺の後押しがなけりゃよ、お前なんてただの歌好き小僧だ。この馬鹿野郎!』
『はいはい、今後は神部さんの名前も追加するから。そう怒るなって』
『お前のその言葉が気に入らないんだよ!。この、おお馬鹿野郎―――!!』
『ちっ、扱いにくいよなあ・・・』
『な、何て言ったよてめえ!。ったく・・・。いいから、とっとと支度しろよ。ほれ、この辺の荷物運んで。裏口で待ってろ!』
『はいはい、そうしますって』
いつの間にか、父と神部さんとの溝は埋まっていた。神部さんは常に悪役を買って出ていたのだ。そうすることで、甘えの許されない現場環境を作り出すことが出来る。彼はそのことを自らに言い聞かせ、実行していたのだった。
『お――い秋山―――。ちょっといいか?』
『どうしたんですか、神部さん?』
『どうしたもないぜ・・・。あの生意気な小僧の面倒は誰が見るんだよ?』
『誰がって、まだマネージャーなんて早いし、ここに居る皆で見るしかないでしょ?。他に誰か居るんですか?』
『なあ、秋山さ―――。会長に頼めないかなあ、あいつのこと』
『頼むって、まさか会長を小森のマネージャー代わりにするなんて考えてないでしょうね!、神部さん』
『ズバリその通りさ―――。なあ、いい考えだろ。その方が奴にとっても好都合だろ?、ついでに躾もしてもらえそうじゃないかよ』
『躾って、今更―――小森にですか?』
『今更じゃねえだろ!、―――ったく。気付いてんだろお前も、奴の社会性のお粗末さっていえばだな、ここじゃ無法地帯の申し子ってさえ言われてんだぞ!』
『―――そんな大袈裟な。誇張し過ぎですよ神部さん』
『そう来たか。はああ―――っ、まったく父親に似て能天気な野郎だぜ、秋山よお』
歌の出来栄えの前に、父の人間性が裁かれていた。確かに父の放漫さと欠如した社会性には、反論などし難い事実が裏付けられていた。
『誰が―――能天気なのかな?』
『えっ―――!?』
突然の背後からの聞き覚えのある声に、神部さんは一瞬、言葉を失っていた。
『親父・・・どうして?』
秋山さんも会長の声に怪訝そうに振り返った。会長が現場に姿を見せるなんて、最近では珍しいことだったからだ。
『小森の歌の出来はどうなのかな?、神部くん』
『―――あっ、はいっ―――、順調に・・・運んでおります。ああ・・・、今日も、都内で興行の予定が入っておりまして・・・はい。彼の歌声に・・・大変、期待している次第です・・・』
あの神部さんがまるで別人のようにかしこまっていた。
『そうか、私も期待しているよ。何せ、神部くんの後押しがあってのことだものなあ』
『はい、何とか・・・ご期待に沿えるように、全力で―――』
『ああ、小森くんのことだけどね、私の家で面倒見ようと思うんだが。どうだろうね?』
『えっ―――?、会長のところでですか?。それは―――』
『そんなこと急に言われてもさ、おふくろは大丈夫なの?。どうせ、今決めたことなんだろ?』
秋山さんが呆れて仲裁に入った。
『いいじゃないか。お前に迷惑の掛かる話しでもないだろう』
『そりゃ、そうだけど』
『中々、興味深い人材だよ。少し、社会性に乏しいところがあるようだけどね。そうだよね、神部くん?』
『あっ―――。はい・・・恐れ入ります・・・』
『家内と二人っきりだ、丁度いいじゃないか。さぞかし賑やかな家になるだろうな。善は急げだ、今日の仕事が終わったら、迎えに行くと伝えてくれんか、彼に』
『―――はい、そのように』
『ようし、そうなったらびしびし躾せんとな。君達のような全うな大人になるようにね!。そうだろ?、神部くん』
『あっ、はいっ―――恐縮です・・・』
こうして父は、秋山会長の自宅に住み込みという形で世話になることになった。でも、よくよく考えてみると条件の良い話だ。飯付き、風呂付きで、わずかな生活費程度を払えばいいのだから。
