唯一美しい
忘れられない記憶がある。
なんてことないひまわり畑。それが10年たった今でも忘れられない。
母の実家の田舎に連れていかれた時の僕はまだ母の腰くらいの身長だった。
よく晴れた日の陽炎。轍ひとつないあぜ道を挟む終わりの見えないひまわり畑
母の身長を抜かした今でさえ壮観な景色は、当時の僕にとってもはや怖いと思わせるほど迫力のある景色だった。
あの日に確信したのだ。ひまわり畑こそ世界で唯一美しい。
今は恐怖を覚えるほどではないが、大人になって苦手な食べ物が減るのは舌が劣化しているからだともいうように、その変化が必ずしも自分にとって良いと断言できないのは僕がまだ大人になる過程にいるからだろう。
しかし今日まで唯一美しいと思える景色で居続けていたことを今確認した。
「久しぶりに見たけど・・・やっぱり凄いな」
小声でつぶやく僕の姿を見た母は「そうだね」と言った。
ひまわりに心を持っていかれていた。自分の頭の中に靄がかかったようにひまわり以外の情報は頭に入ってこなかった。
美術館で絵の前に意味もなく立ち尽くすおっさんのように自分に酔っているわけではない。本当に唯一ひまわりの前でだけ指先に至るまでの身動きがとれなくなる。
指の先がピリピリして「動かせ」って身体が言ってくる。
視界には抱えきれないひまわりが広がっていて心はそれでいっぱいだが、その実どこにピントが合っているのか自分でもわからなかった。よく見ているようでどこもじっくり見れてはいなかった。
何かを伝えるように僕を見るひまわりは一輪のマイノリティも許さない。ひまわりが風と一緒になって影の短い僕を笑って揺れた。
たったの二分程度じっとしていただけだが染髪を一切していない黒髪はよく太陽の熱を吸収して後頭部が熱くなった。
日陰を探すために動き出したつもりだったのに誘われるようにひまわりのあぜ道に向かって歩き出した。
歩いても歩いても珍しいひまわりがあるわけでもなければ景色が大きく変わることもない。それでも歩いた。ただただ誘われるように歩いた。
なんだかそこにある気がした。何かが見つかる気がした。僕が今まで感じたことがないような心の隙間を満たす【何か】が。
ひまわりは美しい。何にも変えられない唯一美しい景色だが満たされるというよりは魅せられていて僕の意思はそこにはなかった。
ひまわり畑の端までたどり着いてようやく正気に戻って気が付いた。心を満たす何かは見つからなかった。
「・・・・帰るか」
踵を返して長いひまわりの道を帰っていった。