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イミグラントソング  作者: 空一
イミグラントソング
10/12

10. イミグラントソング

挿絵(By みてみん)


三次の運転する白いバンが国立センターを出る。バンにはブルーのカッティングシートでTRY AROUNDという文字が大きく貼られている。助手席には仮面ライダーのフィギュアを大事に抱える隣太郎の姿がある。外が久しぶりなのだろう窓をいっぱいに開け、風を思いっきり受け止めている。三次は運転しながら時々笑顔で隣太郎を振り向いた。

「隣太郎、少し寄り道するぞ」

隣太郎は何も言わず笑顔で外の風を堪能する。車をしばらく走らせると段々と都会色が強くなった。二〇分ほど走らせると電柱には中央区と示されている。誠治やマイコンのことが気になるのか手っ取り早く中央区のコミューンを尋ねようと思った三次は何度目かの検問を通過し中央区のコミューンに入った。橋げたとは違い古いレンガ張りのマンションが建ち並び何通りかの区画に分れていた。近所にある五画公園に移動しバンを停めた。公園の奥にはたくさんの行列ができていて皆茶碗を持っている。近くまで歩くとおいしそうな湯気と香りが立ち込めてくる。

「はい、おばあちゃん、おいしい味噌汁ですよー。減塩してるから安心して食べてねー。明日は定期検診ですからね」

女性の活気ある声が三次の耳に入ってきた。

「はいよ、はいよ」

三次が中央区に足を運ぶのは月に一、二回ほどだ。コミューンの横の繋がりを大事にしようと勤めていたが、三次はあまりこの五画公園周辺には姿を見せないでいた。中央区のコミューンにはいくつかの施設がありそこを廻るだけでも充分だったのだ。

