24 高也の決心
高也は左大臣家に仕える家司の息子で、当家の長男であり藤壺の女御の弟でもある左近の少将斉彬の従者を務めている。主人は乳兄弟でもある為、高也が権の少将のところから左大臣家に戻ってきた時から、よく夜の散歩につき合わされていた。もちろん、その散歩の目的地は女性宅である。
主人はたいそう雅な男なので都の女性達の恋の相手として、あちらこちらから色めかしい文が届けられる。決して女性を蔑ろにしない性格の斉彬は、毎夜のように誘いに応えて会いに行っていたのだった。
しかし、近頃はとんと高也の出番はない。
斉彬は内裏の怪異に苦しむ弘徽殿の女御の護衛を帝より仰せつかり、連日のように宿直を命じられている。高也は主人が寝不足にならぬかと心配するも、しょっちゅう夜遊びしていた彼は、慣れているのか特に苦痛に思っているようには見えなかった。
ところが今日、朝の勤務を終えて一旦左大臣家に帰宅した彼は、いつになく疲れた様子で自室にこもってしまった。
(いったい何があったんだ?)
こっそり覗いてみると、斉彬は文机に寄りかかり頬杖をついて考え事をしているようである。
彼はしばらくぼんやりしていたかと思うと、不意に頭を抱えて何かを呟き、そして頭を振ってまた考え込んでいる。そして、何やら悩ましげに美々しい顔をしかめたかと思うと、がばりと机に突っ伏してしまった。どうも主人にとって重大な何かがあったらしい。
高也は主人が仕事で何かとんでもない失態でも犯してしまったのかと心配になった。斉彬はとても器用でなんでもそつなくこなす。仕事でもとても有能だと評判だ。
その彼がこんなに落ち込むとは、いったい宮中で何があったというのだろうか。
高也がハラハラと柱の影から覗いている事には気付いていないのだろう、斉彬は突っ伏していた頭をゆるゆると上げ、深いため息をはあっとついた。その様子はなんとも悩ましげで色っぽい。
同性ながら若君は美しい顔だなと、高也は感心しながら観察を続ける。
すると、斉彬がぽつりと洩らした言葉が途切れ途切れに聞こえた。
「あれが……だなんて反則だ。よりによって……に私が……なんて」
なんのことを言っているのだ?
高也はもっとよく聞こうと耳を澄ます。
だが、斉彬は黙ってまたガックリとうなだれてしまった。
その様子を見た高也は意を決する。
(これはいかん。ここは一つ、乳兄弟のよしみで相談に乗ろう!)
主人の一番の理解者であると自負している高也は、勢いよく柱の影から出て声をかけた。
「斉彬様、いったい何があったのですか? 悩みがあるならこの高也にお話しください」
突然の従者の登場に、斉彬はびくっと飛び上がる。しかし、相手が高也だと認識すると、なんだといったふうにまた頬杖をついた。
「お前に話しても仕方がないことだよ」
と、またあさっての方向へ向いてため息をつく。
その様子を見た高也は、がぜんヤル気になった。
「悩みがある時には誰かに話を聞いてもらうだけでも気持ちが落ち着くものです。口に出してみれば、どうすれば良いのか考えもまとまろうというもの。さあ、何があったのかお話ください」
「お前……、主人の私的な話題を聞いてどうするつもりだ?」
「どうすることも出来ないかもしれませんが、坊ちゃんが悩んでいるのを放っとけません」
「あのねえ……」
斉彬は呆れたように高也を見るが、心配されているのはわかったのか、はははと乾いた笑い声をあげた。
「従者に心配されるとは主人失格だな。大丈夫だ。たいしたことじゃない」
「たいしたことでないのに、そんなに落ち込まれるはずがありません。いったい何をそんなに悩まれているのですか。宮中で何があったのです?」
「いや、本当にくだらない事なのだよ」
「どんなことです!」
「どうでもいいじゃないか。仕事の事とかそんな大事な内容ではないんだよ」
「では、どんな事です?」
「しつこいな」
「聞くまではこの高也、ここを動きませぬ」
「ええ?」
一向に引かない高也の忠臣ぶりに斉彬は困ったな、と顔をしかめる。
そして、絶対に誰にも言うなよ、と高也に念を押した。
「……初めて惚れた相手が男だったんだ」
一瞬、高也は自分が何を聞いたのか理解できなかった。
「はい?」
斉彬は頬を紅くしてもう一度言う。
「だから、男を好きになったみたいだから困っているのだよ」
「誰がです?」
「私が」
「嘘でしょ? あんなに女好きだったのに」
「嘘だと思うなら初めから聞かないでくれ。女性が好きなはずなのに、目の前に彼の顔がちらついて集中できないんだ。いったいぜんたい私はどうなってしまったのやら」
「……」
聞くのではなかった。そう高也は思ったがもう遅い。
「本人が望んだとはいえ、女性の格好をさせたのが間違いだった。あれほど可愛くなるとは。高也、ずっと思い描いていた理想の姫が目の前に現れたのだよ。なのに、その姫は男だときている。これはどうすれば良い?」
「申し訳……ありませぬ……。わたくしにはどうにも……」
「言えと言ったのはお前だぞ」
「はい、確かにそう申しました」
神妙に頷いたが、高也も混乱していた。
これは屋敷の主人である左大臣には言えない。息子に良家の姫を嫁にせよと、日々うるさく言っている北の方にも絶対に秘密だ。
「初めて見た時から可愛い少年だとは思っていたのだ。利憲によく懐いているから、始めはてっきり利憲が男色の趣味があったのかと邪推してしまった。いや彼には理由があることは後から知ったのだけど……」
話を聞くと言ったからには聞かねばならぬ。
高也は覚悟を決めた。
斉彬が胸の内を吐露するのを、目をつむって相槌をうつ。
しばらくして、彼はある事に気がついた。
——斉彬は思い違いをしている。
斉彬の言う一目惚れした男の姫は、あの陰陽生の楓。彼は中納言家で虐げられていた二の姫なのだ。
斉彬が愛人として二の姫に手を出すような事になれば、二の姫命の妻・周防に叱られてしまう。左大臣の北の方にも、きっと文句を言われるに違いない。
背中に大量の汗をながす彼の目の前で、主人はまた思い悩むようにため息をついた。
悩む主人を目の前にして、高也は忠心と保身とを天秤にかける。
高也にとって斉彬は大切な主人である。
しかし——。
(斉彬様、申し訳ありませぬ!)
高也は妻が怖かった。そして、左大臣の北の方も恐ろしい。
女性に逆らうことは極力避けたい高也である。
そして高也は我が身可愛さのあまり、この件に関しては何も語らぬ事を胸に誓った。




