5. ナポレオン ソロ
まさに秋晴れの日だった。学校帰りの誠治は友達と別れ、病院施設に入っていった。慣れた様子で受付の看護師と会話を交わしそのまま奥へと進んでいく。ロビーの壁に掛けられたテレビがニュースを流していた。
―富裕層ばかりを狙ったカード詐欺が急増しています。今年に入って三六件の被害が報告され……。
エレベーターで五階にあがると、若い看護師が誠治に気づき手を振った。
「よっ、アカネ」
「誠ちゃん、また私に会いにきたの」
幼馴染の言葉を無視して、誠治は言葉を続けた。
「どうだ兄貴は。問題起こしてない?」
「この間ちょっと壁にオデコをぶつけたみたいで、絆創膏を貼ってる」
「また喧嘩か」
アカネは大袈裟に首を振る。
「最近はしてないよ。でも……」
「なんだよ。ああ、兄貴が殴った爺か」
「違うの。何か最近隣ちゃんの外出が増えた気がするの」
「外出って言っても、中庭だろ。こんな刑務所みたいなところ、脱出できっこねーだろ。まあ、いいことじゃん。自立の道を歩んでんだよきっと」
「そうかもだけど……」
「ところで、オヤジは来てるか」
「一カ月に一度くらいかな。なんだか忙しいみたい」
「そんなわけねぇよ。あいつ、母ちゃんに逃げられてからずっとふらふらしてっからよ」
すかさず反論する誠治にアカネは困惑の表情を浮かべる。
「誠ちゃん……」
「お前もいたっけな? あん時公園」
アカネは誠治の腕にそっと触れ撫でた。
「その話、やめよう。ねっ」
俺はアカネに八つ当たりしてるのか。オヤジが出てくるとついイライラしてくる。
誠治は「そうだな」と言ってそのまま進んだ。やがて一室のドアの前で立ち止まると、大きく深呼吸をしてドアノブを回した。
赤嶺 隣太郎 様
クリーム色に変色した壁にネームプレートが貼られている。
誠治の兄はベッドに横になっていた。部屋の窓は開けっ放しで白いカーテンが気持ちよさそうに揺れている。ベッドの手前にはラワン合板の棚があり古い仮面ライダーのフィギュアが偉そうに誠治を見ている。誠治は仮面ライダーの顔面に寸止めパンチを見舞ったが、自分の行為に呆れてため息をつくと、そのまま椅子に腰掛けた。
「兄ちゃん、もうすぐここから出してやっかんな。こんなつまんねぇトコ、嫌だろう。でっけえ家買って、一緒に住もうぜ」
そう語りながら、誠治は昨夜のイサキとのやり取りを思い返していた。
「首相暗殺?」
何を言ってんだと思った誠治だが、思わず聞き返してしまった。さっきまで撃ち合いをしていた銃口をイサキから向けられたままだ。イカれてる。
「あなたたち素人じゃないでしょ。協力してもらうよ」
「協力したら何かいいことあんのかよ」
澄ましているイサキに人間味を感じない。誠治は悪戯してやろうと胸を触ろうとしたが、鋭い手刀で撥ねられた。
「俺は、命の恩人だぜ」
「それと、これは別」
「あっ、そう。それで何で暗殺するの、総理大臣を」
不貞腐れながら誠治は理由を聞いた。
「別に個人的な恨みはないけど、民意の主張を知らしめるためには必要なのよ、首相の死がね」
「おい、おい、俺たち高校生だぜ。民意とか難しいことわかるわけねぇだろ」
銃を突きつけられたまま誠治は笑いながら言い返した。
「嘘。単なる高校生はトラックなんて運転しないわ」
「関係ねぇし」
「まあいいわ。それでも。協力してもらう」
「やだね。なっマイコン」
黙って運転していたマイコンが口を開いた。
「いいよ、面白そうだし」
予想外の返事に誠治は驚く。
「面白いわけねぇだろ」
誠治の言葉を無視して、イサキは話を進める。