『さあ靖志、もう出る時間だぞ!。俺は後で追っかけるから、くれぐれも上手くやるんだぜ!』
『神部さんこそ、遅れないでよね!』
『ちっ、一言余計なんだよ、この野郎!』
『えへへ―――』
絶妙のコンビの誕生だった。神部雄一郎の手掛けた楽曲は、父の若く伸びのある歌声を、最大限に引き出した最高の曲となっていた。
都内のデパートの屋上を数箇所回る。それが、父の初仕事だった。とは言っても、父のワンマン・ショーなんてある筈もなかった。
数名の所属歌手の歌謡ショーだ。ベテランから父のような新人まで、幅広い歌声のお披露目が予定されていた。
ほどなく現場に到着した父の顔は、少し緊張の趣はあったものの、元来のお祭り好きも手伝ってか、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のようにはしゃいでいた。
『明さん、おれ何番目だったっけ?』
音響担当の小田村明に、何気なく父が訊いた。
『何だよ、おめえプログラム見てないのか?』
『そんな余裕なんか無いって!。歌詞だってろくに覚えてないんだからさ』
『はあ?。そんなんでよく来たよな、どうかしてるぜ―――』
トウチクの若手の中でも、群を抜いた才覚で頭角を現していた小田村明。その男に至っても、父は手を余すほどの逸材だったようだ。
『いいのいいの。その時はその時さ』
『あのなあ・・・』
父の言葉の意味が小田村明には無謀とも思えていたはずだ。本業の歌い手が持ち歌の歌詞を忘れるなんて愚弄は、即、歌手生命の終焉という烙印を押されるに必至だった。
『いいか靖志―――おめえの番はトップだよ。つまり、最初ってことだ』
『えっ!、最初―――?。そんなの聴いてないよお!。おれ』
『あのな・・・、昨日今日決まった訳じゃないんだぜ。いい加減にしろよな!』
『で、何時から始まんの?』
『馬っ鹿か、おめえはよお―――!!』
やはり、父の社会性は乏しかった。と言うよりも、情けないほど皆無にも思えた。
『頼むぜえ―――、おめえの出来次第でさあ、俺まで巻き添えにされたんじゃ堪ったもんじゃねえぞ。そこんとこ判ってくれよ』
『大丈夫だって―――明さん。心配しないで仕事に集中してよ、ねっ、いい?』
『おめえの頭ん中覗いてみたいよな・・・ほんと。一体、どうなってんだよ!』
小田村明に至っても、相当呆れるしかなかったようだ。
『―――新人の小森くんって言ったっけ、君?』
突然、傍にいた男から父に声が掛かった。
『そうだよ、小森靖志ってんだ。芸名は、“ゆうじ”だけどね。ところで―――おたく誰?』
『誰って・・・?、随分と失礼な訊き方をするもんだなあ。少なくとも君よりは先輩なんだけどさ―――』
『そうなんだ、よろしく!』
『立花勇気だ、忘れんなよ!』
『ああ、忘れない。けど、おたくこそ忘れないようにね、おれのこと』
『何だと―――!、そんな言い方ってあるかよっ!』
『おいおい、止めろよお前ら。もうじき本番だからよ、気を抜かないようにしろや!』
小田村の制止で、この場は収まったように思えた。しかし、父と立花勇気と名乗る男の確執は、この先、互いの運命を決定付けることとなるのだった。
この先に待ち受ける予想だにしない、ある事件を切っ掛けに―――だ。
『はい、本番始まるぜ!。小森―――準備はいいかっ!』
『はいな、万全だぜ!』
司会者の発声と盛大な伴奏に送られて、父は舞台に飛び乗った。白いスーツに身を纏った父の姿は、目を見張るほど立派に映っていた。
『最初に歌いますは、新人ながら稀有の歌唱力を持ちます。トウチク・レコード期待の星!、“小森ゆうじ”で―――す!。曲名、“君が待つ丘―――”っ!。どうぞ皆様お聴きくださ―――い!!』
背中でせせらぐ前奏に軽く身を躍らせて、父は観客に目を配っていた。名も知れぬ新人歌手に、場内からまばらな拍手が送られた。




