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イミグラントソング  作者: 空一
イミグラントソング
9/23

9. ローリングスター

挿絵(By みてみん)


真っ暗な室内。机に置かれたデジタル時計が二十二時二〇分の光を放っている。その隣にはローディングゲージが減っていくディスプレイのPCを操作する人影がある。データを転送し終えメモリスティックを抜きジャケットに仕舞う。突然扉が開かれ、スーツ姿の議員秘書が入ってきた。

女性が電気のスイッチを入れようとした瞬間、人影に襲われ何も言わず倒れた。人影は女性のうなじに突き刺したナイフをそのままに部屋を出ていった。


一時間後、官邸内は大騒ぎになっていた。女性スタッフ殺害事件のためである。マスコミも駆けつけ日本全土に知れ渡った。

犯人の残したナイフからはイサキの指紋が検出された。

しかし、イサキが現職であるということ、移民系との対話推進という口実のために誕生した初の公務員ということから上層部の都合でイサキは最重要参考人として秘密裏に処理された。さらに警察内部ではイサキの報告に挙がっていた首相暗殺計画に対し緊急対策会議を開いた。

そしてその三〇分後、四友銀行跡地とその周辺、さらにブラックマーケット、また都内近郊にある移民系コミューンには二四時間での監視体制が敷かれた。


署長の田端が額の汗をハンカチで拭いながら県警の廊下を二、三歩走ってはまた歩くといった動作を繰り返している。時計の針が深夜一時半を指した瞬間、自身の署長室の扉を開け中に入る。奥にある重厚なソファーに、ダークスーツの男性が二人、田畑を待っていた。田端はたちまち低姿勢になり、ゆっくりとソファーに腰かけた。

「イサキというのを任につかせたのは君だそうだな」

首相の番犬と恐れられる阿武が咎めるように言う。

「ええ、はい。中々優秀な人材でしてあの、治安の維持に貢献したいと強く希望するものですから署長の立場としてそのうれしく思いまして……」

田端は汗を抑えながら身体を前に何度か傾けながら受け答えた。

「警察内部ではどうカタをつける?」

「はい。今は秘密裏に対策会議を敷いておりまして、重要参考人にイサキを挙げておりまして、ええ、その身を追っております。まずはイサキの潔白を問わねばなりませんが、安心してください」

「いや、イサキが信用にたる人物かは私が判断しよう。君は新堂という男を知っていたのか」

「はい。新堂はあの移民系の職業紹介所を運営していた者でよく市や国を通じてビジネスをしていたようでこの辺りでは有名な人物です。ここ五、六年は衰退の一途のようですが」

「どこで暗殺の情報を知ったんだ」

「都と市の狭間に闇市のような場所がありまして移民系も多く貧しいものたちの生活の基盤になっておりましてそこに時々情報が流れることがあるようです」

「ところで君はどう思う。いまの日本は弱体化の一途を辿っている。金権に溺れた白波などと批判はあるが軍需産業を推進させ確固たる国家をつくるべきだ。警察の統治では生ぬるい」

「恐縮でございます」

田端は深々と頭を垂れた。

「まあいい。この件は警視庁に一任した。君たちはこちらの指示を仰ぎたまえ」

もう一人のダークスーツの男、二階堂が田端に軽く会釈をする。オールバックにした黒髪がつややかに光った。

「二階堂です。この対策会議は私が仕切らせてもらいます。部下もまもなく到着します。まあもっとも、ここは中継地点でしかありませんがどうかよろしく」

「しかしわざわざ阿武先生のお手を煩わせるわけには参りません。ここは私どもの愚直なまでの真摯な捜査にどうかお任せください」

二階堂の言葉に田端が低姿勢に切り返す。

「君は、いくつだったかな?」

「え、あ、はい、私は今年で……」

「君もあまり無理をするのもよくないなあ。分かるだろう?」

「あははは。いやあ、自由に使ってください。はい」


「誠治。誠治」

イサキが誠治の名前を呼ぶ。部屋にはイサキと誠治以外誰もいない。誠治は芋虫のように転がっている。顔は腫れ鼻血が固まっている。シャツは破れ露出した腕や腹には青アザがある。イサキは縛られた手首を上手く捻り誠治の顔を心配そうに覗きこみ何度も誠治の名を呼んだ。足元には誠治がマイコンに渡した角材が折れている。やがて誠治が意識を取り戻した。