「はい、次の方どーぞ」

そう言った女性の顔はしばし固まった。彼女は三次の妻、美智子に違いないからだ。

「ちょっと、尚さん交代してくれる? お客さんで……」

「はいはい。いいわよ」

奥で野菜を切っていた尚さんと呼ばれるおばちゃんが大きな鍋の前まで出てくる。

「どーも」

と三次は、おばちゃんの愛想のいい笑顔に会釈を返した。


公園のベンチは埋まっているため、梅の苗木を守る黄色い鉄柵に二人は腰掛けた。

「半年ぶりね」

美智子が笑顔で言うと三次も笑顔で頷いた。

「いつ来てもにぎやかなところだな」

美智子はエプロンのポケットからKOOLの箱を手にし、残り少ない中から一本を選び四センチくらいのデバイスに差し込む。

「単なる人口回復のツケよ。無秩序な市街化促進のおかげで区はエネルギー消費の削減に躍起になってる。この地区もどーなることやら不安だらけ。だから皆デモに出るの」

「そういうところは相変わらすだな」

「あなたは随分丸くなったわ」

タバコをふかす美智子の余裕のなさそうな横顔を心配そうに三次は見つめた。

「今日、隣を施設から出してな、鉄橋に連れて行くことにした。まあ俺の手伝いをしてもらおうと思ってな」

「そう」

公園側からバンを見ると奥の助手席から隣太郎が顔を覗かせて空中を見て笑っている。美智子は悲しそうな顔をしながらかすかに見え隠れする隣太郎を目で追った。

「大きくなったわね」

「もともとでかい」

三次の言葉に美智子は「そうだった」と笑う。

「誠治も憎たらしいガキに育っちまってな。まったくお前そっくりだ」

「やめてよ。……どうしたの今日は? 隣太郎のことだけじゃないんでしょ」

三次は少し間を置いて美智子に話した。

「お前も知っていると思うが最近物騒でな。誠治がここらの子たちと揉めてるかもしれん」

「この地区はデモに積極的だし、中には命知らずな者までいる。ここと揉めると危険よ」

「誠治の友達に重明くんというのがいてな。何か知ってるか」

「少し前までは目立つ子じゃなかったのに最近じゃギャングのボスみたい。ここ二、三日見てないから調べてみるわ」

「いや、それはしなくていい」

「いいえ、罪滅ぼしよ」

「ははは。もともと罪なんかないだろ。あの時悪かったのは俺の方だ。仕方なかっただろう。何もできなくて申し訳なかった」

三次の言葉を聞く美智子の目に溜まっていく涙が零れ落ちそうで三次は困惑した。

「何か手伝いたいのよ」

「いいんだ気にするな。少し落ち着いたらまた顔を出す。デモにはまだ参加しているのか」

三次は美智子の腕を優しく擦った。

「最近はついていけないわ。きっと新堂の影響ね」

「新堂の名前は口に出したらだめだ。いいな」

三次は公園の外をゆっくり流すパトカーを目で追いながらそう言った。美智子はこくりと頷き三次を見た。

「もう時効だろ。いつでも戻ってきてくれ」

三次は笑顔でそう言うとまた来ると言い残してバンに戻った。美智子はその後ろ姿を優しく見送った。


十月になると日の入りが日に日に早くなり、あたりは薄暗くなりはじめている。橋げたの移民系コミューンでは遊び足りない子どもたちが河原に集まっている。三次が子どもたちと一緒に釣りを楽しんでいるようだ。土手の上ではパトカーが一台停まっている。車外には誰の姿もない。車内で待機しているのだ。

「出来たよお」

三次を呼ぶ隣太郎の声が響く。

バーベキューセットを一人で組み立てた隣太郎は誇らしげに皆を呼んでいる。子どもの一人が釣った魚が入ったバケツを持ってバーベキューセットへ急ぐ。

「よく塩で洗うんだぞー」

三次は急ぐ子どもに声をかけた。

「わかってる」

子どもが元気よく返事をする。

隣太郎と子どもは釣った魚を生きたまま捕まえてまな板の上に置いた。子どもはうまく塩もみをするが、隣太郎は「うひゃ」だの「ひょお」だのといってうまくできず、まな板から魚を落とす。

「何やってんだよ兄ちゃん」

子どもが笑いながら言った。

隣太郎は黙って魚を拾い上げまな板の上に置こうとする。

「ダメだよ。砂だらけじゃん」

「ん?」

無視されたことが気にいらないのか隣太郎の行動が気にいらないのか、子どもの表情に笑みはない。子どもは苛立って砂まみれの魚を隣太郎から取り上げバケツに戻した。隣太郎は意味が分からなかったのか理解したのか「ふーん、ふーん」と言いながら体を横に揺さぶり続けている。

「もう一回やってみなよ」

子どもからそう言われ隣太郎はようやくバケツからもう一度魚を捕まえようと努力する。子どもにとって隣太郎の動作は悪戯心をくすぐるのだろう、前のめりになって魚を必死で捕まえようとする隣太郎の後ろから子どもはケツを蹴り飛ばした。

「あとあたとたた」

隣太郎はバケツを避け河原に両手をついた。いかにも運動神経の無さをアピールするような鈍い動きを子どもに披露した。

「ふー、ふー、ふー」

九死に一生を得たように隣太郎は深呼吸をする。子どもはケタケタと笑いストレスを発散しているように見えるが、出来事を知らない大人がこの笑みを見たら無邪気な子どもとしか思えないだろう。現に三次はちらりと隣太郎をみて微笑んでいる。


 Gazaza


大きな草を掻き分ける音がした。

「隣、隣」

と男の声がする。

隣太郎は急に笑顔になり声のする方に向かう。子どもは気にもせずただただ笑い続けている。


 Boh


草木が隣太郎の前で燃えている。隣太郎は炎を見つめるように立っている。

「きゃあああああ」

丁度すぐ傍の小屋の脇にいたおばちゃんが洗濯物を放り出して向かってくる火に対峙し叫び声を上げる。三次は魚を放しすぐにバケツに水を汲みなおす。

「火事だー」

叫びながら駆け付けた三次は水を撒くがとても敵わず、火は近くの小屋に飛び移り、どんどん広がってゆく。三次は子どもたちを避難させるように周りの大人に促す。警官たちがあわててコミューンに走り込んでくるが手に何も持っていないのに気づきパトカーにまた戻って行く。年寄りの住む家を三次は優先的に周りながら避難を呼びかけていく。火の手は瞬く間に拡がってコミューン全体を覆ってから収束する場を探し求めるように河川敷を上下へと移動している。皆河原の方角へうまく逃げ、早いものは対岸に到達した。パトカーや消防車が続々と押し寄せる中、隣太郎は壊れ行く惨状をただただ傍観した。


