6. プロミス
『東京四友銀行』と掲げられた看板がコンクリートの壁面から伸びた鉄のワイヤーでかろうじて支えられている。三階建ての鉄筋コンクリート造でありながら、外装にレンガ風のタイルを貼って、厚顔無恥にレンガ造りだと主張する建物が、かつてスーパーバンクの支店だったという事実は、見事にこの国の無節操さを反映している。
既に見た目は廃屋だが、現在は移民系の職業紹介所として機能している。
PM7時から営業
サンクチュアリ
『サンクチュアリ』とは夜間のみ営業される酒場の名前であり、この建物の一階が貸し切られ移民系の酒飲みや若者が集うオアシスと化す。なぜこの建物が酒場に変貌したのかは定かではないが、おそらく少しでも市場を作り出そうと、移民たちが模索した結果なのだろう。
正面玄関には一間幅のシャッターが三枚降ろされている。固定が甘いのか、強い風が吹くたびに悲鳴のような音をたてた。
「失敗は失敗だよ、新堂さん」
かつての銀行の面影はそのままに受付カウンターはバーカウンターとして再利用され、その背後には酒棚で仕切った厨房がある。ロビーのソファーは適当に場所を変えテーブル席となり、そのひとつを数人の男たちが囲っている。
「そうでしょ。結局失敗なんですよ、新堂さん」
深々とソファーに座る浩は唇を尖らせる。
対面にはストリップバーでイサキとやり取りをしていた新堂が座り、二人の間には後ろ手に組み毅然として立つ男たちの中に丸刈り頭で腕に包帯を巻いたシゲの姿があった。
「まあ職業紹介所の会長として大変なのは分かりますがね」
浩が皮肉を込めた口調で言う。
「だから消さないとだめなんだ。あいつは賢すぎる。とにかく、次は確実にやってくれ」
新堂が口を開いた。
「あんな危険な女、どうして入れたんですか?」
「官邸に派遣できた唯一の人材だ。相当優秀でなけりゃ配属されん」
シゲがわざとらしい空咳をする。
「その女が、既に口を割ってるとは考えないんですか」
「シゲ、お前は黙ってろ。俺たちは計画を遂行するしかないんだよ」
新堂が一喝する。
「おい兄ちゃん、俺の話に割り込むな。死にたくなかったらな」
浩が強い口調で叱責する。
「何だ、こら。日本人が」
シゲが怒鳴る。
「重明! いいから皆のところに行ってろ」
新堂にたしなめられたシゲは「チッ」と舌を鳴らすと、浩を睨みつけながら階段を上っていった。
「悪いな。まだ高校生なんだ」
新堂は笑顔で浩に言った。
「まったく大した正義だよ。あんたに協力した女を消せというんだからな」
「この国のためだ。仕方がない。それに……」
新堂は少し言葉の間隔を空け続けた。
「イサキは移民系の出身だ。本心は一緒だよ。だが、目的達成のために、悲劇のヒロインになってもらう」
「移民系のジャンヌダルクか。まあ俺はどうでもいいけどね、金さえもらえりゃね」
「ほう、ずいぶん変わったもんだな。金のためなら、己の思想は二の次か。昔は、正義の味方だった男が」
「だけど俺は信じてますよ、あんたの思想を」
「口が達者なのは変わらんな。それに何人の女が騙されたことか」
「新堂さん、人聞きの悪いことはなしですよ。目に見える誠意も必要ってだけでしょ。それに気が付いただけですから」
「まあ、期待しているよ」
新堂は声を出して笑った。
誠治はアイスキャンディーの自販機からチョコレートチップクッキーを選んで取り出すと、丁寧に巻かれた紙をはずし噛り付いた。二口ほど堪能すると歩き出し次に歩行を止めた。
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「誠治」
呼ぶ声に振り返るとテッペエとジンが息を切らしながら近づいてきた。
「カトウがやられた」
「あ?」
右の眉毛をぐにゃりと歪ませ誠治の表情は一変する。
「ありゃぜってー移民系の奴らだよ」
ジンが言葉を繋いだ。
「カトウは?」
「連れてかれた」
誠治は息があがって苦しそうな二人を置いて歩き出した。
「おい、どこいくんだよ」
肩を大きく上下させながらテッペエが叫ぶ。
「鉄橋に決まってんだろ」
誠治は目を合わせないまま答えた。
カトウは律儀なヤツだ。きっと俺とシゲとの仲を取り持とうとして動いたんだろう。テッペエもジンもカトウのことは分かっていただろうが、それでもカトウはこいつらを振り切って行っちまったんだろう。本当に甘い奴だ。