「うう……」

誠治が目を覚ます。イサキの顔がぼんやりと浮かんでくる。

「ママ……」

「違うよ」

誠治は我に返る。

「痛っ」

「大丈夫?」

「ああ、クソー最悪だぜ」

「動ける?」

「何とか。今何時」

「分からない。きっと八時間は経ってる」

「マジかよ。ずいぶん寝てたな」

「早く知らせなきゃ」

イサキは扉を見つめる。よく見ると扉近くからここまであちこち誠治を引きずった跡がある。何とか脱出しようとイサキがいろいろと試みたのだろう。

「もう、どーでもいいんじゃねえ?」

誠治が投げやりに言う。

「良くない」

鋭くイサキが反応する。誠治は面倒くさそうに体を壁につけ上体を起こす。

「熱いねえイサキちゃんは。……ポケット」

「何?」

「タバコ入ってるからさ。ちょっと取ってくんねえ」

「ふざけないでよ」

「ふざけてないから、なっ頼むよ」

痛々しい顔で誠治は頼んだ。イサキは黙って誠治に背を向け後ろに繋がれた手を誠治のズボンの前ポケットに突っ込んだ。

「バカ、そこじゃねえよ。ビンビンすんなって。ビンビンすんなって」

「ふざけないで」

イサキはポケットから手を抜き怒鳴る。

「いやアンタが」

「なに?」

「わかったよ、早くしてくれ」

「まったく」

イサキはため息交じりにそう言い、もぞもぞと手を誠治のポケットに突っ込んだ。

「だからビンビン……」

「何かある。……まさか」

「あった?」

イサキがポケットから手を抜くと、鍵が光った。

「これ?」

「手錠のカギだ。マイコンが用意してくれた。あいついっつも俺をこんな役にすんだぜ。ひでえだろ」

誠治はイサキから鍵を受け取ると手錠を外して、一呼吸を入れた。

「ちょっと早く外して」

イサキが怒鳴る。

「はいはいはいはい」

勢いよく立ち上がろうとした誠治は、思いのほか足に力が入らず倒れ込んだ。

「イテ……」

温かく柔らかいものが誠治の顔を包んだ。目を開けると顔がイサキの胸に乗っかっていることに気づく。

「あ」

イサキの膝蹴りが飛んできた。

「ゲホゲホゲホ。怪我人だぞ……」

「早くしなさい」

「ったく、どんな育ちしてんだよ」

「不良少年に言われたくないわね」

「お前なあ、そーゆー態度じゃ助けねーぞ」

イサキは黙って誠治を睨む。

「わーったよ」

マイコンといい、こいつといい、やっぱわかんねえ。なんでそこまでして面倒くせえことに首突っ込んで。あ、Mか、Mなのか。いや、違う。マイコンはぜってーSだ。誠治はブツブツと言いながら、イサキの背後に回り込む。

「あんたさ」

「イサキ。あんたじゃなくてイサキ」

こ、こいつもSか。

「イ、イサキはさ、なんでそこまでして頑張んだよ。移民系なんだろ」

「警察官だから」

「……ふーん」

「……誠治はどうして不良やってるの?」

「……わかんね」

「ふふふ」

「な、なんだよ。お前こそ」

「イサキ」

「……イサキこそ、なんで一人なんだよ。相棒とかいんだろフツー」

「いたわよ。もう死んじゃったけど」

「……そーか」

手錠が外れ、イサキは久しぶりに見る自分の手を一時眺めた。

「俺が当面、相棒ってことでよろしくな」

「そうね。よろしく頼むわ。誠治君」

イサキはそう言いながら扉へ向かう。

「クンはやめろよ気持ちわりーな」

「ふふふ」

ズタボロになった金髪の高校生を見て、イサキはなぜか笑いが込み上げてきた。

「はははは」

誠治も釣られて笑う。

一瞬、イサキには殉職したかつての相棒が誠治に重なって見えた。

「んじゃ脱出すっか」

「扉のカギは?」

「さすがに持ってねえだろ。鍵かかってんのか?」

イサキはドアノブに手を掛け押すとドアはキイと音をたてた。

「開いた……」

「さすがマイコン」

「ふふ。ふふふ。やっぱりただの素人じゃないわね、あなたたち」

「まあーね」

誠治たちは風俗街の表通りに出た。近くにあったパトカーに気づきイサキは応援を頼もうとそこへ向かった。しかし車内には誰もいない。仕方なくイサキは無線をとろうとドアを開ける。