「あー、うまい」

新堂は夜を待つネオンサインの美しい群れを望みながらホテルの一室でオールド・パーを飲みほした。十九世紀末に一五一歳という英国一の長寿となった紳士を祝って作られたこのスコッチに酔いしれている。その隣では浩がホテル前の茂みに三人、ロビーに二人を配置し、指示を出している。

この部屋からは、四谷を眺めることができる。ストライプのダブルに身を包んだ新堂は金色の腕時計を気にしながら美酒に酔っていた。

「一七時三〇分。官邸から白波を乗せた車が出たそうだ。車は三台。到着は十七時五十分から一八時頃か。一応警戒はしているようだな」

浩が新堂に報告する。

「バカな連中だ。どうせ大丈夫だと高をくくっているに違いない。白波よ、お前の腐った軍拡主義と泥沼のような金権政治に終止符をうってやるぞ」

浩がデバイスを調整すると、明瞭な音が流れてくる。

「まさか、運転手から発信されているとは、白波も思いもよらんだろう」

―…首相、いいんですか、警察のことを無視しても。万が一、本当だったらどうするんですか。

おもねるような口調だ。

「この声は、番犬と呼ばれている無派閥の阿武だな」

新堂が呟く。

―心配性だなあ、君も。フェイクに決まってるじゃないか。場所まで変更したんだ。こんなデマ情報にいちいち付き合っていたら何も出来やせんだろう。

―ですが万が一ということも。

―今は大事な時期だ。私の動きを鈍らせようと川島派や神林グループの工作とも考えられる。大方どちらかの差し金だろう。

―動いているのは新堂とかいう移民系の小兵らしいですが。

「ほう。さすが番犬だけあって、鼻が効くぜ」

浩が、愉快そうに言う。

―彼のことはよく知っている。

―いったいどんな人物なんですか。

―奴は、ろうそくの灯だ。動けば火が消える。自らの力では何もできんよ。

「新堂さん、こりゃろうそくの灯でも山を燃やせることを示さんといかんですなあ」

浩は、オールド・パーをストレートで飲みほした新堂を挑発するかのように言った。

―とすれば移民系と関係が深い川島派の策謀ですかね。

―まあ、慌てなさんな。警察も守ると言っているんだ。問題はないだろう。


「大あり!」

法定速度を大きく越えたレンジローバーのハンドルをイサキがさばいている。

「よく考えりゃ、そんなにムキにならなくても、首相の代わりなんていくらでもいるだろ。警察も現地張ってんだし問題ないじゃんか」

正直、俺は大体半径数百メートルのことしか興味はない。マイコンとシゲがこの騒動に関わってる以上仕方ない。でも銃撃戦は別だ。そこは俺には全く関係がない。わざわざ撃たれに行くようなものだろう。

「移民系には軍隊経験者も多いのよ。危険だわ」

行っちゃダメだろ。

「俺らが行ったところで益々意味ねぇだろよ」

「移民系の汚点を拭うのよ。新堂をこのまま野放しにできない」

新堂か。オヤジがどうとか言ってやがったな。

「あいつは俺がぶっ殺す」

「じゃあこの件は解決ね」

クソ。なんだかわからんが腹立ってきた。

「おお、やってやんぜ」

個人的な戦いの域を抜け出せない誠治に、イサキは苦笑した。

「そういえば武器ないけど」

「あるでしょ、ちゃんと」

「は?」

誠治は運転するイサキの横顔を不可解に覗き込んだ。


新堂がショットグラスを窓側のテーブルにカツンと音をたてて置いた。

「よし、待機だ。あとは現場の判断に任せる。結果だけを報告しろ」

浩は電話を切るとロックグラスに入った残りのスコッチを飲み干した。

「白波よ、抑圧された我々の痛みをおまえに今日返してやる」

新堂は天下人にでもなった気でいるようで、不気味な笑みを浮かべていた。


警視庁内の緊急対策会議では空気がピンと張り詰めていた。インカムを着けた二階堂がモニタースピーカーの並ぶ卓上で指示を出している。モニターの上にあるランプが緑に点灯するたびにオペレーターが俊敏にスイッチを入れる。

