27 権の少将
牛の式神の引く網代車に乗って、利憲は中納言の屋敷へと向かった。
斉彬には『少し気になること』と言ったが、実のところは中納言邸にこそかなりの確率でなにかがあると感じている。
女御は中納言の三の姫。楓は二の姫。そろいもそろって玉依姫が二人とも中納言の姫である。これは偶然ではないだろう。
そして、利憲が一番引っかかっている事がある。
それは、誰が楓に蠱毒の呪いをかけたか、だ。呪詛の妖は祓ったが、呪詛を行った者は別にいる。
蠱毒による病魔は、楓の住んでいた中納言邸の西の対屋に住む者達を、流行り病で亡くなったかのように見せかけ殺した。幸い楓は自身の神気で守られており、病にかかることなく生き残った。しかし、あの妖は神気に追われて屋敷をさまよってはいたが、確実に残った楓を狙っていた。
そこまでの執着——。
女御に対する磐長姫のそれに似ている、利憲はそう感じたのだ。
長い築地塀に囲まれた中納言邸の門の前に着いた利憲は、門番の侍に取り次ぎを頼む。
侍は主人がまだ帰宅していないことを利憲に告げた。
「陰陽寮から中納言殿に女御様の件でお知らせしたい事があるのだ。待たせてもらっても良いだろうか」
忙しい中納言は帰宅が遅い。それを見越した訪問だ。
女御の事、と聞いた侍は屋敷の中へ走って行き、帰ってくると利憲の牛車を屋敷の中へと招き入れた。
車宿に牛車をとめ、先導する女房に渡殿を案内され歩く。寝殿にたどり着くまでに東の対屋を通った時、利憲は思いもよらない人物に呼び止められた。
「陰陽頭殿ではないか」
「これは、権の少将様」
何故ここに? と一瞬言いかけたが、はたと気がつく。彼は中納言の一の姫の夫だ。妻の元へ通ってくるのは不思議ではない。利憲は立ち止まって頭を下げた。
「中納言殿に何か用事か。義父上はまだまだ帰らないと思うぞ」
「待たせていただこうと思いまして」
「宮中の妖の件か。陰陽寮も大変だな」
「近衛府の皆様ほどでは」
利憲はうつむいたまま答える。
「いや、妖はもう我らの手を離れたかもしれぬ。妖の虎は内裏を出て京の町へと住処を変えたようだ。あとは検非違使達にまかせるしかない」
どことなく声に悲哀を感じて、利憲は顔を上げて権の少将を見た。
「兵部卿宮も気の毒に。姫の箏の琴の音は素晴らしかった」
しんみりと語る口調に僅かな艶を感じた利憲は、そういう事かと心の中で呟く。少将という職につく男はそろって色を好むのであろうか、と斉彬が聞けば憤慨しそうな事を考える。
妻の家で死んだ別の恋人の話をするとは感心しない。
そう思って案内をする女房の顔を横目で見ると、彼女もなんとも複雑そうな表情をしていた。驚いていないところを見るといつものことなのだろう。
よほど一の姫は出来た妻なのかもしれない。それとも少将が上手く隠しているのか。
「少将殿の北の方様も、さぞ怯えていらっしゃるのではないですか?」
隣にいる女房のためにわざとそう問うと、権の少将は肩をすくめてみせた。
「僕の妻はそうでもなさそうだ。毎日猫と戯れているよ」
「猫ですか」
「ああ、すっかり妻をとられてしまった」
冗談めかして権の少将は笑う。
利憲は少しも残念そうではない彼の様子に、以前斉彬が権の少将をあまり良くは思っていないように話していた事を思い出した。
なんだかんだ言っても、斉彬は女性には優しく交友関係は広い。しかし、あくまで遊びである場合、彼は相手に過剰な期待はさせない付き合い方をしているようだ。本命となる相手を探しているという本人の言は本当らしい。
一方どうもこちらの少将は、そんな斉彬の主義には反するものを持っているのだろう。斉彬は少し純粋すぎるきらいがある。一夫多妻の貴族の一般的な計算高い男であるなら、一の姫を出世の道具として手に入れ、別に本命の妻を作っていたのだとしても不思議ではない。
「それでも本日は北の方様を心配されてこちらに?」
「たまには顔を出しておかないとね。義父に叱られてしまう」
以前呼ばれた時に、中納言から総領姫と少将の夫婦仲は悪くなさそうに聞いた事がある。家に寄りつかぬ夫であろうが、一の姫は尽くしているのであろう。せめてその寂しさを猫で紛らわせているのだろうか。
(せっかく手に入れたのだから、大事にすればよいものを)
人に好かれるとは羨ましい限りだ。自分は嫌われるのが怖くて近寄れないというのに。
嫌な事を思い出して利憲は眉をひそめた。
権の少将と別れて寝殿の廂の間に通された利憲は、一人になると袖から一枚の札を取り出した。利憲がそれを簀子の方へ投げると、ふわりと風に乗って庭の方へ飛んでゆく。その行方を見送り、利憲は目を閉じて式神から送られる映像を頭の中で再生する。
楓がいた西の対屋に人の気配はない。妖がいた形跡ももう残っていなかった。空気は澄んでいる。楓に出会った庭には、緑から紅に染まりつつある楓の木がぽつんと立っていた。
次に式神は北の対屋に行った。こちらは西と違ってがやがやと騒がしい。東に権の少将が来ているのを知ってか、中納言の北の方が女房達を集めて何やら指示を出している。娘の夫を引きとめようと、夕餉の支度を張り切っている様子も見えた。
どこも普通の屋敷の風景だ。
利憲は、あの懸念は杞憂だったかと落ち着く。呪詛を行えば必ず痕跡が残る。中納言の北の方が呪詛を行った気配は見えない。夫の第二夫人とその娘を疎んじて、というわけではなかったようだ。
最後に先程通ってきた東の対屋に行く。少将の訪れに、こちらの女房達もぱたぱたとせわしなく動いていた。当の少将は母屋へ入っているようで見えない。
そこまで視て、利憲の脳裏に紅い炎がゆらめいた。
(これは……)
これ以上近付いてはならないと本能が警告している。
瘴気もない。邪気もない。ただ、危険なものがそこにある。
御簾の奥に、それはいる。
人ではない、ナニか。
見つけた——。
利憲が呪を呟くと、式神は小さな火をあげ薄く煙を残して燃え尽きた。




