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二匹の蛇の腹の中

ギルデンの若き領主を屈辱の底に叩き落とした夜。バーレーン領主の館では、祝杯が挙げられていた。だが、同じ勝利の酒を酌み交わす二匹の蛇は、互いの腹の中に、全く別の牙と毒を隠し持っている。彼らの邪悪な共犯関係は、より大きな破滅への序曲に過ぎなかった。

ギルデン領の冷たい夜気を背に、レオポルド・マルベリーはバーレーン領主、エグバートの館へと馬を走らせていた。先ほどの「会議」という名の茶番劇の結末を思い出し、彼の唇には自然と愉悦の笑みが浮かぶ。

館の謁見の間では、エグバートが上等なワインを片手に、レオポルドを待ち構えていた。


「くくく…聞いたぞ、レオポルド。あのギルデンの青二才、民衆の前で土下座までしたそうではないか! まさに犬だな! 間抜けな野郎だ!」


エグバートは、腹を抱えて下品な高笑いを上げた。


「これで奴も終わりだ。いずれ俺に泣きついてくるだろうよ。『どうか、このギルデン領を助けてくだされ』とな! そうなれば、この俺がギルデン領を統合し、さらに豊かな領地を築き上げてやるわ! 王都も、俺の財政手腕を認めざるを得まい!」


彼は、ギルデン領の併合と、それによる自らの地位向上が約束されたかのように豪語した。

レオポルドは、その愚かな妄想に、表面上は同意の笑みを浮かべてみせた。


「まことに、エグバート様の手腕には感服いたします。全ては、あなた様の描いた筋書き通りですな」


だが、その内心では、目の前の脂ぎった豚を冷ややかに見下していた。

(痛めつけるのは心地よかったが…あのアルヴィンという男、ただの理想家ではない。あの土下座、屈辱の裏で、奴の目は死んではいなかった。それに、あの執事ハロルド、そして奴が買い取った奴隷の中には、まだ得体の知れぬ者がいる。このまま終わるタマではあるまい)


レオポルドの真の目的は、エグバートの地位向上などでは断じてない。彼は、アルヴィンとエグバートという二人の貴族を争わせ、互いの力を削がせ、最終的に共倒れにさせることこそを狙っていた。

(通常、俺のような市民階級の者が貴族になる道はない。だが…)

王国の法には、抜け道が存在した。国家に対し、計り知れない利益をもたらした者、あるいは国家を揺るがすほどの危機を未然に防いだ者には、その功績の大きさによって、一代限りの貴族の位が与えられるという前例が。

(ギルデン、バーレーン両領が財政破綻と内乱の危機に瀕したその時、俺が颯爽と現れ、事態を収拾する。腐敗した二人の領主を追放し、混乱した二つの領地を救った『英雄』として、俺自身がこの地の新たな統治者となるのだ。その功績ならば、貴族への道も開かれよう)

そのためには、両領がもっと混乱し、疲弊する必要があった。特に、このバーレーン領も、決して盤石ではない。

(エグバートの奴め、毎夜のように宴会三昧。その金はどこから出てくる? 俺が申請書の偽造や、徴税記録の改竄に手を貸し、節税させてやっているからに他ならん。だが、それも限界が近い。この傲慢な豚が、自らの贅沢で転げ落ちるのも時間の問題よ)

レオポルドは、全てを見通しているかのように、心の中で嘲笑った。


だが、レオポルドが帰った後、エグバートの謁見の間には、もう一人の男が影の中から現れた。彼の腹心であり、裏仕事の全てを担う執事だ。


「旦那様、首尾は上々ですな」


「うむ。だが、あのレオポルドという蛇も、いつ牙を剥くか分からん。例の『準備』は進んでいるか?」

「はい。いつでも使えるように」


エグバートの執務室の隠し金庫。その中には、二種類の巧妙に偽装された「保険」が眠っていた。


保険その一:『被害者の帳簿』

それは、現在進行形でレオポルドと共謀して作成している正規の帳簿とは別に、エグバートが密かに作らせているもう一つの偽の会計帳簿だった。その特徴は以下の通りである。

二重計上と架空支出: この帳簿では、全ての取引が二重に記録されている。

一つは「実際の取引額」、もう一つは「レオポルドに指示され、水増しして王国に報告したとされる額」。その差額分は、「執行官への上納金」や「口止め料」といった、架空の支出項目として計上されている。

脅迫の痕跡: 帳簿の余白には、エグバートの震えるような筆跡を真似て、「L卿の強要により、やむを得ず」「断れば我が領は潰される」といった、彼が脅迫されていたことを示す悲痛な書き込みが、計算されたように散りばめられている。

偽の書簡: さらに、レオポルドの筆跡を完璧に模倣した偽の書簡が何通も用意されている。そこには、「エグバート、次の納税も上手くやれ。さすればお前の取り分も増やしてやろう」「余計なことを考えればどうなるか、ギルデンの若造を見れば分かるだろう」といった、レオポルドが全ての不正を主導していたかのような文面が綴られている。

この『被害者の帳簿』一式を王都に提出すれば、エグバートはレオポルドに脅された哀れな被害者へと早変わりし、全ての罪を彼一人になすりつけることができるのだ。


保険その二:『共謀の証拠書類』

これはさらに悪辣な、アルヴィンとレオポルドを同時に社会的に抹殺するための、完全なでっち上げの証拠一式だった。

偽の密会記録: アルヴィンとレオポルドが、ギルデン領とバーレーン領の境界にある森の廃墟で、夜な夜な密会を重ねていた、とする架空の監視記録。そこには、二人が「エグバートを陥れてバーレーン領を山分けにする」計画を話し合っていたとする、盗聴記録まで偽造されている。

偽造された金の流れ: アルヴィンが奴隷を購入した代金の一部が、実は秘密のルートを通じてレオポルドに還流していた、とする金の流れを示す偽の送金記録。これにより、アルヴィンの奴隷購入は、レオポルドとの共謀の証であり、賄賂であったかのように見せかける。

『第三者』による告発状: 最も巧妙なのは、この告発状がエグバート自身からではなく、「二人の不正に気づき、義憤にかられたギルデン領の役人」を装った、架空の第三者からのものとして作成されている点だ。これにより、エグバートはあたかもこの陰謀の被害者であり、内部告発によって初めて真相を知った、という立場を取ることができる。


エグバートは、この二つの「保険」を懐に、レオポルドとの協力関係を続けていた。

(レオポルドよ、せいぜいアルヴィンを痛めつけて、ギルデン領を弱らせるがいい。お前が役に立たなくなったその時が、お前の首が飛ぶ時だ。そして、アルヴィンの小僧もろとも、地獄へ落ちるがいい。二つの領地は、この俺様が美味しく頂いてやるわ)

表向きは固い握手を交わす二人。だが、その腹の中では、互いをいつ裏切り、いつ喰らうか、その機会を虎視眈々と狙い合っていた。

二匹の蛇が絡み合う、底なしの泥沼。

アルヴィンたちがこれから立ち向かわねばならない敵は、単純な悪ではなく、互いの欲望と猜疑心で塗り固められた、より深く、より邪悪な混沌そのものだった。


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