「あそこに行ったって何もねえよ」
「どっかに捨てられてるかもしんねえし……」
ジンが続けた。
誠治は立ち止まり、すぐに振り返った。
「おめえらがカトウを捨てたんだろが」
本意じゃなかったがつい二人を責めた。そんな自分にも苛ついてくる。テッペエとジンが黙り込むと、誠治は舌を鳴らして先を急いだ。
「おい」
テッペエが反省するジンを促して、誠治の後を追った。
鉄橋には背丈以上にもなる草木が生い茂り、土手に降りると川が見えなくなる。草木を掻き分けながら前に進むとやがて移民系のコミューンにたどり着くはずだか、下手をすると川にドボンとなる。
誠治たちは最短距離で移民系の町に向かった。コミューンには安い木材で打ち付けられた家々が並んでいる。老人から小さい子どもまでが釣りを楽しんでいる。急いで近くにある電気の修理店らしき小屋に向かおうとすると、突然「誠治」と聞きなれた野太い声がした。
見遣ると抱えていた大きな合板を盾のように置く父の三次がいた。頭に白タオルを巻いて白無地のTシャツに短パンという軽装で何かの作業をしていたようだ。
誠治は露骨に嫌な顔をしたが、テッペエとジンはきちんと挨拶をした。
三次は「おう!」と上機嫌で答える。
「相変わらず偽善者やってんのか。何か進展してんのかよ」
誠治は挑発するように言った。
「見て分からんか。進展どころか維持をするので精一杯の暮らしだ。一丁前なことばっかり言いやがって、クソガキが。帰って勉強しろ」
「どーせ酒代でもかせーでんだろ。エラソーによ」
テッペエとジンは三次に軽く頭を下げ誠治の後を追った。誠治たちが駆けつけた店はガラクタの山だった。
「うお」
テッペエが異臭に堪らず声を出した。ジンが窘めるように頭を叩くとスイカのような音が返って来た。
誠治が構わず奥に進むと、薄っすらとNitin Sawhneyの『PROMISE』が耳に入ってきた。
So we hurry, go faster & faster ...
店内の奥には四畳半ほどの畳部屋があり、ライフルを片手にテレビゲームをしている人影があった。マイコンだ。その先にあるテレビの中では悪人たちが次々に撃ち殺されていく。誠治はマイコンに声をかけるが、大きなヘッドフォンをしていて届かない。まあいつものことだ。誠治が近くにあったビスを投げつけると、マイコンはようやく来客に気づいた。ゲームを止めカウンターらしき場所まで出てくる。
「オヤジさん来てたよ。さっき」
草履を履きながらマイコンは言った。
「もう会った」
「何かあったの?」
マイコンは誠治の後ろにいる二人をちらりと見た。
「ああ、シゲのことでな」
「シゲ?」
「仲間が襲われてよ、相手はどうやら移民系らしいんだ。ほら昨日、俺、シゲをボコにしたんだよ」
マイコンは黙ったままだ。
「俺らのID、偽造してたんだぜ、あいつ」
誠治は言い訳をするかのように言葉を付け加える。
シゲとマイコンは俺と同じ幼馴染でもある。あいつは昔っからブレーキが壊れていて、俺たちの諦めの悪さとは違う。自販機に金を入れたのにジュースが出てこなかったことがあった。あの時は兄貴もいて四人で出しあった金だったから俺たちは怒って自販機に当たった。自販機はびくともしなかったが兄貴の蹴りで少し凹んだような記憶がある。結局それで満足したのか俺たちは諦めることにした。でもあいつは違った。次の日、あいつは自販機を燃やした。
マイコンは少し間を置き、やがて重い口を開いた。
「……シゲとはしばらく会ってないよ。それにここ最近みんなピリピリしてるから。デモのせいだとは思うけどね。何か良くないよこの流れ」
「デモって派兵のやつだろ。何か関係あんのかよ」
ジンが会話に入ってくる。マイコンはカウンター脇にある作業スペースで電化製品の残骸を物色しはじめた。
「派兵なんて、キーワードのひとつにすぎないんだよ。要するに不満の塊が俺たち移民系を団結させているんだよ。つまりマイナス方向にしか進まないってことさ、君たちにとってはね」
Piririri
誠治がイサキのことを連想したとき、携帯電話が鳴った。画面には『アカネ』と表示されている。また兄貴が何かやらかしたのかと思った。
「はいよ。どーか」
どーかしたのか? そう言おうとした誠治の耳元から甲高い声がシンとした店内に響く。誠治に視線が集中する。
