隠れトラック
最後の曲が終わり、部屋の中は静寂に包まれる。
僕はカウンターに座っていて、最後の煙草を吸い終え、最後の一杯のウィスキーを口に運んだ。時間はまだいくらでもあるし、煙草だってウィスキーだって残ってはいる。でも今日はこれで終わりと自分で決めたから、僕はそれを最後という。
あとは残り一曲聞き終えればそれで完全に終わり。それも僕が決 めたことだった。
席を立ち、カウンターの中に入って残りの作業を進めた。灰皿を片したり、洗い物を拭いたり、日報の空欄に数字を書き込んでいったりと、いわゆる閉店作業を進める。時折、CDデッキを見ながら。 最後の曲は終わったけれど、CDデッキの表示は一秒一秒と確かにまだ時間を進めている。僕の記憶が正しければあの表示が十分を過ぎれば、隠れトラックが流れ出すはず。それまでに大方の片づけを終え、その曲が始まるのに備える。それが今日、僕が本当の最後にやりたいことだった。
なんで今更になってこのCDを聞きたいと思ったのかはわからない。でもふとこのアルバムのことが頭を過り、今になってまた聞いてみたいと思ったら我慢はできなかった。
それはある夜のこと。僕は酔っていて、手元のスマートフォンでネットを開き、酔った勢いのままCDを購入した。ドラゴン・アッシュの「ビバ・ラ・レヴォリューション」。僕が中学三年生のときに聞いていた音楽だ。配送は翌日の日中。僕はそれを確認してあと一杯ウィスキーを呑んで眠りについた。
翌日、僕は日中にCDを受け取り、夕方にはお店にいた。開店の準備をし、それからお客さんを待った。もちろん営業中にそのCD を聞いたりはしなかった。
お店はそこそこ忙しかった。常連が来て、何組か新規のお客さんも来た。儲かるほどの売り上げでもなかったけど、僕は午前零時にお店を閉めた。そしてカウンターに座ってCDを聞き始めた。
一曲目の一音目が鳴った瞬間から、僕は音楽に引き込まれていった。良い曲だとか何か新たな発見があったわけではない。ただただ懐かしくて、当時のことを思い出していただけだった。曲が進むにつれてウィスキーの杯数も増えていき、灰皿に吸い殻も溜まっていった。中学生のときとはまるで違う状況だけど、それなりに僕はそのときを楽しんでいた。
中学生のとき、僕はこのCDを電車の中でよく聞いていた。通学時間は三十分程度。その時間の中で僕はヘッドフォンから流れる音楽に耳を傾け、何を思うでもなく電車に揺られていた。
これから自分がどこへ向かうのか。その三十分の間、僕はまだ見ぬ未来のことばかりを考えていた。途中から英詩で、歌詞の意味など当時の僕にはまるで理解なんて出来はしない。それでも、そのメロディとリズムは僕を過去や現在ではなく、確かに未来へと向かわせ、護国寺の駅に降り立つまで当てのない夢想を僕に思い起こさせた。結局は学校へ行き、興味もない授業に時間を費やし、そして放課後になれば部活。ひたすらに走り込み、たかだか一つや二つが上なだけの先輩にこき使われるだけの時間を過ごして家路につく。
そこに未来なんて何もなかった。サッカーは好きだった。でも好きなだけで、その先に未来があるわけではないし、見出そうと真剣にサッカーと向き合っているわけでもない。
何度も言う。サッカーは好きだ。
でも、そこに未来はない。
そして僕はまた音楽を聴く。部活仲間といる間は馬鹿話に花を咲かせ、笑いながら「またな」と言って電車を降り、そしてそれから音楽を聴く。毎日がドラゴンアッシュだったわけじゃない。スピッツのときもあれば流行りのJポップのときもあるし、まだ聞き慣れない洋楽だったときもある。ただどれにしても、駅から家までの数分間、僕はまた未来を見る。たった数分間、されど数分間。僕は確かに未来を見据え、そしてまた絶望する。家に帰れば、また明日が始まるからだ。
そうやって毎日が過ぎていき、部活も引退し、高校生になった僕はサッカーを辞める。
行く当てもなく、時間が許す限り時間を漂う毎日。誰かとつるんでは人目につかぬところで煙草を吸い、呑みたくもない缶ビールを煽っては吐いて潰れる。好きでもない女の子をどうにか口説いて、 一発やりたいがために「好きだ」と囁き、童貞を捨てて大人になった気になって自慢する。
時間の浪費。無駄。
でも、そうやって高校三年間は過ぎていった。思い返せば思い出らしい思い出は何もない。断片的な記憶こそ脳裏を過るが、それが本当にあった出来事なのかどうかは今となってはわからないし、どちらでも構わない。わかっていることはそれらが時間の浪費であって、無駄でしかなかったこと。そう、僕は時間をただ食いつぶしてきただけなのだ。
あれから二十年。僕はまだこうして時間を浪費し、無駄にしている。
スピーカーが沈黙を保ってからはや十五分。酔っ払った僕の手は呼吸と同じリズムで手元のウィスキーのボトルをグラスの上で傾け、 その度に一息で中身を呑み干していく。意識は曖昧だ。
エアコンの起動音、冷蔵庫のモーター音、時折通りを走り去っていく車のエンジン音。完全なる静寂なわけではないけど、それらの音は風と同じく何かを奏でる旋律ではなく、そこに生じたただの音で、 僕の耳には残ることなく聞こえてはまた消えていき、それを繰り返すだけだった。
僕の意識は遠退いていく。遠くまで。そして近くに。
そんなとき、声が聞こえてきた。
スピーカーから囁かれる人の声。女性の声に聞こえなくもないが、 それは男性の声で、それを認識したと同時にスピーカーの奥から光のような音が響き渡り、僕の意識を引き戻すようにドラムとベース、 そして歪んだギターが鳴り響いた。句読点のように。
明日はまた晴れるのに
僕の心曇り空のように暗い
自然と僕は口ずさんでいた。最初は小さな声で、それから大きな声で。
それからまだメロディは続く。
君は部屋を飛び出して
いつか見た空へと歩いてゆきました
ウィスキーのボトルをグラスの上で傾け、慌ただしく僕はそれを口元で傾ける。
ダダダダン。
きれいな空僕を包み眠る日まで
その笑顔を絶やさないで
いつか見た
同じ空で 同じ夢を見よう
鳥笛のようなコーラスは僕を呼び寄せ、そしてまたどこかへと飛び立たせようとスピーカーから鳴り響く。いつまでも、いつまでも。




