37 落とし前
久しぶりに三条の屋敷に戻って来た楓は、一人初紅葉の小袿姿のまま筵の上で座り込んだ。まるで長い夢を見ていたかのように感じる。屋敷の主人は彼女を牛車から降ろすと、また何処かへと出掛けて行ってしまった。
ぼーっとしていると、女人の姿に戻った飛燕が角盥に水を汲んで持って来てくれた。それで手と顔を洗って渡された布で拭くと、わずかに残っていた血が布に付く。それを見てようやく楓は夢のようだったこれまでの出来事が、現実であったのだと実感した。自分の着物を見下ろすと、あちらこちらに小さく血が飛び泥の跡もある。
「楓様、お召し替えいたしましょう。その衣は汚れておりますわ」
そう言って飛燕が用意してくれた着物は、薄紫に白の菊模様が織られた単衣だった。
「もう陰陽寮へは行けないのかしら」
袖を通しながらぽつりと呟くと、衣を着せていた飛燕がどうでしょうかと首を傾げる。
「主が良いとおっしゃれば大丈夫でしょうけれど、なにぶん楓様は可愛らしすぎます。男にまぎれるのにもだんだん無理が出て来ますでしょう」
「名虎にありがとうが言いたかったわ」
「あの坊やですか?」
「そう。せっかく友達になれたのに」
急にいなくなると名虎はどう思うだろう。しかし、もともと偽りの姿で会った関係だ。長く続けられるものではなかったのだと考えると、楓は少し寂しく思った。
偽りといえば、斉彬も怒っていたようだった。いつも揶揄われて困るとは思っていたが、このまま嫌われたらどうしよう。そう楓は考え、ずんと落ち込む。
「少将様も騙していた事を怒っていたわね」
大丈夫かしらと楓が心配する様子を見て、飛燕は親指を顎に当て首を傾げた。
「あれは怒っていたのではなく、喜んでいましたわ」
「え? 落とし前をつけろと言われたのだけど」
「どういう落とし前やら。楓様、お気をつけてくださいませね。あの方は天性の人誑しでございますゆえ」
ふん、と鼻を鳴らす飛燕に、楓は何の事だかわからず混乱する。
「さあ、少しお休みくださいませ。あれだけの神力を使われたのです。お疲れでしょう」
『神力』の言葉に楓は、横になりかけていた身体を起こした。
磐長姫を止めたあの力は、何処から出て来たのだろうか。空から降り地面につもった葉は、楓が立ち去る頃には消えていた。またあの力を、と請われても、もう出来るようには思えない。きっとあの時、一度だけ、木花知流姫が助けてくれたのだ。そう考えるようにしようと楓は思った。
「飛燕、貴女の身体は大丈夫?」
磐長姫の雷に打たれた飛燕も怪我をしていたはず。そう思って問うが、飛燕はころころと明るく笑った。
「平気ですわ。雷を受けた時は少々目を回しましたけれど、楓様の神力で全快しました」
「桜子を助けてくれてありがとう」
改めて礼を言う。長子姫の死は辛い事だが、飛燕がいなければ桜子は死んでいただろう。飛燕は楓の言葉に優しく微笑む。
「楓様、わたくし、長子姫を殺めた事は謝りません。あの方は女御様だけでなく、楓様にも呪詛をかけておりました」
「ええ」
「ですが、わたくしがあの方の胸を貫いた時、『これでやっと終われる』と仰いました。あの方も終わりにしたかったのでしょうね。あのような恨みつらみの生き方を」
遠い目をする飛燕を楓は見つめる。
「後戻り出来なかったのは、あの方の弱さです。楓様は誰も恨んだりしませんでした。ですから主は楓様を助けようと思ったのですわ」
「利憲様にお礼を言わないと……」
「まずは体力気力の回復が先です。さ、早くお休みください」
飛燕にせかされ、楓は袿を被って目を閉じた。
楓が深い眠りについた頃、三条の屋敷に主人が帰って来た。
彼は屋敷に入るなり声を掛けられ呼び止められる。入り口で待ち構えていたのは左近の少将・斉彬だった。
「おかえり。遅かったね」
斉彬は楓の葉を指で摘んでくるくるとまわしている。
「お前、仕事は?」
「中将殿に任せて物忌だよ」
「ずる休みか」
「そういうお前はどうなんだ?」
「遺体を運んだのだぞ。穢れに触れて出仕出来るわけなかろう」
それもそうだと納得する斉彬に向けて、利憲は胡乱な視線を向ける。
「それで、主上はなんと言っていたのだ。報告はしてきたのだろう?」
「ああ、それなのだが、予想通り中納言殿はお咎めなしだ。長子姫の件は秘される。妖虎は陰陽頭が調伏した、で終わりだ」
神の祟りを一介の公卿に責任を負わす事は出来ない、との帝の判断だった。なんとしても女御を守りたい帝には、詭弁であろうともそう言うしかない。
「楓は?」
姿の見えない弟子について尋ねると、斉彬は首を横に振って寝ている、と答えた。
「会いに来たのに、飛燕に起こすなと怒られたよ」
「疲れているだろう。起こすな」
「わかっているよ」
「では、何故来たのだ」
「会いたくて、に決まってるだろう」
「は?」
「楓の顔が見たかったのだよ」
休みだし、と斉彬は口をとがらせる。
利憲はおい、と低い声を出した。
「もしや、楓をお前の遊び相手の一人に加えるつもりか?」
「遊びではない。本気だ」
まさか、と利憲は斉彬の顔を見る。
「落とし前をつけてもらいに来たよ」
そう冗談のように言った斉彬の表情は、これまでになく真剣なものだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
残り八話で完結する予定です。
三十話過ぎるまで、いやこれほんとに恋愛モノかよってくらい色気なく妖と戦ってましたが、ここに来てようやく恋愛ものらしくなりました。
ここから先はがんがんに砂糖をぶち込んでいきます。
さて、ヒロイン楓は、頭脳明晰コミュ障童貞か、はたまた文武両道女好きプレイボーイか、どっちの男性を選ぶでしょう!?
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