イサキ 1 エピソード5
ロビーに向かうと奈良がまだ学生と話している。今度は一人一人丁寧にアポを取ったようだ。奈良に教授の部屋から採取した埃を渡す。その後私たちは堀教授の車がある駐車場に向かった。
「学生の話によると、立花はサイコってわけじゃなさそうですね。ちょっと話しづらいけど話せばわかるところもあったようです。ただキメラの論文は誰も見たことがないようです。SOSIOのことも誰も知りませんでした」
「自作自演か。SOSIOって奴がでっち上げたか」
「その可能性はありますね」
「どうして立花博は殺されなければならなかったのだろう」
「計画的な犯行だと思います」
「たとえば元木事件の犯人が口封じに殺した」
「元木事件とは関係がないかもしれませんよ」
「偶然はないわ」
「はあ。じゃあ立花は何かを目撃したとか、事前に知っていたとかですか」
「事前?」
「もし立花が改造モデルガンのプログラムを作ったとしたら、知っていたことになりませんか」
「なるほど。今回の場合、実行犯は元木ね」
「元木か白石に銃を渡した人物がいるかもしれません」
「教授の息がかかった人物とか」
「アシスタントとか」
「彼女にはアリバイがあるわ」
「立花に罪を擦りつけているってことはないですかね」
「立花と仲のいいやつはいたのか」
「いませんでした。話すのは教授くらいなんじゃないですかね。もしくはSOSIO」
「SOSIOか」
「いじめの書き込みをした人物」
漠然とした悪口が並んだ書き込み。立花と親しかったようにも、実際の立花を知っているようにも感じられなかった。私たちは駐車場に着いた。教授の車はグレーの軽だった。新しくはないが、これといって大きな傷もない。車内は綺麗に整頓されている。
「ここで論文ですか。なかなかですね」
見るからに狭い。堀教授の身長は一七五センチで中肉中背。居心地が良いとは考えにくい。鍵を開けて中に入る。ダッシュボードを開ける。車検証は教授本人のものだった。
「SOSIOって人の名前じゃないのかもしれないわね」
「どうしてですか」
「別の読み方ができないかしら。例えばSOSとか」
「IOはなんですか?」
「SOSを十回とか」
「だったら50510とも読めますね」
「何かの暗証番号みたいね」
「ソシオパスとかもいけますね」
「ソシオパスって」
「サイコパスの一種ですよ。反社会的人格障害と呼ばれています。簡単に言うと、社会のルールよりも自己のルールを重んじて、他人の痛みがわからないナルシストです」
トランクを開けるが特に何かあるわけでもない。
「堀教授はどうかしら」
「一般に結構紛れ込んでいるらしいですから、見た目や雰囲気では判断つかないらしいです」
「もしそうならSOSIOって名前を自分でつけるかしら。自分で認めているってことになるのよ。ナルシストが自虐的な言葉を使うかしら」
後部ドアも開ける。何か特徴的な傷がないか調べてみる。
「だからですよ。愉快犯の典型じゃないですか。ヒントも与えてくれてる。だとしたら事件解決は割と早いかもしれません」
「どうして」
ドアを閉める。
「ソシオパスは感情的だといいます。何か仕掛ければきっと乗ってきますよ」
立花の死体が発見されて今日で二日目。そろそろカタをつけなきゃ捜査本部が起つだろう。元木や白石との接点など切り離して解決してしまう。無差別にモデルガンを配り事故を装った愉快犯の犯行という筋書きで捜査がはじまる。この事件が有名になれば得をするのはきっと教授だ。SOSIOは教授なのかもしれない。もしそうだとしてもSOSIOが犯人だと決まったわけじゃないし、大学内にいるとは限らない。もしかしたら私たちは頓珍漢なところで踊らされ、犯人はどこか安全な場所で笑っているかもしれない。どうする。
「まずは立花殺しの真相を掴まなければ先が見えないですよ」
わかってるわよそんなこと。奈良には悪いが、このまま元木事件との関連を探るしかない。隠密行動? いやこれは公安と奈良が描いた絵かもしれない。
「SOSIOの書き込みから面は割れないの?」
「海外のサーバーをおそらく複数経由しているんで難しいとのことです」
「立花の部屋へ行くわよ」
「え。もう空っぽかもしれませんよ」
「いや、まだそのままにしてあるわ」
「わかりました。教授に繋がる手がかりが見つかるかもしれませんね」
私たちは立花の部屋に戻った。湿った空気が漂う。
「こんなところじゃ火薬は湿気にやられてしまいますよ」
「銃弾を作るのは難しそうね」
「イサキさん」
「どうした」
「このレシート。住所がこの辺りじゃないみたいです」
私たちは立花のアルバイト先を辿ったが何の手がかりもなかった。私語を慎む立派な働きっぷりに感心する。紙ゴミがぎっしり詰まったいくつかの段ボールの中から奈良はコンビニのレシートを手にしている。なるほど、立花の行動範囲がわかるかもしれない。
「日付は」
「二年前くらいですね」
「住所別に並べるわよ」
「はい」
私たちは家主のいない埃っぽい部屋に、段ボールの中身をぶちまけた。
「前に論文がないか調べたんですけどほとんどチラシでしたよ」
段ボールは全部で六個ある。
「やるわよ」
立花はなぜ紙ゴミを捨てていなかったのか。最初は論文でも隠しているのかとも思ったが違う。部屋の様子からして日頃から警戒していたようにも思えない。何より、こんな不精な人間が殺人なんてやるだろうか。私は立花が倒れていたその場所を見た。立花博。君は人智の及ばない孤高の天才だったのか。それともSOSIOという人物を作り出し、自傷行為をし、あるいは注目を集めたかっただけのソシオパスだったのか。生きていれば実業家やプログラマー、あるいはハッカーにもなったかもしれない。掴みどころのない人物像を想像しながら私たちは黙々とレシートをかき集めた。中にはインクが擦れて真っ白になってしまったレシートもある。
二時間が経過した。出先と思われるコンビニがいくつかわかった。
「半径七百メートルの建物をSSBCに依頼してちょーだい」
「防カメですか」
「違う。場所から探すのよ。近くにアルバイト先とか教授の家の近辺とかあるいは元木白石に繋がるものがあるかもしれないわ」
「また元木白石ですか。今はこの事件を優先しましょうよ」
口が滑った。まあいいわ。
「わかってるけど、元木白石を無視したら立花事件は解決しないかもしれないわ」
「はー。つまり、レシートの住所の近くに立花が行きそうな場所を探せば、無関係じゃなくなる可能性が高いってことですかね」
「そういうこと」
教授は明らかに怪しい。ただこのままじゃ教授を攻める材料はない。奈良はめぼしいレシートをかき集め霞が関に飛んでいった。