[ˈhaːml̩n]
もしかすれば、その男は狂っていただけかも知れないが、しかし、それは大きな問題にはされなかった
気温は低い
朝から寒空は曇天に染まり、予報では晴れ間は覗かないらしかった
町の大通りの真ん中で、汚い身なりの男が、通学の子供たちに向けて騒いでいる
「この世界を去りたいものは、今夜 橋に集まれ」と
橋は、郊外に在る一級河川に架かる橋だ
街灯も少なく、深夜には稀にひったくりも発生すると言われて居る
当然ながら、子供の通学は地域の大人達に視守られて居る
直ぐに男は取り押さえられ、近くの交番からは警官が二名ほど現れた
「この世界を去りたいものは、今夜 橋に集まれ」
男はもう一度、子供の一団へと叫んだ
視守りの大人に代わり、警官二名が男を取り押さえると、後ろ手に手錠をかけ、連行していった
「きもい親父だったよな」
昼休み、小学生の一人が言った
本当は子供たちは、校庭でサッカーをやろうと集まっていたのだが、直ぐに雨が降り始め、校舎の玄関で手持ち無沙汰になって居た
皆、明るく振る舞おうとして居たが、内心は憂鬱を抱えて居た
大きな絶望では無い
普通に生きて、普通に学校に通っている者が感じるような種類の「致死的ではないが、確実に消す事が出来ないと明白な」種類の感覚だ
言い出した少年ですら、内心は男の言葉が気になって居た
「きもいやつと思われたくない」、「ナメられる切っ掛けになったら嫌だ」、「『普通』で在ろうとしなくてはならない」………集まった子供たちの中には、気の強い子も弱虫も居たが、全員が抱えて居たのはそれぞれ『生きづらさ』だった
最初に喋りだした少年が、返事の無さに気まずさを覚え始める頃
他の子供が「そ、そうだよな」と仕方なく答えた
誰かが続けて一言話した
会話はそこから、あまり大きくは広がらなかった
夜が来た
地方都市の夜は、そこに住まないものが想像するよりも遥かに昏い
この季節にもなれば虫達も息絶え静まり返り、猫も鳴く事が無い
その暗がりの中で背の低い、沢山の影が蠢いて居た
何処の家の子なのかは解らない
多くは何らかの手段で顔を隠し、他の者を視付けても、一声も発する事は無い
そうした群れが、 橋へ向けて歩き出して居た
その後何があったのかは、誰にも解らない
しかし確実に断言出来るのは、『翌朝には町の子供は一人として残ることなく、消え去って居た』という事実だ
どのようにして総ての子供が 橋について知る事が出来たのかは、定かでは無い
ばかりか、その後消えた子供たちは現在に至るまで、死体の形ですら一人として発見されて居ない




