4. ペニーワイズ
都会とかけ離れた田舎の夜は静かだ。一台の冷凍トラックが人気のない駐車場に停まった。車内ではデバイスがデモの様子を流している。エンジンをかけたまま運転席からマイコンが降りてきた。高校生の身でありながら臆することなく運転をしてきたのだ。マイコンは自分の大きさほどもあるボストンバッグを持ち出すと、場に不釣り合いなスポットライトを浴び孤立しているガラス張りの扉の脇に置いた。突然マイコンの携帯電話が鳴った。
―まだかよ、早くしろ。
誠治の苛立った声が響く。
「焦らないでよ、失敗できないんだから」
冷静に誠治を諭す。
マイコンは電話を切ると、すぐにボストンバッグのジッパーを開けた。ボストンバッグの中には怪しげな機器が入っている。三尺の三脚を取り出し透明なボックスの脇に立て、上の方にシガレットケース大のプレートを取り付けると、ワイヤーでボストンバッグの機器に繋いだ。ガラス張りの扉の上には東京FJ–BANKと表示されている。つまり銀行のATMだ。
「よし」
マイコンは二度ほど小さく頷いた。バッグの中にある機器の上部には大きなダイヤル状のつまみがあり、その上にはメーターらしきディスプレイがある。機器の後背部からは三本のワイヤーが伸びていて一本目は別の機器に行きコイル状に巻かれ、それが二本目となりバッグに戻ってきている。三本目のワイヤーはATMの右上に取り付けられたプレートに伸びている。ATM内の監視カメラを妨害するものだ。
マイコンが冷凍庫の扉を開けると宇宙服のように膨れたアルミ箔素材のスーツを着た誠治が飛び出してきた。
「寒っ」
誠治が目を大きく開いて悲鳴を上げると、マイコンが弾けたように大笑いをする。
「ふざけるな。凍死寸前じゃねぇか」
「だめだ、あんま動いちゃ。熱探知機が反応する」
「……ったく。で、準備は?」
マイコンは嬉しそうに親指を立てる。
「はいカードと暗証番号。たのむよ」
クレジットカードと暗証番号が記されたメモを受け取り誠治は素早くATMの入り口に向かった。
「今の気温だと、そのスーツの耐久は七分間が限度だからね」
「七分、七分、七分……よし」
誠治は体に叩き込むように復唱した。
マイコンはダイヤルに手を掛けタイミングを計る。誠治は冷凍スーツのフードがずれないよう固定するとゆっくりとATMに乗り込んだ。マイコンがボストンバッグの中にある電子機器のダイヤルを時計回りに半分ほど回すとATMの上部に取り付けられた金属プレートがバリバリっと音をたて、火花を散らした。
監視カメラの電子信号は乱され正常な送出ができなくなっている。管理センターの画面は誰もいないATMの様子を一時停止しているだろう。熱探知のランプは緑色に点灯し正常であることを伝えている。このランプが赤になろうものならATMの自動ロックが作動し鉄格子が地面から突き出してくる。こうなってしまうと逃げ出すのは不可能で警察官が到着するまで狭苦しい牢獄にいつまでも閉じ込められることになるだろう。
誠治は偽造カードを使いATMのコントロールパネルを操作する。誠治を見守るマイコンの表情は硬い。誠治は膨れた指に戸惑いながらも一回目の引き出しに成功した。表情ひとつ変えずATMから戻ってきたカードを受け取るとすぐに差し込む。そのたびにスーツのフードがずれるが、誠治は気づかずに次々に下ろしている。暗証番号が違います。アラートが出た。隣のボタンを押しちまったか。熱探知機のランプはまだ緑色のままだ。
七分が経った。マイコンは慌てて誠治の携帯を鳴らしたが、誠治はまだ黙々と作業を続けている。マイコンは焦って名前を叫ぶ。それでも誠治の表情は変わらない。緑色のランプが消えていた。マイコンは機器の摘みを目いっぱい回した。その瞬間電子機器がショートする。バリバリッと音が鳴り誠治の右斜め上の視界に火花が走った。瞬間誠治がピョーンと海老のように後ろ側に飛びATMから出てきたが、大きくバランスを崩し倒れこんだ誠治の顔面を星空が照らし、誠治はため息をついた。ははは。成功だ。マイコンは汗をびっしょりかいている。誠治はマイコンの肩を叩きトラックに走る。
「行くぞ、マイコン!」
マイコンは我に返り厚手の手袋をはめワイヤーを取り外しボストンバックに詰めアイドリング中のトラックにそのまま乗り込みATMを後にした。
「いくらだった?」
視界の悪い田舎道に集中するマイコンが助手席で冷凍スーツを脱ぐ誠治に聞いた。
「四二〇万だな。最後はちょっと危なかった」
「心臓に悪いからやめてよ。バレたら一瞬で牢屋だよ」
スーツが思うように脱げず語尾に力が入る誠治をマイコンが窘めた。
「まあ結果オーライってことで」
「ダメだよ。過程を大事にしてよ。たまたま今回はうまくいっただけ。気温によって機械の調子だって変化するんだから」
マイコンは前を向いたまま口調を強めた。
「分かったって」
誠治は大きなため息を一気に吐き出すように返事をした。
誠治がデバイスを操作すると、デモの中継が流れてきた。
―…Gaga…Gagaga……日本が移民を受け入れるようになって十年が経とうとしています。小澤さん、このデモの勢いは、まさに外国ですよね。これが日本だなんて信じられません。治安は日に日に悪くなっていますからねえ。移民の受け入れ体制が整ってなかったということでしょうか?
