2 宮中の噂
師走に入ると宮中では立て続けに祭祀が待っている。楓が名虎に教えてもらった話によると、陰陽寮も祭祀の日時を占ったり色々と準備で忙しくなるという。
儀式には利憲たち陰陽師や、斉彬たち近衛府の武官もかり出される。斉彬と私的に会える頻度は減るとしても、共に仕事をする機会は多い。
楓は儀式に出席することはないが、裏で手伝う事になるだろう。祭祀用の袍に身を包んだ二人の姿を見られるかもしれないと思うと少し楽しみだ。
楓がそんな事を考えていると、斉彬がさてと言って立ち上がった。
「利憲が楓を独り占めしたがっているようだから私は退散するよ」
また内裏でね、と二人に言い置いて、斉彬は屋敷を後にする。
「全くあいつは。何かあるたびに楓に会いに来るな」
仕方ない奴、とばかりに利憲が舌打ちした。
その様子を横で見ながら、楓はそうかしらと首を傾げる。
「中将様は利憲様に会いに来ているのだと思いますけど」
「私に? まさか」
利憲は楓の言葉を信じていないようだが、斉彬の利憲へ向ける信頼は厚い。楓の目には、まるで母犬にじゃれつく仔犬のように見える時もあって微笑ましく思っているのだが、年上の男達に対しての表現としては不適切なので黙っていた。
「でも、利憲様、先ほどの中将様のお話は本当でしょうか。見に行かれます?」
斉彬の話では、これはごく最近のことらしい。それこそ内裏で怨霊が出始めた頃と時期が一致する。
今、自分達が調べているものと関係ないか、一度行って調べてみてもよいかもしれない。そう楓は思ったが、利憲は問題ないと首をふった。
「このような話は無尽にある。ひと夜で終わる出来事なら、まぼろしと思えば良い。本当に女の霊魂が男に逢いに来たのであろうと害はおこっていない。むしろ、男にとっては良い戒めになっただろう」
ため息をついてそう答える利憲に、楓はにっこりと笑みを見せる。
見た目と素っ気ない態度のせいで冷たいと誤解されがちだが、この陰陽師の内面は非常に優しい。なんだかんだと文句を言いながらも突き放すことをしないところに、斉彬が彼を慕う理由もあるのかもしれない。
「亡霊となっても待っていた女性は、今頃満足しているでしょうか」
「さあ。斉彬の話が本当であるならば、もう現れることはあるまい」
「生きているうちに戻って来ていれば……」
「覆水盆に返らず。はじめから大切なものは手放してはならないのだ」
利憲のその言葉は女と男、どちらに向けてのものであるのか。
いずれにせよ、二人の間のちょっとしたかけ違いで起きてしまった不幸には違いない。
楓が考えこんでいると、ぽんと頭に手を置かれた。
「楓、四条の女房殿には会えているのか?」
「周防とは時々文を交わしています。この間は中将様が送ってくださったので、お屋敷で会ってきましたよ」
「そうか。しかし、出入りを見られないよう気をつけるのだぞ。斉彬が四条の屋敷に誰かを囲っていると噂になっているようだからな」
すでに四条の屋敷に主人となる姫はいないのだが、そこは人気のある斉彬らしい。彼の行動は常に注目の的になっている。
遊び人で名を馳せている彼も近頃は色めいた噂もなく、宮中の女房たちは誰が彼の心を独占しているのかを突き止めることに躍起になっているようだ。
利憲が心配するのも当然といえる。
「はい。飛燕もついてきてくれるので大丈夫です。でも……」
楓はその指示に頷きながら、利憲の顔をのぞき込んだ。
解き流しの黒髪に鋭角の線を描く顎、その滑るような白い肌をじっと見つめると、冬の氷のような銀を散らした瞳が揺れる。
「な、なんだ?」
まじまじとした視線に利憲が狼狽える。楓は彼から目を逸らすと、これでは仕方がないかもと小さくつぶやいた。相変わらずこの陰陽師は、並の姫君では太刀打ちできないくらいに美しい顔をしている。
「大丈夫そうですよ。桜子が言うには、この頃は違う噂がたっているそうですから」
「違う噂とは」
「はい。最近、中将様はよく三条ここに来られているので、『左近中将中将様のお相手はきっと陰陽頭利憲様に違いない』と」
「なんだと?」
目を剥く利憲に、楓は楽しそうに伝えた。
「どちらも見目麗しい男性なので、弘徽殿の女房達は『道ならぬ契り』に喜んでいらっしゃるそうですよ」
「!!」
声を失う利憲に、楓は追い討ちをかけるように告げる。
「麗景殿の女御様付きの女房に文筆に優れている方がおられるのですが、その方が少し前から物語を書かれているそうなのです。その物語には中将を惑わす陰陽師が出てくるそうで、まるで陰陽頭みたいだと評判だとか……」
「飛燕!」
楓の話をさえぎって、利憲が大声で式神の名を呼ぶ。
「どうかされました?」
呼ばれた飛燕が何事かと、ぱたぱたと足音をたてて急いでやって来た。
利憲はわなわなと肩をふるわせながら飛燕に命じる。
「今度斉彬が来たら、屋敷に入れずに追い返せ!」
「まあ、どうなさったのですか?」
喧嘩でもしたのかと不思議そうな飛燕に、楓はそっと耳打ちした。
ふむふむと楓から話を聞いた飛燕は、頬に手を当て目を輝かせる。
「あら、まあ。その物語、わたくしも読んでみとうございます」
「桜子に頼んでみるわ」
「中将様にも教えてさしあげないと」
盛り上がる女二人をその場において、利憲は無言で部屋を出ていった。




