イサキ 1 エピソード4
立花博。リストには載っていない。去年の十二月に東帝大学人文学部情報コミュニケーション科を中退。理由は不明。学校では特に友達がいる様子もなく、周囲からはサイコとあだ名され話しかけられることは稀だったという。十二月。何かと思い詰める時期ではあるな。私は奈良の情報を聞きながら立花博が住むアパートの前に立っていた。二階に続く外階段を上り、奥から二番目の部屋のインターフォンを鳴らす。鳴っている形跡はない。ノックをするが出てくる気配はない。電気メーターはぐるぐる回っている。中にいる確率は高い。
「出てくるのを待ちますか」
全く面倒だな。
「立花さん、いらっしゃいますか。警察のものです。いたら返事してください」
大声を張り上げたが効果はない。今日は諦めるしかなさそうだが、事件に関係していたら逃げることも考えられる。どうしたものか。それでも立花が犯人である可能性は低い。玄関のドアに気づかれないほどの紙切れを挟み、近隣のファミレスで待機することにした。
「なんで大声で呼んだんですか。あれじゃ逃げてくださいって言ってるみたいじゃないですか」
「それが狙いでしょ。あんた馬鹿なの?」
「ばっ…」
流石に怒ると思ったが、奈良くん、我慢するねえ。
「それよりもこれ。見てください」
SNS。なるほど。立花博はいじめられっ子と言うわけだ。
「これが退学理由かしら。それにしてもこのSOSIOって奴、しつこいわね」
「異常ですよ。ほぼ五分おきに書き込んでいますね」
バナナストロベリーパフェダイエット、お待たせしました。
「私です」
「領収書落とせませんよ」
「何言ってんの。あんたの奢りよ」
「無理です。そんな意味のわからない商品」
「あら。意味が分かればオーケーって解釈で合ってるかしら」
「意味は聞きたくありません。それとこの書き込みですが、始まったのって一年前ですよ」
だからどうしたと言いそうになったが、一年前って確か堀教授がプログラムソースって奴をネットに公開した時期か。
Kin
パフェ用のスプーンを机に叩きつけ、私は走った。さよならパフェ。ごちそうさま奈良くん。まだ一口も食べてないけど。クソ。アパートの大家に立花の部屋のドアを開けてもらう。ゾクっとした。土足で中に踏み込んだ。寒い。臭いはあまりしない。でも確かに異臭がする。冷房が轟音をあげる中、立花博は息絶えていた。日はそれほど経っていないだろう。奈良は大家に改めて事情を説明している。
「奈良。奈良」
奈良は返事をし、私の視線に気づいた。
「3Dプリンターですね。銃弾が作れるか確認させます」
立花博、お前が犯人なのか。それなら、どうしてお前は死んでいる。お前は殺されたのか。それとも病死か。いや、冷房の設定をした人物がいるはず。つまりできるだけ長く立花の死を隠したかったということだ。これは間違いなく殺人事件だ。
「奈良。急いでこの事件を解決させるぞ」
「捜査本部が立つ前に。ですね」
その通りよ。と私は答えた。捜査本部が立つことにメリットは多いが元木事件からは切り離される可能性もある。こんなところで立ち止まれない。なんとしても初動で解決させ、先輩を追い込んだこの事件の真相を突き止める。犯人に謝罪させ深く後悔させてやりたい。違う。ただただ、先輩の仇を取りたい。奈良はこの初動で事件解決すれば大手柄だろう。私の監視なんて不本意な使命から解放され出世の道に戻れる。分析が得意な割に単純で助かる。
「立花博は犯人なのか」
解剖の結果、死因はリシンを使用した毒殺だった。リシンが入った瓶は立花の部屋で発見された。さらに3Dプリンターで銃弾を作った形跡が見つかった。
「あのモデルガンは立花のものなんじゃないの」
私は新井を詰めた。
「お前の言う通り、元木事件の犯人は立花で間違いないかもしれない。だがまだだ。プリンターに付着していた埃がどうも立花の部屋のものと一致しないんだよ」
