3. ヴードゥーピーポー
議事堂前、地下鉄の出口を挟む大通りには多種多様な人種が集まって雑踏と化していた。いや雑踏ではない。そう断定できたのは彼らが同じ方向に歩を進めているからだ。
徴兵制反対!
軍事ファンド撤廃!
といったプラカードが連なり、調子にのった連中がフラッシュの前で勇敢なポーズをとって喜んでいた。機動隊がその周りを走り廻り、何とか被害者のでないよう務めている。
そんな街の喧騒をよそに、イサキは足早に路地裏を進む。
深くキャップを被りダボついた黒いジャケットにブラックジーンズといった出で立ちで夜の世界に溶け込んでいる。私はここにはいないと言わんばかりの服装だ。大通りからビルとビルの谷間を抜け路地裏に入り込むには数分を要する。この間に見つかってしまっては元も子もない。路地裏には居酒屋の裏口が軒を連ね、ここを抜けるとやがて闇市にたどり着く。闇市には職に就く当てのない者たちが、肉や魚、大豆、漢方薬などを扱う露店の集合体をつくっている。もちろん不法行為であり、見つかれば逮捕されるのだが、治安維持のためにもその存在は仕方がないと黙認されている。
左耳を押さえながら時折立ち止まる黒づくめのイサキの耳元にはイヤホンが埋め込まれている。
―右。
―左。
―二つ目の角を右。
どこからかイサキの位置情報を掌握している男から指示が入る。
再び走り出したイサキは、闇市から抜けて浮浪者が転がる路地を走っていった。露店が出す残飯を頼りに住み着いている彼らに生気はない。ここを越えると風俗街にたどり着き、風俗街を抜けると繁華街があり、さらに進むと産業地区へ行く。ビジネス街が広がり、再び大通りに戻っていくのだ。
イサキは風俗街にある一店舗の裏口に入った。看板もなく何の店だかまるで分からない。
ピンク色の照明が激しく回転し、奥には円形の舞台がある。三本のポールが舞台から天井に伸び、半裸の女性がラテンミュージックに合わせ絡み付いている。ストリップ劇場の舞台裏のようだ。心地の良い南米のリズムに男の足並みも緩んでゆく。舞台裏を抜け階段を上り二階席にたどり着くと「ここだ」と白髪まじりの男、新堂が手を振った。
「誰にもつけられなかったか?」
イサキは「ええ」と息を整えながら席につき言葉を続けた。
「外はデモで大盛り上がりよ。奴らは取締りで精一杯だったよ」
「それで手に入ったのか」
「これ」
イサキはジャケットからメモリスティックを取り出した。新堂の瞳孔がワッと開いた。
「本当に信じていいよね?」
イサキが手を止めて渡すのを躊躇った。
「もちろんだ」
新堂は射貫くような眼を見せながらも、笑顔で答えた。
少し間を置くと、イサキは再び手を伸ばしこの男性にスティックを渡した。新堂は急に気が抜けたかのように背もたれに寄りかかった。
「憲法が改正されて八年が経過した。今や憲法の尊厳などどこにもなくなってしまった。戦争に明け暮れた白人が思い描いた桃源郷はもうない。今や我々は国際人としての自覚を問われているが、それが何だというのか」
メモリスティックを見つめながら新堂が口を開いた。
やがて音楽が止み、デモ行進の喚声が祭囃子のように漏れ聞こえてくる。
「軍を配備し、派遣し、戦争を美化する広告まで出てきた。移民を受け入れ人口を増やし労働力を満たし、競争力を強化してきた。日本人の一部だけが富裕層へ伸し上がり、国民は移民系化し兵役に捕られ血を流す。何が国際人だ。何が未来国家の創造か。この暗殺計画が成功すれば必ずや憲法の尊厳を思い返すだろう。今一度、平和憲法を取り戻すのだ」
いつの間にか店内の音楽は激しいデジタルロックに変わっていて踊り子がそれに合わせて腰を上下した。曲名は『Voodoo People』、一九九四年のThe Prodigyの曲だ。
デモ行進はまるで祭りのような盛り上がりだ。警察や報道カメラマンから身を守るための厚化粧は仮装行列を連想させる。馬鹿騒ぎしている一部を除けば皆深刻な顔をしている。大声を上げる青年は腕には包帯が巻かれ顔中に青あざが広がっていた。シゲだ。繰り返し声を張り上げるシゲの脇をせわしなく機動隊が走り回る。もはやデモは暴動と化していた。