イサキ1 エピソード2
東京四友銀行の脇を抜けると新闇市と言われる区画を見つけた。確かにおでん屋があった。ご主人は気さくな人で、笑顔でビールを注いでくれた。奥に個室があるというので移動させてもらった。中庭に桜の木が植えられたプチ日本庭園を中心にいくつかの個室が並んでいた。なかなかロマンチックで繁盛している。先輩は桜が好きだったのだろうか。きっと私にこれを見せて驚かせたかったに違いない。驚きました。ここなら深酒しないで済むだろ。そんな声が聞こえる気がする。遅れてきた奈良が資料を持って来てくれた。奈良によると上の許可はすんなり取れたようで、分析が得意な奈良の解説でイサキも諦めるなら協力してやれとのことらしい。それならお言葉に甘えます。資料をめくると被害者の写真、それから凶器となったモデルガン。そして溶けたプラスティックの薬莢が続いた。銃弾も手作りとは随分凝っている。
「ちなみに元木も白石もサバイバルゲームとは無縁でした」
「ふーん。スマホのゲームでもあるじゃない。銃撃ちまくるのとか」
「それも履歴は特になかったようです」
ページをめくると元木の写真が出てきた。先輩の銃弾に倒れた直後の写真だ。
「ん」
「どうしました」
「元木の銃の持ち方、変じゃない」
「そうですか。撃たれて倒れているんですから、そりゃ自然ではないでしょうね」
「そうだけど、こんなにグーで握るかしら」
「撃たれて力が入ったんでしょうね」
「撃った直後よ。人差し指がトリガーにかかっているはずよね」
「そこ拘るとこですかね」
「私の違和感はこれかもしれない」
「どういう意味ですか」
「元木は引き金を引いていないのかもしれない」
「ははは。そんなバカな。イサキ先輩は撃たれたんですよね」
確かに、私は撃たれた。
「このモデルガン、改造だよね。分解はしたのかしら」
「さあ、それは載ってないみたいですね」
「お願い奈良」
「え」
「あーあ、おでん食いたかったなー」
ブツクサと運転しながら奈良は言う。あ、私もバクダン食べたかったんだった。とか思いながら、おでんを病院に差し入れするのは無理だろうなと先輩のことを考えた。署に戻り、私たちはモデルガンの分解を依頼した。
朝日が眩しい。事件発生から一週間が経った。久しぶりに部屋のカーテンを開け、少しのため息をついた。朝からうるさく電話をしてくる先輩はもういない。
Piriririririri Piriririririri
え。電話口の声は聞き馴染みのある暑苦しい声とは真逆の冷たい声だった。
「奈良です。ちょっと面白いことがわかりました。早く来てください」
走った。何か進展があったに違いない。そう思うと走らずにはいられない。署内に駆け込み、灯りのない会議室のドアを開けると奈良とモデルガンの分解を請け負ってくれた人物がいた。
「初めまして、イサキ巡査部長。公安の新井です」
「ハムがどうして」
まあまあ聞いてくださいと、奈良が私を座らせる。腑に落ちない顔のままコクリとだけうなずいてみせる。そして私をじっと見る新井という五〇代くらいの男の言葉を待った。奈良は私の顔色がどう変化するのか観察しているようだ。態度は変わっても中身は変わってはいないようだ。勝手にしなさい。
「モデルガンを分解したらこんなものが出てきたんだ」
そう言いながら新井は机に並べられた小分けのビニールパケ一つを差した。それは良くある電子部品で基盤と呼ばれる緑色の小さな板だった。大きさは小指の爪くらい。小さい。
「これはパソコンや電気機器に入っている基盤って奴なんだが、ここ見てくれ」
新井の指先には基盤に張り付いた黒く四角いプラスチックのような物体がある。
「黒い毛虫みたいだろ。ここにプログラムを仕込めるんだよ」
「プログラム? 何の?」
「解析したところAIだった」
「AIってあの?」
人工知能ですよイサキさん、と奈良が嬉しそうに口を挟む。私の言葉を待たず新井は流暢に説明する。
「この銃は自動操縦式だった。そして遠隔操作する類のものじゃない。持ち手をしっかり握ると熱探知がトリガーになって自動で発砲するようにできている」