―射撃班スタンバイOK。異常はまだ見つかりません。

無線が流れる。

―こちら線路側C班。線路側の茂みに怪しい人影を三人発見。待機します。

二階堂は手前にある二センチ四方のトークバックボタンを押しながら意向を速やかに伝える。

「おそらく囮だろう。線路側D班、E班。C班を援護、ターゲットを包囲しろ。まだ他にもいる可能性が高い。引き続き調べろ」

―こちらロビー。スーツと靴のバランスが奇妙な二人組が喫煙ルームに入ります。私と高津もそちらに向かいます。取り調べますか?

「いや外に出そうなら引き止めろ。用心しろよ」

―こちら狙撃B班。犯人と思われる狙撃手を発見しました。一人です。

「従業員は全員打ち合わせどおり避難させろ。狙撃B班、撃ち落とせ」

―了解。

ほどなく、無線から銃声が届く。

―命中。成功しました。

「よし、待機F班、死体を確認しろ」

―こちら狙撃A班。狙撃手はもう一人いるようです。

「撃ち落とせ」

―こちら狙撃A班。緊急事態発生。

「何だ」

―狙撃B班が全滅しています。何者かに撃たれた模様。

「おい、ロビー班、どうなった?」

―…Gagaga……こちらロビー班。……なんちゃって。

若者の嘲笑が届く。

「誰だ、お前は?」

予期せぬ部外者の声に二階堂は動揺が隠せない。

「外部からの侵入者です」

―…Gagaga……、さあね、正義の味方、かな……Gaga……Kachi

「従業員の避難を急げ。線路側E班。エントランスを固めろ。ロビーにターゲットが二人以上いる。首相を車外に絶対出すな。1F、2F全員ロビーに急げ。喫煙ルームだ」

―了解。

「やつらはやる気だ。首相に電話を繋げ!」


 Rururu Rurururu


車内用電話が鳴った。阿武は急いで電話に出た。首相を乗せた要人用車両は外堀りをそれると、紀井町通りを直進して、そのまま左に入り、現在は坂道を登る最中だった。

「はい阿武です……、はい、はい」

阿武は白波に受話器を差し出す。白波は怪訝な顔をした。

「二階堂警視殿からお電話です」

「はい白波ですが。はい。はい。分かりました。そうしましょう」

白波は受話器を置き深呼吸をしようと胸を張ったが、途中でやめ運転手に告げた。

「そこを左折だ。どうやら本当らしい。我々は直接ホテルに移動しよう」

「後ろはどうされますか」

「一台は私の代わりとしてこのまま向かうそうだ」


―こちら線路側E班。喫煙ルームで様子を見に行った二名がやられています。途中疑わしい人物は見かけませんでした。

―こちら1F班現在エントランス。従業員避難完了しました。

「各班持ち場に戻れ。建物内は犯人逮捕を目指せ。線路側C班建物外側を固めろ」

―了解。

―こちら線路側C班、犯人グループと接触。交戦中です。

「線路側D班援護しろ。グループは何人だ」

―五人です。


「おい、あれ」

「首相の車よ」

「なんかあれ、撃ち合ってねーか」

誠治たちのレンジローバーが料亭に辿り着いたのは、囮のセンチュリーがエントランスに寄せているのとほぼ同時だった。武装した警官隊の一人がこちらに気づき、二人を連れて迫ってくる。その後方で銃撃戦が繰り広げられている。パトカーを縫うようにイサキはエントランスに向かってアクセルを踏む。

「おいおいオレたち武器ねーし!」

「大丈夫!」

警官隊は容赦なく撃ってきた。フロントガラスが割れ視界を奪う。

二人はしゃがんだままレンジローバーで突っ込んでいく。

「武器ってこれかよ!」


ホテルのエントランスが小さく見える雑居ビルのトイレに急いで移動してきたマイコンの姿がある。センチュリーが料亭のエントランス近くに停まっているのを確認すると、暗がりの中で簡易携帯型の小型ロケット弾を構えた。『スナイパー』心地よい響き。マイコンは今、ゲームのキャラになり、誰かのコントローラーで動かされているかのような錯覚に浸っている。風速計アプリは様々な数値をマイコンの耳に飛ばす。唇の端が少し動いた。


 Bash Shuruuuuuu


不気味な音が周囲を襲う

「なんか来た!」

誠治が叫ぶ。イサキはアクセルを全快に踏んだ

「飛び降りて!」


 Kakin


レンジローバーがセンチュリーの左フェンダーをかすり直進する。


 Gashaaaaaaan! Dockgohhhhoom!


