33 前夜
空を見上げると、銀の砂を撒いたような一面の星が瞬いている。
朱雀門の前で佇む柘榴は、ほうと白い息を吐いた。
澄み渡る夜空はどこまでも静かで、遠くに見える後宮の屋根を見ると、篝火の灯りが仄かに空気に溶けている。
明日が師走の晦日。
皆、何事もなく年を渡ると信じている事だろう。
懐から式符を取り出す。
フッと息を吹きかけると、それはみるみる形を変えて黒い蝶へと姿を変えた。数十匹の胡蝶がひらひらと空へ舞い、朱雀門の上へ飛んでいく。明日の祭祀に備えた、これは密かな破壊の芽。
柘榴は蝶が門の軒下に消えるのを確認すると、ゆっくりと門に背を向けた。
都の広がる南の方角を振り返った時、ふと白い煌めきが空を流れた。
(流星——)
待ち望んでいたそれは、誰かの不幸を意味するもの。
星を読む自分にも、今は何かが変わることまでしかわからない。それでもきっと、この自分の行動が何かを変えるのだ。そう信じるしかない。
地面に目を移して、歩き出そうと踏み出した時、暗い上空からチチチと鳴き声が聞こえた。
見上げた彼女の目の前を小さな影がサッと横切る。
(蝙蝠?)
夜に飛ぶ生き物を想像して、すぐに間違いだと気付く。
その小さな黒い影はヒューと空を駆け、道の向こうに立つ人物のもとに降りた。
「そなたが柘榴だな」
低く艶やかな声が闇に響く。
星明かりが彼の輪郭を薄っすらと浮かび上がらせていた。
燕を肩に乗せたその人物を、彼女はよく知っている。
「陰陽頭……」
自分と同じ銀の瞳を持つ、最高位の陰陽師。
どんなに手を伸ばしても決して届くことのない存在。ゆっくりと近付いて来るその男は、柘榴が焦がれるものを全て持っている。
「何をしていた?」
静かな問いは確認のため。
「何も……、と言って信じてくれるかしら?」
「いや」
彼は止めに来たのだ。
自分がしようとしている事を。
「手を引くのだ。そなたの企みは叶わない」
はっきりと言い切られて、ほんの少し嫉妬の感情が湧き上がる。
そうだ。自分はこの目の前の男に敵わない。
地位も呪力も。
どれほど望もうとも。
「貴方に見つかっては仕方がないわね」
声音は平静を装う。しかし、心の中では抗おうと必死になる自分がいる。
あの流れ星は願いが叶う予兆だと、そう思ったのだが。
自分が望むものはどうしてこうも上手くはいかないのだろう。
「君の身柄は預からせてもらうよ」
背後から声が掛けられる。
振り返るといつのまにかもう一人立っていた。
知らない者はいない、近衛府の高官・左近の中将。
逃げることはできないだろう。
せっかくここまで来たのに。
唇を噛む柘榴に向けて、陰陽頭は諦めるよう告げた。
「明日の祭祀をつつがなく終わらせる為に、しばらくの間拘束する」
「女性に手荒な事はしたくない。どうか大人しくついて来てくれ」
にこりと笑みを見せる中将に、柘榴は冷たい視線を送る。
「嫌だと言えば、無理矢理捕まえるの?」
「うーん、そうしたくはないのだけれど。君は呪術師でもあるみたいだし、出来れば素直に来て欲しいかな」
戦いたくはないのだけれど、と軽い口調で返される。
「今はまだ、何も起こっていない。少副殿も自らが依頼したのだと、事を荒げるつもりはないと言っている。何も動くな。それが神祇伯殿の為だ」
「伯の為?」
「そうだ」
首を傾げた柘榴を陰陽頭が諭すように話す。
「そなたの父が式神にのまれたのは、公卿達に責任がある。裁けなかった朝廷にも非はあるだろう。しかし、今そなたが代わりにそれを裁こうとしても、そなたの父は戻らずそなたも破滅する」
柘榴は従兄の顔を見つめた。
「先代の陰陽頭は兄であるそなたの父を殺した。恨むなら私の父を恨め。父は救えなかった後悔を口にすることはなかったが、死の間際までそれに囚われていた。苦しんだと思っている」
「そうね、苦しんでいて欲しいわ。私はそのせいで全てを失ったのだもの。貴方とは違って」
「…………」
薄く笑みを浮かべ、柘榴は陰陽頭の目の中に微かな動揺の色を見つけて微笑む。
「私は貴方が羨ましいわ。その誰にも負けない呪力も才能も。恵まれた生まれと地位も。どれも私には手が届かない。同じ賀茂家に生まれた子なのに」
「ああ……」
「何度も母に言われたわ。女だからと。所詮手が届かないものだと。遠くに貴方を見ながら、私は我が身を呪うことしか出来なかった。神にどれだけ願おうとも、答えてはくれなかった」
「それでも伯殿は女人でもその才能を活かせる道を示してくれたのでは?」
「——貴方は何も知らないのね」
違う道もあったのだ。
でも、それに気付いた時にはもう遅かった。
堪え続けた激情を吐き出して、柘榴は彼を睨みつける。その視線を静かに受け止めて、陰陽頭は彼女を説得しようと声を重ねた。
「しかし、大祓を利用して父親の仇をとるつもりか? そのようなことは、自ら死に向かうようなものだ」
その言葉にぴたりと柘榴の動きが止まる。
激しい怒りがみるみると冷めてゆくのを感じた。
「それは誰が言ったの?」
わずかに声がふるえる。
まさか、そういう事だったのだろうか。
いつから?
頭の中で疑問の言葉が駆け巡る。
引き返せないのではなく引き返さないように、全てはこの為に?
まさか、という思いと、いや、という冷静な自分の声に柘榴は目を閉じた。
——あの流れ星は、自分だ。
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