13 昔語り
神祇伯は大内裏の宮城内南東にある神祇官にいる。高官達の仕事場である建物は、人が少なくひっそりと佇んでいた。
楓が神祇少副の祓の件について神祇伯に報告しようと訪れると、彼はすぐに陰陽生を中へと通して人払いをする。
「彼はどうだったのかな?」
二人きりの部屋で平伏する楓に、神祇伯は顔を上げるようにと伝えて問いかけた。
穏やかな口調だが、その表情には心配の色が見える。
楓はほっと息を吐いて、彼に昨日見てきたことを伝えた。
「——というように、少副様は姫君が生きているという幻術に掛かっておられました」
「姫が……そうか。それで?」
「幻術が解けるように祓は行いましたが、しばらくは安静が必要かと思われます」
「本人の病ではなかったのだな。姫の容体が良くないことは聞いていたのだが、まさかそのような事になっていたとは」
眉を僅かにひそめて神祇伯は頷いた。部下の事を痛ましく思っているのだろう。
(お優しい方だわ)
楓は幾本も薄く皺の刻まれた彼の顔を見つめる。
「しかし、陰陽頭も同行していたとは、彼は余程そなたの事を気に入っているようだな」
「そ、そのような事は……」
神祇伯は狼狽える楓を見ると、いやいやと言って首を横にふった。
「彼はそうそう他人の事には首を突っ込まない性格をしている。それで冷たく見られがちなのだが、どうもそなたには違うようだ」
「ありがたく……思っています」
消え入るような声を返し、楓は俯く。
思えばいつも利憲には助けられている。この祓も、彼なくしては少副に手を差し伸べることもできなかっただろう。
自分は本当に彼の役に立てているのだろうか。助けたいと思いつつも、逆に助けられてばかりだ。
「私一人では何もできませんので」
「いや、手を貸せる方が良いのだ。有能過ぎるというのも、孤独をもたらしがちでね。彼の父親もそうだったが、陰陽頭は更にその上をいく。そなたのような存在がいて良かった」
『父親』の言葉に楓は顔を上げる。そういえば神祇伯は利憲の父と親しかったと聞いている。そして、利憲はその父に殺されかけたと言っていた。
「どのような方だったのですか……?」
「何?」
思わず口をついて出た問いに、神祇伯は怪訝な顔をする。楓は慌てて手で口を塞いだ。
その様子から神祇伯は悟ったようだ。複雑な表情をして首を傾げる。
「どうやら彼等親子に何があったか聞いているようだね」
じっと見つめる視線に、楓は『少しだけですが』と小さく頷く。
「そなたになら教えても彼は怒らないだろう。私と陰陽頭の父である保明殿は古くからの友人だった。互いに出仕したての頃からのね。保明殿は私より十は歳下だったが、その能力は当時の陰陽生の中でも飛び抜けていた」
彼の昔語りを楓は黙って聞いていた
「彼は賀茂家の中で一番の呪力の持ち主で、兄を置いて陰陽頭となった男だ。その彼に息子が産まれたと聞いて私も祝いに駆けつけたが、利憲殿は赤子の頃から人とは違う色の眼をしていた」
神祇伯はそう言うと、楓に向けて問う。
「彼の眼をよく見た事は?」
「はい。少し銀が混ざった色をしています」
「不思議だろう? あのような瞳を持つ人間は、陰陽道では鬼を見、神を降ろすと言われるそうだ。強大な呪力を持ち、式神を使う能力を産まれた時から持っている。保明殿はそれを知った上で、彼を後継として育てていた。だが、息子が成長するにつれ、保明殿は私に不安をこぼすようになっていた」
不安——。それは以前利憲が言っていた、親に見捨てられたという言葉に関係しているのだろうか。
楓の視線に神祇伯は薄く笑う。
「息子が恐ろしい、そう彼は言っていた。このまま成長させて良いものか。いつか、息子が力を暴走させたとき、自分はもう止めることが出来ない、と」
「暴走……、何故そのような心配を?」
「保明殿の兄のせいだ。陰陽師だった彼の兄は式神を従えるのに失敗して、呼び出した神に飲まれたそうだ。陰陽師を飲み込んだ神は、荒れ狂う禍ツ神となったのだ。保明殿は兄もろともそれを祓うしかなかった」
神祇伯は淡々と語る。
「我が子が成長し、式神を従えようとした時、同じことが起こらないか、それを彼は心配していた。この先更に力を増した呪力を持つ存在を飲み込めば、その神はもう祓えないと」
「信頼できなかったのでしょうか。利憲様のことを」
「利憲殿を、というよりは、自分を、だな。陰陽頭という立場が、彼に重い責任を負わせた。そして、だんだんと心を病むようになったのだ。そして、四年前、自分の息子を殺そうとして、そしてとうとう自ら命を絶った。あの頃、陰陽寮ではかなりの騒ぎとなっていたよ」
四年前といえば、ちょうど中納言邸で蠱毒の呪詛による騒動が巻き起こった時期だ。本来ならば父中納言は陰陽師にも祓を依頼したはずなのに、誰も来なかったのはそういう理由があったのか。
楓が神祇伯にもう少し聞こうと口を開きかけた時、背後から静かに声がかけられた。
「伯……、こちらにいらっしゃいますか」
淑やかな女の声だ。
神祇伯は声の方へと視線を向ける。
「柘榴か」
楓もつられて振り返ると、そこには美しい女の姿があった。
まなじりに紅をさした切れ長の瞳が、楓にちらりと向けられる。その視線を受け止めた楓は、湧きあがった動揺を咄嗟に見せないように隠した。
(この女は——)
二人の前に現れたのは、新嘗祭で利憲を見つめていた、あの巫の女性だった。