エントランスの柱に激突した車が大きな音をたてたちまち炎上する。マイコンが放った砲弾が命中したからだ。センチュリーから四人の武装した人間が急いで降りる。すかさず土手の茂みに隠れていた三人が、この四人を襲おうとするが包囲していた警官隊に先手を打たれてしまう。ロビーでは二人組の男が包囲されていた。

「大丈夫?」

レンジローバーから無事に脱出できたイサキは誠治に声をかけた。

滅茶苦茶だ。飛び降りた誠治は苦しそうに「もう死ぬ」と呟いている。

「大した武器だよ」

誠治は笑顔を振り絞るように返した。

だが安心したのも束の間だった。誠治たちも警官隊に包囲されていた。

「やっぱこうなるよな」

イサキは両手を挙げたままの状態で立ち上がり誠治に近づく。誠治もそれに気づき手のひらを警官隊に向けイサキに少しずつ歩み寄った。警官隊はイサキと誠治を中央へ追い詰め包囲する。

「首相がいないわ」

「え」

―こちら狙撃A班。狙撃手に逃げられました。

「逃走経路は? 必ず見つけ出せ」

―こちら線路側C班、犯人グループが逃走します。

「絶対に逃がすな」

二階堂は、怒鳴った勢いで無機質な長机を叩いた。歯切れの悪い弾力が二階堂の拳を襲った。

―…Gaga……イサキを確保しました。こちら線路側E班。イサキを確保!

「よし。実行犯だ、逃がすなよ」

二階堂に笑みがこぼれた。


「まだ終ってないわ。首相の護衛をお願い! 上にしっかり伝えなさい」

イサキは警官隊に訴えるがまるで通じない。

「イサキ、どうすんだよ」

「あんたも考えなさいよ、脳みそあるんでしょ」

「この状況でどーしろっ…てんだ?」

誠治の視線の先には別のホテルがある。客室の窓から人影が見える。イサキも誠治の視点を追う。三〇〇メートルは離れているだろうホテルの最上階からわずかだが丁度こちらを見下ろせる客室がいくつかあるのが分かる。イサキと誠治は顔を見合わせた。

あそこに新堂がいる。

二人の直感が一致した。


―イサキくん諦めたまえ……ケリはついた。

無線機から二階堂の冷淡な声が漏れてくる。振り返るとイサキの目の前の男が無線機をスピーカーに切り替えイサキに聞かせる。イサキはその男の裏側に白い煙がかすかに舞うのを見た。

「そうかしら……」

イサキは余裕の表情を浮かべた。


「そうか。わかった」

ホテル内では浩が、携帯を切ると、短い髪を掻きあげた。

新堂は浩を振り返った。

「どうだ?」

「どうやら、このホテルに待機しているらしい」

「まったく、こうも予定どおりとは、怖いくらいだな」

新堂が笑みを浮かべる。

「しかも、こちら側は手薄だそうだ」


 Bakan!


突然の爆発が料亭のエントランスを襲った。レンジローバーにぶつかったセンチュリーの当たり所が悪かったのかセンチュリーから漏れたガソリンに引火し爆発を起こした。

「今よ!」

イサキはすかさず無線機を持った男から銃を奪い後ろに下がる。


 Pan Pan Pan


イサキに向けて発砲される。太ももに一発喰らいイサキは倒れる。

「イサキ!」

「急いで! 時間がない!」

誠治は一瞬できたパトカーの隙間へ飛び込み路地を駆けた。


 Pan Pan Pan Pan


何発もの乾いた音が鳴り響く。誠治は飛び跳ねながら一目散に走った。


―何の爆発だ、どうした?