「イサキ、後ろ!」

誠治がイサキに大声で呼びかける。振り向くイサキの背後に警官二名が忍び寄っていた。

「見つけたぞ」

イサキの近くにいた方の警官が警棒でイサキを打った。こいつらなんで俺たちを狙ってんだよ。イサキは刑事じゃねーのかよ。倒れるイサキに誠治が足を引きずりながら駆け寄る。とっさに警官を突き飛ばしたイサキは呼吸に苦しみながらも、放置されたパトカーに乗り込んだ。

警官は銃を取り出そうとベルトに掛かったポケットのフックを外す。もう一人の警官は既に銃口をイサキに定めた。ウソだろ。誠治が警官にタックルをかませると、パンと乾いた音を発し銃弾がフロントガラスに逸れた。マジか。誠治は走り、助手席の窓に頭から突っ込むと、下半身を晒したままパトカーは急発進をした。

パンパンと銃弾を発する音が背後に響いた。

「うひょーっ」

誠治は叫びながら助手席に潜りこんだ。

「どういうことだよ、あんた刑事だろ」

誠治は声を張り上げる。

「知らないわよ!」

イサキが同じトーンで答える。

「くっそー、俺アバラいってると思うんだけど……も少し優しく運転してくんない?」

頭と脚があべこべのまま身動きがとれない誠治をよそに、無線がパトカー内に漏れてくる。

―イサキ発見。イサキ発見。Cタウン跡地にてイサキを発見。パトカーを奪われました。Cタウン跡地に応援要請。

「首相どころじゃねぇぞ」

「このままじゃ敵の思う壺ね」

「どーすんだよっ」

「あんたも考えなさいよ。脳みそあるんでしょ」

パトカーは狭い路地を曲がり飛ばした。さらに狭い路地に入ってゆく。

―容疑者はCタウン付近から逃走中。パトカーに乗って逃走しています。

やべえやべえやべえ、落ち着け落ち着け。ビルの壁にサイドミラーを奪われながらも速度を維持し続ける。

「あ、そうだ」

態勢を整えながら誠治が言う。

「どうする気?」

イサキが問う。

「もうすぐデパートの跡地がある」

「それで?」

「パトカーを置いてこう。一階がだだっ広いから丁度いい。近くに地下鉄がある」

路地裏の先は丁字路になっている。

「どっち?」

「まっすぐ」

「は?」

―…Gaga…Ga…だな……サキ……イサキだな、聞こえるか……イサキ……。

無線が呼び掛けてくる。

「いいから突っ込んでくれ!」

誠治が怒鳴る。

正面の壁には板が整然と打ち付けられている。ショーウインドウかエントランスがあったのだろう。板の幅は十メートル。もし飛び込んだ先が柱だったら、命はない。

「無理よ」

「捕まるわけにいかねんだろ!」

―イサキ、無線をとれ。……イサキ、なぜ逃げる。……お前も連中の仲間か……。

遠くからヘリコプターの音が聞こえる。イサキは口を閉じ正面を見る。座席シートのコントロールレバーを引き後方へ移動させる。

「座席を後ろへずらしなさい!」

「うお」誠治も急いで言う通りにする。

路地を抜けたパトカーは大きなエンジン音とともにビルに突っ込んだ。その瞬間イサキは足を上げ、サイドブレーキを引く。パトカーは板張りを抜け数ある商品棚やレジをなぎ倒し一階フロアの中央部分にまで到達し何とか止まった。車内の前列には大きなエアバックがふたつ膨らんでいる。助手席のドアが開く。誠治の足が出てくる。運転席のドアが開く。ああ、生きてるって素晴らしい。

「大丈夫か……」

誠治が膨らんだエアバックに挟まれながら何とか脱出を試みる。ボフっと空気の漏れる音がしてイサキのエアバックがしぼんでいく。無表情なイサキの顔が窺える。イサキはもがく誠治を見つけエアバックをナイフで切りつけた。生ぬるい空気がイサキに向かって飛んできた。誠治は安心してため息を漏らしシートベルトを外した。

