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9 弘徽殿

「最初に物の怪を見たという女官が出たのはふた月ほど前だ。内裏でそういう噂が流れる事はよくあることだから、それほど近衛府は重要視していなかったのだが」

 

 二人を案内して御所の中を歩きながら斉彬が言う。

 

「はじめは黒い影を見たというくらいだったのが、火の玉になりぼんやりと四つ足の動物、そして大きな獣の妖になった。女御が倒れたのはひと月前、そしてとうとう虎が出たと大騒ぎになった」

「それで陰陽寮に調べよとの命が出されたのだな」

「ああ。我々も鳴弦(弓を鳴らす魔除けの儀式)を行ってはいたのだが、全く効果がないのだ」

「帝は何かご覧になられた事は?」

「いや、ない。常に我々がお側についているからな」

 

 自信たっぷりのその様子に、利憲がふふと笑う。


「ここが弘徽殿だ」

 

 妻戸を軽く叩くと中から返答があり、斉彬がひと言ふた言話すとすぐに内から開いた。前もって話をしていたらしく、扉を開けた女房が無言で細殿を先導する。奥へ続く枢戸(くるるど)はまだ開いており、中へ入った女房は彼等を奥の間へ案内した。

 女房は女御のいる母屋まで案内すると深々とお辞儀をして離れ、その御簾のおりた部屋の前で三人は膝をついて座った。

 

「失礼いたします」

 

 中に灯された明かりで御簾の中が透けて見える。二人の女房が付き添う中で、女御は几帳の奥に横たわっているようだった。

 几帳に映る影がかすかに揺れている。聞こえてくる呼吸は熱にうかされているのか乱れがちだ。

 

(桜子……!)

 

 楓はすぐにでも几帳を押しのけてそばに寄りたい衝動をこらえる。

 御簾の向こうで女房は静々とこちらへ来て座った。年配の女房の声に楓は聞き覚えがあった。中納言邸にいた頃から桜子にずっと仕えていた女房だ。

 楓子と桜子は双子のように容姿が似ている。部屋は薄暗く男の格好をしているので正体を見破られるとは思わないが、顔をはっきり見られないようにうつむいた。

 

「夜になると熱が……。時折、うなされて紅い獣に襲われるとおおせられるのです」


 毎夜熱が出ては、朝には嘘のように引く。しかし、夜毎に女御を苛む病は、徐々に彼女の体力を奪っていっているという。

 

「もう昼間も伏せるようになって。里下りも願い出ておりますが、主上がお許しにならないのです。典薬頭も病の原因はわからないと言っております。帝が陰陽師を呼ぶと言っていたのはそちら?」

 

 斉彬がにこりと微笑み、女房の質問に頷く。

 

「陰陽頭と優秀な弟子を連れて来ました。妖の調査はこれからですが、まずは女御様の御身に何事が起きているのか視させて下さい」

「お願いいたします」

「女御様の病を祓えるか試してみます。お側に寄る事をお許しください」

 

 利憲の言葉に女房は頷き、御簾を少し押して中へ入るよう導く。

 少将を置いて二人はするりと中へ入った。

 

(桜子……、痩せたように見えるわ)

 

 美しい袿を来て横たわっている彼女は、屋敷で最後にあった時より小さく見える。主上の寵愛を得て幸せに暮らしているのならいい。しかし今目の前に寝ている女御は、誰もが羨む高貴な身分を得ているにもかかわらず、眉間にしわを寄せ苦しそうに喘いでいる。

 楓は、いつも自分に優しくたおやかな笑みを見せていた桜子を、このような所に閉じ込めた父親と帝を恨んだ。はかない生活を送る自分にとって、この妹は希望のようなもの。同じ顔をした彼女は、自分にとって傷付けてはならないもう一人の自分だ。愚かだとは思うが、全てを失った自分の代わりに苦痛などない暮らしをしていてほしい。

 

 楓は懐から懐紙を取りだす。中には青々とした楓の葉が挟み込まれていた。利憲の屋敷に植わっている楓の葉を数枚拝借して来たのだ。

 まじないは楓であればどの木でも効果は変わらない。


 荒く上下する女御の着物の上に、取り出した一枚をそっと置いた。

 

「わ……!」

 

 楓の葉がみるみる茶色く染まり、カサカサに干からびる。

 と、思うと黒い煙を上げて粉々に散った。

 

「どうした?」

「いえ……、こんなことは初めてです。普段は緑のままなのに」

「砕けたな」

「はい。燃えたように見えました」

 

 やはりただの病ではない。

 まだ苦しげに眉を寄せる女御の胸に、更に数枚の葉をのせて祈る。青白い炎が女御の身体の中から立ちのぼり、葉に吸い込まれては砕け散る。

 持って来ていた十三枚を全て使い切って、ようやく女御の表情が和らいだ。

 

「熱が下がりましたわ」

 

 女御の手を触った女房が、うわずった声で報告する。

 暗い燭台の明かりの中でもわかるほど青白かった頬は、わずかに色を取り戻しているように見えた。

 

「今夜はここまでで」

「病は祓えたのでしょうか?」

「女御様の身のうちの悪しき気は消えたようですが、原因を突き止めるまではまだ油断できません」

 

 利憲は懐から白い紙を取り出した。

 何やら呪を唱えると紙を天井に向けて放り上げる。すると、その紙は白い煙となって消える。

 

「女御様に式を付けておきます。何かあれば式神が護るはずです」

 

 静かな呼吸に変わった女御を置いて、女房達に見送られながら三人は弘徽殿を出た。

 

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