発砲音に驚いた二階堂が早口で尋ねた。

「車が一台炎上。イサキが逃亡を図ったため被弾。もうひとりは逃亡中です」

―逃がすな。

「ちょっと待って!」

―イサキか?

「ホテルニューズの最上階に怪しい人影を発見したわ。絶対に新堂よ。あそこから監視していたのよ」

―あそこからは見えない。

「いいえ。全容は見えなくても、大まかに動きを把握できる客室がいくつかあるわ。まだ終っていない」

―……狙撃班A、F直ちに……。

「そこからじゃ間に合わない! ここにいる人間を行かせて!」

―線路側E班、1F班、2F班、エントランス付近を三名残し全員ニューズ最上階へ向かえ。狙撃班、待機班全員ニューズ周辺を包囲しろ。その他全員ニューズの安全を確保しろ!


シルバーに輝くエレベーター扉が各所に散りばめられた金色の市松模様を反射させ余計にまぶしい。チンという音とともに三九階の扉が開くと、三人のボーイが食事を乗せたカートを押して廊下に出た。オリエンタルな顔つきもいればそうじゃない者もいる。彼らは無言のまま目的地を目指した。カートを押す男のイヤホンが、室内を盗聴した音声を拾っている。

―それにしても迷惑な話だ。なんとしても今日中に話しておかねばならないというのに。

―首相、すぐに終りますよ。まだまだ夜は長い。

首相は、こちらの動きを把握していない。まるで安全地帯にいるかのようにくつろいでいる。男はそう確信しながら、客室のインターフォンを押した。

―食事が来たようです。

案の定、阿武の呑気な声が届いた。


別室の浩は阿武の声を聞き、鼓動が高鳴るのを抑え「よし行け」と静かにゴーサインを出す。

三人のボーイはハンドガンを忍ばせる。扉の向こうから「どうぞ」という返事を聞いたボーイの一人が、顔を見合わせドアノブに手を伸ばした。それぞれが顔を合わせて準備を確認するとドアを押しあける。カートを勢いよく運びこみ、二人が後に続いた。ところが、扉の先には誰もいない。部屋の奥へとボーイたちは突き進む。室内のわずかに伸びる廊下を越えて、銃を突き出したまま奥に進む。


 Papapapapa


連射銃が静かにボーイたちを撃った。ボーイの一人が肩にかけた無線で報告する。

「……失敗……だ」

黒服の男たちが三人、ボーイに近づき武器を奪った。

「飛んで火に入るなんとかだな」

あっけなく終わったことへの不満からか、黒服たちは退屈そうな表情を浮かべた。


二台のセンチュリーがホテルへ入った。彼らは万が一を考えて部屋をすり替えていたのだ。

「はいどうぞ」

九一〇号室の扉が開き別の黒服が食事を運ぶボーイに笑顔で受け答える。

「ここで結構でしょう」

奥から阿武が黒服にそう言うとボーイは小さく頷きカートをこの男に預けた。

「ではこちらで」


―おまえが黒幕か?

予期せぬ声が浩のイヤホンに届く。

「誰だ?」

―ボーイどもはもう機能しないぞ。

浩は新堂の顔を窺う。新堂は浩の声色を察し浩に近づく。

「どうした?」

浩は新堂の言葉を手で制し無線の奥の男と会話をする。

「お前ら警察じゃねえだろ。誰の犬だ」

―俺たちは警察だ。

「ふん、警察にしては随分な装備だな」

―お前たちもな。

「どこの組織だ?」

―答える義理はない。

「じゃあこう言うのはどうだ。この事件の本当の黒幕は誰か? そしてこの事件はもう二〇年も迷宮入りだ」

「勝手なことをするな」

新堂が凄む。しかし浩は構わない。

―命乞いならボスに伝えておこう。

「なるほど。単細胞には通用しねえか」

―余裕だな。しかしここが知れているとなるとお前はこの近くにいる。この無線も届いて五〇〇メートルが限度だ。つまり、このホテルの中だ。

「アタマが良いねえアンタ」

―あきらめたらどうだ?

