14 見鬼
柘榴と呼ばれた女は楓に向けた視線を神祇伯に戻す。そして袴の裾を捌いて座り、深々とひれ伏した。
「大副様が探しておられます。主上が伯をお召しとの事です」
「主上が? わかった。少ししたら行くと伝えてくれ」
「かしこまりました」
さらりと衣の擦れる音がして、女は立ち上がると出ていく。何処かで嗅いだような、花に似た香りが楓の鼻をくすぐった。
その後ろ姿が消えるのを見届けてから、楓は神祇伯に尋ねる。
「……今の方は?」
「彼女は神祇官で御巫を務めている、筑前の名神大社から大祓の為に呼んだ娘達の一人だ」
神祇官は各地の神社の管理もしており、都から官人を派遣することもある。大きな祭事の際には、逆に地方の神社から人を呼び寄せることも多い。
彼女は名神大社の巫女だったのか、と楓は納得した。これまで見たことがなかったのは、彼女達が最近になって都に来たせいなのだろう。しかし、神祇伯を『伯』と呼ぶあたり、親しげに見えたのは気のせいだろうか。
「美しいだろう。気になるかい?」
心あらずのその様子に、神祇伯は別の事を思ったらしい。
楓は慌てて首を横に振り、それから思い直して頷いた。
「本当に綺麗な方ですね。あの方の神楽舞を目にした時、とても印象に残り覚えていたのです」
「ああ、あれか。あの舞を見れば、天照大御神もすぐに天の岩戸から出てこよう。彼女は両親を無くして、私が親代わりとなり育てていた娘なのだ。巫としての才も非常に高く、目を掛けているのだよ」
誇らしげに微笑んで、神祇伯は満足そうに顎髭を撫でる。
きっと彼は彼女を娘のように可愛がっているのだろう。
彼女が何故利憲を見つめていたのか。疑問は残るが、神祇伯が後見であり、その素性が確かならば、気にすることではないのかもしれない。
「さて、主上にも少副の事をお伝えせねば。彼を救ってくれたこと、感謝する。陰陽頭にもそう伝えてくれ」
そう言って、神祇伯は立ち上がった。
彼が神祇官の建物を出て行くのを見送り、楓も立ち去ろうと歩き出す。一旦陰陽寮へ戻ろうと考えた時、柱の陰に人がいるのに気付いた。
白い衣に鮮やかな緋の袴が映える。先程、神祇伯の元へ呼びに来た、柘榴という名の巫だった。
(なんだろう……)
見られている気がして楓が立ち止まると、女の方から近付いてくる。
その表情は何処か苛立ちを含んでいるように見え、訳も分からず楓はどきりとした。自分は彼女に何かしたのだろうか。覚えはないが、そう思うくらいに敵意を感じる。
女は目の前までくると、立ち止まって楓をじっと見つめた。
「貴方、新嘗祭で陰陽頭の隣にいた子ね」
いきなりそう問われ、なにか用かと話しかけようとしていた楓は言葉を失う。
一応髻も結った元服後の男性(の姿)である楓に、『子』という表現はどうかと思うが、彼女の鋭い目つきに声が出ない。
「まだ学生でしょう。ただの陰陽生が、どうして陰陽師の前にいたの?」
「悪しきモノを……僕は視えるので」
責めるような問いかけに、かろうじて楓はそれだけを言えた。
しかし、その返答に女は一瞬動きを止め、そしてほうと溜息をつく。
「そう……、『見鬼』なのね」
楓は少しだけ驚いた。『見鬼の才』というものは、そうそう一般的に知られているものではない。視えると聞いてすぐに『見鬼』と答える彼女は、陰陽道のような怪異を扱う分野に少なからず精通している。
「僕に何か?」
かろうじてそれだけを言うと、女は楓に向けて薄く笑みを見せた。口元は笑っているものの、目は厳しい炎を灯したままだ。
「伯に何を依頼されていたの?」
「え、と、神祇少副様が病で伏せられているとの事で、祓を頼まれたのですが……」
答えても良いかどうか考えつつ、問い詰めるような口調に負ける。
「少副様? ああ……。貴方、もう祓も出来るの」
まるで尋問のようだ。
楓はたじろぎながら、こくりと頷いた。
何故だろう。面と向かって会うのは初めてのはずなのに、憎まれているようにしか感じられない。神祇官と陰陽寮とのいざこざのせいなのだろうか。以前にも男達に絡まれた事を思い出して、楓は眉を曇らせた。
そんな楓の様子に気付いているのかいないのか、女は目を細めてふふと笑う。
「貴方の名前は?」
「……楓、です」
「そう。私は柘榴と呼ばれているわ。楓は陰陽寮では特別なのね。陰陽師は呪力を持つ者が一番尊ばれるから」
「そういうわけでは……」
陰陽寮ではまず一番に知識が求められる。学生達は天文、暦、占術などの理論と実践を徹底的に学ぶのだ。呪術はその次である。
しかし、柘榴は楓の否定の言葉を遮って、重ねて言った。
「あら、あの陰陽頭が若くして先代の跡を継いだのは、稀代の呪力を持っているからと聞いているわ」
ほんのりと嘲りの色を感じて、楓の頬がぴくりと動く。
陰陽寮の本来の職能に呪力はさほど関係ないのだが、仕事以外で呪術を求められる事も少なくはない。しかし、利憲が陰陽頭になったのは決してその呪力の強さだけでない事は、陰陽寮にいる者ならばわかっている。
もやもやと胸に湧く黒いものを押さえきれずに、楓は低く冷たい声で問いかけた。
「神祇官はただ祈祷で人が救えれば、上位に登れるのでしょうか」
その声に滲む怒りを感じ取っただろうに、柘榴は何を言うのかと言わんばかりにくすくすと笑いだす。
「祈祷で人が救えるはずがないでしょう? いくら祈ったって応えてくれるはずもないのに。神の力なんて、期待する方が馬鹿なのよ」
仮にも神に仕える神祇官の巫がいう台詞だろうか。
楓は混乱しつつ柘榴を見つめる。
「私がこんな事を言うのはおかしいかしら?」
「…………」
返す言葉を失った楓を見ると、柘榴は面白そうに目を細め『じゃあね』と言って身をひるがえした。
最後に視線を向けた彼女を見て、楓ははっと目を見開く。
その左目の瞳の中には、小さな銀の粒が星のように煌めいていた。