「おお、ワリいな」

「どういたしまして」

ヘリコプターの音が次第に近づいてくる。

―逃げられんぞ、イサキ。…イサキ、無線をとるんだ。

「見つかるのも時間の問題だな。逃げるぞ」

「待って」

イサキが誠治を引き止める。

「何だよ?」

イサキは無線機をとる。おい。誠治が素早くそれを制す。

「バカ何やってんだよ」

「逃げるんじゃないの。追うのよ」

「この状況でどうやって追うんだよ。どこ行ったかもわかんねーし、それに無線なんかしたら…」

誠治は言いかけて言葉を止めた。新堂の仕業か。

「だから聞き出すのよ。警察から」

「後でいいだろ?」

「新堂にはきっと時間がないはずよ。やるなら今日よ」

「もう手遅れかもしれねーじゃんか」

「そーね」

イサキはそう答えて無線機に手を伸ばす。イサキは誠治に目を合わせた。

「やるだけやってみたいの」

イサキは無線をとる。誠治は手のひらを額にあて空を仰ぐしかなかった。

「イサキです」

―どこにいる。

「私を追う根拠は?」

―どこにいるか聞いているんだ。答えろ。

「時間がないの。新堂が動いている。私を追ってる場合じゃない。首相はどこなの。首相が危険だわ」

―どういうことだ。

「しらばっくれないで」

―新堂はどこにいる。

「分からない。でも彼らは今日実行に移すわ」

―一度こちらに戻るんだ。

「私を追う根拠は何?」

―本当に知らないのか。


 Pachi


後方で微かだか音がした。

ビルの外側にはパトカーが数台、警官が十数名詰めかけている。板張りが破壊された建物の路肩部分に銃を抜いた警官隊が集まる。二名の警官が先に到着し、中の様子を窺う。一人が裏手に廻るように合図を出す。後方の五名が向かった。先の二名は中に潜り込む。

「パトカー発見、近づきます」

「三名援護します」

「了解」

二名が左右に別れ商品棚に隠れ進む。三名のうち二名は後に続き残り、一名はスコープで遠距離から様子を窺っている。先方二名が廻り込みパトカーに近づく。奥に裏手に廻った警官隊も待機しているのが分かる。パトカーを注意深く覗くが、商品棚が倒され視界が悪く全体が見えづらい。

「前進します」

パトカーのサイドミラーが破損しているのを確認し後方から近づく。一名が車内を覗く。誰もいない。前に急いで回り込む。誰もいない。警官の顔が歪んだ。

ヘリコプターの音が近い。イサキと誠治が線路の上を走る。誠治は走りながら言う。

「無駄だったな」

「いいえ、まだ首相は無事よ」

「なんで分かんだよ」

「とぼけてたでしょ。まだ何も起きてないことになる」

「あー」

二人は地下鉄に潜った。


黒塗りのコンチネンタルから田端が降りた。「田端」の表札を掲げた大きな和風門を田端がくぐるのを見届けると、運転手は車を出した。

玄関へのアプローチで田端が驚いたように立ち止まった。

「随分派手にやられたもんだな」

相手が分かり、安堵したように田端が言う。

「なぜ私を追うの」

田端は門をゆっくりと閉める。門の脇には誠治が銃を突きつけ、その反対側にイサキがしゃがみ田端の足に銃口を向けている。

「昨夜何者かが官邸内に侵入した。情報部員の女性を殺害。犯人は君だ」

田端が口を開く

「私は新堂に拘置されていたのよ」

「まさか暗殺計画が本気で動くとはな。お前の無実には時間がいる。なにしろ、指紋付きナイフがあったからね」

「私には動機がないわ」

「いいか、一次元的なものの見方をしていたら解決せんぞ。二次元、三次元、四次元、状況は刻刻と変化する。権力や資本、いや、生き方そのものが欲望に呑まれて善悪すら変化してゆくのかもしれんな」

「何言ってんだ?」

誠治が溜まらず突っかかる。

「今日の首相のスケジュールは?」

「もう味方はいないぞ」

「分かってる」

「おいおい。俺がいるじゃん」

誠治が緊張感のない声で訴える。イサキはため息を吐く。田端は、ズタボロの青年を見遣る。

「どこで拾ったんだ」

「さあね」

「まあいい。首相は、午前中は官邸内だ。午後からは、国会だろう。二〇時に四谷の料亭で会食がある。新堂が狙うとしたら、ここだ。おそらく狙撃でな」

「なんで、そんなこと分かるんだよ、オッサン」

「料亭は、四方をビルに囲まれている。しかも暗殺の計画は首相の耳にも既に入れてある。近づくのは危険だ。そう考えるのが自然だろう」

「そこまでわかってんなら、俺らの出番なしって感じじゃね?」

「イサキ……」

田端は誠治を無視し、優しく声をかける。

「私の家は安全だ。少し休むといい。戦略も練りたいだろう」

そう言いながら田端はカバンの中にある大きく丸めた地図をイサキに見せた。

「そうね。そうします」

イサキは銃を下ろした。

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