イサキ1 エピソード6
私は奈良と別れ、大学を訪れた。駐車場にはもう教授の車はなかった。私は垣根の縁に座り、ぼんやり夜空を見上げた。この時間にいるわけないし、いても今は何もできないことくらいわかっていた……。
星もなく空虚な空が私を飲み込む。
「こわ」
振り返るとラクロス部の女学生が三人、私を見て驚いている。
「ごめんごめん。幽霊かと思ったの」
「はい。ごめんなさい。私らビビりなんで」
「ねえ。ちょっと聞いてもいいかな」
「え。あ。はい。なんですか」
「堀教授ってわかる」
三人は顔を見合わせる。
「いえ。すみません。どう、知ってる?」
「いやー」
「わかんないよね」
「じゃあ、あそこにいつも停めている車の人、わかるかな」
「ああ、あの変なジジイ」
急に口悪いな。でも同調して盛り上がっているみたい。
「知っているのね? どうして変なの」
「なんかいつもノート見ながら暴れてんだもん」
「暴れる。どんな風に?」
「ええ? なんか、こんな感じ」
おかっぱの女の子は口を大きく開けて首を素早く左右に揺らした。学生は大きな笑い声を上げる。
「まじ、似てんだけど」
なるほど。似てるのね。それは確かにおかしな仕草、いや悶絶か。
「堀教授はあんな狭い車で何をしてると思う」
「狭い?」
オウム返し。ちょっとおかしい。
「グレーの軽自動車だよね?」
「いえ、確か黒のセダンって言うんですかねえ。特に狭くはないかと」
私は鞄の中を弄った。
「この写真の人で合ってるかな」
「あーこの人この人」
また盛り上がる。ありがとう、そう言って私は大学を出た。タクシーを捕まえ、教授の家に行く。一万円強。隠密行動の割にでかい出費。これで結果がなければ怒られるかもしれない。私の不安はすぐに消えた。教授の家には車が二台あったからだ。証言と一致した。あとはナンバーを調べればすぐに誰のものかわかるだろう。
翌朝、私は走った。奈良の吉報を受けて、全力まで行かないダッシュ。そこには奈良と新井さんがいた。
「イサキさん、レシートから面白いことが分かりました。これ見てください」
私は奈良のPCを覗き込むと地図が表示されていた。
「このコンビニと、このコンビニ、それとこのコンビニとこれも、どれも半径七百メートル以内に特養があるんです」
「介護施設か」
「はい。教授の研究分野ですよ」
「教授と関係がありそうね」
「それはないね」
新井が口を挟む。すごい寝癖だ。奈良もなんだか容姿が悪い。おそらく二人とも防カメまでチェックしたんだろう。
「少なくとも立花と関係があるかもしれないわ」
「ま、そういうことだな。この施設にはアポを取ってある。行ってみろ」
「なぜここに」
「そこに立花が研究とかで出入りしていたようです」
奈良が秒で応える。私の目に火が灯る。
「ありがとうございます。新井さん」
新井さんの口角が少しだけ上がった。
大学の時計台はこの駐車場から良く見える。もうすぐ朝の八時。駐車場のエントランスを振り向くと丁度黒のセダンがやって来た。今回ばかりはいつもと違う。私と奈良は目を合わせ、駐車する車に近づいた。埃の上から雨染みが付着したカーウインドウを近くで見るとできれば触れたくないなと思う。
Kon Kon
「また君たちか」
堀教授は眉を顰め、あからさまな態度をとった。
「堀先生。あなたのこの車、調べさせてください」
「くださいと言ったね。それは命令ということになるのかね」
私と奈良は目を合わせた。奈良がフロントガラスに書面を叩きつける。
「重要参考人として扱いたいと思っています。ご協力お願いします」
十秒くらいだろうか。大学にはまだ人は少なく、沈黙が流れた。
Gacha
「え」
「イサキさん!」
堀は車を降りると見せかけて私を蹴飛ばした。くそ。私が体勢を崩すと、大きなアクセル音が耳をつん裂く。
「奈良!」
「うおおお」
奈良は奇声を上げて発進する車のボンネットにしがみつく。
Brooon
教授の車は目の前にある捜査車両に体当たりし、無理矢理逃げ道をこじ開けた。私は奈良の背広の裾を掴みボンネットから引きずり下ろす。奈良は砂利の上に背中から派手に落ちる。
「立てるか」
「はい」
奈良が逃走する車両を凝視する。私は車両に乗り込み急発進させハンドルを思いっきり切った。
「乗れ」
助手席は大きく凹んでいる。奈良が後部座席に滑り込むとアクセルを思いっきり踏み込んだ。
「どっちだ」
「左折した」
「よし」
幸い大学はやや郊外にあるため車や人はまだ少ない。私は速度をキープしたまま駐車場入り口まで飛ばす。
「ブレーキ!」
Kiiiiii
目の前には長いロープに繋がれたミニチュアダックスが縮こまっていた。
「くそ」
奈良は子犬をご主人に抱かせ、事情を説明する。くそ、失敗した。偽の令状が招いた結果だ。当然裁判所からの許可なんてもらってない。応援を要請することはできない。グレースレスレ。考えろ私。
「イサキさん、行きましょう」
私は思考を巡らせる。
「イサキさん、早く出ましょう」
犬を抱いたご主人は私たちの様子をじっと見ている。
「この近くのホテルを調べろ」
「は。あ、はい」
「あの慌てようだ。堀が犯人に間違いないわ」
近くのホテルに電話がつながる。
「警察のものですが、ご協力をお願いしたい。そちらに堀という重要参考人が来るかもしれません。もし来たら、この番号にワン切りしてください。あとできるだけ話を伸ばしてください」
奈良も電話をかける。
「遠くに逃げてしまうかもしれませんよ」
「大丈夫、堀は逃げないわ。彼は最後まで言い逃れるはずよ」
「じゃあなんで堀は逃げたんですか」
「あの車にはおそらく立花のパソコンがあるはず」
「じゃあロッカーも調べた方がよくないですか」
「ロッカーだと証拠が残るわ」
「暗証番号ですよ」
「カギや携帯に記録が残るものは避けるはず」
「なるほど、ホテルなら機転を利かせてくれますね」
Ping
相合ホテルからの着歴。
「ワン切りですね」
ホテルの自動ドアを抜けると支配人が出てきた。堀教授はいないようだ。
「預かったものはノートパソコンですね」
「はい」
ビンゴだ。奈良が支配人に聞く。
「堀教授はどこへ行きましたか」
「車を修理するからと行ってしまいました」
「奈良はパソコンをSSBCに届けて。私は念のため車の修理工をあたるわ」
「わかりました。それと、さっきは助かりました」
「え」
「イサキさんがボンネットから引きずり降ろさなかったら多分僕は車椅子か下手すりゃ内臓破裂で死んでいました」
「ああ、無事でよかったわ」
「それじゃ、気を付けて」
私は奈良と別れ、正午前には堀の車を見つけた。工場の記録を見せてもらったが、本人名義だった。やはり逃げる気はないようだ。パソコンの解析には時間がかかるかもしれない。私は大学に行き、堀ともう一度対面することにした。飲酒運転とでも言い逃れする気なら好都合だわ。引っ張って吐かせてやる。