―私は移民の受け入れは反対ではないんですがね。憲法第九九条の改正をきっかけに、日本は軍事強化を迅速に行ってきましたよね。この軍事強化が、徴兵制度を復活させて、移民をはじめ、社会的弱者に福祉を盾に義務を課すと。いわゆる『恩返し政策』が問題であってね。受け入れ体制を整える以前に……。
―待ってください。……今、現場から中継が入りました。現場どうぞ。
―現場です。今機動隊と市民たちが激しくぶつかっています。放水車が今到着しました。五台の放水車が到着……。
「徴兵まであと三年か。誠治くんは、どうすんの」
タバコに火をつけながらマイコンは呟いた。
「行くわけねぇだろが。かったるい」
誠治は手から滑り落ちたタバコを探しながら答える。
「死亡診断書を作ろうか?」
「おー、いいね、面白そうだな。それ頼むわ」
誠治がはしゃいで答える。任せてと言わんばかりにマイコンは笑った。誠治も笑う。
「このトラックどうすんだ? 店に返すのか」
「まさか。風俗街にでも捨ててくよ」
マイコンは平然と答えた。
イサキがストリップ劇場の裏口から出てきた。
娼婦たちが出会いを待つこの風俗街と闇市の間には、五〇〇メートルほど続く浮浪者がたむろする一角がある。ここに立ち並ぶビルにはテナントが存在せず闇市や風俗街で働く人たちが無断で住んでいる。取り壊すにはまだ新しく買い手もつかぬまま、ただ放置された灰色の空間だ。極端な格差社会の進行で、もはや存在しない中流階級の夢の跡とでもいったところだろう。要は何があっても、助けなどこない無法地帯だ。そして、ここの浮浪者たちの中には仕事がある者もいる。街の掃除や金属類の収集だ。彼らの中にもモラルが存在する証左だが、残念なことに、それはほんの一握りに過ぎない。多くは、IDがない者や死亡したとされる者であるため、犯罪絡みの仕事が横行していた。
幾人かの浮浪者がイサキを取り囲んでいる。闇市の入り口を背にスーツ姿で短髪の男性が立ちはだかった。この男は、十数年前に誠治から母・美智子を奪った浩だ。
「イサキ……だな」
浩は警察手帳をイサキに見せ言い放つ。
「つまんねえことしたな、お前を逮捕する」
「金に目のくらんだチンピラが逮捕だって。笑わせるな」
高音の地声を発する。
「おまえ女か。ほーいいねえ」
「勘違いするなよ」
イサキは笑みを浮かべ、素早くジャケットからハンドガンを取り出し浩に向けた。
「経験が違うよ。キミ」
一瞬の出来事に浩は怯んでいる。
「そんなもの……」
Pan
浩の話を最後まで聞かずイサキは引き金を引いた。
「ひあっ!」
イサキの威嚇射撃に浩は腰を抜かした。イサキを囲んでいた浮浪者はさっさと逃げる。銃をしまいイサキは笑顔で浩の横を通り過ぎた。
「こいつを捕まえた奴に賞金を出すぞ!」
浩が大声で叫んだ。
賞金と聞き一旦は逃げた浮浪者たちが姿を現し始める。どこにいたのか先ほどの人数を遥かに越えている。
イサキはやむなく風俗街の方へ折り返した。
「クソッ」
浮浪者の一人がイサキの帽子に手を掛けると帽子は脱げ、黒髪のロングヘアが飛び出した。
「こいつ、女だ」
女と聞き仕事が簡単だと判断したのか、女という響きに本能をくすぐられたのか兎に角浮浪者たちは狂喜乱舞する。
イサキは走った。浩はまだ腰が抜けているようで壁にもたれ、急いで立ち上がろうと必死だ。イサキの選んだ道は残念ながら袋小路で、振り返ると三人の浮浪者に囲まれてしまった。ぐずぐずしていたら人が増えてしまう。そう判断したイサキは銃口を浮浪者の一人に向けながら左側の壁際に回り込み、浮浪者を逆の壁へと押しやり距離を稼いだ。しかし浮浪者たちは一斉に飛びかかろうとタイミングを測り、銃に臆せず目の前の獲物に集中している。壁に対してイサキと浮浪者を結ぶ線が直角になりかけたとき、イサキは浮浪者の足元目掛けて発砲した。弾は浮浪者の足を打ち抜き、浮浪者たちは一斉にバランスを失った。イサキは袋小路を脱出し風俗街へ走った。ようやく起きあがった浩がイサキを見つけ発砲する。弾が浮浪者に当たり倒れる。
イサキは風俗街の広場にたどり着き一台のトラックに乗り込んだ。
「誠治くん、やばいよ」
「何が?」
「誰か発砲してるよ」
「おいおいいくらなんでも……」
Can Can Can
トラックの冷凍庫に弾が撃ち込まれた。
「おいおいおい出せ出せ!」
誠治の横のドアが急に開きイサキが乗り込んできた。
「よろしく」
ことさら女であることを強調した仕草だ。
「何だおめえ! おり…ろ?」
誠治はびっくりして大声を上げたが、女であることを確認し、早く出せとマイコンに言った。
「どこに行けばいいんだよ」
トラックを急発進させたマイコンは困惑しながらつぶやいた。