17 切れた式符
「蝶の式神?」
斉彬から紙を受け取り、話を聞いた利憲は怪訝な顔をした。
そばに寄って来た飛燕の持つ燭台の灯りが、利憲の手の中を明るく照らしだす。二枚の紙は元は一枚であったのだろう。歪な形に切られているが、真っ直ぐな切り口はぴたりと合う。
床の上で切れた二枚を繋ぎ合わせ、それを眺めて利憲は腕を組んだ。
楓も一緒に覗き込む。墨で書かれた文字が掠れてはいるが、紙の上には細かな呪文が書き込まれているのが見てとれた。
「これは式符ですか?」
「擬人式神を作る呪符に間違いない」
利憲の言葉に斉彬は嬉しそうにこくこくと頷く。
「だろう? だから急いで戻って来たんだよ」
先ほど二人の邪魔をしてしまった事を、斉彬も少し悪かったと思っているらしい。利憲の機嫌がなおっているかうかがうような表情に、楓はこっそり微笑む。
(やっぱり仔犬みたい)
少々失礼な事を考えるが、利憲と斉彬のやりとりを見ているとその仲の良さに羨ましくなってしまう。どうも尾を振る仔犬のように見えてしまうのは斉彬の人懐こさのせいだろう。
「これが蝶に?」
そう尋ねながら、楓は呪符の文字をよくよく見てみる。
一瞬どこかで見たような筆跡だと思ったが、どこで見たのかは思い出せない。そもそも呪符の文字は紋様のように組まれている。記号に近いそれに書く手の特徴は残りにくいのだ。
きっと気のせいだろう。そう考えて楓は利憲にくっつく斉彬に問う。
「斉彬様以外のお二人には、別のものが見えていたのですか?」
「無数の蝶が蛇となって、道に立ち塞がっているのが見えていたようだ。私には黒い蝶が一匹、ひらひらと舞っているのしか見えなかった」
「おまえが見なかったという事は、式神が変化したのではなく幻だったということか」
「ほら、神祇少副殿の屋敷に来たという呪術師、あれが幻術を使っていただろう?」
少副に死んだ姫を生きていると思わせる、あれは幻術だと利憲は言っていた。
「その呪術師がおまえを狙ったのか?」
「私とわかって狙ったかどうかは不明だが、式神が使える奴などそうそういるまい」
「幻を見せる式神か……」
陰陽寮の陰陽師の中には簡単な式神を使える者もいるだろう。しかし、彼等はこのように騒ぎを起こすような事は決してしない。
二人の話を聞きながら、楓は不思議に思った事を口にする。
「斉彬様が少副様の一件に関わっていると知ってのことでしょうか。でも、私達が少副様のお屋敷に行った事は、あの場にいない人で知るのは神祇伯様と帝だけのはず」
「楓様、その呪術師はお屋敷にこの式神を置いて、見張っていたのではないでしょうか?」
「ならば夜狐が気付くはずだ。あいつは何も言わなかった」
飛燕の言葉に利憲が首を横に振ると、飛燕も首を傾げた。
「どこから知ったかわからぬが、おそらくは喋るなという脅しだろう」
「こんなもので私が怯えて寝込むとでも?」
斉彬が切れた式符を摘み上げて、ひらひらと振りながら頬を膨らませる。その様子に苦笑しながら、利憲は斉彬の手から紙を取り返した。
「普通の公達なら妖に襲われたと言って屋敷に引きこもるだろうが、おまえは見鬼だからな。視える者には幻術も効きにくい。その事を知らなかったのが相手の不覚だ」
「しかし、脅しをかけてくるとは、まだ少副殿を狙っているという事だろうか」
斉彬の懸念はもっともだ。姫が亡くなった事は、正気を取り戻した少副にとってかなりの衝撃に違いない。これ以上彼を苦しめるつもりなのか。
見つめる楓の視線の先で、利憲がうむと考え込む。
「夜狐を置いているから大丈夫のはずだが……」
「また様子を見に行ってくるよ。姫の葬送も早くした方が良いだろう」
「頼む。式神を使えるほどの術師なら、警戒するに越したことはない」
相手の正体はまだわからない。
目的がわからない悪意は始末に追えぬ。
今は出方を見ながら待つしかない。
斉彬がすっくりと立ち上がった。
「じゃあ私は帰るから、二人とも続きに戻ってくれ」
「つ、続き?」
「さっきは邪魔をして悪かったね」
二人がぎょっとするのを見ながら妻戸へと向かう。斉彬は『ほら、飛燕も』と言って手招きすると、彼女を先に戸の外へと押し出した。
「中将様、楓様のことはきっぱりと諦められたのですね」
戸をくぐりながら飛燕がほくほくとしながらそう言う。しかし、意外にも斉彬は首を横に振った。
「諦めたわけじゃない。楓が利憲がいいって言うから仕方なくだよ」
「ええ?」
「はい?」
「なんだと?」
三人の声が重なる。
驚く彼等に向けて、斉彬は軽い調子で衝撃の言葉を投げた。
「楓が利憲に飽きた頃に迎えに来るから」
「…………」
冗談かと思っていたら、どうも本気だったらしい。斉彬の真意に楓は絶句する。
「おまえ、私の前で堂々とちょっかいをかけるなと何度も言わせるな。というか、まだ諦めてなかったのか」
呆れる利憲に、斉彬は吹っ切れたようにからからと笑った。
「仕方ないだろう。色々探してはみたけれど、どうやら私の運命の相手は楓以外にいないようなのだ」
運命の女性を探していると言ってはいたが、どうもいまだに見つかっていないらしい。開いた口が塞がらない楓に向けて、彼は大丈夫、と言って片目をつむった。
「知っているだろう? 私は人妻を落とすのは得意なんだ」
にんまりと口元に笑みを浮かべてそう言い置くと、彼はくるりと背を向ける。そして、固まる三人をその場に残して立ち去った。