「私ね、首相のスケジュールを綿密に調べたの。そのデータをもとに暗殺を計画していくってわけ。もう計画は進んでるの」
「あんたスパイか」
誠治が話を止める。
「そうね。そういわれると何か格好いいね」
「うわー、不幸な境遇だな」
「だから?」
意味はなかったが、不幸という言葉に反応したイサキは表情が強張る。マイコンは黙って運転をしている。
「私は移民系よ。この国は私たちを隔離し蔑み利用する。地方分権だの曖昧なこと言ってこれを黙認する国。職のない私の両親は半分強制的に軍に入れられ、駒のように地球を駆け巡っているわ。現代版奴隷制度よ。不幸は身近に存在するの」
「映画じゃねぇんだから勘弁してよ。首相殺しておまえ幸せになれんのか」
イサキは話す気力を失ったようで銃をおろし「この辺で降りるから止めて」と言った。
マイコンはバックミラーに誰も映っていないことを慎重に確認し、静かに車を停めた。
「あらら、怒っちゃったよこの人。かわいい」
イサキの本音が聞けたからか誠治は不機嫌なイサキをからかい始めた。
イサキは黙って降りる。勢いよくドアを閉められた誠治はもう一度からかってやろうとカーウインドウから身を乗り出そうとするのだが、それを読んでいたイサキが振り向きざまに放った平手打ちを食らった。パーンと冷たく乾いた音が夜の街に響く。
「やっぱり、子どもね」
そう言い残してイサキは暗闇に消えた。
「あの女。絶対セックスしてやる」
予想もしなかったカウンターを食らった誠治は、負け惜しみのように言った。
マイコンは笑いを堪えている。
「マイコン、お前どうすんだ」
誠治は頬を押さえながら呟いた。
反対車線の路肩に灯る街灯がマイコンのシルエットを浮かび上がらせていた。
「手伝うよ。俺も移民系だから」
誠治はいるはずもないイサキの背中を暗闇に探した。強く冷たい風が吹く。
「何かあったら俺に報告しろよ」
よくわかんないが、寂しかった。
誠治とマイコンとの出会いは誠治がまだ小学校低学年の時分だ。誠治は物心ついた頃からよく母の美智子に連れられて移民系のコミューンで遊んでいた。美智子が姿を消してからしばらくして隣太郎は施設へ預けられ、父親はもともと不在がちだったため寂しさを紛らわそうと移民系コミューンで一日を過ごすことが多くなった。
ある日移民系の大人たちが廃棄となったアーケードゲーム機をコミューンに持ち運んできた。修理するというので誠治が手伝っていると、マイコンがゲーム機の修理に興味を示し誠治のそばにやってくるようになった。三日後には、これは無理だと大人たちは投げ出したが、負けず嫌いの誠治だけがコツコツと修理に没頭した。しかし誠治もとうとう修理を投げ出してしまうと、いつの間にかマイコンがいじるようになり、ついにゲーム機を直してしまったのだ。誠治ははじめて自分と同じ負けず嫌いな存在を知ったときだった。それどころか最後までやり切ったマイコンを好きになった。
その日以来、誠治はマイコンを訪ねるようになり、何をするのもいつも一緒で隣町に行っては悪巧みをして遊んだ。多くはマイコンが計画を練り、誠治が実行に移すといった具合で、この頃から既に役割が決まっていた。誠治にとってマイコンは幼馴染であり兄弟でもあった。いつのまにか車内には一九九八年にat the drive-inが発表した曲『NAPOLEON SOLO』が流れていた。
兄の隣太郎が眠っているベッドの横に座り、誠治は携帯電話を見つめていた。着信履歴を徐に確認してみるが、操作を途中で止めため息をついた。携帯をしまい隣太郎の様子を窺おうと顔をあげると兄の目が開いている。