「おい! 施設が火事だ」
皆の顔に緊張が走る。
施設に到着すると四台の消防車が一棟を囲んでいた。
昼過ぎの時間帯だからか、多くの野次馬が入り口を塞ぎ誠治たちの行く手を阻んでいた。消防隊と警察が慌しく場を仕切っている。
「誠治、こっち」
ジンが叫ぶ。ジンは誠治に塀を登ろうと勧めた。誠治は自分の背丈の倍近くある塀をみるとすぐに塀から離れ助走し駆け登った。
Gwohhhhhh
五階部分が轟々と火を外に放っている。酸素を奪い、火を圧縮する消火活動ユニットのシャッターが作動せず、窓ガラスが割れ火の勢いが治まらないでいる。
「あれ兄貴の部屋か」
誠治はジンとテッペエの方を向いた。
「お前らはカトウを頼む!」
ジンたちの返事を聞くことなく誠治は塀を飛び降りた。庭を越え建物に向かう途中、誠治を見つけ駆け寄ってくるアカネに気づいた。
「誠ちゃん」
「兄貴は?」
アカネは誠治が施設に飛び込むのを制するように両手を広げてみせた。
「兄貴は?」
「あぶないよ!」
アカネは声を張り上げた。
「兄貴は!」
アカネは誠治の剣幕に尻込みした。
「中にいる。火を消しに」
「何だと」
誠治は耳を疑った。隣太郎が火を消すために現場に向かったというのだ。
アカネは叫ぶ。
「大丈夫。消火システムもあるしレスキュー隊の人たちが助けてくれるから」
「他人なんかあてになるかよ」
誠治はアカネの言うことを聞かず施設の中に入ろうと入り口を探した。比較的人のいない窓をみつけ棒切れでガラスを割った。
「おい」
それに気づいた消防士が怒鳴った。
必死で呼び止める消防士数人を振り切り誠治は中に入った。
施設内には人の気配はない。電気も切れ薄暗くまるで何事もなかったように沈黙している。すでに皆避難しているようだ。
「これじゃエレベーターもダメか」
兄貴はきっと上にいる。誠治は廊下に出て階段を駆け足で上っていく。
五階の廊下には紙やペットボトル、洗濯物らしき衣服が散乱していた。火を見て驚き慌てふためいた人たちが互いにぶつかり騒いだのだろう。皆、冷静さを欠き、それぞれが自分や物、あるいは正義感に対してある種の執着を見せるのだから、ベクトルの違う感情の衝突が地獄絵図を生んだことだろう。その結果がこの惨状だ。
レスキュー隊数名が頑丈に閉じた扉の前で作業をはじめている。
「さすがだな。煙ひとつ漏れていない」
多少の故障はあるにしても、室内の消火システムは完璧に作動している。後は扉を開けオレンジ色の炎に留めの一発をお見舞いするのみである。
「いいか。レバーを引くぞ」
レスキュー隊の一人が扉の横にある赤いレバーに手を掛ける。
「ガラスが飛ぶぞ」
レスキュー隊がレバーを引くと頑丈なシステム扉がまずブラインドのような空気弁を開け煙を吐く。一気に酸素を取り込ませないための布石だ。防火扉の内側にある、普段使用している片引き扉のガラスにピキピキとヒビが入る。外側の扉が天井に巻き込まれ収まっていく。内扉の扉が徐々に姿を現し始めると外側の防火扉に支えられていたガラスの破片が廊下に飛び散る。中から水が漏れてくる。
「大丈夫だ。開けるぞ」
レスキュー隊が内扉に手をかけ扉を開けた。一瞬で煙が廊下に立ち込め隊員たちを呑みこんだ。室内は天井まで濡れ、所々に薄く水溜りが張っている。
「人はいるか?」
誠治は三階を廻ったところで廊下に人影を発見した。いや、正確に言うと廊下を誰かが走っていったような気配を感じた。
「あ」
誠治は足を止め廊下に出て人影を追うことにした。
五階のレスキュー隊が室内の消火活動を終えると徐々に煙が晴れていった。各部屋には無残な焼け跡のほかにパイプ部分が剥き出しになったベッドが目につく。廊下にいるレスキュー隊がトランシーバーで現状を報告している。
「被疑者確認できません」
「兄ちゃん……、兄ちゃん」
走りながら誠治は隣太郎を呼んだが返事はおろか足音も聞こえない。突き当たりはT字路になっていて見渡してみるが誰もいない。
Gata
どちらに進むか迷っているときだった。右奥にあるコインランドリーから音が聞こえた。誠治はおそるおそる近づく。もし兄貴じゃなかったとしたら、そう思いながら誠治は拳を握りゆっくりとコインランドリーに近づいた。ぽっかり空いたコインランドリーの入り口とは反対側の壁にもたれながらようやく中の様子を探れる位置に来た誠治は声を出してみた。