「それじゃ普通に持っているだけで発砲されちゃうじゃない」
「これだけだとな」
「つまり」
「驚いたことに慣性センサーがちゃんと入っている。こうやって銃をしっかり構えないと反応しない。映画みたいに横にして構えても駄目だ。ゆっくり構えても駄目。素早く。例えば危機的状況に陥った時、反射的に構えるような、そんな勢いで構えないと反応しない」
新井が私に銃を向ける。一瞬、元木と姿がダブる。元木が私に銃口を向けてきたあのときの光景がフラッシュバックする。
Pakin
撃った。いや、撃ってない。人差し指は確かにトリガーになかった。元木と同じだ。新井は笑顔で話を続ける。
「もちろん引き金を引けばちゃんと弾は出るし、AIとは言えロック解除が前提で作ってある」
この新井という男は私を撃ったことに変わりはない。危険なやつなのかもしれない。信用していいのだろうか。
「どうだ」
「どうだって。あなたね……」
「何か思い出したか」
一瞬だったけど、新井の動作に元木が重なって見えた。
「元木と同じだったと思う。確かに、あの時、元木の人差し指は引き金にはなかったわ。やっぱり元木は犯人じゃない」
「元木が銃の構造を知らなかった場合に限るが、まあいいだろう」
引き金を引かずに無条件に撃ってくれる銃。怖いけど心強い銃ですね。と奈良が感心する。この日本で銃撃戦でもする気か。馬鹿二人。
「でも犯人にとって何のメリットがあるの。仮に元木が白だったとして、犯人はどうやってターゲットを識別できるって言うのよ」
「それはお前らが考えろ。少なくともそういう改造が施された銃だってことだ」
「元木が犯人ならAIなんてものは必要ないはず」
「そうとも言えないな。元木が犯人ならこの銃は元木が無実でいられる都合のいい銃ってことにもなる」
こじつけだろ。
「これは一筋縄じゃいかないですよイサキさん」
うるさい奈良。私の言葉を遮って喜んでいる場合じゃない。この余裕。奈良は何か知っているんだろうか。
「新井さん。あなたさっきから流暢に説明してるけど、何か他に手がかりがあるんじゃない」
「良い質問だ。実はこのプログラムには名前が書いてあった。おそらく自分の力を世の中に知らしめたい愉快犯ってことも考えられる」
「名前が書いてあるの?」
「ああ。ま、プログラムに名前を残すことは珍しいことじゃない。これがプリントアウトしたものだ」
Author Takanobu Hori
「これって……」
「署名だ。調べたら東帝大学の堀教授がヒットした。ただこれはGPL登録されたプロフラムだったがな」
GPLって。と奈良が口を挟む。私も知りたい。
「General Public License。要するに誰でも使っていいよってことでウェブ上に一般公開しているものだ。つまり誰でも改変できる」
「また振り出しに戻ったわけね」
「ただ熱探知で発砲するシステムっていうのがやや稚拙だな。俺ならターゲットの顔を認識させて撃たせるか、せめてどこかに設置して遠隔操作する」
新井に奈良が続く。
「結果的に人が撃った。人に撃たせるならAIなんてシステムいらないですよね。わざわざAIを使う必要性がわかりません。改造モデルガンを使えばあとで知らなかったと言える。結果は同じです」
確かに二人の言うことは正しい。しかもあの時、元木はトリガーを引いていなかった。新井の動作で良くわかった。少なくとも殺す気はなかったはずだ。疑問は残るがどちらにせよいい加減な計画だ。犯人は本当に殺す気があったのだろうか。偶然人が死ぬことだってあり得るし、遠くから狙っていたとしたら外す可能性だってある。そうなったら元木は驚いて銃に触ることがなくなる。一体誰が何のためにこの銃を作ったのか。
「イサキさんが言った通り、トリガーに元木の指紋は出なかったそうです」
「付け加えると銃弾には黒色火薬が使われた手作り品だ。至近距離じゃないと殺傷能力は低い」
「やっぱり事故を想定した愉快犯の可能性が高いわね」
「この事件で有名になれるとしたらこの堀教授だろう」
「一先ずその教授に会いましょう」