7. レット イット リップ
どんよりとした厚い雲に覆われて、日暮れ前だというのに、すっかり暗い。
国立センターと彫られた巨大な石が緑に囲まれ施設前に鎮座している。簡単に説明するとここはブタ箱だ。重度の精神疾患や神経症の患者がここの別棟に収容され犯罪者として扱われている。死人に口なしという慣用句を彼らに当てはめるならば差し詰め生霊とでも言おうか。
誠治が暗い廊下を進むと、非常灯の明かりが青くぼやけていた。重く閉ざされた格子扉が静かに並んでいる。その奥に集中治療室があり、隣太郎が寝ている。傍らに三次が佇んでいた。
「随分遅い登場だな」
誠治は、三次の背中に話す。
「医療費も負担なしでよかったな」
誠治は言葉を付け足す。
「いま金の話はいらんだろう」
三次が軽くいなす。
「お前がろくに働かねえからだろが」
「どうするんだ、もうすぐ高三だろ? 働くのか」
「俺のことなんか、どうでもいいだろ」
誠治は、もたれていた壁から離れた。
「俺が兄貴をこの監獄みてえなトコから出してやっかんな。テメエみてえな何もしねえ奴はいらねえんだよ」
三次は何も言わずゆっくりと目線を落とす。
「イライラすんぜ」
捨てゼリフを吐き誠治は病室を出る。三次が声をかけた。
「お前と隣太郎は同じだな」
諦めにも似た声に誠治は立ち止まる。
三次は言葉を続ける。
「何を企んでるのかしらんが、隣太郎もお前と一緒で責任感が強い。どうやら、誰かに火を点けろと吹き込まれたらしい。中庭で、聞いていた人がいるんだ。隣太郎にも善悪は分かる。ただ苦しかったんだろうな。友達を裏切るのが」
要するに隣太郎は犯人じゃないらしい。兄貴に拒まれた誰かがやったってことだ。今んとこ一人しか思い浮かばねえけど。
「誰だよ、兄貴にンなこと吹き込んだ奴は」
「そっとしといてやれ」
誠治は思いっきりドアを蹴飛ばし病室を後にした。
Gan
エントランスのドアを足で押し開け門までの距離三〇メートルほどのスロープをふて腐れた誠治が降りている。門のあたりまで来るとテッペエとジンが待ち構えている。誠治は「よう」といった具合に右手を上げた。テッペエが一声かける。
「兄ちゃんどうだ?」
「ああ、どうやら犯人は別にいる。迷惑かけたな。カトウはどうだった」
誠治は怒りを腹の奥底に押し込み答える。
「全治二カ月だってよ、ひでえ有様だ」
誠治は大きなため息をつきながら相槌を打つ。ケジメをつけるときが来たようだ。
「それで。シゲは?」
「東京四友の廃屋にいる」
テッペエが間髪をいれず答える。
東京四友の廃屋といえば、表向きは職業紹介所だが、噂ではデモを取り仕切っている団体の本拠地と言われている。かつてはもちろん紹介所として機能していた時期もあったのだが、なにしろ労働者が減り施設の維持が難しくなったようだ。警察も、このあたりの移民系の数にたじろいでいるのが現実だ。夜には定期的にパーティが催され移民系や貧しい人たちで賑わい、誠治たちもシゲとつるんでいたときにはよく顔を出していたが、このバーもまたカモフラージュとしての姿であろう。
「やりにくいな」
誠治が一呼吸おいて言った。
「今回はちょっとやばそうだ」
ジンが続く。
「でも面白そうじゃん」
テッペエがすかさず答える。
「んじゃ、いくべぇ」
ガツンと三人の拳がぶつかる音が響いた。「一個足んねえな」とか「その割にバランスがいい」だの「カトウはいつも弱えから」と笑いながら三人は病院を離れ市街地へ向かった。十月の半ばを過ぎた空はもうすでに暗く、誠治たちの姿はほどなく見えなくなった。
東京四友銀行正面のシャッターがひとつだけ開かれ、備え付けられた白熱灯の明かりが通りを照らしている。『LET IT RIP』、ハードなHIP HOPのリズムトラックに喧騒が加わり午前中の暗いイメージを覆す。ブラックに富んだTRIK TURNERの曲が世界を引っ張っている。入口には『ユニバーサルパーティ』とカラフルなチョークでかわいらしく描かれた黒板が置かれてある。
酒に呑まれ笑いの狂人と化した男女四人グループが肩を組み大声を出しながら通りに出てくる。ターバンを巻いたインド人だかパキスタン人だか区別がつかない濃い風貌の男性と日本人か中国人か韓国人かまたまた分からない黄色人男性、黄色いスウェットを着た黒人女性、茶色いシャツの黄色人女性の一行は通りを奥へと進んでゆく。おそらく彼らも移民系日本人なのだろう。
