31 神鳴
白砂の上に立つ紅い虎が、舎人達の持つ立明(松明)に照らされ闇に浮かび上がった。黒い縞模様が虎の呼吸とともにゆっくりとうねる。
太刀を持った舎人達が虎を取り囲み、弓をつがえた武士達が虎を狙う。弓が放たれた瞬間、妖虎は口から火を吹き矢を焼き尽くした。燃える炎は膨らみ幾本もの触手となると、まるで生き物のように取り囲む彼等に向けて手を伸ばした。
「玄武!」
利憲の声に玄武がかぱりと口を開き、鎌首をぐるりと回して水を吹く。すると、触手の火は人々に届くことなく、みるみる白い湯気となって消えて行く。
その隙に弓を投げ虎に斬りかかった斉彬の太刀は空を切り、彼を飛び越えた虎の爪が舎人の一人を斬り裂いた。
「うわあっ!」
白砂に散った赤い血を見て、斉彬がチッと舌打ちをする。
「気をつけろ! 奴は普通の妖ではない、実体を持っている!」
「はい!」
部下達の声を聞きながら、斉彬は虎を睨む。虎は悠々と尾を揺らし、ぺろりと血のかかった鼻を舐めた。
「少将、少し下がっておけ」
利憲が冷気を感じるような低い声で言う。斉彬は頷いて数歩虎から距離を置く。
「玄武、奴を喰ってよいぞ。武神と呼ばれるその力を存分に見せるがいい」
掛けられた言葉を聞いた蛇は、鎌首を一層大きく伸び上がらせた。喜悦の息を吐き屋根ほどの高さに立ち上がると、地上の虎を見下ろす。虎は気を膨れ上がらせた蛇にも怯むことなく、ぐるると喉を鳴らして威嚇する。
虎の上空から水の息を吐き掛けた蛇が、その太い尾を虎に向けて打ちつけた。それを飛んで避けた虎が、蛇の顔に向けて飛びかかる。虎の爪が蛇の横面に食い込んで、そのまま下へと斬り裂いた。
蛇はイヤイヤをするように顔を振って虎を跳ね飛ばす。地面にひらりと着地した虎を、待ち構えていた蛇の尾の先が襲う。鋭い槍のような蛇の尾が虎の太腿に突き刺さった。ギャッという声が虎の口から洩れる。
続けて虎の背中を蛇の牙ががぶりと噛みつき持ち上げると、地面に向けて投げつけた。宙を舞う虎はくるりと体勢をたてなおし、地面に叩きつけられることなく着地したものの、背に受けた噛み傷に苦しげな唸りをあげる。
彼等を取り巻く人間達は、目の前で繰り広げられる式神同士の戦いに息を呑みただただ見守るのみ。
「貸せ!」
立ち尽くす武士から弓矢を奪い、斉彬が虎に向けてつがえる。
蛇から逃れようと身を低くし、飛び上がろうと脚に力を入れた虎に向けて放たれた斉彬の矢が、虎の右目を貫いた。
一瞬、虎が矢の主を残された左目でギラリと睨む。しかし、再び襲う蛇の尾から跳躍して避けるのが精一杯。徐々に追い詰められてゆく虎の命は、風前の灯火のようにも見えた。
「玄武、そろそろとどめを」
利憲の声に顔から血を流しながらも蛇は目を細めて頷く。舌をちろちろと出し、弱りつつある獲物を前に何処から喰おうかと考えているようにも見える。
一方で妖虎は動きを止め、勝ち目のない戦いを諦め観念したように思えた。
しかし——。
空に星が瞬いた。
金星かと思えたその小さな光は、見る間に月ほどの大きさへと膨れ上がる。
「吾が君!」
飛燕の声が響いて、利憲は思わず振り向いた。
青い衣がひるがえり、女人の姿がかすれて消える。代わりに現れたのは燕でも、烏でもない。青く煌めく翼と虹色の輝きを羽にのせた長い尾を持つ巨大な鳥、青い鳳凰・鸞が利憲達の頭上にかぶさった。
ドオン
轟音と共に落ちてきた月が砕ける。
白い光、それは神鳴だった。
夜とはいえ雲ひとつない空。
月のない空一面に広がる満天の星空から突如落ちてきた雷撃。飛燕がふせがねば無力な人間達はみな、その神の雷によって焼かれていただろう。
「飛燕!」
自身が最初に得た式神・鸞である飛燕の献身に、利憲は衝撃を受けた。羽を焦がして飛燕は地面に伏せている。無事か、とは言えなかった。
『手を出すな……と、警告したであろう』
妖虎がクククと忍び笑う。
全身に傷を受けようとも、虎はもう痛みを感じてはいないようだった。あの雷が虎の苦痛を消したかのように見える。
『我が神を目覚めさせた愚かな人間どもよ。神の祟りを受けるがいい』
ぶわり、と虎の周囲に霧が立ち込める。目に見えるほどの瘴気に舎人達は喉を抑えて座り込む。息が出来ない。
「玄武!」
呼ばれた玄武が瘴気を浄化しようと口を開ける。だが、瘴気が濃すぎる。玄武の神気が霧を中和してゆくものの、虎から放たれる瘴気は背後に控える神の力のせいなのか濃くなるばかり。
『我が君、邪魔者を今から片付けましょうぞ』
ニタニタと笑う虎の顔は醜悪だ。虎の目が利憲に向けられ、射抜くように虎の目が光った。
『そなたが奴等の主だな』
式神は主人である陰陽師が消えればこの世との糸が切れる。式神としての姿を保てなくなり、ただの神へと戻るのだ。
妖虎の狙いは利憲一人。あとはただの雑魚に過ぎぬと、歯が見えるほどに笑みを浮かべる。
「利憲!」
虎の狙いを知った斉彬が、陰陽師を守ろうと虎の前に出る。
「斉彬、下がれ!」
ただの人にこの虎は抑えられぬ。無駄死にするなと彼の背に手を伸ばした。
次の瞬間、飛び上がった虎は二人の頭上から、その爪を剥き出しにして襲いかかった。




