イサキ1 エピソード9
結局、捜査本部にはいられなかった。私は異動までの三日間、休暇を取ることになった。休暇か。確かに何日も取ってなかった。いや、今も休まることはない。気づくと私は鴨島先輩の病室を訪ねていた。
捜査本部はあっという間に事件の真相を掴んでいった。私より優秀な人間は沢山いることを改めて思い知る。鴨島先輩もその一人だ。
「お久しぶりです」
「随分、暇なんだな」
「先輩こそ、もう随分回復したと聞きましたよ」
「ああ、そうだな」
誠実そうな淡いブルーのシャツを着た先輩は、車椅子に乗ってわざわざ出迎えてくれた。見た目だけは相変わらずだ。
「ちょっと散歩するか」
「あ、コーヒー買ってきました」
あれ。憎たらしいはずの笑顔が今日は爽やかに見える。
「いつでも退院できるって聞きましたよ。なんで復帰しないんですか」
「ああ、実はな」
わかっていたけど、聞きたくなかった。人を殺めたショックはそんな簡単に拭えない。
「だけどなイサキ」
先輩の悔しそうな顔も、また見るのがつらかった。でも。
「でも、書類整理とか山ほどあるじゃないですか。刑事なんてほとんどデスクワークですよ」
「そうだな。でもいいんだ。俺は向いてない」
「そんなことないです」
「お前は向いてる」
「え」
「ハートも強い。信念もある。何よりタフだ」
ずるい。みんなずるい。私だってわからないことだらけなのに。なんでみんなして私を除け者にするの。突っぱねるの。私は強くなんかないのに。
―僕が捜査を仕切ることになりました。
そう奈良が言ったのは昨日、本部が立ち上がる時だった。出世する奴はこういう人間なのだとわかった瞬間だった。反論は特になかった。奈良ならちゃんとやってくれるだろうという安心感があったからだ。
「みんないつか気づく時が来る。お前の才能に」
「才能なんてありません。それに私は、私は先輩の仇を取れませんでした!」
思いのほか大きな声が出てしまった。腹の底から声が出るとはこのことか。
「わかった。わかったから泣くな」
私を彩る世界は、どんどん膨れ上がり滲んで見えなくなっていった。ああ、先輩は警察を辞めて自由に生きた方が幸せなのかもしれない。先輩はちゃんと前を向いている。私の前方はまだ何も見えない。
しばらく思い出を共有し楽しんだ後、先輩を病室まで送った。
先輩と別れ、私は再び大学に行くことにした。白いリノリウムの音を聞きながら堀教授を回想する。そういえば堀教授は早々に失脚するようで学生たちの噂になっていた。例のAI銃の開発者は立花に間違いなかったことは奈良が突き止めた。当時元木と白石は、自己主張できない典型的な自己犠牲型ギバーの立花に目をつけ、様々なソフトウェア開発をさせ、不労所得を得ていたようだった。介護施設などのホームページ制作を請け負っていた元木は予算も少なく苦しい時代を過ごしていたとき、不幸にも立花の技術力に出会ってしまった。立花はおじいちゃん子だったようで、おじいちゃんの容態を管理する目的でAIの管理システムを構築し、実際に入居していた施設に無償で提供しようとしていたが、元木が導入費を請求したことで中止され、立花のおじいちゃんは施設の中で孤独死してしまったらしい。元々金づるとしか見られず理不尽な目にあっていた立花は脅すのが目的で、元木に改造モデルガンを送りつけた。人が死ぬことは計算外だったのかもしれない。元木はショックを受けて、私を撃った。いや、AIが私を撃った。先輩は咄嗟に私を庇って元木を撃ち殺した。
「立花は誰に殺されたのだろう」
無意識に声が出た。この問いが頭から離れない。実際、奈良が追っている。病院のエントランスを抜け外に出てほどなくだった。
Gashaaaan
「キャー」
振り返ると、病棟上階の一室の窓ガラスが割れている。
Dhowwn
鈍い音がした。走って近づく。上を見上げると誰か、髪の長い女性がいた気がした。誰かが落ちたに違いない。あれは犯人か。誰かが倒れているのが見える。ピクリとも動かない。救急車を急いでと叫んだ。青いシャツの男性が倒れている。
「先輩!」
犯人を追わないと取り逃してしまう。
「先輩!」
犯人はまだ近くにいる。
「先輩!」
お願い目を開けてください。
緊急手術が行われた。わずかに漏れる赤い光を受けながら私はじっと廊下で蹲っていた。どうか先輩を助けてください。それだけが脳内をぐるぐると駆け巡り支配していた。しばらくして数人の足音が近づいてきた。
「大丈夫ですか、イサキ先輩」
聞き覚えのある声……。ああ、奈良か。取り巻きが詰め寄ってくる。
「おい、犯人の顔見たのか。おい、犯人は男か。体格は。おい、どうなんだ。聞いてんのか。おい」
「やめろ」
「俺は先輩だぞ、奈良」
「説明しないとわかりませんか?」
「なんだと、こいつは刑事だろうが」
「刑事だって人間だろ。まず人間として、ちゃんと扱ってください」