そもそも在留外国人はここ二〇年で急速に増加し、現在では移民系日本人と呼称を変え、総人口の二割近くまで膨らんだのである。またそのほとんどが日本国民として迎えられているため、日本はかろうじてGDPを維持し続け世界で五位をキープしているが、国民一人当たりのGDPはむしろ下がる一方である。GDPやGNIという指数に国がどれだけ健康であるかを計る能力などない。移民系日本人たちは税金を課せられているが、それとは不釣合いに賃金は低く抑えられ、さらに問答無用に兵役まで押し付けられている。理不尽なまでの不利益も手伝って、移民系日本人たちの団結は固い。
タクシーがシャッター前に停まる。入り口付近でミニボトル片手に騒いでいた若者たちは目の前のタクシーを睨みつけるが、乗客がただの若造だと分かると何事もなかったようにまた騒ぎ始めた。誠治たちは、そんな周囲の変化を気にするそぶりもなく中へ入っていく。ATM前の広場はダンスホールへと生まれ変わり、皆訪問客など目もくれず羽目を外して踊っている。
「ミッチー」
誠治はカウンターで働く黒髪の白人女性に声を掛けた。
ビールを手前の客に笑顔で差し出しながら、自分の源氏名を呼ぶ男を振り向く。
「誠治。おーテッペエちゃん、ジンくん久しぶり。何飲む」
ミッチーが笑顔で答える。
「ミルクプリーズ」
誠治はおどけて言う。
「ははは。いつものね。奥、空いてるよ」
誠治は「サンキュー」といって席に向かった。移民系だからといって、純日本人を嫌う連中ばかりではない。もちろん一部のグループにはそういった者もいるだろうが、彼らの敵は政府や上流階級の人間だ。そんな連中が、このあたりを出入りするはずもなく、この地区は平和が保たれている。ソファーの背もたれに大きな体をあずけてテッペエはズボンのポケットをまさぐった。
「吸う?」
テッペエがマルボロライトのBOXをテーブルに置き、一本を咥える。
「いや、いい」
誠治はちらりとその様子を見てまた視線を店内に戻した。
「ミッチーはやっぱ可愛いよな」
ジンが笑顔で接客をこなすミッチーをみながら言う。
「あれ俺ンだからな」
誠治はダンスホールにあった視線をカウンターに向けて言った。
「ウソつくな」
テッペエが吼える。
「テッペエはガラモンでいいじゃん」
ジンがケタケタと笑いながらテッペエに言った。
ガラモンとは、ウルトラマンに出てくる平和を愛する愛嬌の良い怪獣のことだが、よく似た女性がこのカウンターレディにいるのだ。
「ふざけろ! おめえが持ってけ」
テッペエが怒鳴る。
カウンターからミッチーがカルアミルク一つとライムの櫛形が入ったジンとウォッカのロックグラス二つを運んできた。
「わお」
誠治はミッチーの笑顔に答える。
ミッチーがゆっくりグラスをテーブルに並べる。
「ねえ、ねえ」
誠治がミッチーに話しかける。
「ん?」
「キスして」
それを聞いたテッペエがまたしてもわめく。ジンが笑いながら耳を押さえる。
「俺にも!」
テッペエはミッチーに言った。
ミッチーは投げキスをしてみせる。テッペエは不満げに顔をしかめ地団駄を踏んだ。誠治は突然真顔でミッチーに目を合わせる。
「ねえねえ?」
「今度は何」
「シゲ知らない?」
ミッチーが真顔になる。
「あー、誠治の方が仲いいでしょ、知らないよ」
いるな。ミッチーは明らかに動揺していた。急いで席を離れようとしたが、ジンが腕を捕りソファーに座らせた。近くの野郎が注視する。ミッチーは心配ないと合図する。
「カトウがやられたんだ……シゲに」
ジンが言う。
「最近シゲ、おかしいの」
ミッチーが観念したかのように言った。
「おかしい?」
「何か、やばい感じ」
「ここに来てないか」
「下にいると思う。でも、何かやばい連中と付き合ってるっぽいから気をつけてね」
ジンの問いにミッチーは素直に答えるが、シゲのことは口にしたくないようだ。
「やばい連中って……」
「新堂」
そりゃヤバそうだ。考えている誠治をみて、ジンは「サンキュー」と言ってミッチーをカウンターに帰した。
「この職業案内所の会長だよ。下手すると千人は敵が増える」
ジンが言った。
「そんな大物に、あの馬鹿が信頼されてるわけがない」
誠治は自分の考えを率直に言った。
テッペエはウォッカトニックをグイとやる。明らかに聞いてない。
「つまり捨て駒ってことか」
ジンは何も考えていないようなテッペエを睨みながら誠治に言った。
「もう後には引けねえけどな。とりあえずカトウの敵討ちだ」
誠治が席を立った。
カウンター裏に向かう誠治にテッペエとジンも続いた。カウンターの脇を抜けると厨房と事務室を隔てた通路があり、その奥には地下に続く階段がある。三人はゆっくりと向かう。おそらく階下も一階と同程度のフロア面積だと考えると、いったい何人がそこにたむろしているのかと考えてしまう。一階には、五〇人ほどの客がいた。
「十人くらいだったら何とかなるよな、誠治」