「兄ちゃん……」
返事はないが人の気配はする。誠治は中へ一気に飛び込んだ。十数台が並ぶ洗濯機のひとつに入るはずもない大きな身体を洗濯機の中に押し込めて上半身だけを外に覗かせた隣太郎がこちらを俯きがちに見ている。手には仮面ライダーのフィギュアを抱いていた。
「大丈夫だ」
深いため息をつき誠治は隣太郎に言った。
「くうるな!」
隣太郎はひどく興奮している。誠治はどうにかなだめようと笑顔で声をかける。
「オレだよ。兄ちゃん」
「くっるな! ひいー」
俯いたままの隣太郎は目だけを誠治に向け睨む。誠治は足を止め隣太郎が落ち着くのを待った。わずか一メートルに満たない距離で二人は向きあったまま動かない。
「誠治だよ」
誠治は隣太郎の反応を窺いながら言葉をゆっくり続けた。
「兄ちゃん……大丈夫か」
少しずつ距離を詰め誠治は隣太郎の頭をなでた。隣太郎は息を整える。
「ふー、ふー」
「無事でよかったよ」
「仮面ライダー……」
何の合図だろうか隣太郎は仮面ライダーを誠治に掲げてみせた。誠治は「ああそうだな」と適当に相槌をうってみせた。誠治は隣太郎から少し離れ緑色の丸椅子に体を落ち着かせた。タバコを咥えライターを探そうとポケットをまさぐっているとコインランドリーの入り口からレスキュー隊数名が現れ隣太郎を容赦なく連れ出そうとした。
「被疑者発見しました。確保します」
なんでだろうな、本当に他人ってやつはズカズカと入ってきやがる。誠治はレスキュー隊の男を捕まえ怒鳴る。
「何だてめえら、兄貴が何したっつーんだよ!」
他のレスキュー隊たちは誠治を相手にせず隣太郎を洗濯機から無理やり引きずり出そうとする。隣太郎はたまらず洗濯機もろ共倒れてしまった。
誠治はレスキュー隊を殴り応戦するが後ろから警棒で打ちつけられた。
「あぎゃお! あがおおおお」
隣太郎が叫んだ。
仮面ライダーのフィギュアが床に転がった。
「こんのクソがああああ!」
誠治は怒りにまかせ叫んだ。自分を殴ったレスキュー隊の一人を蹴ろうとするがその前に警棒が誠治のこめかみを打ちつけた。その衝撃で誠治は意識を保てず崩れ落ちる。レスキュー隊の腰にぶらさがったトランシーバーが勝利を反復する。
「放火犯確保!」
誠治は薄れる意識の外に響く声を聞いた。
赤土が五メートルほど積まれた広場がある。かつてゴミの集積場にと提案された土地だったが住民の猛反発に合い用地はそのままになっている。赤土の横には同じく五メートルほどの深い窪みがあった。おそらくここにゴミを埋めようとしていたのかもしれないが、そこに十人ほどの人間が集まって赤土の山を見上げている。視線の先には三人の輩が登っていくのが分かる。二人が真ん中にいるカトウを連れて登っているようでようやく天辺に辿り着くと立ち止まった。
「よーし、いけ」
窪みから合図が発せられると連れられていたカトウが突き落とされゴロゴロと転がっていく。男は手足を縛られて赤土にまみれながら勢い良く転げ落ちた。
「ははははは」
「いやー楽しいねえ。カトウくん」
勢い良く転げ落ちてきたのはカトウだった。出血がひどく意識もはっきりしていないカトウの目の前には数人の男たちが立っている。
「シゲ……、なんでだ」
カトウは朦朧としながらも一番近くにいた男に言った。
「おお、喋ったぞ」
「仲間じゃ…なかった……のかよ」
カトウは言葉を続ける。
「ぶはっ。仲間? 俺とおまえらクソ日本人と? ぶはっ」
シゲの周辺からも笑いが漏れる。
「あははは」
シゲは思いっきりカトウの胸を蹴り上げ叫んだ。
「ふっざけんな!」
「おごほっつっほを」
「俺らはなあ、一回だって仲間なんて思ったことなんかねえよ。オメエら日本人にいつだって差別を受ける。保険証だってまともにもらえねえんだよ。俺のお袋はそのせいでなあ…分かるか!」
憎々しげにシゲが言う。
「……はあ……はあ、おまえだって日本人じゃ…ねーかよ」
カトウは声を振り絞る。
シゲは声を張り上げて笑った。
「そーだよ。はっ、良いこと教えてやろうか、あっ? 俺ら移民系がよ、日本を変えてやるって話だよ。ありがてえだろ。聖徳太子の言葉にもあんだろ? 天は人の上に人を創らずってな」
「何いってんだ…おまえ」
「オメエらは不良品だっつってんだよ」
シゲは何度もカトウを蹴飛ばした。