29 磐長姫の正体
中納言邸から直接内裏へと向かった利憲は、斉彬に会うために左近衛府へと向かった。屋敷を出る時に式を飛ばしてある。式神に呼び出された斉彬は、利憲の顔を見るなり文句を言った。
「今夜、式部卿宮家に行く約束を取り付けたところだったのに、一体なんなのだ」
「もう必要がなくなった」
「必要がない? まさか」
「そのまさかだ」
利憲が中納言邸を調べるために行った事は斉彬も知っていた。だが、本当に中納言の屋敷に元凶となるものを見つけたというのか。
嘘だろう、と確認する斉彬に向けて、利憲は首を横に振った。
「妖虎も女神もそこにいる」
「女神も、だと?」
「そうだ」
絶句する斉彬に、利憲は続けて言う。
「女神は生きた人間だ。女御と楓に話がしたい。直接会えるか?」
陰陽頭の身分では女御の側までは近付けぬ。斉彬は急ぎ手配する、と答えて走って行った。
しばらくして、利憲は斉彬と二人で弘徽殿へと向かった。常の警護の時には、入れるのは庭までであったが、今夜は中へと案内される。そして、二人は女御と御簾越しに向かい合った。
女御のそばには楓と飛燕が座っている。何事かあったに違いない、と身構える女達に、利憲は低く落ち着いた声で見てきた事を話した。
「それは真の事ですか」
「はい。女御様が仰せられた磐長姫は、中納言の一の姫だと思われます」
「そんなはずは……」
「一の姫の住む東の対屋に、人でも妖でもない気配を感じました。二の姫が蠱毒の呪詛を受け、西の対屋の方々がことごとく病に倒れたのも、あの方の仕業でございましょう」
「嘘です……」
女御の声はふるえていた。
中納言邸にいた頃からの瘴気による病、家の者が関与している可能性を考えた事がないわけではない。しかし、楓同様に共に育った姉を疑うことは、女御には到底出来なかった。
「姉は……、一の姫はそのような方ではございません」
頑なに否定する女御に、利憲は首をふる。
「呪詛の痕跡はそこに残っておりました。妖虎も猫に姿を変えて、一の姫のそばにいる様子。疑う余地はございません」
「あの方はとても賢く聡明です。蠱毒の呪詛などという愚かなことに手を染めるなど考えられない」
「女御様、厳しいことを申しますが、どうかご容赦を。女御様が咲耶姫であられるならば、姉姫である一の姫が磐長姫である事を疑うのは当然のことでございます。貴女は帝に入内し、姉姫は残された。これは古事記に残る二柱の伝承のとおり。一の姫が磐長姫であるならば、過去と同じく女御様を恨み呪詛を行ったとするも納得できましょう」
「そんな……。姉姫は入内する時、嫌がる私と一緒に泣いてくださりました。とても信じられません」
「桜子……」
楓がそっと女御の肩を抱く。女御は袖で顔を押さえ、肩を振るわせ泣いていた。
母の同じ姉妹である長子姫は、桜子にとって楓とはまた違う絆で結ばれている。愛しんでくれていたはずの姉に裏切られたとあれば、命を狙われていること以上にその衝撃は大きい。
一方で、楓もやはり『何故』という気持ちが大きかった。
長子姫は中納言の北の方が楓に会わせるのを避けたせいで、楓自身は馴染みがない。母と北の方の間に微妙な距離があることは、子供ながらに常に感じていた。なので、きっと西に住む母と自分は邪魔であったのだろうと思う。
しかし、狙うならば自分一人を狙って欲しかった。一体幾人の人々が巻き添えとなったのだろう。なんの落ち度もない人達が、ただ自分のそばにいたというだけで死んでいったのだ。
これを許してもよいのだろうか。
「利憲様、少将様、一の姫を罪人として捕らえるおつもりですか?」
楓の問いに、斉彬が首を振る。
「もし、蠱毒の呪詛を行ったとして一の姫を捕らえれば、姫は即死罪だ。親である中納言殿も失脚するだろう。そうなれば、女御様もただではすまなくなる」
「幸い蠱毒が行われた事は誰にも知られていない。妖虎を祓い、一の姫に呪詛をやめるよう説得できれば、事は内密に終わらせることも可能だ」
だからここに来たのだ、と利憲は強い口調で言った。
「一の姫はもう人の姿をしていても、おそらく人ではなくなっている。あの気配は荒御魂のものだった。虎の言った通り、これは神の祟りだ。神の不興を蒙った者への神罰のつもりなのだろう」
楓は不思議に思った。自分達は一の姫と接点があるのでわかる。だが、兵部卿宮の姫は?
「兵部卿宮の姫は何故襲われたのでしょう?」
「それは……」
口籠る利憲に、斉彬が代わりに説明する。
「兵部卿宮の姫は、一の姫の夫・権の少将の恋人だったのだよ。近頃は中納言家にも行かずにそちらへばかり通っていたらしい」
浮気な男に敵意が向かず、相手の女を攻撃するところは普通の女性らしいのだけれど、と斉彬が苦々しげに言う。
「放っておくと、あの好色な少将の恋人全てが標的にされそうだ」
「……やめさせます」
凛とした声が響いた。
「私の姉のこと、私が責任を持って止めます。ですので、お二方とも協力をお願いします。あまりにたくさんの命が消えてしまいました。もうこれ以上、罪を重ねることは許されません」
そう言って、女御は抱きしめていた楓の身体を離す。
そして顔をあげ、皆に宣言するように言った。
「私達はもう神ではないのですから」