テッペエが言う。
「余裕だ」
階段を降りるとそこは一坪ほどの踊り場になっていて、クリーム色の鉄扉がしまっていた。誠治はカイザーナックルをはめながらジンに目配せする。ジンはオーケーと静かに答えた。ジンが扉を引く。誠治が身構える。テッペエは壁に隠れる。いくぞ。
Gacha
「ゴホゴホ、うへ」
「あはは、だせーなおい」
「もー飲めねえ」
「だははは」
喧騒が誠治たちを迎える。それぞれ顔を合わせて頷きあう。まず誠治が中に入った。十五、六人の男女が輪になって宴会を開いていた。移民系だけあって多種多様な民族の集まりだ。ゆっくり近づくぞ。タバコの煙がひどく部屋が真っ白で視界は良くないが、彼らの中心に紛れもなくシゲがいた。事務机が雑然と重なりその上に腰を降ろしている。やがてシゲが誠治の存在に気づいた。
「おやおや、変な奴らが来たぞ。どこの国のお方だ」
部屋中に充満していた陽気はすぐに緊張に変わり、誠治たちに注目した。
「シゲ。カトウをやったな」
テッペエが口火を切る。
「ああ、カトウ君元気なの? 見舞いに行かんとねえ」
シゲはふざけた口調で言うと、ゆっくり横に移動し壁際にある金属バットを手にした。テッペエが「あんだと?」と返したが「理由を言え」と誠治が言葉を被せた。
「日本人がむかつくからに決まってんだろ」
「カトウは良いヤツだ。そうだろ?」
ジンが返す。
「誰にだって不幸は起こる。そうだろ?」
「不幸過ぎてむかついてるってか」
「何だと」
誠治の挑発に反応した誰かが声を荒げた。
「お前んとこも不幸だったなあ。不憫な兄貴は、死に損なったらしいじゃねえか」
シゲはバットを床に引きずらせながら言う。
「そーいうお前はキャラを間違って出世狙いか」
誠治は動じることなく言い返す。女性たちはこれから起こる出来事を楽しみに見守っている。シゲはテーブルに寄りかかってバットを杖代わりに床をコツンと突付きながら大きなため息をついた。
「何もわかってねーなあ誠治よお。俺ら移民系が日本を変えてやんだよ。俺たちゃ軍隊なんだよ。この街は移民系が支配するし、法律も俺らが作るんだよ。いいか、皆俺についてくる。オメエとは赤ん坊のときからの付き合いだかんよお。仲間にしてやってもいいぜ」
「何マンガみてーなこと言ってんだよ、シゲアキちゃん。お山の大将になって頭ゆるゆるになっちゃった?」
誠治の言葉に、テッペエが声を出して笑う。
「オメエがIDの偽造を突き止めなきゃあ、お袋は死なずに済んだ」
シゲはグリップをギリギリと鳴らしながら低い声でうなる。
「オメエが心底ゆるせねえ」
「乳離れができて良かったじゃねーか」
「十三人」
テッペエがカウントした。
「想定内だな」
「ぶっ殺せ!」
シゲが怒鳴る。
奇襲作戦はとうに失敗だったがまあいいか、今日で確実に終わらせる。誠治の近くにいた三人が殴りかかってきた。誠治は蹴りで応戦し二人を突き飛ばした。もう一人はジンに警棒で殴られ地面に倒れ悶えている。
「かかってこいや」
勢いにのった誠治が興奮して叫んだ。
図体のでかい黒人の持つ金属バットがテッペエの左肩に振り下ろされる。やばい。誠治は素早く男の後頭部にカイザーナックルを突き上げる。男の次の一振りは中断され気を失った。テッペエは左肩をおさえながら金属バットを奪った。残り十人だ。
「テッペエいけっか」
「おお!」
移民系の男たちも不用意に殴りかかってはこない。互いに緊張が走る。
「逃げてんじゃねえぞシゲ」
「ビビってしかけらんねえか」
シゲも言い返す。
「移民系もたいしたことねえなあ」
ジンも挑発する。
「言うじゃねーか」
移民系の一人が反応するが、急に動きを止めた。
誠治たちが入ってきた扉の方から、大人数で階段を駆け降りてくる音が響いた。
「シゲ、警察だ」
「マイコン!」
声の主は紛れもなくマイコンだった。誠治は驚きを隠せない。
「お前、なんで」
誠治と目が合ったにもかかわらず、マイコンたちは誠治を追い越してゆく。
「おい、逃げるぞ」
シゲが皆に叫んだ。移民系の連中は自分の背にある非常扉から慌てて逃げた。上の階がにわかに騒がしくなってきた。
「警察だ。この集会を取り締まる」
「俺らが何したんだよ」
逃げ遅れた男が警官に近づくと、警官は有無を言わさず男の手首を捻り壁に叩きつけ膝裏を警棒で叩いた。男はそのまま跪かされ手錠を掛けられる。
「抵抗は許さん」
警察が叫んだ。
「おい逃げろ」
上の階はますます激しい怒号が飛びかう。
「俺らもいくぞ」
どういうことだよ。戸惑いながら誠治たちも非常扉から逃げ出した。結局なぜこの場にマイコンがいたのか、理解できないままだった。