領主の誓い
断頭台の会議を乗り越えた翌日、アルヴィンは自ら領内を巡回する。そこに渦巻くのは、昨日よりも静かだが、より切実な民の絶望。その叫びを前に、彼は領主として、一人の男として、自らの未来をも賭けた、過酷な約束を交わす。
翌朝、アルヴィンの姿は城下にあった。昨日の今日で、領主が一人で現れたことに、民衆は戸惑い、遠巻きに見ているだけだった。アルヴィンは、謝罪の言葉を探していたのではない。この目で、耳で、肌で、民の痛みを直接感じ、そして、昨夜練り上げた計画の幕を開けるために来たのだ。
彼の耳に、領民たちの悲痛な叫びが突き刺さった。
「領主様、もう今年の税は、払えませぬ…」
農民のトーマス・ミラーが、乾いた土に膝をついた。
「このままでは、娘を…人買いに売るしか…」
か細い声は、冬の枯れ木が軋むような音を立てて途切れた。母親の肩が小さく震え、堰を切ったように嗚咽が漏れる。それは、アルヴィンの胸を抉る、痛切な響きだった。
「物価は上がる一方だ! あんたが奴隷なんぞ買ったせいじゃないのか!」
その声に、アルヴィンは足を止め、集まってきた民衆に向き直った。彼は、深く、深く頭を下げた。昨日のような、戦略的な土下座ではない。心からの、謝罪の礼だった。
「すまなかった。私の力が及ばず、皆に苦しい思いをさせている。弁解の言葉もない」
そして、彼は顔を上げた。その瞳には、もはや甘い理想はなく、痛みを分かち合う覚悟の光が宿っていた。
「だが、聞いてほしい。私に、あと三ヶ月だけ、時間をくれないだろうか」
民衆がざわめく。
「三ヶ月だと? それで何が変わるってんだ!」
「全てを変える」アルヴィンは断言した。
「この三ヶ月で、私は必ず、農業などの生産業以外で我々が生きていける道筋をつける。そして、我々を貶める者たちに、一矢報いてみせる」
彼の言葉には、これまでにない覇気が込められていた。
「だが、それには皆の力が必要だ。今の我々は、あまりに無力で、無知すぎる。レオポルドのような男に、いいように言いくるめられるだけだ。これからは、皆にも知恵という武器を身につけてほしい」
アルヴィンは、驚くべき提案を口にした。
「城の書庫を、民に開放する! 読み書きのできない者には、城の者が教えよう。まずは、この世界がどんな仕組みで動いているのかを知ってほしい。なぜ物価が上がるのか、なぜ我々は貧しいのか。それを知ることが、戦うための第一歩だ!」
さらに、彼は続けた。その言葉は、この国の封建的な身分制度を根底から覆しかねない、大胆な宣言だった。
「そして、約束しよう。これからのギルデン領は、『農民の子は農民』という古い慣わしを捨てる。君たちの中に、商いの才がある者がいれば、商人として取り立てる。計算が得意な者がいれば、役人として登用する。手先が器用な者がいれば、職人として工房を与える。これからは、生まれではなく、その者の持つ才能によって、誰もが己の道を選べる領地にする!」
それは、あまりに壮大で、夢物語のような計画だった。だが、アルヴィンの瞳は真剣だった。
「もし、この三ヶ月で、その道筋を何一つ示せなかった時は…」
彼は、自らの首を指し示した。
「このアルヴィン・ギルデンの全てを、この領地の全てを、好きにするといい。私財を分け、この城を明け渡し、私自身が人買いに身を売ってでも、皆の暮らしを補償しよう。これは、ギルデン家の名に賭けた、領主としての誓いだ」
その場にいた誰もが、言葉を失った。領主が、自らの命と財産の全てを賭けて、民に約束をしたのだ。
アルヴィンの演説が終わると、待機していたハロルドやメアリーたちがすぐさま動き出した。彼らは城下の広場や市場を駆け回り、領主の宣言を大声で触れ回る。
「聞け! 領主アルヴィン様が、我々民のために城の書庫を解放されたぞ!」
「学問は貴族だけのものではない! 知恵を求める者は、今すぐ城へ集まれ!」
その声に、家々からさらに多くの人々が飛び出してきた。噂が噂を呼び、城へと向かう人の波は、やがて巨大なうねりとなって城門へと殺到する。城内は、かつてないほどの熱気と混沌に満ちていた。
そして、その人の渦の中。
粗末な農民の服をまとい、顔を布で隠した一人の青年が、他の足の悪い老人や子供たちに紛れ、誰の目にも留まることなく、ゆっくりと、しかし確実に城の正門を通り過ぎていく。青年――タウは、振り返ることなく、町の喧騒の奥、約束の場所へとその身を滑り込ませた。
すべては、昨夜、若き領主が描いた筋書き通りに。