「ひとつ良いことを教えてやろう。この無線機の通信距離は二〇〇メートル弱だ。いや五メートルだったかな。ドアを開けてみろ」

ほどなくして、浩の目の前のドアが僅かに開いた。黒服は警戒して姿を現さないことはわかっている。浩は速やかに墨色の物体を投げ入れた。乾いた音が床で弾んだ。黒服たちの目の前に二個の手榴弾が転がっている。扉を見ると無線機を手にした浩が笑っていた。

「ばいばーい」

唖然とする黒服たち。浩は手を振るとダッシュで走った。


 Dom Dom!


低く大きな衝撃音がホテルを襲った。

誠治が三九階のエレベーターホールに着いた瞬間の出来事だった。

「なんだ!」

誠治が廊下に出ると大きな瓦礫が散乱し、外からの風が吹き荒れている。他の扉からは混乱した宿泊客が我先にと逃げていく。

「ここまでやるか……」


 Pan


乾いた音が奥からかすかに聞こえた気がした。誠治は逃げ惑う客に分け入って奥へ急いだ。


「どうやら期待外れだったようだな。貴様を雇ったのは」

腰を撃たれ動けない浩の前に新堂が銃を向けたまま言い放った。

「お前が何をしたっていうんだよ」

「闇市を仕切るブローカーの話を知っているか?」

浩は苦笑いをする。

「ハナから協力する気などなかったな? 腐っても刑事だな」

「……確かに…闇市に情報は流れてきた。裏切りものがいるってな。だが、あれはフェイクだ」

「なぜ分かる?」

「イサキだよ。あいつが現れたのは偶然じゃないってことさ」

「……ふははは。なるほど。俺たちはトカゲのしっぽってわけだ」

銃を再び構える新堂に迷いはない。

「おまえの崇高な思想はどこに行った」

ここまでか。と浩は覚悟を決める。

「思想? そんなもの始めからない。ただ復讐でしかない」

「この、おいぼれが」


 Pan


「死にぞこないが」

新堂の銃弾は浩の右肺を打ち抜いた。

「やめろ!」

誠治が爆発で吹き飛んだコンクリートの瓦礫を新堂にぶつけた。左肩に命中し新堂はよろめいた。


 Pan Pan Pan

 

銃弾が誠治を襲う。

「はっはっは。三次のガキか。感動するね」

「パンパン撃ってんじゃねえ、猿かテメエ」

「君とはまた会ってみたいもんだ」


 Pan


一発を発砲し非常階段へ新堂は逃亡した。誠治は腕に一発食らってしまった。

「おいおっさん、生きてっか」

使い物にならない腕をぶらさげながら目の前に倒れている浩に声をかけた。

意識のはっきりとしない浩がかすかに返事をする。

「よくここが分かったな、鼻たれ小僧」

「誰が鼻たれだ、殺すぞ」

「…じゃ、しょんべん小僧」

「殺すぞ!」

「は…黙ってても、もうすぐ死ぬさ ゴホゴホ」

血を吐きながら苦しそうに話す浩に誠治は「助からないか」と覚悟を決める。浩は言葉を選びながら語る。

「聞け……、三次さんに伝えろ」

「親父?」

「…番…犬を…」

「バンケン? どー言う意味だ!」

誠治は訳が分からず聞き返した。

「か・ぞ・くを」

「あ? 家族? 家族だな?」

浩は遠のいていく意識の中で言葉を続ける。

「まも……り……れ……」

「ホシを発見。包囲しました!」

非常階段とエレベーターから突入してきた警官隊の近づく足音が響いた。

浩という男の最期の言葉は「家族を守れ」だった。誠治は言いようのない苛立ちに支配されそうになった。オヤジと新堂がなんなんだよ。こいつは俺のことを知っていたし、オヤジとなんか繋がってるってことは間違いない。警官に押し倒されながら混乱する脳ミソが爆発しそうになる。

「なんなんだよ! クソ!」


走る人影がある。暗がりの中を走りまわり、路地裏で息を潜めた。

「ハア、ハア、ハア、ハア、ハア」

銃を握り締めた手が思うように開かない。シゲは銃を固く握った右手の指を左手で一本一本外していく。

やがて銃は地面に落ち、だが街は関係なく騒然としている。今この事件を知るものはごくわずかな者だけである。

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