「兄ちゃん、起きてたのか」
隣太郎は誠治と目が合うとすぐにベッドから起き病室を出た。兄貴の突飛な行動には慣れていた。誠治は「おいおい」と隣太郎の後を追った。廊下を一直線に進む隣太郎はやがて自販機の前で止まるとファンタグレープのボタンを押した。ガチャコンと音を鳴らし勢いよくとびだしてきたファンタグレープを取り出すとそれを掴み誠治に手渡した。
「ああ、サンキュ」
誠治の礼に相槌をうつ様子もみせず隣太郎はすぐに二本目のファンタを選んだ。
近頃、こういった施設の自販機は無料であることが多い。誠治はアカネにその理由を訊いたことがあった。
説明によると医療・福祉に関する国民負担率が大幅に上がり続けた代償として外資系医療メーカーに対する規制緩和があり、なんとしてでも食いこみたい日本の代理店たちが寄せ集めの財団を設立し、いわば外資系企業の広告塔として無償で自販機や備品を提供するようになったらしい。
そういえば施設内を歩いていると、見たこともない文字によく出会うし、このファンタグレープだってコンビニで売っているものとまったくデザインが異なる。まあ俺的にはウェルカムだが、結局はサービスを選択できない俺たちは横文字に支配されてエセ国際人にでもなるのだろう。
ファンタグレープのプルトップを開け、一口飲み炭酸のしびれに身をまかせていると、隣太郎が笑顔で真似をした。
「兄ちゃんまだ飲んでないでしょ」
「飲んでないーよお」
無邪気に振る舞う隣太郎がおかしくて、紫色に調合された液体を噴出しそうになる。
誠治は隣太郎と中庭を散歩することにした。まるで威嚇しているようなチンピラ気取りの歩き方をする誠治だが、隣太郎は膝と膝がぶつからんばかりのひどい内股で、とても歩き辛そうだ。そして両手で仮面ライダーのフィギュアを大切そうに抱えている。
俺と兄貴は五歳離れている。結局、両親は俺が小学生になって正式に離婚した。最大の原因は、もちろん浩という不良刑事と逃げやがったからで、そんなお袋を許せないのは当然だが、兄貴をこんな薄情な施設にぶち込んだオヤジもクソ野郎だ。今は何の仕事をしているのかさっぱり分からないが、酒を飲んでる姿しか見たことがない。当然この施設の金も払えねえから大借金地獄だ。俺が軍隊に入って国に貢献すれば福祉手当の対象になるらしいがそんなものにまるで興味がない。だからマイコンと二人で知恵遅れのATMを襲っている。金さえ溜まれば、いずれは兄貴と一緒にこの国から脱走するつもりだ。ついでにオヤジのクソ野郎ともおさらばってわけだ。兄貴は俺が守る。仮面ライダーを見ながら、ふとそんなことを思い返した。
隣太郎は笑いながら飛行させる仮面ライダーを誠治の顔に近づけている。
「シュゴー」
「仮面ライダーごっこやっか」
誠治はきまってショッカーの真似を隣太郎の前でやる。すると隣太郎は近くにあるベンチや石に上り変身ポーズをきめて、誠治にパンチやキックを食らわす。以前、中庭を歩く医者に誠治がぶつかり怪我を負わせたことがあったが、ふたりは気づかず陽気に遊び続けたことがあった。結構な運動量なのである。
「ヒー」
「むむ……、貴様、ショッカーだな」
隣太郎はフィギュアの人差し指を誠治に向け凄んだ。
「ヒー」
「許さん。変身! とうっ」
ベンチの上で変身を遂げた隣太郎はテーマソングか何かを口ずさみながらとび蹴りを誠治に食らわした。
「タカタカタッタカタカタッ!」
誠治も負けまいとスペシウム光線を出したりしているが、はて、ショッカーがそんな技をもっていただろうか。
息つく暇もなく戦いは継続していった。