埃にも種類がある。油や髪の毛、風など移動によって運ばれ、電気を帯びた塊、周辺環境にマッチした、あるべくしてそこにあるもの。
「中古なんじゃないの」
「そうだな。少なくとも別の場所から立花の部屋に持ち込んだものってことだ」
「立花を犯人に仕立て上げるための偽装行為ってことですか」
「そこまでは言わないがまだ何かあるってことだ。肝心の立花のパソコンがなかったんだ。そう考えるのが妥当だろう」
誰かが盗んだ。奈良はSSBCに防カメの分析を依頼しに行った。しかし立花のアパート周辺には防カメもコンビニもない。おそらく何も出てこないだろう。
「ところでお前、立花の死を嗅ぎ分けたらしいな」
「何のこと?」
あの時イサキさん、パフェ置いて走り出したじゃないですかと奈良。
「あー、あれは何となく今回の事件に関係しているなら立花がプログラムを削除するんじゃないかって思っただけよ。まさか死んでるとは思わなかったわ」
「なるほどな。ま、ここから先はお前らの仕事だ。頑張れよ」
正直、この新井という男を信用していいのかまだ結論が出ていないが、チームワークがなければ事件を解決できないことはわかっているつもりだ。
「もう一度大学へ行くわ」
「立花の周辺も洗えよ」
どんどん鴨島先輩から遠ざかっていくように感じる。焦っても何も出ない。もう少し落ち着くべきだ。そう言い聞かせながら、奥の通路から戻ってくる奈良に指先でUターンの指示を出す。
大学には六台の3Dプリンターがあり、貸し出しは行っていない。そして六台とも大学にあった。うち一台は教授の研究室のものだ。型式は立花の家にあったものより少し古いから、事件よりも前からここにあると考えていいだろう。私が研究室を観察していると、教授はやってきた。
「お時間いただきありがとうございます」
「要件を伺いましょう」
私は立花博のことを話してみた。
「亡くなったのは残念だが、彼ならやりかねないな」
「自殺をですか? それとも殺人を、ですか?」
「自殺はないだろう」
同情はおそらくない。
「そういえば私のプログラムについて聞かれたことがあったよ。彼は人一倍研究熱心だったからよく覚えている」
「なぜ中退を」
「あまり社交的じゃなかったからな。その辺りは学生の方が詳しいだろう」
「立花博の研究が見たいんですが」
「さあ、彼は辞めてしまったからね。残念ながらここにはない」
「彼は天才的な発想の持ち主だったとか。先生ならお持ちなんじゃないかと思いましたが」
「刑事さん。それは彼が天才だという事実ではありませんよ」
「そうですね。学生から耳にしただけです」
「前にもお伝えしましたが。AIはまだまだヨチヨチ歩きの赤子に過ぎません。学生が天才と言っても、それは技術を保証するものじゃありません」
「ちなみにここ三日間のスケジュールを細かく教えていただけませんか」
「アリバイかね。それならアシスタントに聞いてくれるかな」
「プライベートも含めてお聞きしておりまして」
「ここ最近は忙しくてね。朝から二十一時くらいまでは、ほとんど大学にいたはずだ。それ以外は大体家にいたはずだ。これでいいかね」
「それを証明できる方はいらっしゃいますか」
「ああ、妻に聞いてくれればいい」
「他にはいらっしゃいますか」
教授は首を左右に振る。
「講義や研究以外で昨日は朝十時から十三時、一昨日は午後三時から五時の間、三日前は休憩に一時間くらいの外出が頻繁にあったようですが、これら空白の時間、何をされていたか覚えてらっしゃいますか」
大きなため息が部屋の空気を重くする。
「大学にいたさ」
「それはつまり?」
「車にいたかもしれないな」
「車と言いますと」
「駐車場だよ。車で論文を書いていること多いんでね」
「なぜ車で」
「大事な論文だ。誰にも邪魔されたくないんでね。学生にでも聞けば目撃証言でも取れるんじゃないのかな。それじゃ、急ぎますので」
「先生の車を見せていただいても良いでしょうか」
「好きにしなさい。鍵はアシスタントが持っている」